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リア充とは。
「リアル(現実の生活)が充実している」の略称。ネットスラング。
ブログやSNSなどを通した関係ではなく、実社会における人間関係や趣味活動を楽しんでいること。または、そのような人を指す。
つまりどういうことかと言うと、まあ、要するに、爆発しろということだ。
暦は四月。猛威を振るっていた寒さもようやく落ち着きを取り戻し、徐々に春の暖かさを感じられる時期が近づいてきた。そして、世間的解釈から論じてみれば、年度の開始ということで様々な出会いが訪れる時期でもある。今の俺の立場から鑑みるならば、クラス替えが最もわかりやすい例えではないだろうか。
「なん……だと……?」
新しいクラスが掲示板に一斉に張り出され、また同じクラスになったことを喜び合う生徒、苦手な教師が担任になってしまい落ち込む生徒、気になる子と一緒のクラスになれて色めき立つ生徒、人間の様々な表情が垣間見える下駄箱前で俺は、目の前に突きつけられた事実に懐疑の念を抱いていた。
小鳥遊綴と同じクラスになっている。
小鳥遊綴とは、俺が一年のときからずっと気になっている女の子のことで、周りからは「読書ちゃん」の愛称で慕われている。その愛称のとおり、小鳥遊は本の虫といっても謙遜ないくらい、本が好きだ。もちろん所属する委員会は図書委員で、部活は文芸部。読書感想文は県の優秀賞を飾ったと風の噂で聞いた。
これだけで地味女のテンプレ乙とか思ったヤツ、あとで焼き土下座な。
テンプレだと思ってるヤツらは、こういう女の子をすぐに引っ込み思案だとか、地味子とか、腐女子とか連想するが、彼女は決してそうではない。清楚で、真面目で、天真爛漫で、ちょっと抜けてるところが非常に、ひっじょーに! 愛らしいのだ。そうだな……小動物系女子と思ってくれて構わない。
こほん。とにかく、だ。
分類先が気になる子と一緒になれて色めき立つ生徒に配属される俺は、徐々に高まりつつある動揺と高揚を隠し切れなかった。
とりあえず、最初はまず自分の目を疑った。目を擦ってみたり、目頭を押さえてみたりしたけど、変わらず。次は掲載されているクラス替えの紙を疑った。二年八組に自分と彼女の名前があることを念入りに確認したり、改訂版がないことも確認したけど、これも変わらず。
それはつまり、今年も小鳥遊と同じクラスになれたということ。
今すぐにでも周りの雰囲気に乗じてこの喜びを全身で表現したい。「うおおおおおおおっ!」とか、「よっしゃあああああっ!」とか、「ひゃっほおおおおおおおおおうっ!」とか、「きたこれえええええええっ!」とか叫びたい。むっちゃ叫びたい。
しかし、人前でそんなはっちゃけたことができる性格ではない。例えできたとしても、一人で喜んでたら相当浮いてしまうので、周りから冷たい視線を浴びること必至だ。新年度早々に大事故とか、笑えない冗談にも程がある。さすがにこの一年で学ぶべきところは学んだ。
そんな冷静と情熱がひしめき合う葛藤というものを少しでも解消するために、人だかりのできている掲示板からなるべく距離を取り、人のいないタイミングを見計らって廊下の隅っこで小さくガッツポーズ。うん、このなんとも言えないちっささが俺らしい。……あれ、なんだか涙が出てきた。
「よっ、一馬。そんなとこでなにやってんだ?」
癖になり始めた一人コントみたいなことをやっていたら、後ろから声をかけられた。
声のしたほうへ振り返ってみると、そこには俺の数少ない友達である山崎薫がいつものさわやかスマイルで立っていた。あくまで地毛と言い張る茶髪がトレードマークで、ギリギリ校則に触れるか触れないかくらいに抑えた身なりと均整の取れた顔立ちで女子からは人気がある。そして当然のようにリア充である。憎たらしい。即座に爆発しろ。
なぜこんな雰囲気イケメンと上背も顔立ちも平平凡凡な俺が友達なのかは、主に俺に失礼な感じで疑問に思われた。確かに外見だけで見れば、まったくそりの合わない凸凹コンビみたいだが、コイツは外面に似合わずオタクなのだ。それも、かなり重度の。
だからこそ憎たらしいのだ。俺と同じ側の人間のくせに、リア充なのだ。重度のオタクのくせに、リア充なのだ。むかつく。すごいむかつく。イケメンでオタクとか、ハイスペックすぎて普通のリア充よりタチが悪い。「爆発しろ」と言っても、「非リアざまぁ」と草を生やして返してくるからとことんむかつく。
「別に……ただ、器械体操をな」
咄嗟にいい言い訳が出てこなかったので、屈伸運動をしながらごにょごにょと答える。器械体操ってなんだよ、器械体操って。
「わかってるよ。どうせ気になる女子と同じクラスになれて、心の中では大声出してはしゃぎたいんだけど、恥ずかしくて隅っこでガッツポーズでもしてたんだろ」
「おいやめろ。ってか、なんで心情までパーフェクトに当てんだよ。エスパーかお前」
「いやだって、お前は俺だろ? お前が考えそうなことくらい、俺にも考えつくわ」
くっ。やはり、昨年の夏と冬の祭りをともに経験した戦友は欺けないか。リア充なところ以外は趣味も合うし、いいヤツなんだよな。リア充なところ以外は。
「で? お前はもうクラス替え見たんだろ?」
「まあな。お前はまだ見てないのか?」
「あいにく今来たとこだからな。俺も見に行くからついて来いよ」
「……ったく、仕方ねえな」
そういえば、小鳥遊と自分がどこのクラスに配属されたかくらいしか確認してなかった。それはもちろん最重要項目なんだけど、周りに知り合いがいないのは勘弁してほしい。薫の存在自体を脳内メモリーから消去していたことを心の中で詫びつつ、その罪滅ぼしという名目で再び掲示板前までついていくことにした。
始業チャイム間近ということで、下駄箱前の人だかりはそれなりにはけている。この分ならすぐに確認できるだろう。俺は薫の背中を見送りつつ、人だかりの外で待つことにした。
待つことおよそ一分弱、自分のクラスの確認を終えた薫が戻ってきた。
「おう、どうだった?」
「お前とはまた同じクラスだったな。また一年よろしく」
薫のその言葉に内心ホッとしていた。よかった、小鳥遊と同じクラスでもぼっちなうは寂しいからな。リア充なところ以外はいいヤツだし、今年もまあ退屈はしないだろう。
「しっかし、今回もすげえ当たりクラスだな。学年でも屈指の美少女たちがまた八組に集結してるぞ。まるでエロゲの主人公にでもなった気分だ」
「そんなにすごいのか?」
公衆の面前でとんでもないことをサラッと口にしたことは不問としておこう。コイツのなんでもかんでもエロゲやギャルゲに結び付けようとする癖はいつものことだ。今回も呼吸するように結び付けただけだろう。あまり気に留めることもない。
しかしエロゲの主人公のような気分ということは、薫にとってはそんな展開が起きてもおかしくないような素晴らしいクラス替えだったんだろう。薫が無事主人公の座につけるかどうかはさておき。
正直なところ、小鳥遊以外はノーマークなので割とどうでもいい。そんな素っ気ない感想でファイナルアンサーしたことも露知らず、テンション上がりっぱなしの薫は鼻息を荒くして意気揚々と語り始める。
「ああ、まず本命は昨年度のミスミヤコーの柏木遥だな。心を鷲づかみにする愛らしいルックスと、誰とでも分け隔てなく接する彼女は男女学年問わず人気が高い。顔よし、スタイルよし、コミュ力よし、まさに絵に描いたようなアイドルだな。あの物怖じしないコミュニケーション能力の一端でもいいから、コミュ障のお前に振り分けられてたらリア充になれたのにな」
「うるせえ醸すぞ」
悔しいが薫の言うとおりで、柏木はホントに誰にでも好かれている。隣のクラスというよしみで俺も何度か柏木に話しかけられたが、とても気さくで普通にいい子だった。あいにく俺は小鳥遊一筋だからなんとも思わなかったけど、「あれ? もしかして脈ありかな?」と、いただけないかつまったく無意味な妄想を膨らませてしまった男子は少なくない。というか、過去終了形ではなく現在進行形である。そうとは知らずに勘違いしている男子諸君、南無三。
あ、ちなみに、ミヤコーというのはうちの高校の略称だ。都南高校、略してミヤコー。
「だが断る。で、次は対抗馬の烏丸都だ。言わずと知れた名家のご令嬢さんで、大和撫子な次期生徒会長だ。品行方正、才色兼備、女子のみならず男子すら憧れる部分をすべて兼ね備えたパーフェクトな女子ってことはお前も知ってるよな? それにあのクールな眼差し、たまんねえよな。烏丸を見てるとさ、お前にもなにか一つでも誇れる部分があればよかったのになって思うわ」
「謝れ。三分待ってやるから全力で謝れ」
ホントにコイツは人の痛い部分を的確に突いてくる。お互いを知り尽くしてるせいもあるが、それ以上にやたら人の考えてることをズバズバと言い当てる勘のよさがコイツのすごいところでもあり、やかましいところだ。おかげで大抵の口喧嘩は、大半が俺の惨敗という目も当てられない結果になっている。
それはともかくとして、烏丸に関してはあまりいい印象がない。というか、苦手の部類に入る。
それは一年のとき、あろうことかアイツは俺のすべてを否定しやがった。「高校生にもなってまだそんなものが好きなの? ……ふっ」などという、オタクという人種を愚弄するような捨てゼリフを吐きやがったのだ。ああ、思い出しただけでも忌々しい。
確かにアイツは薫の言うとおり、悔しいくらいに綺麗だし眩しいくらいの才能に嫉妬したくもなる。だが、肝心な性格があんな壊滅的じゃ、将来の旦那があまりにも不憫だ。というか、ホントになんなんだよアイツは。いまどきの三次元に名家出身の大和撫子とか「それなんてエロゲ?」だよ。三次元のツンデレ同様、三次元のクーデレもオワコンだよオワコン。あ、デレなんかそもそもないか。じゃあクーってなんだよクーって。
「ああもう、三次元の女とかオワコンだろおおおっ!」
ただし小鳥遊を除く。
「……はっ!?」
思わず考えていたことが、外にシャウトという形で漏れ出てしまった。後悔先に立たず。薫は引きつった愛想笑いを浮かべ、周りの生徒は冷たい視線という強烈な攻撃を容赦なくぶつけてくる。
失敗した。掲示板前で「ひゃっほおおおおおおうっ!」レベルの大事故だ。頭の中で描いていた「ちょっと斜に構えた気の難しそうな二年生」というイメージが、一気に風化して跡形もなく消え去るビジョンが見えた。
「ま、まあそんな落ち込むなって。お前は人生単位で踏み外してるんだから、今さらだろ?」
それフォローどころかトドメの一撃ですよ、薫さん。
「気を取り直して最後の大穴だな。トリを飾るのはもちろん我がミヤコー代表のマスコット、『読書ちゃん』こと小鳥遊綴だな。お前には言うまでもないと思うけど、あのコンパクトサイズには夢見る童貞男子の夢と希望が詰まっていることは間違いない。あれほどの人材は、今の殺伐とした世の中では希少価値だ。ただ、やっぱ二人に比べると若干の地味さを感じるから大穴って位置づけにさせてもらった」
「大穴じゃねえよ。大本命だよ、ド本命だよ。ド真ん中ストレートの絶好球だよバカ」
薫には俺が小鳥遊を気にしていることはバレているので感想をストレートに返す。
しかし、相手が俺だったからまだしも、小鳥遊推しのドルオタがその評価を聞いたら戦争が起きているところだったぞ。命拾いしたな、薫。
「っとと、こんなところで油売ってる場合じゃなかったな。そろそろ始業式始まりそうだし、行こうぜ一馬」
「ああ、そうだな」
新学期早々から教師に怒られるようなことはお互い避けたいので、それ以降は無駄話に花を咲かせることはなく、真っ直ぐ新しい教室に向かった。