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本庄宿の巨魁

作者: 春羅


 慶應三年、京都守護職預かりとして京洛の治安維持に奔走した新撰組に、その王城の都からの退去命令が出た。


 たった十三人の浪人として始まった彼らは、数々の光と闇を放ちながら果ては武士……御目見以上の幕臣にまで取り立てられた。


 烏合の輩がのし上がる。それが崩れ落ちる幕府という屋台骨の、最後の姿だった。


 群雄割拠の戦国の如く、素性の知れぬ者達が実力で祭り上げられたのだ。


 その中でも異例の出世を遂げたのは新撰組局長・近藤勇。彼は農家に生まれながら、討幕派志士の恨みを一身に受けて処刑されることになる。


 私が彼らをもう一度思い出したのはその少し前。退去してもなお血の気の引かない彼らが、勝安房守に乗せられるまま甲陽鎮撫隊と名を変えた頃だ。


 しかし私が知っているのは、新撰組の名すら拝命以前の彼ら。江戸から京への道を共にはしたが、着いた早々に別れてしまったからな。


 そんな私にとってやはり最も印象的だったのは、庄内宿での事件だ。



 およそ二百四十名の大行列で、板橋宿から木曽路を通り、一路京都を目指した。


 私・中条金之助はこの、百歩は良く形容しても“荒くれ”の浪人達の取り締まりという役目を負い、随行していた。私達幕府の役人の中には高橋伊勢守に山岡鉄太郎……かの泥舟・鉄舟という名高い剣豪が揃っていたので、多少何かあっても安心と高を括っていたのだ。


「歳三さぁん! 疲れたぁ! おんぶしてくださぁい」


「はぁあ? ふざけんなクソガキ。てめぇで歩きやがれ」


 しかし目の前にいたヒョロッと背の高い男が急にしゃがみこんだので、初っ端から危うく蹴躓きそうになった。


「どれ総司。俺に任せろ」


 また変なのが現れたと、なけなしの威厳でもってその声の主を少々睨み付けると、若いだろうに妙に風格漂う四角顔が、誰にでも好かれそうな満面の笑みで、さぁおぶされと言わんばかりに背を向けている。


 きっとこの“子泣き爺もどき”が可愛くて仕方がないのであろうが、そうこうしている三人はひどく目立つ。


 ガキ大将をそのまま大人にしたような貫禄たっぷりの男……でもちょっと人が良過ぎそうなのと、歌舞伎の看板役者のような美丈夫……でもちょっと粋がり過ぎなのと、コロコロと表情豊かな……でも腹の底では何を考えているやらわからなそうな……っと、ちょっと勘繰り過ぎたな。


「わぁい! 先生大好きぃ」


 笑うとまだ少年のような……というか行動にいたってはまるで幼子なのだが、青年はそのがっしりとした背にヒョコッと身を預けた。


「……ったく……甘やかすなよ、かっちゃん」


「こわぁい。うらやましいんでしょう?」


「誰がだ!」


「……ぷっ」


 私がつい吹き出してしまうと、傍から見れば大層変な組み合わせの三人に、ハッと振り返られた。だからお前は頼りないのだと上司どころか妻にさえよく言われるが、私は顔の前に片手をやり、ペコッとした。


「あっ、すまん!」


 すると、おそらく父的存在の瓦顔……お、確か……池田徳太郎の手伝い役として道中の宿割を任せられている、牛込の試衛館とかいう初耳の道場主・近藤勇ではないか……が、しまった! という様子で“子泣きぼうや”を降ろして頭を下げた。私なんぞに気を遣うより、本隊より先回りする筈ではなかったのか? と、心配になる。


「なっ……中条様! 失礼を致しました! 騒がしくて申し訳ない。……トシ! ムスッとするな!」


 後半の方は吐息さながらの小声だが、急に振られた男はぶっきらぼうに言った。


「元はこのガキが悪ぃんだ。かっちゃんが謝ることねぇよ」


 自分のことを棚に上げている感があるが、どうやら誰かに……そう、相手が幕府の役人であろうと、近藤が謙るのを見るに耐えないらしい。それはぼうやも同じらしく、しょぼんと肩を落として言った。


「ごめんなさぁい。金さん」


 こんな呼ばれ方をしたのは寺子屋以来だ。


「テメッ……総司! 不敬にも程があるだろ!」


 近藤が青褪めながら苦笑いする横で、せっかくの美形台無しの無愛想顔は後ろ頭から張り倒そうとしたのを間一髪で避けられていた。


「いやいや。仲がいいなぁ」


 私は気にせず手を振りながらまた吹き出してしまいそうになるが、近藤を更に恐縮させるのも悪いので、かなり懸命に、口角は上がっていたかもしれないがそれでも必死に耐えた。


 そのうち近藤が、次の熊谷の宿を取らねばと急いで行ってしまった。



 さて何故、役人と浪人が列を成して京への道を共にしているのかというと、一言で済ませてしまえば将軍の護衛である。


 思い出しついでだが嘉永六年、米国艦隊……俗に言う黒船が浦賀に来航し、半強制的に開国を迫られて以来、幕府の弱腰っぷりが明白に浮き彫りとなった。少なくとも、一応幕府役人の端くれである私が認めてしまっているのだから、だらしの無いことだ。


 以後、徳川家独裁の政治体制を守ろうとする佐幕派と、諸藩連合政権を求める言わば倒幕派に、日本は真っ二つに割れた。


 その中、江戸に吹き溜まる浪人の群れをどうにかしたかった。しかしただ弾圧すれば、桜田門外の二の舞だ。


 そこで事件以後、清河八郎が説き廻っていた浪士懐柔策が採用された。


 平たく言えば、集めて役目を与えて、江戸から追っ払ってしまえ作戦だ。


 彼は神田で私塾を開き、攘夷活動の先頭に立っていたが、身辺を探る役人を斬殺したとの廉で追われる身となっていた。その追及を逃れる為の策だという噂があり、私は単純思考だからか、こういった心底の知れぬ智謀の利く輩は、ハッキリ言って好かない。


 共に京へ向かう佐々木只三郎なども彼と話す時は明らかに眉を顰め、元々鋭い眼光がもはや剣豪のそれになり、傍目にも背筋が凍りそうだ。


 ともあれ佐々木も私も渋々、春うららにはまだ遠いこの道中を、それぞれ思い思いにも程があるだろうと苦言したい異様な装いの、有象無象とでも言いたくなる団体を連れて歩いているのである。


 そもそもこの浪士団体の役目は、朝廷への奏聞の為上洛する大樹公の前衛だ。


 西の麻呂様方……あ、失礼、貴族の言いなりになるとは、御若年の家茂公も飛んだ時代に将軍になられたものだと、その優しく真面目なお人柄も伴い気の毒になる。


 まぁ、こう言った理由で私はこの日もてくてく歩いていたのだ。


 自分で言うのも情けないが、いい年こいて深刻な問題が苦手で、疎い癖にこんなことまで色々思い返してしまった。


 

 深谷宿を過ぎ数日、また前方に近藤を除く仲間達……“仏頂面”と“坊ちゃん”が見えたので、私は気持ち駆け足になった。


「あっ金さん! こんにちはぁ」


「……! お、おぅ、今日も元気がいいなぁ」


 そう呼ばれたのはもちろんだが、背後からなんとなくソロリと近付いたのでまだ視界に入っていないだろうに、振り向くのとほぼ同時に名前を呼ばれビックリした。


 最近の若いのは後ろにも目が付いているのか? いやいや、そんなバカな……。


 少し気味悪くなりながらも、私はすっかり、近藤同様この二人にも親近感が沸いていた。


「総司……マジでいい加減にしろよ」


「まあまあ、そう怒らんでもいいから」


「そぉそぉ。ハゲちゃいますよ?」


 私は宥めたのだが、ここで仏頂面が激怒したのと、またも坊ちゃんに鉄拳を飛ばすのをヒョイと軽々避けられていたのは言うまでも無い。


 そういえば、気になっていたのだが。


「君達は、どうして浪士組に入ろうと思ったのかな?」


 特に坊ちゃんの方は、しっかり折り目の付いた袴にきっちりと髪を結い、見た目の印象では育ちが良さ気で、何より今更だが二本差し……武家出身なのだろう。


 嫌われてしまっているのかもしれないと思うくらいに、むっつりと黙ったままの仏頂面の横から、ケロッと笑いながら答えられた。


「先生と一緒だからです!」


 拍子抜けしてしまった。ズルッとずっこけかけた。


 先生とはこの青年にとって……ああ、近藤のことだったな。


 ん? ……それにしても、理由はそれだけか?


「……だからって、白河藩の剣術師範を是非にと頼まれていたのに、あっさり蹴る奴があるかよ」


「え! そうなのか?」


 無愛想仏頂面本人も気付いてはいないようだったが、最近の彼は普段よりも数割増しで機嫌が悪いようで、その原因はここにあるらしい。


 それはひとまず置いておいて、一藩の剣術師範だなんて立派な仕官ではないか。


 武士の家というのは、父親が武士というだけで、その息子達は“武士の子”でしかない。特に次男三男は、自ら仕官できなければこれこのように、周りに溢れる浪人になるだけだ。


 普通なら、諸手を挙げて喜んで受ける話だ。断って浪士組に参加するなど有り得ない。非常識にも程がある。


 これは将軍警護など名ばかりの、我々にとってだけ体の良い、江戸からの追い出しなのだぞ……などと、正直に伝えられる筈も無い。


「もぉう……まぁだ根に持ってるんですかぁ?」


「たりめぇだろ! 俺に一言の相談も無しに決めちまいやがって……お前……自分の居場所が欲しいん

じゃなか……」


「はぁい、そこまでぇ。この話おしまぁい」


 鬱陶しそうに手まで振って話を遮り、彼は私にまた笑顔を向けた。こんなに懐っこい若者には会ったことがない。


「紙に達磨描いてぇ、“僕はまだ……修行中の身ですから……”とか言っちゃったんですぅ。かっこいいでしょう?」


 からからした笑い声だけ残し、私の反応を見る前にタターッと走って行ってしまった。


 残された私はなんとも気まずくて、冷や汗が手に滲んだ。


 宿割に忙しい近藤のもとに手伝いにでも行くのであろう後姿に


「待ってくれ! 二人きりにしないでくれ!」


と叫びたかった。


「……チッ……」


 ……! 舌打ちされてしまった! 仮にも、何の貫禄もなくとも上司なのに。


 恐る恐る彼を見ると、深く溜息を吐いてから初めて私に向かって話しかけてきた。


 いや、独り言なのかと思うように呟いた。


「あいつは、武家の長男に生まれながら父を早くに亡くし、幼過ぎて家を継げなかった。口減らしに、試衛館に預けられた。心が満たされたことなんて無くて……何よりも、存在意義を探しているような奴なのに……」


 ここで、そうだったのか……としみじみ聞き入る私の存在を思い出したのか、女のように白々とした肌をぱっと染めた。


 どれ……年長者である私が、話を逸らしてやるか。


「色男は、どうして浪士組に……」


「ああ? 俺には土方歳三って名があるんだ。武士同士、しっかり名で呼んでもらおう」


 このクソガキ! とは、この日は私が言いそうになる。


「すっすまない!」


 まんまと声が裏返り、大袈裟に咳払いをした。


「土方くんは……」


「そう言うあんたは、何故京へ行く?」


 今度はあんた呼ばわりの上にタメ口で切り返されてしまった! とやや衝撃を受けながら、私は頭を掻いた。


「私は……上に言われ……」


「へぇ。総司と変わんねぇな」


 後から考えれば、ムシャクシャしていた土方は私を怒らせようとしていたのかもしれないが、不思議と全く腹が立たず笑ってしまった。


 どうしようもなく、図星だったからだ。


「ははは! そうだな。あの坊ちゃん……いや、沖田くんも、きっと土方くんや近藤くんと離れたくなくて付いてきたのだろう。だからあまり怒ってやるな」


 内憂外患の時代の中、そして周囲から見ると物騒そのものの行列の中にあり、長閑な日々が続いていた。


 事件が起きたのは、この日の夕刻。本庄宿であった。



「鴨に宿など、不要と言う訳であろう?」


「いいえ! 私の手違いです……申し訳ない……すぐに代わりの宿を手配致します!」


「そんな手間を掛けさせるのは、尽忠報国の士・芹沢鴨……わしとて心苦しい。気にせんでくれ。……今

宵は野陣じゃ! 霞に懸かる月が美しいがしかし寒くて敵わん……火を点けよ!」



 私は既に荷物を降ろし、着替えてすっかり寛いでいたのだが、その名前に飛び起きた。


「中条殿! 大変です! 彼奴が……芹沢鴨が!」


 つまり、体力と根性の無さに泣きたくなるが、長旅に疲れ、先程まで寝転がっていた。


 芹沢鴨……本名・下村継次。


 その名を、我々浪士隊取り締まりの役人で知らぬ者はいなかった。


 桜田門外で井伊大老を包み斬った、あの水戸天狗党の出身である。奴は直接の参加はしなかったようだが、その理由というのが、部下を斬殺した疑いで捕らえられ死罪判決を受け、獄中にあったからだというのだ。その間、指を噛み切った血で辞世の句を詠んだという、私などは身の毛の弥立つ様な話。この特殊な集団の中でも抜きん出た来歴に、既に要注意人物として厳重警戒されていたからだ。


 発案者……つまり清河八郎本人向けに作られたのであろう、出自は勿論、過去の罪も不問という緩々に白々しい入隊条件は、私にとっては頭の痛いものでしかなかった。


「落ち着きなさい。どうしたのだ?」


 本当に米噛みに指を当てながら訊くと、あたふたするばかりの後輩役人の後ろから追い付いた者が答えた。


「芹沢鴨の宿を取り忘れていたようで……それを知った芹沢が激怒し、道端で大篝火を……」


「バカな! こんなところで火を点けたら、たちまち民家に燃え移るぞ!」


 言いながらにも私は部屋を出て、その現場に向かった。


 宿割当番……近藤か……。


 心から気に病み走りながらも、既に他の者……つまり腕の立つ仲間が到着していてくれればいい、と願っている私は、どこまでヘチマ野郎なのだと自身にイライラした。



「……これは……ひどいな」


 火柱が天を衝く……とはこういうことか、などと感心している場合ではない。


 芹沢鴨本人は瓢箪を持ち上げ酒を飲み干し、自慢の大鉄扇を広げて眩しげにその炎を見上げながら、水戸以来の仲間達……確か名は、平山五郎や平間重助らを


「もっと燃やせ」


と煽っている。


 その三百匁はあるという黒扇には“尽忠報国”と、でかでかと宣言されている。


 正面では近藤がひたすらに、地に手を付いて謝っていた。


「芹沢さんどうか……! 火を消してください! もう代わりのお部屋も用意致しましたので!」


 芹沢は不気味に無言だ。


 私にとって折悪しく、他に役人は居なかった。普段はわらわら屯している癖に、肝心な時は見てみぬ振りなのかとウンザリした。


「中条殿! どうしましょう?」


 さて、どうしたものか。


 何もしなければ居ないのと変わらない。むしろ、より一層無様だ。


 周りには火事で集まる習性の黒山の大観衆が出来上がり、暗闇の中、祭りでも見に来たような表情が橙に浮かび上がっている。


 懸け付けた町火消しは、芹沢の取り巻き連中に睨まれる……のならまだしも数人は暴力に訴えられ手も足も出ない。


「……近藤に、任せてみますか?」


 ヤケに冷静な、立場逆転したような私の部下が顎に指をやり口は歪め、手並み拝見とばかりに目を細める。


 コイツは……将来大化けするぞ、とヒヤリとした。嬉しく思うニヤリではなく。


 もしや他の役人も遠巻きに同じことをしていたのか? と後々になって気付かされ、現場で泡食った私はなんて器が小さいことか……と嘆きたくなる。


 それはいいとして、大火を背景にどっかりと座った芹沢の前、近藤は頭を下げ続けている。


 近藤の後ろには、土方、沖田、その他仲間であろう者達数人が歯軋り地団駄の勢いで控えていた。


 すぐにでも止めに入って、芹沢の肉付き良い頬を一発殴り飛ばしたい、という雰囲気が漲っているが、おそらく近藤が手を出すなと言い聞かせているのだろう。


 私がこのまま黙っているわけにはいかない。


 近付いていき、力はからっきしだが一応はある肩書きを利用して止めようと思った。


「芹沢! それ以上の横暴は浪士組取締り・中条金之助が許さぬ! 聞き入れぬようであれば私はこの任を降り、江戸へ帰るがよいか!」


 ……何度も頭の中で勇猛に描いた動作確認を繰り返した。


 取締役に見捨てられては浪士組なんて元も子もない。しかし山岡あたりが啖呵を切るならまだしも、こんな豪放磊落な男を私なんぞが止められるのか、鼻で笑われるのではないかという不安もあった。


「かっちゃん! もう我慢できねぇ!」


 やっと息を呑んで一言口に出そうとすると、土方が立ち上がった。


「んな野郎に謝ることねぇよ!」


「おい! 火ぃ消すぞ!」


「つかブッ飛ばす!」


 次々と、他の者も続いた。


 乱闘にでもなれば手に負えないと、またも私はアワアワと情けなさぶり大発揮の心境に陥った。


「やめろ!」


 目の前にパチパチと閃光がチラつき、耳の鼓膜、音声を認識する機能が一瞬停止した。


 地に響き渡るような、近藤の一喝だった。


 これでもかとざわついていた観衆もシンと静まり返り、燃え上がる炎の風を切る音だけが周囲にあっ

た。


「非は私にある! 謝罪するのは道理だ。そこを動くな!」


 どうして……ここまで武士なのだ。


「……かっこいい……」


 部下の名に相応しく、私の後ろでウロウロしていた方の部下が呟いた。


 私はまさに身分だけ、名ばかりの家柄と役職を持つ自分に恥じ入った。


 近藤は生まれる家を、時代を誤った。


 戦国時代に武家にでも生まれていれば、大層出世したであろう。上司に欲しい性質の男だ。


 いやここで、自分がそうありたいと思えなければ、金之助……お前は本当にお終いだ。


「気に喰わん」


 初めて、芹沢が重々しく口を開いた。


「かっちゃん!」


 芹沢が、近藤の肩を蹴り飛ばした。


「芹沢先生お見事!」


 見た目通りの怪力に宙浮き地に倒れ込むと、どんどん火をくべていた芹沢の仲間がやんやと大歓声を上げた。


「くっそ! あの野郎!」


「……来るな……!」


 再びいきり立つ仲間に、身を起こし、座り直しながら近藤は呻いた。


「ああ……」


 私以上に温室育ちらしい部下は、もう見ていられないと手で顔を覆うとシクシク泣き出してしまった。


 負けず劣らず、私だってかなりそうしたい気持ちだが、ある異常に気が付いた。


 大騒ぎの集団の中で、微動だにしない上に無表情でその光景を眺めていた筈の、不気味とも言える姿が突如消えているのだ。


 沖田が、いない。


「……あれ?」


 素っ頓狂な声を上げる間に、芹沢は大鉄扇をなんと片手でバチリと閉じ、無抵抗どころかしっかりと見据える近藤目掛けてそれを振り上げた。


「近藤!」


 私の呼び声は、一気に広まった野次馬の悲鳴と、後年こう呼称される“芹沢派”の歓声、“近藤派”の怒号に紛れた。


 瞬間、鉄槌と化した扇が空中で止まった。


 下ろされるのを今かと期待していた芹沢派が、まず目を見張る。


「……いつのまに……」


 つい呟いた後、我に返り次々怒鳴った。


「なんだこいつ!」


 沖田が自分の倍はある太さの腕をしっかりと握り、扇は互いの反発する力の込め方ゆえにブルブルと震えている。


「総司!」


 今まで心ひとつだった近藤派は、よし! という声色と、まずい! という土方の声色に分かれた。


「ぅわあ、熱いなぁここは。芋とか焼けそ」


 芹沢がゆっくりと扇を放さぬまま、指が食い込んで痛いであろう腕もそのままに後ろを振り返る。


「小童……」


「こわっぱぁ? とっくに元服は済ませたんですけどぉ」


 ようやく、ブンッと勢いよく腕を払った芹沢の顔は、酔っているという理由だけではなく、カァッと赤い。


 見物人の山からは


「あいつ……殺されちまうぞ」


と、心配なんだかわくわくしているんだか微妙な声音が毀れた。


 芹沢は明らかに怒りに打ち震えていたようだが密かに仲間に目配せし、今にも背後から袋叩きにしようとの姿勢だったのがそれきり動かなくなった。


 手を出すな、と命じたのだ。


「鴨さぁん……こんな大きな火の近くに居たら、あなたの“大きな羽根”まで焦げ付いちゃいますよぉ?」


 沖田はふっと微笑みながら言う。


 大きな羽根……どういう意味だ?


「よせ! 総司!」


 近藤が制止するのも聞かないので土方は、沖田が近藤に逆らうのを初めて見た、という形相になるのに加えて、ではもう……誰が言っても止められないではないかと愕然としているようだった。


「そちらのネギさん達もね?」


 しかも既に大人しい芹沢派まで挑発する。


「キサマ……そこに直れぃ!」


などと舞台張りに大喝でもするかと思えば、芹沢は急に破顔した。


 一同漏れなく唖然。いかにもに愉快そうというか幸せそうに大笑いをし始めるので、ひとり沖田を除いて、開いた口が塞がらない。


 豪快な笑い声の後に、芹沢はフンッと鼻を鳴らした。


「呑み直すか」


「中で、お酌して差し上げますよ」


 焚き木しながらあれだけ呑んでいたのに全くフラつきもせず芹沢が立ち上がったので、ネギと名指された者達は慌てて薪を足すのを止め、動けずにいた火消しに威厳たっぷりに


「仕事をしろ」


と号令した。


 芹沢に続く沖田は、観衆同様、まだ驚いた顔でいる近藤の身体の前に片膝を着いた。


「差し出がましい真似を。お叱りは後で受けます」


 近藤が言葉を返す前に、沖田はスッと頭を下げた。


「近藤! あと、そこらの! お前らも来い!」



 この後、芹沢派と近藤派は朝まで呑みながら語り明かしたという。


 喉元過ぎれば熱さ忘れる私のお気楽性格から、是非参加したいところだったがそうはいかなかった。


 やはり様子を見計らっていたらしい山岡鉄舟に肩を叩かれ、心底感じ入ったという、興奮冷め遣らぬ状態で話しかけられたからだ。


「いや、近藤の技量は素晴らしいなぁ! なかなか、ああはできぬぞ……!」


 この評判は一気に上層部まで駆け巡り、京に着く頃には、近藤の役職は浪士隊三番組長となっていた。

対して沖田の方はまた別人のように明るいコドモに戻るので、定着した評価は“なんかいつも元気なヤツ”だった。


 そう、仲直りという以上に呑み騒いだ総勢十三人が、初代壬生浪士組の面々……後の新撰組の幹部である。


 それまでに、上洛早々に足利三代将軍の木像晒し首で大歓迎を受けたり、清河八郎の化けの皮がついに剥がれて、尊王攘夷の為に働こうなどと今までの主旨とは真逆の大演説かまされたりと様々な事件に遭うのだが、それよりも私にとって特に印象深かった言葉がある。


 あの夜、私の横を通り過ぎていく沖田に、つい声を掛けた。


「沖田くん、よくやった!」


 すると彼は、このコのことだからまた余裕で


「金さんってば助けてよぉ!」


とか、冗談めかして笑ったりするのだろうとの予想に反し、のしのし前を闊歩する芹沢を見詰め、ぼぉっとした表情で呟いたのだ。


「変なの……僕いつか、あの人を斬るかも」


 この後私達から離れた彼らが新撰組として動き出してから一月あまりの初秋、芹沢鴨が何者かに暗殺される。


 下手人は不明。








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