第五十一話:崩壊する国の話
シーン・ルートクレイシアは優秀である。
容姿端麗、文武両道、多芸多才で数値的なパラメータはもちろん数値に現れない面においても極めて優秀である。
公爵という極めて位の家に生まれた血筋、何が起きても動じない強靭な精神力に敵となったものに容赦しない冷徹さ、どうやって集めたのかわからない莫大な知識に民を魅了するカリスマ性、絶世の美女と優秀な騎士との間に生まれたその才覚は他領の同年代の貴族の子息と比べても圧倒的にずば抜けている。その事実には一片の疑問も挟む余地はない。
もしその力を正しい方向に使えば、シーン・ルートクレイシアは稀代の英雄になれただろう、と思う。
たった一つ、たった一つ欠如していた感受性という問題さえ無ければ、だが。
会合が終了して早一週間。
ずっと恐れていて、そして考えないようにしていた抗議文書がとうとう来た。大量に来た。
当然といえば当然の話だ。
シーン様は各国トップが集まった会談中に化け物を引き連れ、会場をぶち壊し、言い訳もせずにぶっちぎった。三連コンボである。元々あまり安定していなかったルートクレイシアの評判を削り切るには十分な威力だった。
正直に言うと、一緒について行った私をして、まったくもって理解できない。
何をどうしたらそんな『事故』が起こるのか。5W1Hで説明して欲しいのだが、真実はもはや闇の中だ。
願わくば言い訳の材料だけでも欲しいのだが、シーン様は自室に見知らぬ少女を連れ込んでもう3日も顔を見ていなかった。
それなりに広かった机の上は文書で溢れかえっていた。
ただでさえルートクレイシアの国内事情は不安定だ。
諸国と比べてもやたらめったら高い税率に、国境の管理が全くなされていない事による、他領から雪崩れ込んできた大量の難民、他のどの地でも行われていない荒唐無稽な奴隷廃止条例に、切迫した食料事情。一級の資格を持つ商人を問答無用で殺した事で資本の中心たる商業ギルドには睨まれており、四面楚歌なんて言葉じゃ言い表せない、まさに混沌の坩堝と言えよう。
まだ国がなんとかやっていけているのは、シーン様の領民からの人気が九割で、その他の一割が私達の涙ぐましい努力によるものだ。無論、それらがあったとしても国が滅びに向かっている事は紛れも無い事実だが。
そんなわけで、元々の評判に加えて先日の対応により、私達は混乱の極みにあった。
各国から送られてくる抗議の文書はもはやキロ単位であり、初めは使者一人一人に丁寧に応対していたが完全に人手が追いつかなくなり、今や屋敷の前に箱を置いてそこに勝手に入れていってもらう域になっている。向こうからしても諸悪の根源はシーン様一人であり、私達は可哀想な犠牲者だという事がわかっているだろう、同情的な眼で見られていた。
積み上げられた文書を見る。
百枚や二百枚じゃない、異常な量の紙切れが4つの箱に分けられて溢れかえっていた。
さすがにこの量を処理するのは無理だった。
一枚一枚丁寧に見て対策を論じていたら何ヶ月もかかってしまうだろう。ヘタしたら年単位でかかりかねない。
基本的にシーン様の部下は三種類に分けられる。文官、武官、その他だ。
文官が手を動かし、武官が足を動かし、その他がシーン様の機嫌を取る。
国内の政治や外交は文官の役目。当然ながらこれらの膨大な敵を倒すのは私たちの役目だ。無理だ。
仕事を投げ出すつもりはないが、人には限界というものが存在する。一日は24時間、それ以上は働けない。処理する量より来る量の方が多けりゃそりゃ終わるわけがない。
文官は一人じゃない。だからもちろん仕事も分割しているはずだが、分割してこれなのだ。
元々ルートクレイシアを運営していた文官や騎士団はシーン様が公爵を継いだ時に全員まとめて首にしたため、なかなか処理できる人間がいない。
そのため、重要な案件は全て私とシーン様に集約されることになる。そしてシーン様は基本あまり仕事をしない。
幸いなのかなんなのか、ルートクレイシアは大前提にシーン様の武力があるため、正解の対応をしなくてもなんだかんだ言ってなんとかなる。こちらには国を一つ潰す悪魔の大軍勢をわずか一、二時間で単騎で潰す正しく化け物と呼ぶべき存在がいるのだ。トップがそれだから引き抜きも不可能。どんな国だって、そんな国、敵に回したくないだろう。前ルートクレイシアの主力が騎士だったのに比べて、今のルートクレイシアの武力であるシーン様は魔導師だ。そして魔導師の攻撃は騎士と違って範囲が広く、特にシーン様の馬鹿げた力は障害物を無視しての超遠距離からの攻撃を可能とする。触らぬ神に祟りなしとはまさにこの事だろう。
4つの箱の中身は大体の温度感で分けられており、ただの抗議、具体的なアクションを求める要求、脅迫じみた宣戦布告とそれ以外で分けられている。
そして、そろそろ宣戦布告の箱が溢れてきた。
私は、手に持った書類をその一番上にたたきつけた。頭が痛い。胃も痛いし眼も霞んできた。
これもう無理だ。
椅子から立ち上がり、私は思い切り叫んだ。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
たっぷり数十秒、身体の中に溜まったストレスを吐き出すかのように頭をかきむしる。
部屋は完全に防音なので外までは聞こえないだろう。
叫び終え、机に両手をついて肩で息をした。叫んだら少しスッキリした。覚悟を決める。
諦めよう。どうせもう言い訳のしようがないのだ。
金をばらまいて理由を適当にでっち上げよう。宣戦布告など怖くもないが、大義名分を与えるのはちょっとまずい。面倒なことになる。
幸いな事に、この地位についてから3年、その類の技能は自分で言うのもなんだがめきめき成長を見せていた。
ベルを鳴らし、部下を呼んだ。
「シュレッダー持ってきてー!」
シーン・ルートクレイシアの国は弱点だらけだ。資質の問題なのだろう。本人のポテンシャルはずば抜けているのに。国には隅から隅まで隙しかない。
かつてあった裕福ではなかったがそれなりに堅実だったルートクレイシア領の姿はもはやない。
両手の指の数じゃ数え切れない程の問題点はそのほとんどをシーン・ルートクレイシアのカリスマとその怪しげな魔術の類で抑えており、シーン様が死んだら国は崩壊するだろう、今のルートクレイシアはそんな絶妙なバランスの上で成り立っている。
「はい、シルク様。……またギブアップですか?」
「指針の変更よ」
部下の持ってきたシュレッダーに文書を食べさせながら、私は思った。
とりあえず、シーン様が生きている間だけでも、持ってくれたらそれでいい。その後の事など知ったものか。
第五十一話【崩壊する国の話】
楽しい。最高の気分だ。ここまで、ここまで素晴らしい気分になれるのは何年ぶりだろうか。
頭の中はかつて無い程に澄み渡っていた。
まるで大雨が降った後の快晴の青空のように。
埃が混じっていない清々しい空気のように。
――長年の間、無能な部下どものせいで感じていたストレスが綺麗さっぱり消えてしまったかのように。
「最高の気分だ」
ぽつりと呟く。
脳内を快楽の信号が駆け巡り、何より高揚した気分は圧倒的な万能感をもたらせる。
今の俺ならば、なんだってできそうだ。
未だかつてない万能感。
湧き上がるような全能感。
俺は大きく伸びをすると、隣に力なく横たわる、肌色に手のひらを合わせた。
極上の触感。
肌との接触により、ぞくぞくした感覚が皮膚の下を駆け巡る。
まる三日の真摯な説得により、僅かなうめき声すら挙げなくなったリトリ・サダニウムスに対して、自然に口元がほころんでいくのを感じた。
ーー逃げるつもりなんてありませんよぉ、だって私――シーン・ルートクレイシアより強いですからぁ
わかっている。わかっているとも。完敗だ。俺の完敗だ。こんなに楽しい……じゃなかった。歯ごたえのある『獲物』は初めてだ。
「おはよう。リトリ」
「う……」
うなじを掴み、無理やり起き上がらせる。
だらりと垂れ下がった四肢。力が全く入っていないその様子は三日前と比べて別人のようだが、そのまるで壊れかけた人形のように繊細なプロポーションは健在だ。
そして、その両の瞳は黒い目隠しで覆われていた。
「リトリ、挨拶は挨拶で返す、と習わなかったのか? なぁ、リトリ? おはよう、リトリ?」
「く……ぅ……」
指を喉に這わせて耳元で囁く。びくりと痙攣する肢体を抱きしめる。
俺には生きている人の心を知る術はないが、別にソレを羨ましいと思ったこともない。他人の心を読むなんて、そんなの無粋としか言いようがないじゃないか。
ああ、今彼女は何を考えているのだろう。それを想像するだけで、俺は、この世の天国にいるかのような気分になるのだ。
「なぁ、俺が今何を考えるか読めるか? 読めるんだろ? 読めるよなぁ? なんたってそんないい眼を持っているんだからなぁ? じゃあ次俺が何をするか当ててみろ」
「ひぃ……う……くっ!」
リトリが狂ったようにその目隠しを外そうとする。優しい俺はその無駄な行為で眼を傷つけないようにその両腕を抱きしめる事で押さえつけた。
それに、どうせそんな事をしても無駄だ。その目隠しは俺の魔術の産物――実体など存在しないのだから。
「やれやれ、無粋な事をするなよ。なぁ、リトリ。そんなに人の心を読めないのは怖いか?」
リトリは何も答えない。
魔眼はその名の通り、眼を通した一種の特異能力だ。ものによるが、大抵の場合魔術と違って詠唱は必要なく、魔力の消費もごく少ない上、魔術で代替できない貴重な力を持っていたりする。
だが、その半面弱点も多く、目隠しは魔眼に対して最も有効な術の一つだ。
魔眼の能力の発動トリガーは大体視線によるものだからである。
故に目隠しされると大体の場合手も足も出ない。眼から光線とかだと防げないが……リトリの魔眼の場合、聞いた感じだと受信装置のような役割を持っているのだろう。故に何も受信できなければその貴重な能力も役に立たない。
眼のある場所から一筋の涙が流れる。
俺は別に読まれても何ら卑下すべき点など無いのだが、それが一種のアドバンテージとなっているリトリに取ってその能力を封じられるのはこの上ない恐怖らしい。簡単に言うと目隠ししてリトリを犯すとすっごい反応がいいです。この事実は後世にまで語り継ぐべきだよ。うん。
もっとも、俺も別に鬼ではない。そろそろ部屋に引きこもって3日、俺の体力はまだまだ余裕だが、リトリの体力がもはや限界だ。そろそろ妥協点を探っていかねばなるまい。
「なぁ、リトリ。泣くなよ。ほら、目隠しも取ってやるよ」
耳元で優しくささやき、俺はほぼほぼ3日ぶりに目隠しの魔術を解いてやった。
そして、久しぶりの光に眩しげに細められたその瞳。
隈ができているそのエメラルドグリーンの瞳に視線を合わせた。
「っぁああ……あ……いやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
絹裂くかのような絶叫。
やれやれ、要求通りに目隠しを取ってやったというのに、この反応はない。
瞳孔が開ききっているその瞳を覗きこむ。深淵。魔眼が宿っているだけあってその瞳の深さは底が知れない。
暴れる四肢を抑えこむ。ビクンビクンと跳ねるその身体に回復と精神安定の魔術をかける。冷静になれ。リトリ。
「落ち着けリトリ、俺だ」
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」
「落ち着けリトリ、俺だ!」
「あぁ……あ……なに、なに、それ、何ですか!? ありえないありえないありえない。シーン・ルートクレイシア。あなたの思考がわからない……理解できない……馬鹿な、何故、どうしてあなたは――」
「落ち着けリトリ、俺だ!」
「だから暴れてるんですよ!!」
下らないやり取りで落ち着いてきたのか、リトリの瞳孔が徐々に元の大きさに戻る。
跳ねていた身体が落ち着く。ぜーぜーという息を吐く音。
綺麗な抹茶色だった髪には炭のような黒が混じり、まるで別人のようだ。
髪色は精神に依存してその色を変化させる。俺の心に触れてそれだけ影響を受けたという事だろう。罪な話だ。
「リトリ、俺が何を考えているかわかるか?」
リトリは、強く自らの意志でその瞳を閉じている。
「……私は、何も吐くつもりはありませんよ。拷問してでも吐かなかったでしょ? 無駄です」
「拷問? いや、まだしてないけど……」
リトリは何を指して拷問と言っているのか……目隠しした事?
「っ……ありえない、です。あんなこと私にしておいて……」
「眼を開けろよ、リトリ・サダニウムス。会話するのが面倒だ」
「っ……」
更に強く瞳を閉じる。目隠しされるのはダメで自分で眼を閉じるのはいいとか……どういう理屈だ。
やれやれ、そこまで嫌か。仕方ない。
「俺の聞きたい事はたった2つだ。それさえ話せば自由にしてやる。食べ物も着るものも金も用意してやるし、希望するなら俺の奴隷にしてやってもいい」
「……話すつもりはないと言っています」
「一つ目はお前の黒幕だ。お前は誰の命令でここにやってきた?」
「…………」
だんまりか。
抱きしめていた両腕を話、リトリの胸に手を添える。心臓がとくとくと今にも消えてしまいそうな小さな鼓動を感じる。
俺の屋敷には非常に多くの侵入者が来る。頻度にして週に一、二回。人数にして平均三人~五人。そのほとんどが男で、男の侵入者は問答無用で拷問の余地なく殺す。殺した後なら情報を抜き取る事もできるのだ。ためらう理由はない。殺した侵入者のリストはもはやA4の用紙にしておよそ三十枚もの枚数になっている。
心を読む気がないようだからこそ正直に言おう。黒幕なんてどうでもよかった。
リトリの価値は俺の中ではもはや情報でもその特異な能力でもなく、特異なシチュエーションを楽しめるその存在自体になっている。
それに、頑なな心は時間によって氷解するものだ。俺はじっくりリトリを『調整』するだけでいい。そして俺にはそれを成し遂げる自信があった。
だからこの質問は別に本当に情報がほしいだけではなく、ただ名目のためにやっているだけだ。
もちろん、何か情報を得ることができるならそれに越したことはないが……今までの侵入者がどこの国から来た者なのかは一覧が出ている。そこから探れば大体予測はつくだろう。
問題はもう一つの方だった。
もちろんリトリの存在からしたらちっぽけな事だが、一応聞いておかねばなるまい。
俺の勘が言っている。嘘じゃない、と。
「二つ目だ、リトリ。三日前に言ってた、お前が俺より強い根拠はなんだ?」