青春なんてクソくらえ
高校生になれば、煌びやかな青春が待っていると思っていた。
中学生という子供から一ランク上がって、大人に近づくような体験が待っているもんだとばかり思っていた俺は、きっとおそらくバカかアホのどっちかなんだろう。もしかしたら、どっちも当てはまるかもしれない。
今なら声を大にして言える。勘違いしてんじゃねーぞ、と。
実際、煌びやかな青春が待っていると勝手に思い込んでいた高校生というものを一年ほどやってみた結果、自分の置かれている立場から鑑みてこんな結論に至った。
あのときなにをどう解釈したのか、俺はてっきり青春があっちからやって来るんだと思っていたらしい。
「青春なんて待ってりゃ来るだろ。だって高校生だし!」
それはもう、清々しいくらい、救う余地など一ミリたりとも与えないほどのバカっぷりだった。
たぶんあのときは中学時代にしこりを残した影響か、はたまた見慣れない校舎や新しい顔ぶれに緊張して人としてのなにか大切なものが麻痺していたのかもしれない。そんな免罪符でも用意してないと、本気で頭の具合を心配されかねないくらいに、ひどい。
もちろん、そんな世の中を舐めきった淡い期待は軽く一蹴され、人生とは自分が思ったより格段に難しいものだと遅ればせながらようやく理解した。このとき既に高校生活三ヶ月目を少し回ったあたりだった。
そもそもの話、こんな程度の低い真実など社会の荒波に揉まれた大人たちから言わせたら、世間知らずと一笑に付されること請け合いだ。高校生程度で、人生の尺度を量ってんじゃねーぞ、と。
でも、誰しもが一度は思うだろ? 夢と希望に溢れた高校生活ってモンを。
九年間の義務教育を終え、次なるステージは大人になるための最終準備期間。バイトに明け暮れて働く意味を知るもよし、部活動に打ち込んでより一層レベルを高めるのもよし、勉強を勤しんで将来を見据えるもよし、恋愛に現を抜かすのもよし、どれもが中学生とは一味も二味も違う、とにかくいろいろな種類の「青春」がいろいろな場所に散りばめられているのが高校生活なのではないかと思っていた。
そんな夢も希望も壊すのが、現実様っていうそりゃもう偉いお方だよ。理不尽だ、不条理だ、そんなこと嘆いてもなんの意味がない。現実様は「だからなんだ?」、これですべてを一蹴してしまうから。現実様にとっちゃ、俺の小さな希望を打ち砕くことなんて些事に等しいのだ。
図々しくも被害者面で言葉を羅列してきたが、別にそれはなにも俺だけに限ったことじゃない。現実様はすべてを平等に打ち砕く。一切の情状酌量の余地もない、どんな善良な人間でも邪悪な人間でも等しく淘汰する。
そんな俺も、現実様によって淡い希望を粉々に砕かれてから早一年が経った。
逆説で説けば、一年しか経っていないとも言える。必死に努力をすればまだ多少なりとも青春の希望的観測を見出せる位置づけにあるが、それにはなにか劇的な変化をもたらさなくてはならない。それが偶然の産物にしろ、他意にしろ。
とにかく、このままでは高校生活の集大成の頂には「なにもなかった高校生活」という悪魔が胡坐をかいて待ち構えている。入学式のあの日に、それだけは是が非でも避けなければならないと畏怖していた「それ」がいよいよ現実味を帯び始めた。人生イージーモードで受動的に過ごしてきたツケが見返りを求めるようにわらわらと集まってきて、自力でそれを追い払う術を持っていない現状が今もなお続いている。
そのため、俺の高校生活はいまだバラ色でもピンク色でもないセピア色。事務的に毎日をやり過ごし、数少ない友達とそれなりにバカ話に花を咲かせたりするくらい。バイトもしてなければ部活動にも入らない。勉強に勤しむこともないし、恋愛など俺から最も遠い青春である。
こんなどうしようもない現状に慣れすぎたせいか、とあるきっかけも重なったことで、最近は青春することに対してバカらしいと思えてきてしまった。
そのきっかけの一つは、ただいまネット界隈のみならず現実世界にまで侵食し始めているとある言葉に感銘を受けてしまったことだ。
「……リア充爆発しろ」
これはなんの気なしに漏れた独り言ではなく、俺の目の前を通過する眩しいくらいに初々しいカップルに向けた言葉だ。皮肉は一切入っていません。恨み辛みがこもった、マジモンの独り言です。
「へ……っくっしょん!」
「ユウくん、大丈夫? 風邪?」
「わかんない。なんか寒気が……」
俺の毒を浴びたカップルの片割れが、突如振りかかった寒気という魔物に襲われたことを遠巻きで眺めて思わずガッツポーズ。いいぞ、もっとやれ。
「えへへ、じゃあ私が暖めてあげる」
「おい、やめろって。恥ずかしいだろ?」
「ええー? いいじゃん別にー。えいっ、えいっ」
うわああああああああああああああああああああっ!
呪詛返しよろしく、目の前のバカップルが公衆の面前で堂々といちゃつき始めた。目も覆いたくなるような惨劇が繰り広げられている。誰か早急にあの二人を駆逐してくれ。そうしないと俺が死んでしまう。
世間はチョコレート会社の陰謀にまんまと乗せられたバカップルが街中に無限繁殖する恐怖のエックスデーが差し迫るバレンタインのシーズン真っただ中。恋人のいない人間にとって、十二月二十四日・二十五日と双璧を成すこの日ほど陰鬱なものはない。誰に頼めばこの忌まわしきエックスデーを抹消することができるんだろう。
「はあ、なにやってんだか俺は……」
いつもこうだ。毒を吐いて満足したはずなのに、結局気持ちが海の底よりも深く沈むのはリア充カップルじゃなくて俺。因果応報、人を呪わば穴二つとはよく言ったものだ。今の俺の行動は、辞書の通例として挙げられてもなんら不思議ではなかっただろう。
しかし、この程度で俺の心が完全に折れることはない。そう言える理由は簡単だ。非リア充を自負する俺が、このような光景に出くわしたのはもはや両の手では数え切れない。
つまり、どういうことかと言うと、耐性がつくのだ。嫌でも。
「青春なんて、クソくらえだ……」
耐性は確かにつく。これに関しては嘘偽りのない事実だと胸を張れるが、それで屈強で完璧な精神力が養われるのかと問われれば、大手を振ってイエスとは言えない。
いくら耐性がつこうと、毒は毒だ。それと、次元の問題もある。
二次元の場合は「主人公=画面越しの俺」と自己投影することもできるし、前後の会話の流れとヒロインの表情から「あ、やべ。これ来るな」と予測ができる。
それに比べて三次元はどうだ。今のように、心の準備もできない無防備な状態で見せつけられてみろ。そりゃもう、泣きたくもなる。ちなみに、どのくらい無防備かというと、RPGのボス戦で敵の魔法と息攻撃を跳ね返す呪文を唱える余裕がないくらい無防備だ。
「ううっ、寒っ。帰るか……」
人というのは、心に決めたなにかを得たとき、必ずそれには理由が付随する。
例えば今の俺のこの状況。リア充を恨めしく思った理由は至極簡単、「俺をのけ者にして青春を謳歌しやがって!」という、なんとも身勝手極まりない嫉妬心。まあ、これはよくある。パソコンの向こうにいる戦友たちも、迷わず首を縦に振ってくれるに違いない。
そしてもう一つは、中学時代の苦い思い出が今もなお引きずっていることが原因でもある。別にドラマ的な展開の末の思い出などではなく、どこにでもありがちなちょっと苦い思い出。ありふれていて、なんの変哲もないただの思い出の一ページに過ぎない。第三者の視点から見れば、「なんだ。その程度か」と切り捨てられるくらいだからあまり気にしないでもらいたい。俺自身が少しずつ忘れつつあるのもそうだし、どうせこういう類のは、自身が経験しないといまいちリアリティに欠けるからだ。
ここまではよかったのだ。ちょっと自分の境遇に負い目を感じている人間なら誰しもがたどり着くだろう模範解答の一つだ。
問題は、次だ。
それはこのリア充カップルを疎ましく思いながら一人寂しく帰宅するバレンタインから、大体二ヶ月ほどほど経った春先の出来事になる。
俺はとんでもないヤツに捕まってしまったのだ。
これこそまさに、「理不尽だ!」と嘆きたいくらい、とんでもないヤツに。
「妾がここに来たのは他でもない。お主は見事、妾たちが作った崇高なる遊戯、『青春謳歌げーむ』に選ばれたのじゃ。嬉しいじゃろ? 光栄じゃろ? そう案ずるでない。お主はただ、青春を謳歌すればいいだけの話じゃよ」
俺の人生はコイツのせいで狂わされたと言っても過言ではない。それくらいに、コイツはとんでもないヤツなのだ。
だから俺はもう一度言う。一度と言わず、何度でも言ってやる。
青春なんて、クソくらえだ!