幕間 sideフィオナ~アスラでの永い1日②~
2話分の2話目になります。
前の話に出てきたふたりのメイドさんは、レオンの母が信頼する戦えるメイドさんたちでした。ただ、相手の方が一枚上手だったようです。
廊下を精一杯の力で駆けます。足には身体強化の魔法も使っていますが、賊の方が速いのか、足音はどんどんと近づき、後ろからは下卑びた声が聞こえてきます。……うう、どうしたらいいの?
『危なくなったら、これを投げろ』
その時思い出したのは、城壁の上でレオン様に渡された小さな球。私は、異空間収納に入れていた手のひらに収まるほどのそれを、振り向きざまに賊へと投げつけました。それからすぐに、ガラスの割れるような音が響き、次の瞬間、賊の悲鳴が聞こえました。思わず振り返ってみると、賊は体を半分ほど凍らせて動けなくなっていました。——すごいわ!
仲間の姿に驚いたのか、賊たちが立ち止まっている隙に、私は再び駆け出しました。
再び、追いかけて来る足音が聞こえました。私は、取り出した球を、後ろに投げつけます。ひとつめとふたつ目は当たらなかったのか、何も反応はありませんでした。しかし、3つ目の球を投げた後、後ろで突然何かが破裂するような音が響き、次の瞬間、私は後ろから吹き付けてきた風によって背中を押されることになりました。
ガシャーーーン‼
それと同時に近くの窓ガラスが割れる音が響き渡りました。それに紛れるように、賊の悲鳴も。風に押されて数歩よろめいた後、後ろを見ると、壁に叩きつけられたのか伸びている賊と、無残にも割れた窓、そして竜巻でも受けたかのように荒れた廊下でした。これも、レオン様が持たせてくれたものの力なの?
……驚いている場合じゃないわ。逃げなきゃ……。たしか、別の階段がこの先にあったはず。
その先の角を曲がると、少し離れたところに階段が見えた。あれだわ!
すぐに階段に向かおうと足を踏み出した時、その階段から、ひとりの人が上がってきました。メルたちと同じ、侍女の方のお仕着せを着ています。その方は、私を見ると、声をあげました。
「ああ‼ お嬢様! こんなところにいらしたのですね。早くこちらへ。外にご案内します」
そう言ってその方はにっこりと笑いました。
「は、はい。ありがとうございます。あの、クレアやメルは——」
その方の言葉に安堵して、分断されてしまったクレアたちのことを聞こうとした私でしたが、すぐに立ち止まりました。
「? お嬢様?」
不思議そうな顔をしている侍女の方。
「どうされたのです? 早く行きましょう」
私は、その言葉に頷けませんでした。なぜなら、彼女は目が笑っていなかったのですから。
伯爵家の方々は、皆さんとても親切で、優しい目をしていらっしゃる方が多いです。それは、仕えている侍女や、料理人などの方々も同じです。でも、この人は、そんな目をしていません。それどころか、ミーナや侯爵家の侍女の方と似た、嫌な感じの目をしていたのです。……まるで、人を傷つけることをなんとも思っていないとでも言うような、そんな目を。
途端に、その方に近づくのが怖くなってしまった私は、思わず後ずさりをしました。きっと、こわばった顔が見えたのでしょう。侍女の方は、少し驚いたような顔をした後、こう言いました。
「へええ……。案外鋭いんだね。簡単に騙されると思ったのに」
そう言って笑ったのです。こちらを嘲るような笑みでした。
「さあ、お嬢ちゃん。おとなしくこっちに来な」
笑みを浮かべたまま、賊の女性はじりじりと私に近づいてきます。手にはどこから取り出したのか、ナイフを持っています。……どうして、この人は侍女の恰好をしているのでしょうか。それに、まるで私がいることを知っているような口ぶりだったわ。
たくさんのことが一気に押し寄せてきて、頭が真っ白になっている私に向かって、女性はにやにやと気味の悪い笑みを浮かべました。
「なんであたしがこの格好をしてるのかって顔をしているね。まあ、お嬢ちゃんたちを捕まえて逃げおおせた後で、たっぷりと聞かせてあげるよ」
近づいてくる女性に対して、私は一歩ずつ後ずさりをしながら距離を取ります。でも、あちらが本気でやって来たら、すぐに捕まってしまうでしょう。……残っているあの球は3つほど。それでどうにかしないといけない。
後ろには、賊の男たちがいます……。前に行くしか——!
私は異空間収納から取り出した球を持って、女性に向かって投げつけ「ああ。そうそう」え?
「あたしを攻撃したら、この服の持ち主が無事じゃあ済まないよ」
その言葉を聞いた瞬間、私に優しくしてくれた侍女の方々のことが思い浮かび、投げた球の狙いはそれ、球は女性よりも後方の天井にあたって破裂しました。とたんに暴風が吹き荒れ、私たちを襲いました。髪や服の裾が大きく翻ります。
「ううっ……」
強い風に、思わず目を閉じてしまいました。そして、目を開けると、賊の女性はもう目の前に迫っていたのです。逃げようとしましたが、遅すぎました。片手を思いっきり掴まれ、痛みに思わず声が漏れてしまいました。
「捕まえたよ。こっちに来な」
そう言って女性が私の手をひこうとしたその時、後ろから私を呼ぶ声が聞こえたのです。その声は、ここから離れたところにいるはずの方の声でした。
そして角から現れたのは……レオン様でした。疲労している様子で、体のあちこちに傷があるのが見えます。どんな激しい戦いをしてきたの?
レオン様の乱入に警戒したのか、私をつかむ腕の力が強くなる。……⁉ 痛い!
思わず顔を歪める。そして次の瞬間、私は賊の女性に後ろか抱きつかれるような格好になっていました。そして首には女性の腕が回されていて、私の首を圧迫してきました。……苦しい!
「動くな! 動いたらこのお嬢ちゃんの命はないよ‼」
そして女性の声が聞こえ、それを聞いたレオン様が悔しそうな顔をするのが目に入りました。ああ……。私、人質になってしまったの?
「ほらほら、早くその物騒なものを床に置きなさい。そうしないとこのかわいい顔に傷がついちゃうわよ?」
それを証明するかのような声が、あたりに響きました。それを聞いたレオン様は、やがてゆっくりとした動作で、持っていた剣を下ろし始めました。……ダメ‼ きっとこの人は、レオン様を殺してしまう! そしてまた別の人を傷つける! そんな人を野放しにしていいはずがないわ。
「私は……大丈夫ですから……」
するりと、ためらいもなくその言葉は私の口から出ました。驚いた様子のレオン様に、精一杯の笑みを浮かべます。
「私に構わず、この人を倒してください」
私は……大丈夫。私が死んだところで、悲しむ人なんていないわ。レオン様だって、婚約者だから優しくして下さるだけでしょう。それに、今のレオン様には、私よりも婚約者にふさわしい方がいらっしゃるはず……。
少しだけ……胸が傷んだ。気づかないふりをする。
いいの。最後に幸せな思い出ができたもの。誰かの役にたって死ねるのなら、この上ない幸せだわ。
女性が、私を引きずってレオン様に近づいていきます。首が絞められているからか、息が苦しい……。息も絶え絶えな状態で、私はレオン様に必死で訴えました。そして、女性の持つナイフが、しゃがんだレオン様の首筋に当たります。……やめて‼ 私はどうなってもいい‼ レオン様を傷つけないで‼
「何か言い残すことはあるかい?」
女性の言葉に、レオン様が何か言っているのが朦朧としてきた意識の中で分かりました。
そして、顔をあげたレオン様と目が合いました。
「ふざけたことぬかしてじゃねえぞ。フィオナァ‼」
そして聞こえてきたのは、怒りに満ちたレオン様の声でした。今までに聞いたことがないほどに強く、感情のこもった声でした。レオン様……怒っているの?
それからはあっという間でした。突然私を捕まえていた女性が苦しみだし、気がついた時には、私はレオン様に救い出されていたのです。解放されたことで苦しさもなくなり、段々と意識もはっきりとしてきました。その時には、女性は氷に覆われた状態で拘束されていたのです。
レオン様は窓のそばに、傷だらけの姿で立っていました。しかも手からは、ぽたぽたと血が垂れています。私が思わず駆け寄ろうとした時、窓から離れたレオン様は力を失ったように体を傾け、そのまま壁にもたれかかるようにしてずるずると床に倒れ込んでしまったのです。
「レオン様‼」
私は必死で呼びかけましたが、返事が返ってくることはありませんでした。ただ、胸が上下していて、生きていることが分かっていたのが、せめてもの救いでした。
それからすぐに、たくさんの騎士の方々が町にやってきて、残っていた魔物を倒し、魔物の襲撃は終わりを告げたのでした。
レオン様が起きるまでの間に、私も色々なことがありました。賊に襲われたときのことを聞かれたり、町の人たちに炊き出しや治療を施したりしました。
あの時、途中で別れてしまったクレアとメルは無事でした。傷を負ったものの、休めば治ると聞いて、安心しました。
あと、エレンにも会いました。執事のガルム様とふたりだけでやってきたと聞いた時には驚きました。なんでもエレンは、行方不明になっているある家族を探しに来たそうです。その途中で、この町に来たのだと。
「まさかこんなところでフィオナに会えるとは思わなかったわ! ……でも、フィオナ、元気ない?」
エレンは私の顔を見ながら、そう言いました。……やっぱり、わかってしまうのね。
昨日は、あまり眠れませんでした。賊に追いかけられ、腕をつかまれたときのことを思いだして、跳ね起きてしまうことが度々あったのです。それと、かつてないほどに怒っていたレオン様のことも。
あんなに怒らせてしまうなんて……。私は何をやっているのでしょうか……。
「私でよければいくらでも話聞くわよ?」
エレンはにっこりと笑いました。……話したら、楽になるかしら?
そう思って口を開きかけたその時、レオン様が目を覚ましたという知らせが届いたのです。
それを聞いた私は、いてもたってもいられず、レオン様の寝室に向かいました。
レオン様は、ベッドの上で体を起こしていました。腕には、傷の手当てをした跡が見えます。でも、倒れたときよりも、顔色は良くなっていて、そのことに安堵しました。
そのあと私は、レオン様にひどく叱責されました。でも、その内容は今までに受けてきたものとは違っていました。……言葉は厳しかったですが、本気で私を心配する言葉をかけて下さいました。自分を大切にしろ、と。
私はその時、やっと自分の愚かさに気が付きました。あの時の行動や私の放った言葉は、エレンやアンナたちの好意を踏みにじるものだったということを。私は、自らそれを手放すところだった……。
「……俺は、フィオナが婚約者でよかったって思ってるんだから。今更別の人なんてお断りだ」
いつかの時のように優しく頭を撫でられ、掛けられた言葉に、私は震えました。……初めて、そう言われた。婚約をしてから5年以上。その間、一度もかけられたことのない言葉が。
嬉しい……。
あたたかなものが胸いっぱいに広がって、私は心のままに言葉を紡ごうとしました。でも、それは突然部屋に入って来たエレンとアニエス様の声にかき消されてしまったのです。
部屋に入って来たエレンとアニエス様は、私たちの話をこっそり聞いていたみたいです。私はあっという間に抱きしめられ、ふたりの気持ちを知ることになりました。
その後、別の部屋でエレンに私をぎゅっと抱きしめられました。長い時間、ただ抱きしめられて……。
エレンは泣いていました。「フィオナが無事でよかった……」と。普段は笑顔で振る舞うことが多いのに、ずっと泣いていて……。ああ……。私は、間違っていたのね。
私は謝ると、エレンを抱きしめ返しました。本当によかった。
それから、アスラの町を出るまでの間、私はエレンと一緒に、再び町で炊き出しを行ったりしました。そこに、レオン様と共に城壁の上で戦ったというシャーロットさんも加わって、さらににぎやかになったのです。シャーロットさんとエレンは慣れているのか堂々とした立ち振る舞いで動き回っていました。私も負けてられません。
また、彼女は城壁の上でのレオン様の戦いぶりについても話してくれました。私には真似もできそうにない、激しい戦いだったみたいです。……改めて、戦ってくれた方々に感謝をささげました。
エレンはアニエス様とも意気投合して、私たちと共に領都に行くことになりました。その馬車の中で、私はたくさんの話をしました。……何だか、心が軽い気がします。
自然と口元が緩むのを感じます。大変なこともあったけど、ここにきてよかった。そう思いました。
次回からは本編です。まだ領地編続きます。思っていたよりもかなり長くなっていますね。今度は何が起きるのか……。




