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黒紫色の理想  作者: 槻影
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第五十三話:引きこもりの話

 周囲の空間が融解し、わずかなノイズと景色が変化する。

 無限に見える夢幻の空間から、生活に最低限必要なものしか置いていない簡素な一室へと。


 私は一週間ぶりにゲームを終了し、魔力で作成された空間から現実の私の部屋に戻ってきた。

 大きく伸びをして、やはり一週間ぶりにベッドにダイブする。

 勇者の血により、生命の理をぶっちぎっている私の肉体は疲労を知らない。だけど、不思議と全身に感じる柔らかいものに埋まる感覚はとても気持ちがよかった。


 人魔戦記3はオンラインの格闘ゲームだ。

 このオンラインと言うのはオンライン対戦があるから、という意味ではなく、サーバーに接続してやるタイプのオンラインゲームという意味である。

 魔王の使い手のライバルが現れてから数年、そのほとんどを修行に費やしてきたが、そんな私でも週に一度、確実にゲームを終了する日がある。

 それすなわち――サーバーの定期メンテナンス


「…………」


 ベッドの上で力を抜く。

 一週間も留守にしていたのにシーツは清潔だった。私が戻ってくる時に合わせて掃除してくれたのだろう。心配りがありがたかった。


 しかし……


 枕に顔を押し付ける。


 今回もまた私のライバルは現れなかった。

 日々挑んでくる魔王の数は減りつつある。私の噂がもう広まりきっているのだろう。

 仕方なくランダム対戦で修行をしているが、最近私は自分の実力が頭打ちになっている事に気づいていた。

 相手がいないのだ。

 技術は同等の実力者と切磋琢磨する事でより高められる。

 元々無駄に寿命のない私は人魔大戦は1からやっていたし、そもそもの基盤が他のユーザと違っていた。

 今や私にライバルを除いて敵はいない。

 だからこそ私はもう――


 レベルが高くなると弱い敵を倒しただけでは経験値がたまらないように。


 三千年の経験。それが逆に私に自分の天井を気づかせる。


 人魔対戦は魔力を使用するオンラインゲームだ。

 そこそこの魔術師にしかプレイできないというハードルの高さと、それなりの実力を持つ魔術師は一部を除いて多忙であるという現状から、実力者は育ちにくい傾向にある。


 もしかして私のライバルは引退してしまったのだろうか。


 一瞬――いや、この数年何度も頭にかすめるその文言を精神力でごまかす。


 オンラインゲームは所詮ゲーム、何度も一緒に戦ったフレンドが急に挨拶もなしにプレイしなくなるというのはそれほど珍しい話でもない。私自身何度もそれは経験しているし、逆に私がやらなくなった事もある。


 だけど信じたくなかった。

 自分が唯一見つけたライバルが……既にこの世《ゲーム》にいないなどと。


 その時、扉を控えめにノックする音が聞こえた。


「リィンお嬢様、いますか? お客様が来たのですが」


 久しぶりに聞く声。

 私の返事も待たずに扉が開く。

 

 部屋に入ってきたシンプルな意匠のメイド服を着た少女――私のたった一人の従者、アーセルに、顔だけあげて答えた。


「久しぶり、アーセル。元気だった?」


 アーセルはベッドに転がる私に目を向けて、すぐに侮蔑するような目つきになった。

 無言でベッドの脇の椅子にかけてある……真っ白なロングドレスを見る。


「リィンお嬢様……何度も言ったでしょう。ちゃんと服は着ないといけないって」


「……服着るの面倒なんだもん」










第五十三話【引きこもりの話】





 社会から半ば切り離され、胡乱な余生を送っている私が久しぶりの来客に応対する気になったのは偏に人魔大戦3がメンテナンス時間中だったからだ。


 手早くシャワーを浴び、その久しぶりのお湯の感覚を楽しむまもなく、アーセルに手伝ってもらってドレスを着こむ。

 私はもっとシンプルな格好が好きなのだが、アーセルはいつももっと淑女としての慎みを持ってくださいと言う。初めは言い訳もしていたのだが、今では素直に聞くことにしていた。自分で服を出す方が面倒臭いと思ってしまう私は恐らく淑女としては生きていけない人種なのだろう。生粋の戦士《ゲーマー》なのだ、私は。


 髪を整えられ、銀色に光るリングを指にはめ、鏡に写った姿は驚くべきことにお姫様のようだった。というか長らく鏡なんて見てなかったから自分の姿を忘れていた。


 アーセルに連れられてやってきた男は、十人が見て十人とも怪しいと断ずるようなそんな姿をしていた。

 上下に着込んだ黒い装束に、顔の上半分を隠す黒いフード。帯剣はしていないが、その一挙一足の佇まいからはその男が決して素人ではない事がわかる。

 よくもまあこんな怪しい男を通す気にもなったもんだ。


「人類最強の戦乙女、英雄の娘、リィン・クラウド様。お目にかかれて光栄です。噂に違わぬ美しさだ」


 人類最強の戦乙女。

 英雄の娘。


 大仰な肩書きが付いているが、所詮私はただの一人の人間でしかない。

 お世辞に心を動かす年頃でもなく、私は目を細めて男を観察した。


「お世辞はいいわ。私はこう見えて忙しいの。ルーク・ラードさん」


「……私の事を知っていらしたのですか?」


 初対面の人間とあったらまず『スキル・レイ』をかける。

 常識かどうかはわからないが、もう私にとってそれは癖というより反射になっていた。知られたくなければジャミングをかければいい。私に否はないだろう。


「……調べさせてもらったわ。でもまあ、そんなのどうでもいい。そうでしょ?」


 アーセルの入れてくれた紅茶を口に含む。甘い芳香が鼻をくすぐり、冷たい液体が喉を通り過ぎる。


 おいしい……


 口元が自然と綻んだ。

 久しぶりに取る水分だ。さっきのシャワーを水分補給と呼ばなければ、だが。


 ルークは数秒黙って私の方を見ていたが、私の視線に気づいたように慌てて口を開いた。


「……ごほん、ええ、そうですね。確かに、そんなのはどうだっていい。今回私は貴方にお願いしたい事があってきました」


「いや」


 私は間髪入れずに断る。

 内容を聞くまでもない。私は忙しいのだ。今面会しているのはメンテナンス中だからというただそれだけの理由であり、メンテナンスが終わったらすぐに私はゲームにログインしなくてはならない。


 たとえライバルがここ数年ゲームにログインしていなかったとしても――いつログインするかわからない以上、私は常に張っている必要があるのだ。


「……話だけでも聞いていただけませんか?」


「いやよ。私は修行に忙しいの」


「修行……ですか?」


 ルークの目が丸くなる……いや、フードに隠れて見えないが、なったような気がした。


 アーセルが呆れたようにため息をつく。

 アーセルは私がゲームに明け暮れている事を快く思っていない。給料もちゃんと出しているのだから理解してほしいんだけど。

 まぁ、アーセルは従者――いや、友達だがただの人間だ。

 私の百分の一も生きていないアーセルに私の心情なんてわからないだろう。


「……失礼ですが、修行して何を成すつもりなのですか?」


「……強くなるのよ」


 魔王にぼっこぼこにされた時の光景を思い出す。

 悔しさと一緒に下唇を噛む。ルークを睨みつける。


「ヒッ……し、しかし……リィン様は……ギルドの定めるランキングで一位だったはず――」


 ランキング……そういえばそんな話もあったか。

 ランキングとは公的機関である一種の傭兵の斡旋組織、通称ギルドが定める実力を順位付けしたリストの事だ。

 遠い記憶すぎてなかなか思い出すのに苦労するが、そういえば私も昔は冒険者ギルドに籍を置いていたことがあった。今ニートができているのも一重にその頃ためた貯金があったからだ。一位になった時に表彰台に挙げられて長々と当時のギルド長の話を聞かされたことだけ覚えていた。もう意味のない話だ。

 私はもう……そんなランキングに意味がない事を知っている。どうせ載るなら人魔大戦3の実力ランキングに乗りたい所だ。


 私は深くため息をついた。


「そんなランキング……意味などないわ。だって私は――」


「ま、まさか……リィン様……」


 ルークが何かを察したかのように私の言葉を遮る。


 もとより隠すつもりもない。敗北は恥だが、何回敗北しても、私には悠久の寿命がある。

 一度負けても二度目が、二度目に負けても三度目がある。


「ええ、私は負けたの。だから修行が必要なの」


「ば、馬鹿な……人類最強と名高い戦女神が敗北……だと!?」


 ルークが両腕をテーブルにたたきつけ、肩をわななかせる。

 顔など見なくても、その顔が驚愕に歪んでいるのがわかった。


 やれやれ。これでさすがにわかっただろう。私が多忙である理由が。


 壁にかけてある時計を見る。メンテナンス終了は後五時間後。

 まだ時間はあるが、久しぶりに食事も取りたいし、睡眠も取りたい。一週間に一度くるメンテナンスの時間は私にとって唯一安息の時なのだ。


「アーセル、食事の用意は?」


「はぁ……もちろん準備出来てます」


「ありがとう、大好き。……ルークさん? 私はこれから久しぶりの食事なの。そろそろ帰ってくださる?」


 立ち上がる。裾を踏んづけそうになって慌てて避ける。

 ドレスは堅苦しくてしょうがない。でもそれもご飯を食べ終えるまでの辛抱だ。


 はー、終わった終わった。ごはんごはん。

 アーセルの料理は美味しい。私も料理できない事もないけど、私よりもずっと美味しいのだ。こればかりは才能なのだろう。いや……向上心の違いかも?


「待て……」


 ドアのノブに手をかけた所で止められた。

 まるで何かの重圧に押しつぶされているかのような重い声。ゾクリと私のセンサーを震わせる。

 暗く暗く暗く重く重く重くどこまでも深い負の感情。今までの人生経験からして、この手の感情を抱いている者は面倒だ。


 まぁでも先ほど見たルーク・ラードのレベルは599。

 人間としての『壁』を超えられなかった者だ。これから超えるかもしれないし、ただの一般人と比べたら化け物だろうがたとえ暴れたとしても所詮私の『敵』じゃない。


「ルークさんも一緒に食べたいの? ダメよ。私とアーセルの分しかないもの」


「お嬢様、十一人前作りましたが……」


「私は沢山食べるわ」


 ルークが私の左手にしがみつく。

 その形相は――必死だった。フードこそあるが感情は隠せない。

 こんなしつこいのは久しぶりだ。しつこい人は女性に嫌われるってのに。


「……待ってくれ。話だけでも聞いてほしい」


 少しだけ考えた。ここで無視するメリットとデメリットを。

 メリットは食事と睡眠の時間がいっぱい取れる事。

 デメリットは特にない。ルークが暴れた所で私に勝てるわけがないし、英雄の娘相手に人質を取るような真似さすがにしないだろう。


 メリットとデメリットの比較結果は一目瞭然だ。普通なら断っていただろう。

 だが、しかし今回は好奇心が勝った。

 そこまで必死にすがりつく程の用事が果たして何なのか。メンテナンス終了までまだ時間があったのも一つの大きな理由だろう。


「はぁ……アーセル、紅茶おかわり持ってきて」


「はい。お嬢様」


 もう一度席につく。

 アーセルが扉を閉めた所で、私はルークにゆっくりと向き直った。


今更ですが、当作品は超不定期更新です。

各話の投稿日時を見るとわかりますが、第一話が2008年です。

今後も年単位で間が開く可能性があります(実績もあります)

ご注意ください。


※第一話の前書きで毎日一話更新しますとか言ってますが無理でした。毎日一話投稿できてたら2000話超えてたのに……

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