転がり落ちて
あと二回で完結です。
「やあ、先生、お目覚めかい」
私はレインコートのフードから素顔をのぞかせた。
「準備のために雨の中を家まで戻っていたもんで」
宇野澤医学士を寝かせた手術台をぐるりと一周した。群青色のレインコートの裾から垂れ堕ちる雨粒が床の排水口へ吸い込まれていく。
「病院というのは便利なところですなあ。麻酔薬もあれば、手術室もある。おかげであんたを拉致するのも拍子抜けするほど簡単だった」
唯一奴の自由になるのは首だけ。ただし舌が痺れて声は出せない。
すべて小川助手の協力の賜物だ。彼女の助言がなければ、宇野澤を捉えるのに絶好の隙を見出すことも、麻酔の適量もわからなかった。
「聞かせてもらったよ。超能力研究の貴重なサンプルだって?」
怯えた両眼が狂った魚のように泳ぐ。やはり図星か。
「チンケな念力ごときじゃ満足な成果たらんと、目を潰し喉を潰し……最後は脳を軽く削り取るつもりだったらしいじゃないか」
ノン──ノン──許しを乞うつもりか必死に首を振る。
「別に謝罪なんか求めちゃいない。俺はもう人の心を捨てると決めたんだ。たった今から畜生道へ真っ逆さまだ。だからあんたも付き合ってくれ」
手術台の下から電動ノコギリを取り出して見せた。
「誠と同じ体になってもらう」
回転する円盤がサッと走らせる。
ごろりと両足が転がり落ち、声にならぬ絶叫が手術室に響き渡った。
「痛くないだろう? そういうふうに調合してもらったから」
人非人──人にして人に非ざる者。仏教では半獣の神のことを指すが、一般には人の道にはずれた極悪人、冷血漢、畜生鬼の意味で使われる。
この病院には三人の人非人がいる。体の人非人と心の人非人。
体の人非人は無論誠だ。四肢欠損、並びに視覚と発声能力の喪失、これらを以てまだ片桐誠を人間と呼ぶのは偽善であろう。
そして心の人非人は宇野澤と私だ。功名のために弟を廃棄物にした宇野澤も人非人ならば、残酷な私刑を是とした自分もまた心の人非人だ。
「さあて、お次は腕かな」
(駄目よ! ひと思いに首をはねなさい!)
女の声が命令する。うるさいな。好きにやらせろ。
ノコギリを医学士の肩口に押し当てようとした瞬間、回転が止まった。
「なんだ故障か?」
どういじくっても充電したばかりの電動ノコギリは動かなかった。
「動け動けこのっ!」
(やめるんだ兄さん!)
うろたえる私を叱責する声がした。どのような恫喝や怒声よりも私を掣肘するに絶大な威力を持つ声。
おそるおそる振り向くと、病棟で寝ているはずの誠がいた。
寝衣にくるまれて宙に浮いていたのである。
増えたポイントに感謝です。