3話 マネージャーとの会話 その1
次の日。試合の翌日ではあるが、陸上部の朝練はあった。全員が一つの集団になってJOG(ジョッグと読む。いわゆるジョキングの事)。60分走って練習は終了になった。もちろん、陸上部の練習は朝だけではない。昼食後、また練習がある。昼食後の練習こそが本練習なのだ。日によって練習内容が違うが、インターバル走や40キロ走をやったりしている。さらに選手によっては、それ以外に自主的に走るものもいるぐらいだ。
その間に仕事をしている。実業団とは形式上は、普通の社員と同じ扱いだ。プロ野球選手やJリーガーのようにプロではなくアマチュアなのだ。だから全く仕事をしないわけにいかない。
もちろん、仕事といっても普通の社員とは違って形だけのものだった。一部の実業団では一般の社員と同じように仕事をしているが、それは特殊なケースだ。
午後からの練習が始まった。通常なら本練習をする時間だ。試合に出た選手は前日の疲労がたまっている為、まだ本調子ではない。そのため、軽めのJOGになった。
水無月も皆と同じように軽めのJOGをしている。グラウンドを自分のペースでゆっくり走っている。ゆっくりと言っても、あくまで彼にとっては・・である。普段運動していない一般人がこのペースで走ってしまえばすぐに息があがってしまうだろう。
息が切れるほどではない軽いペースだから、本来疲れるほどではない。だが、昨日の試合の疲れがまだ残っていた。身体が重いのを感じた。
「ストップ!前日に北海道マラソンに出場したメンバーは、今日の練習は終了。これ以上やっても疲れをためるだけだ」
監督が大声で指示する。
それに伴い、何人かの選手がクーリングダウン後、練習を終了した。それ以外の選手は練習を続けているが、それらは北海道マラソンに出ていない選手達だ。彼らは別の大会を目標にして練習している。今日もハードな練習をして、大会に向けて準備中だ。大会への意気込みは練習中の真剣な表情からも読み取れた。
水無月も練習を終えた。本来なら更衣室に向かう所だが、そのまま練習場に残っている。隅の方に座り、まだ練習をしている選手の方を向いていた。
「お疲れさん、水無月君」
突然、後ろから声をかけられた。振り向けばマネージャーだった。
この陸上部唯一のマネージャーで、タイム計測や各種手続きをしている。元々は一般社員だったが、本人の希望により陸上部のマネージャーとなった。
「ああ。でも、たいした運動でもないけどなー」
「そういうもんでしょ。試合の次の練習って。無理しないが一番大切だよ。この時期は。私も経験あるんでわかるけど、試合で駄目だった後って、妙に練習したくなるのよね」
「あれ、竹中。選手経験あったけ?」
「あれ、言わなかったかな。学生時代は陸上部で選手だったよ。これといった成績が残し
たわけじゃないから、自慢できるものは何もないけどね」
本人は謙遜するが大学時代に関東大会出場者だ。関東大会に出場するには県大会を入賞(8位以内)しなけばならない。
「初めて聞いたぞ。そんな話」
「確かに言っているよ。マネージャーとしての初参加の日の自己紹介の時に」
「あれ、そうだったけ?」
水無月は頭の中で振り返る。しかし、その場面で彼女が何を言ったのかの記憶はない。
「思い出せないんでしょ」
「いや、そんなことは決して・・・」
言葉では否定したが、思い出せないという事実は変わらない。
竹中は水無月が自分の事を全く意識していない事がわかってしまい肩を落とす。
「まあ、いいわ。それほど印象に残る自己紹介をしたわけでないしね。でも、選手経験があるのは本当よ。学校の運動部でなら未経験で何にも知らなくてもマネージャーにしてくれるけど、企業の実業団だとそうはいかないでしょ」
「まあ、確かにそうだな」
同じマネージャーでも、学校と実業団とでは求められるレベルが違う。当然、実業団の方が高度なものを求められるものだ。求められる知識も技術もより高度なものだった。
「練習が終わったんだから、他の選手の練習なんて見なくてもいいのに・・・」
竹中と話している最中だというのに、水無月の視線は他の選手の練習の方にあった。
「見ても仕方がないというのもわかるんだが、どうしても気になってな」
「美人である私が横に座っているのに、こっちを全く見ないなんて失礼だと思わない?」
竹中に言われて、水無月は竹中の方を見た。竹中の上から下までを見て、つぶやくように言う。
「美人ね・・・・。平均よりは上だと思うけど、美人と見るかそうではないと見るかはその人の判断によるんじゃないか」
「水無月君としてどうなの?」
竹中は身を乗り出して、聞いてくる。
「知らん。今はそういうことを考えている余裕はない」
イエスともノーのどちらでもない返事だ。
水無月はそう言った後、すぐに、他の選手の方に視線を戻した。そのため、水無月は気付かなかったが、竹中はあきらかに不満そうな顔をした。