2-6 8日目 ダメ男は料理人と交流する
「さて、昨日できなかった分、今日頑張りますか」
そうひとりごちると、俺はぐぐーっと身体を伸ばした。昨日朝起きると、おとといの出来事で疲れがたまっていたのか、体はだるく、風邪気味だったので、1日休んでしまった。今日はしっかりやるぞと心の中で決意を固め、修練場に向かう。修練場に着くと、そこには十数人の若い騎士たちがいた。俺は気にすることなく定位置となりつつある端っこの方に向かうことにしたのだが、俺に気づいた騎士たちが集まってきた。何事だ?
「レオン様。おはようございます! 先日はありがとうございました!」
そう挨拶してきたのは、この前ラジオ体操を教えた騎士たちのうちのひとりだった。
「おはよう。何かあったのか? なにやら大勢いるが」
「問題は起きていません。実はレオン様にお願いがありまして……」
「お願い?」
話しかけてきた騎士の話を要約すると、彼らは俺から教えてもらったラジオ体操を気に入って、他の若い騎士にも教えたり、自慢したのだとか。その結果、「自分たちもやってみたい」という騎士が新たに現れ、連れてきたということらしい。なお、興味を持っている騎士はまだいるのだそうな。
なんだか変なことになってきたな。これが異世界転生でありがちな“知識チート”ってやつか? ……いやラジオ体操で何をしろってんだよと心の中で即座に突っ込む。
断る理由もなかったので午前中は彼らにラジオ体操を教え、トレーニングに励んだ。残りの人には彼らが教えていってくれればいいと思う。思わぬ広がりを見せつつあるラジオ体操だけど、まあ新人の騎士と打ち解けるきっかけになったからいいかな。
午後、魔力操作の練習をしようと思い、修練場に向かっていると、建物の影から、ちょいちょいと俺に向かって手招きする手が見えた。「レオン~」と小さく呼ぶ声も。行ってみると、そこに居たのはパスタの時にかかわった料理人のトールだった。
「どうした? なんかやったのか?」
「何もしてねえよ。……いや、ちょっと付き合ってほしくてな」
そう言って案内されたのは、屋敷の裏手にある畑。その傍にある小屋だった。この小屋はトールの研究室のようなもので、ここで新しい料理の構想を練ったり、試作品を作ったりしている。レオンも何度か訪れて、ここで試作品の料理を食べたり、さぼったりしていたようだ。中に入ると、たくさんのものが天井からつるされていた。他にも棚に食材と思しきものが置いてある。野菜、魚、肉。いろんなものがある。近づいてみると、肉や魚は塩漬けだったり燻製になっていた。……この世界、燻製があるんだな。
更に進むともう一つ部屋があり、そこは調理場になっていて、こちらは綺麗に片付いていた。
「さて、今日来てもらったのはちょっと頼みがあってな」
そう切り出したトールの話を、俺は静かに聞く。
「……この前のパスタ。レオンのおかげで親父はかなり満足してる。伯爵家の皆様にも好評だったしな」
「それはよかった」
「で、親父はあれから、さらにたくさんの形のパスタを作ろうと研究してる。親父は今すげえ楽しそうにしてんだ。そしてそれは俺も同じ」
そしてトールは俺の方に身を少し乗り出して続けた。
「それでよ、もしまだなんか新しい料理のアイデアがあれば聞きてえと思って呼んだわけよ」
「新しいアイデア?」
「おうよ! ただでさえ最近新しくて、上手い料理の方法だとか、新たな食材が出回るようになってるんだぜ! 料理人として、ワクワクが止まらないんだ。だが、新しい食材とかは、別の領地で発見されたり、広がってることが多くてな。こっちに情報や現物がくる頃には、いくらか時間が経ってることがほとんどだ。さっきの部屋にあった肉や魚も、最近出回るようになった“燻製”って方法で長期保存ができるようになった食材なんだ」
さっきの燻製のことか。……昔からあるのかと思ってたけど、出回り始めたのは最近になってからなのか。
「トール。その食材とかって、どんなものがあるんだ?」
「ああ。どれもこれもここ10年位の間に出回るようになったのがほとんどだ。燻製もそうだが、薬草を料理に使うようになったのも最近からだし、肉や野菜を油で揚げる料理なんかもそうだ。あと、特に増えたのは調味料だな。まだ出回ってる量は少ないけど、かなり評判になってる。特に“マヨネーズ”と“ケチャップ”、あと“ショーユ”ってのがよく聞く名前だ」
……なんか今すごくなじみのある名前が聞こえたぞ。俺以外にもいるんじゃないか転生者。
「それってどこで売ってるんだ?」
「最近急成長中のダールストン商会ってところで売ってる。とはいっても、品薄みたいだけどな」
手に入らなくて残念だという感じでトールは手を振った。俺は今の話を聞いて思うところがあった。
「なあ、もしその店に行ったらさ、人気がなくても最近出回り始めたやつを買うように頼んでくれないか? 多分だけど、ここ10年位の間に出回り始めた商品に、はずれはないと思うから」
「……まあいいぜ。最悪俺が使えばいいしな。それで、話を戻すけどよ、なんか新しい料理のアイデアはないか?」
「……具体的にどんなのが、とかないのか? それ」
「そうだな。パスタ以外の小麦粉で作れるやつとか、かな。小麦なら伯爵家の領地でたくさん採れるからよく使うし、手に入りやすいしな」
そういえば、アルバート家の領地は小麦の生産地だったっけ。となると……。
「パスタじゃない麺料理がふたつほどあるが」
「ぜひ教えてくれ」
俺がトールに提示した料理はうどんとラーメンのふたつだった。理由はどちらも小麦粉が主材料なのと、俺が作り方を知っていたからだ。うどんは手打ちの体験をしたことがあったし、ラーメンは某農業系アイドルのテレビ番組で見たことがあった。問題はかん水だな。材料は知ってるけど、この世界にはあるのだろうか? なかったとして、作れるのだろうか?
聞いてみたところ、かん水は知らないとのこと。今度料理長やほかのコックに聞いてみるという。……ただ、料理に使ってはいないが、灰汁を料理に使うことはあるらしい。たしか沖縄そばは草木灰入りの水を煮詰めた上澄みをかん水の代わりにしていた……。かん水がなければそっちを教えようかな。
俺の話を聞いたトールは目を輝かせて作ってみたいと意気込んでいた。あと、うどんもラーメンも、それにかけるスープが必要なことを伝え、それには“ショーユ”や“ミソ“という調味料が合うことも言っておく。トールはそれを聞くと、醤油を優先的に手に入れられるように頼んでみる、と息まいていた。
残りの時間は、ふたりでスープを作った。トールが、豚や鳥の骨でだしを取るスープに興味を示したのだ。この世界にも、出汁を取ったスープはあるが、野菜やキノコなどで出汁をとったものが中心だ。トール曰く、肉でとった出汁は、生臭かったりしてあまり使われないらしい。灰汁をとったり、匂い消しの効果があるものを入れたらいいんじゃないかと言ったところ、詳しく聞かせろと詰め寄られ、そのまま試作に付き合うことになった。豚骨や鶏ガラをぐつぐつ煮込む。とりあえず、鶏ガラの下処理をしていなかったので、それを指摘したり、灰汁をとるように言ったりして、まるで学校の調理実習みたいだった。
出汁で思い出したが、前世では定番の昆布やカツオの出汁はないのだろうか? あご出汁や煮干し、シイタケとかもあるけど、どうなんだろう。そもそも、鰹節が存在するのだろうか? 貝やエビの出汁だと思われる料理はあったけど……。
数時間にもわたる格闘の末、鶏ガラスープも豚骨スープも、某番組でやっていたり、本で読んだ知識を基に作ったこともあり、美味いかはともかく、それらしきものを作ることはできた。あとはトールの工夫次第じゃないだろうか。ちなみに、おととい手に入れた生姜も、臭み消しとして提供した。ここで驚いたのは、トールがニンニクを持っていたことだ。なんでも、ハンターに頼んで食べられる植物を採取してもらい、自分で試していた内のひとつだという。気になって見てみると、ぜんまいなどの山菜、唐辛子や山椒など、なじみのあるものがいくらか混ざっていた。……とりあえずペペロンチーノのことを伝えてみると、すぐにメモを取っていた。……そういえば、オリーブオイルって……あった気がする。
「いやー長々と付き合わせちまったな。でも、おかげでいいものが作れそうだ。ありがとよ」
「いや、美味いものが食べられるなら俺も嬉しいから、気にしなくてもいい。……ところで、トールは気になったりしないのか? 俺のする料理の話について」
「ん? まあ、気にならないって言ったら嘘になるけど、でも、新たな料理の可能性の前にはそんなの些細なことさ」
そう言って、トールはにかっと笑った。……なんとなく、レオンとトールの仲がいいわけが分かった気がした。
主人公は作中にも出てきたようなテレビ番組を好んで見ていたのもあり、知識は持ってます。でも、先にやらかしている人がいるようなので、あまり出番はないかもです。




