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前編

世紀のロマンスと謳われた王太子の婚姻から約二年。王都は新たな慶事に喜び沸き返っていた。

王太子妃であるプリシラが第一子となる男子を出産したからである。


プリシラ妃は、その可愛らしい容姿と朗らかな性格で多数の貴族の男子を魅了し、また庶民上がりの男爵令嬢という肩書きも相まって市井の民からも絶大な人気を誇っていた。


身分の低い男爵令嬢が王立学園に入学し、その可愛らしい容姿から高位の令嬢に嫉妬されて虐められ、それを助けた王太子リチャードと恋に落ちるというシンデレラストーリーはたちまち国中で持て囃された。

この出来事を模したオペラや小説が盛んに上演・出版され、年頃の少女たちは真実の愛を貫いた二人のロマンスに心底酔いしれたのである。


王太子妃が、妊娠後程なく公の場に姿を表さなくなったこともあり、彼女に対する市井の人々の憧れは募るばかり。

王子の誕生パレードで、久しぶりに彼女の顔が見られるのではという期待は、彼らの間でいやが上にも高まっていた。




うん、馬鹿馬鹿しい。


目の前で不貞腐れたように座っているリチャード殿下を見ながら、僕はこっそりと心の中で毒づいた。


殿下の執務室には春の柔らかな光が差し込み、開け放たれた窓からは小鳥の囀りが聞こえてくる。執務机の上では、先程メイドが淹れた紅茶が芳醇な香りを漂わせていた。


そんな麗かな昼下がりであるにもかかわらず、執務室の中には剣呑な空気が満ち溢れている。


「もう一度言いますが、祝賀パレードは行います。殿下にもプリシラ妃にも参加していただきます。これは決定事項です」


強くそう言うと、殿下はこちらを睨むようにして吐き捨てた。


「そんなこと言ったって、あんなもん人前に出せるわけないだろ!」


「自分の妃と御子息をあんなもん扱いするのは感心致しません。殿下と言えども言葉を慎まれた方がよろしいかと」


「あんなもんはあんなもんだろうが!」


殿下は、両掌を机に叩きつけた。その勢いで机に置かれたティーカップが跳ね上がり、ガチャンと音を立てて周りに熱い飛沫を飛び散らせる。


「書類が濡れてしまいます。お気をつけ下さい」


「そんなことはどうだっていいんだよ!じゃあ、聞くけどお前はあんなもんを国民の目に晒せると本気で思ってるのか!?あんなもん人前に晒したら、赤っ恥かくのは俺なんだぞ!」


バンバンと机を両手で叩きながら、殿下は喚き散らした。


彼が机を叩くたびにティーカップがガチャガチャと音を立てて跳ね、中に入っていた紅茶の殆どが机の上に撒き散らされてしまった。


「紅茶はメイドを呼んで片付けさせますので、少し落ち着いてください」


僕はため息をついてそう言うと、ベルを鳴らしてメイドを呼んだ。


「殿下が手を滑らせて紅茶を溢してしまってね、すまないが下げてくれないか」


一礼して入ってきたメイドにそう告げると、人前では猫をかぶっている殿下はメイドに柔らかな笑みを浮かべ「すまないね、君」などと声を掛けている。


メイドが華奢で可愛らしい容姿をしていたことも、彼の癇癪を一時でも冷えさせる一因になったのかも知れない。



ほんとうに馬鹿馬鹿しい。


イラつくことを抑えられず、僕はもう一度心の中で毒づいた。


「なかなか可愛らしい娘だったな」


紅茶を片付けて出て行ったメイドの後ろ姿を見送りながら、殿下がやに下がった顔で宣う。


「あの容姿ならお手付きにしてやらんこともない」


「妃殿下のいらっしゃる身で仰ることではありません」


「不義の子を孕んだ女など、もう妃でもなんでもないわ!」


「確証もなく軽々しく口にして良い言葉ではありませんよ」


「確証もなにも、あの髪の色と瞳の色を見ただろ!あれは弟のルーカスの色だ!」


殿下は思い出したようにまたもや机をバンバン叩いた。


成人した大人の男が子供が癇癪を起こしたような振る舞いをしているのを見るのは、なかなかに厳しいものがある。それが自分の主君であり、いずれこの国を背負って立つ人間になるのだと思うとその心労もなおさらだ。


「ルーカス殿下の髪と瞳はお母様のマーガレット様譲りです。殿下はお父上の色を受け継がれましたが、その身にはマーガレット様の血も流れていらっしゃいます。ですから、その御子にマーガレット様の色が現れてもなんらおかしくありません」


半ばこじつけだが嘘は言っていない。祖父母の髪や瞳の色が孫に遺伝するのはよくあることだ。


「だったら、ルーカスがプリシラの寝屋から深夜に出てきたという噂は!?使われてない談話室で抱き合っていたという噂は!?」


「噂です!」


ピシャリと言うと、殿下は黙り込んだ。しかし、いじけたように上目遣いでこちらを睨むのはやめない。


「子供の髪や瞳の色はそれでどうにかなるとしても、プリシラのあの姿はやっぱり人目には晒せない」


口を尖らせてぼそぼそと呟く殿下。こんな人間に敬称を付けなければならないのが馬鹿らしく思えてくる。


「女性というのは、出産を終えた直後が一番美しいと言われております」


「嘘つけ!あんなのただのブタだろ!いや、あいつは庶民あがりだから飼い慣らされたブタなんかじゃない!野ブタだ!野良ブタ!野生のイノシシだ!」


「妊娠中に多少体重が増えるのは自然なことです」


「多少じゃないもん!ウエストとか三倍くらいになってるもん!首なんか肉に埋もれてみえなくなっちゃってるもん!」


「あなたの御子を育てるために身体に栄養を蓄えられた結果ですよ」


「俺の子じゃないし!それにあいつが太りだしたのは妊娠する前からだろ!毎日毎日、学生時代の親衛隊を侍らせてお茶会と称してスイーツ三昧!そりゃ太るわ!甘い物は別腹とか言ってタワーみたいなチョコケーキを一人でぺろっと食ってたんだぞ、あいつ!」


真っ赤になって怒鳴り散らすリチャードを眺めながら、僕は我慢するつもりだったひとことを抑えきれずに吐いてしまった。


「真実の愛で結ばれた一対の魂とはなんだったんですか?」





ー俺とプリシラは真実の愛で結ばれた一対の魂だ。何人たりとも二人の仲を引き裂くことはできない!


断罪の場で言い放ったリチャードの言葉は、今となっては自分に酔った愚か者の戯言としか言いようがないだろう。


彼らの恋は、リチャードの婚約者であったリディア・スチュアート嬢を断罪したときがクライマックスであり、結婚式によってエンディングを迎えた。


エンディングの後に待っていたのは、多少の贅沢は許されるものの、なんの刺激も変哲もない結婚生活だ。


許されない恋に苦しむ背徳感、人気のある相手を自分だけのものにしたい独占欲、二人の仲を引き裂こうとする悪役令嬢。その全てが排除されてしまえば、もはや相手は手の届かない憧れの人ではない。寝ても覚めても目の前にいる平凡な相手である。


お互いに複数の異性からちやほやされることに慣れきっていた二人が、生涯この人だけという状況に耐えられなくなるのに然程時間は掛からなかった。


まず、プリシラが元学友を集めたお茶会を盛んに開くようになった。


お茶会といえば女性同士の社交の場であるのがセオリーだが、招待客であるプリシラの御学友はその全てが男性だった。

在学中にプリシラを女神のように崇め、リディア嬢の断罪劇の時にはプリシラの身辺を守るように固め、卒業後はリチャードの引き立てによって王城で要職に就いた所謂親衛隊と呼ばれる面々である。


彼らを労うという名目で初めの頃は容認されていたこのお茶会も、数を成すごとにだんだん批判の目は多くなっていく。


度重なるお茶会のおかげでプリシラの王妃教育や親衛隊たちの執務が滞りがちになっていることとか、パーティーもかくやというような贅沢な茶菓子を連日のように大量に消費していることとか。初めの頃は室内に控えていたメイドがいつの頃からか閉め出されるようになったこととか。


享楽に耽るプリシラに対して、ではリチャードが誠実であったのかというともちろんそうではない。


学生時代から女生徒に囲まれてちやほやされることに慣れ切っていたリチャードは、卒業後の王城での仕事三昧な生活にすぐに耐えられなくなった。


王太子としての執務が増えたことも不満の一因だったと思われる。

ただ、在学中と比べて劇的に仕事量が増えたわけではない。彼のサポートを行っていた元婚約者のリディア嬢を追放したため、その皺寄せがいっきに来たのである。


本来なら、卒業に合わせて仕事量を増やす予定であったらしい。学園に通っていた時間が丸々フリーになるのだから、仕事量が増えるのは当然だ。


しかし、それはできなかった。リディア嬢のサポートを受けながら学業の合間にこなしていたはずの執務を、学園に通っていないにもかかわらず一人でこなすことができなかったからだ。


彼を見る目に「無能」という文字が漂い始めるのに、そう時間はかからなかった。


プライドの高いリチャードにそんな状況が耐えられるわけもなく、彼は執務を放り出して視察の名目で度々王城を抜け出すようになる。


名目は「視察」であるから仕事と言えなくもない。

国の隅々まで足を運び、地方の現状を「視察」するリチャードを民は喜んで歓待した。

沿道で出迎え、国旗を振り、女性たちは老いも若きも殿下にも嬌声を浴びせた。


また、ちやほやされる日々が戻ってきたことにリチャードは至極ご満悦で、そこでやめておけば視察もまぁ仕事と言えなくもないので地方まで気にかける良い王太子でいられたのかも知れない。


彼が「一つの街にひとり!」と目標を立ててお手付きの娘を囲い出すようになるまでは。


地方に出向き、そこで見初めた娘に屋敷を与え、視察に行くと称してはその娘に会いに行く。


実態は仕事でもなんでもなくただの不倫旅行なのだが、リチャードはプリシラよりは悪知恵が働いたらしく、こちらはそれほど公にはなっていない。

愛人にお手当を送っている財務官や視察に付き添う殿下の近衛の間でのみひっそり知られているだけであった。


「今振り返れば、確かにあの頃の俺は愚かだったと言わざるを得ないな」


僕の独り言にリチャードは遠い目をして応える。


「視察旅行を通して気がついたんだ。たくさんの国民に愛を与え、たくさんの国民に愛されてこその王族だと思わないか?」


「正論ですが使い所が間違っています」


「相変わらずつれないな、お前は」


冷たく跳ねつけるとリチャードはやれやれといったようにため息をついた。さっきからため息を我慢している僕の心情など知るべくもなさそうだ。


「俺の民が俺の愛を求めているんだ。与えることが王太子としての務めだろう」


「その愛は全ての民に等しく与えるものであって、特定の婦女子のみに向けて与えられるものではありません」


「俺は神さまとか聖人とかじゃないの!人間なの!俺をひよっこ扱いして侮ってるような汚いおっさんより、無邪気に俺を慕ってくれる可愛い女の子の方にちょっと多めに愛が傾いちゃうのは、ある程度仕方のないことなの!だって、人間だもの!」


無邪気に慕ってくるプリシラという可愛い女の子を溺愛しまくった結果がどうなったのですか、と言おうとしてやめた。諌めたところで分かりはしないだろう。


「・・・いっそプリシラ殺すか」


「物騒なこと言わないでください!」


ぎょっとして思わず叫ぶと、リチャードは面白そうにニヤリと笑った。


「本当に殺すわけじゃない。あいつ王宮生活向いてないし次期王妃だって務まりそうにないし、産後の肥立ちが悪かったことにして子ども諸共死んだことにすればいい。で、どっか地方に屋敷を構えさせて、毎月お手当をくれてやれば楽しく生きていけるんじゃないか?」


思わず「名案です」と言いそうになって踏みとどまった自分を褒めたい。

政略結婚した王と王妃の不仲などよくある話だが、リチャードとプリシラは真実の愛で結ばれた相思相愛の夫婦なのである。

今の国民的人気は二人のラブロマンスが国民に持て囃されているからであって、不仲になりお互いが不倫しているなどと噂が広まれば一転して大バッシングに晒されるに違いない。


プリシラを死んだことにしてしまえば、二人のラブロマンスはさらに美しい悲恋の物語になり、リチャードは悲劇の主人公としてますます国民に絶賛されるだろう。


どうやら彼は、王としての器は持ち合わせていないが謀だけには抜群の能力を持っているらしい、馬鹿のくせに。


「で、俺は机仕事なんかやめて視察をしながら国民を愛して生きていくって算段さ」


「ご冗談はほどほどになさって下さい」


辛うじてそう諫めるとリチャードは口を尖らせた。


「だって俺、机仕事向いてないもん。視察の方が向いてるもん」


「殿下の執務は、リディア嬢が学業の合間に行っていた内容とほぼ同じですよ。向いてなくてもできないなんてことはありません」


ついつい口から嫌味が飛び出てしまったが、幸いにもリチャードは気づかなかった。


「リディアか」


そして、顔を上げて何やら思案顔になっていたが、さらに爆弾発言をかましてくれやがったのである。


「あいつ、呼び戻そうぜ」


思ってもみなかった発言に、さすがの僕も二の句が継げなかった。


「王子が産まれたことを理由に恩赦を与えて、王都に呼び戻して俺の代わりに机仕事させればよくね?表向きは俺が仕事をしてることにしてさ」


「そんなこと、リディア嬢が受け入れるわけないじゃないですか」


「無一文でど田舎に放り込まれたんだぞ?泣いて喜んで帰ってくるに決まってるだろ」


「ありえません、絶対無理です」


「帰ってくるって、あいつ俺に惚れてるし。プリシラを殺した後なら、愛人にしてやってもいいかもなー。あいつ可愛げはないけど見た目だけは良かったし、王都にも愛人は必要だしな」


そう言うとリチャードはご機嫌でペンを取り上げた。


「恩赦の書状を書くから、リディア連れ戻してきて。すぐに行って帰り支度して引き返したら、二週間もあれば行って帰って来られるだろ?」


「ですから、そんなことできませんって!」


「じゃあ、このままリディアをど田舎の辺鄙な場所に放ったらかしにしておくつもりなのか?」


「そ、それは・・・」


リチャードのひとことに僕は思わず言葉に詰まる。


「可哀想になぁ。家族も知人もいない不便な田舎で、このままひっそりと朽ちていくなんて。恩赦の書状さえ届けば、再び王都で家族と暮らせるはずだったのに」


「分かりました!行きます!行きますよ!」


半ば投げやりにそう言うと、リチャードはニヤリと笑って書状を僕に押し付けた。


「じゃあ、頼んだ。リディアの説得をよろしくな」


ーこんなの絶対に貧乏くじだろ。


あまりの理不尽さに、僕は我慢していたため息をついに吐いてしまったのだった。

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