第五十話:魔族の話
魔族の話をしよう。
魔族とは明確に定義を言うと、人以外の知的生命体の事を指す。いや、指していた。今では人、天使族、悪魔族以外の知的生命体を指す。例外が幾つか出ただけで、その分類方法はさほど変わっていない。
魔族と一口に言ってもその種類は多種多様に渡る。
月無き夜に野を掛け走り、その敵を気高き心と高い知を持って打ち倒す昏き隣人【グレムリン】
牛頭に鋼のごとき巨体、そしてその巨体に見合った凶悪な斧を持ち、無人の野を往くが如く平野を支配する魔人【ミノタウロス】
冥界より蘇り、死という絶対の絶望を克服し、暗黒の支配者となった闇人【ゾンビ】
叡智極めし魔術師より秘蹟を与えられ、その身を持って忠誠を尽くす土の巨人【ゴーレム】
種類だけなら星の数ほどに別れるだろう。そして、その容姿、能力、文化、社会体制も当然千差万別だ。
共通点はそのどれもが侮りがたい力を持った強き者であり、人族と比べ圧倒的な破壊の力を持っていたことだ。
が、どうしてそれら多種多様な誇り高き知恵者を一緒くたにして魔族などという味気ない言葉で表現するのかにはもちろん理由があった。
現在魔族に分類される者たちは、かつて人族と争い、人族に勝利できなかった者たちだった。
負けたから。
それが、魔族という言葉の始まりであり、理由であった。
要するに、ただ単純に、『魔族』という言葉は、負け犬を見下すために作成された、人とそれ以外の知的生命体を分類するためだけに人族が作成した、ただの差別用語なのである。
闇ある所にまた光あり。
だが、悲劇の歴史は長くは続かない。
敗北者達はある日、王の一族と出会う。
――ぬしら、我のために生き、そして死ぬことを許そうぞ
何の前触れもなく降臨したその者の眼は、
この世のものとは思えない美しい色をしていた。
第五十話【魔族の話】
剣鬼族ーーハイライダーの剣はその人生を写す鏡だ。
生まれ落ちてすぐに与えられるその剣はその身ーー経験と共にその姿を変え、やがて一人前の戦士となった時に色を持つ。
その剣は非常に濃い、黒に近い緑色をしていた。
磨き上げられたその刃はまるで鏡面に限りなく近く、光に適正のないアンデッドも在籍しているが故に明かりがほとんど灯されていないこの室内でも、昏く輝いて見えた。
物音一つしない。ただ、魑魅魍魎の押し殺された息のみその室内を満たしていた。ないはずの心臓がどくりと大きく音を立てる。
「御覧ください。これが彼の地で我が眼に焼き付けた魔王の姿でございます」
凛とした声が暗闇に響き渡り、次の瞬間その剣を床に突き立てた。
巨大な鐘を打ったかのような音が大きく響き渡る、
そして、光景が剣の前に陽炎となって現れた。
皆の者が固唾を飲んで見守る中、その剣はその身に記したその出来事を粛々と示していった。
誰も何も言わない。
光景としてはほんの数分。だが、その短い時間が幾千年も生き延びその時を待った私にとっては、限りなく遠く引き伸ばされる。
ぽっかりと開いた空虚な眼窩から出るはずのない涙を幻視する。
上映が終わり、再び場内が淡い闇に包まれた。
誰も何も言わない。
だが、私は確信していた。今日この日こそが我らが悲願ーー魔王、死弩・グラングニエルの復活の日となることを。
セマリタ・グリーンブレードがその大剣を引き抜き、ゆっくりと鞘に収める。周囲の眼は、まだ剣を追い、その一挙一足に吸い寄せられる。
「なるほどのぉ、ハイライダーの嬢ちゃんや、面白いものを見せてくれた。ようやった」
やがて、ファンクラブ会員No2013番、"ジュエル・ゴーレム"の長がその体型に似合わぬ温和そうな声で労い、その大粒のダイヤモンドで構築された右手を顎に当てて首を傾げた。
「ナイト・スケルトンの長よ。お主の眼から見てどう映る?」
皆の眼がこちらに集まる。蘭蘭と光る数百個の金の眼球、ギョロリと巨大な銀の眼球、燃え盛る炎のような視線に、ぽっかり開いた黒い眼窩。ほぼ全ての有力魔族のその圧力は、闇の十字の波動と比較しても何ら遜色のない我らが王の強靭な駒である証だ。
かつて王に向けられた同胞の悲鳴と怨嗟を思い出す。それはもう既に三千年近き古に置き去ったはずの幻だった。ぞくぞくと骨に奔る戦慄を抑えきれず、私の口からは数千年ぶりに興奮したような声が出た。
「しれたことよ、直接この目で見るまでもない。その一挙一足から私にははっきりわかる。かつてこの目にしかと刻みつけたその勇姿、間違いない」
このファンクラブの会員の中で魔王様が存命だった際に生きていたのはほんの数人になる。当然だ。魔族のほとんどの寿命は百年から数百年、何らかの理由がない限りこの時代に生きている者はいない。
魂魄系アンデッドの王、魔王の影より生み出されし邪神の敬遠なる信徒、魔王の影
神の名に相応しき底知れぬ魔力を持つ竜神、天駆ける光の翼、神竜
そして夜舞う骸骨の私
今この場で当時の魔王様を知っているのはたった三人だ。
思えば随分長いこと待ったものだった。悠久の時と呼べるほどに。
三千年、三千年は待たせすぎではないか、魔王様。
「ふむ、なるほどのぉ……実物を見たことがあるお主の言う事は正しいんじゃろうな……ふむ、なるほど……しかし……」
「ふむ、何か我が眼に疑問があるなら述べよ」
煮え切らない態度でジュエル・ゴーレムの長がつぶやく。
ジュエル・ゴーレムの長は剛毅な男だ。このような態度は珍しい。
「いやのぉ、ナイト・スケルトンの長よ。浅慮かもしれんが、思ったのよ。死後王を超え神とまで崇め奉られる死弩・グラングニエル様ともあろうお方が何故あのような少女の姿に転生したのであろうか、と」
「は?」
予想外の言葉に、私は久方ぶりに茫然自失というものを味わった。
少女の姿? 何を言っているのだ、このジュエル・ゴーレムの長は。
「ジュエル・ゴーレムの長よ。貴公、どうやら勘違いしているようだ」
私をフォローするように、ブラインド・ダークの声が響き渡る。
どこからともなく漂う声に、空気が大きくざわめいた。
「死弩・グラングニエル様の転生体はあの黒衣の少女ではなかろう。それでは死弩・グラングニエル様の崇高なる目的にそぐわぬ」
当然の話だ。魔王様が女に転生などなさるはずがない。
その目的を知っている私には初めから考える予知もないことだたので気づかなかったが、ジュエル・ゴーレムの長はあの鎌をぶん回して首を刈り取った少女を魔王と勘違いしていたのか。
まあ無理も無きこと、ジュエル・ゴーレムの長は魔王のご尊顔もその性格も書物や語りでしか知らないのだから、真実のお姿を知っている我らとは判断材料に雲泥の差がある。
だが、本人は仕方ないとは思わないようだった。
ジュエル・ゴーレムの長が大きな音を立てて立ち上がった。
「なんと……かの黒き怪物の首を跳ねた剣の冴え、只者ではないように感じられたが、魔王様ではなかったのか……魔王様を勘違いするとは一生の不覚……かくなる上は腹を切ってわびを……」
止めるまもなく、その両腕のダイヤモンドから極光が溢れる。ゴーレムの一能力である熱線だ。熱線自体はそれほど強力な力ではないが、その主がジュエル・ゴーレムともなるとその威力は侮っていいものではない。そのあまりの光量に魂縛系の魔族の一部とジュエル・ゴーレムの周囲に座っていた下位のゴーレム族の長が悲鳴をあげる間もなく塵となって消える。
「よせ、ジュエル・ゴーレムの長よ。能力が守りに偏ってる貴公が自らの腹を切ろうなど土台不可能な業、眩しいわ。貴公の罪は魔王様ご本人に判断いただけばよかろう」
ブラインド・ダークの言葉に、ようやく光が収束した。
ジュエル・ゴーレムの周囲にはぽっかり空白ができている。
「ぬぅ、あいすまぬブラインド・ダーク殿。貴殿の言うとおりにしよう。確かにわしの刃ではこの身体は貫けぬようじゃ」
ジュエル・ゴーレムの長が周囲を散々貫いて空白を生み出した両腕を哀れな目つきで見下ろし呟いたが、当然誰も同情などしない。AIに不具合があるようで、ジュエル・ゴーレム族は温厚で聡明な性格だが、極々たまに信じられぬほど馬鹿な真似をする事があるのは衆知の事実だった。
「してブラインド・ダーク殿。かの伝説を生き抜いた貴殿の眼からして魔王様の転生は本物かのぅ?」
「ああ、間違いなかろう。魔王の影たる我が身、久方ぶりにその御身を拝謁することができ力が漲るわ」
その言葉と同時に闇が爆発し、燭台から炎が幾つか消えた。
室温が一気に数十度低下する。ブラインド・ダークの特殊能力の一つ、室温操作だ。
池に満ちていた黒き水がシャーベット上になり、幾種類かの魔族がぷかぷかと腹を見せて池に浮かび上がる。ショックを受けて気絶したのだろう。さすがに死んではないはず……
アンデッドは低温に強いが、常温を生きる魔族にとってこの低温はさぞきついだろう。皆が迷惑そうな顔をしていたが、ブラインド・ダークは本体が見えないのでどこに文句を言っていいのか戸惑っている。
「茶番はいい加減やめんか、ブラインド・ダーク。魔王様の半身とは言え、悪戯に同胞を傷つける真似、それ以上続けるのならばこの神竜が相手になってやろう。なます切りにしてくれる」
部屋の中央から、甲高いソプラノボイスが上がった。
一拍おいて、氷点下三十度まで下がり尚低下を続けていた室温の低下が停止する。
神竜め……あんな所にいたのか。
モーゼが波を割るかのように周囲の魔族が道を開き、部屋の中央で一際巨大な玉座にその身を沈めた女の姿が目に留まった。
身の丈一・五メートルほどの人間の女の姿、その脇にはいつも持ち歩いている、巨大な蛮刀が鞘も付けずに立てかけられている。
彼女こそが竜族の頂点、神竜の化身だった。
今まで意見を言わずに何をやっていたのか……いいや、神竜は魔王様を一際好いていた。久しぶりに見る魔王様の姿に感慨に浸っていたのであろう。
神竜の本体は、全長1000メートルに迫る巨大な竜である。その巨体たるや、縮小の術を用いても容易にこの会場に収まる大きさではない。オフ会には人化の術を持ってして参加するのが常である。
と、そこで私は何時まで経ってもこの嫌な雰囲気が消えない事に気づいた。
神竜と魔王の影は旧き友である私から見てもあまり仲が良くない。こういった些細な口喧嘩は比較的頻繁にかわしている、いわば挨拶みたいなものだった。
本来ならここで魔王の影の謝罪があるはずだ。それを神竜が許し、そこで互いに互いを許して手打ちとなる。
……室温が戻っていない?
「神竜よ。この私を、魔王の影たる私を、魔王の半身たる私を、なます切りにする、だと? 撤回せよ。我が身を傷つけるは魔王様の御身を傷つける事と同じ、いくら旧き友でも許さぬぞ」
その言葉に、神竜の瞳から光が消えた。
切れたな。
神竜の沸点は非常に低い。簡単な事で切れてその莫大な暴力を解き放とうとする。その右腕がいつの間にか傍らの蛮刀を握っていた。いつもと違った喧嘩の雰囲気に、隣に座っていたリザードマンの長が慌ててそこから逃げ出そうとして、隣に座っていたスライム族の長を踏みつけてひっくり返る。
「許さぬ、だと? それはこちらのセリフだ。たかが魔王様の魔力の一滴から生み出された存在で、半身を名乗るなど片腹痛いを通り越して無礼であろう。この"おんぼろエアコン野郎"が」
禁忌という言葉がある。
旧き友の間では決して口には出してはいけない言葉があった。どんなに大きな喧嘩をしても知った仲同士であるが故に決して口に出さなかった単語だ。魔王の影にとってそれは"エアコン"だった。
燭台の炎が完全に消え、室内が完全な闇に包まれる。停止したはずだった室温が更に急速に下がり始める。
神竜の言葉は起爆剤だった。もちろん神竜のような高位の竜に低温など効かない。だが、周囲の他の魔族にとってはいい迷惑だろう。
私はここで、ようやく数千年来の友である二人がどうしてこんな小さな事で喧嘩を始めたのか気づいた。
要するに、魔王様が復活したと確信して、魔が刺したのだ。
どうしていいのかわからなくなったと言ってもいい。三千年の長き時の間に溜まりに溜まった感情の泥は今魔王様の復活というはけ口を得て爆発したのである。
「い、いったい、何が起こってるのですか? ハロルド様」
プリュスが震え声で私の後ろから二人を見ている。
観念しよう。
本音を言おう。
私は私達三人がこの三千年で自分らが肉体的にも精神的にも成長したことを疑っていなかった。
が、今知った。こいつらは……いや、私達はポンコツだ。もうどうしようもないレベルの。昔と全く変わらない捨てられたゴミだ。
「き、さ、ま、言ってはならない事を、言ったな。もう撤回しても、許さん。ぶち殺してくれる。魔王様の役にたたぬ"デカブツ"め」
魔王の影は魔王様の寝室の空調だった。
夏は窓から差し込む日差しを防ぎし、冬は魔族領にはびこる冷たい闇を防ぐ万能の室温調整装置もどき
あいにく室温を上げる特殊能力が欠陥で備わっていなかったため一冬目で廃棄処分された哀れな魂無き道具だった。
「……辞世の句を残す間も与えん。魔王様も廃棄処分したはずの道具が現れても困るだろう。塵も残さず焼却してくれる」
魔王の影がエアコンならかたや神竜は魔王の枕である。神竜は幼竜の頃は非常に滑らかで柔らかい鱗を持つ、極上の枕となるのだ、とは魔王様の便である。真実は知らない。
半年ほどで身体が大きくなったという理由で捨てられた枕だ。
だが彼女は知らない。頭を乗せるたびに興奮でその小さな竜の眼の眼の光が消える事も捨てられた一つの理由であったことを。
そして、私はただの骨だった。壊す価値もないただの夜に踊る骨である。魔王様は私に何の価値も見出さなかった。スケルトンは気持ち悪いから、と、ストレス解消の代わりに軒並み砕かれたが、魔王様は私に対してはまるで犬の糞でも見るかのような見下す瞳を向けただけで何もしなかった。
かの郷愁の日々を幻視する。
魔王様が存命で、人族と争っていて、そして、その他の魔族達が皆魔王様のおもちゃだった頃の事を。
持って生まれた容姿を否定され、強みを踏みにじられ、弱さを嘲笑され、命がまるで道端の隅に転がる石ころ程度の価値すら持っていなかった時代を。
女を求め、ケンタウロスの宰相が身を粉にして集めた各種族の美姫を見て絶望したその表情を。
――おい、てめえら汚すぎなんだよ。ちったあ掃除しろ。毎日一回は風呂入って身体洗え。俺の目の前にそのふざけた面さらすんじゃねえ。逆らったら死刑
――お前ら弱すぎ。魔物同士互いに戦争しろ。本気で殺し合い武勲を立てろ。各々の部族のうち、一番首を取れなかった奴の部族を皆殺しにするからがんばれよ
何にも興味無さそうな無感情な瞳
感情が元々備わっていないようにさえ見えた冷めた声
――この城から出ていけ、ここは勇者と俺の晴れの舞台だ。貴様らに活躍の場を与えるつもりはない
――二度と無様な姿を見せるでない。これは魔王としての命令だ
ありとあらゆる魔族と人族の全ての人生をたった数ヶ月でめちゃくちゃにした稀代の魔王は、おそらくもう少し長く生き延びれば魔族の良さに気づいてくれていたに違いない。
我々は皆、魔王様が好きだった。そして誰もが自分を好きになって欲しかった。我々は一枚岩ではないが、思いだけは一緒だ。一緒であるに違いない。
郷愁が終わる。
頭の中に冷静さが戻ってくるのを感じる。やれやれ、と溜息をつく。
どうやら、魔王様の復活に当てられていたのは自分も同じようだ。
私は部屋の中央で争う蛮刀の剣士と、それに相対する広大な黒い霧に向かって叫んだ。
「おい、魔王の影、神竜、いい加減にしろ。皆のものが見ているぞ。貴様ら、よもや魔王様の目の前でそのような醜態を晒すつもりではあるまいな! 我らはこの三千年で、誓ったのではないのか! 魔王様に捧げた誇りを取り戻すことを! 今度こそ、捨てられる事なく魂と身体全てを捧げ尽くすことを! 我らの合言葉を思い出せ!」
「!!」
根拠はないが、手応えを感じた。
これは……届いたか
神竜の手がその巨大な刀から離れる。
ほぼ同時に魔王の影の姿が戦闘態勢を解き、宙に消えた。
そう。これでいい。我らは魔族、多種多様な生態系を持つ知的生命体の群れ為。
三千年も待たせてくれたのだ。
無様な姿など見せるわけにはいかぬ。
どこに隠れていたのか、プリュスが骨マイクを振り上げる。
その大きすぎる身体を玉座に隠していたオークが、立ち上がる。
なんとか最後まで生き延びた亡霊が暗闇に光の線を描く。
「さぁ皆様、色々ありましたが今は魔王様復活の朗報に杯を掲げましょう。魔族の誇りにかけて!!」
「そうだ……枕としての誇りを取り戻さなくては」
「そうだな……パワーアップした室温調節機能を是非とも魔王様にご披露しなくては」
ボソリとつぶやく神竜と魔王の影
やれやれ、やっと己を取り戻したようだ。
二人は決して役立たずなどではない。今度こそはきっと魔王様に気に入っていただけるであろう。
私は、王冠を持ち上げ、ファンクラブの合言葉を叫んだ。
「『魔族のMはドMのM』!!」
今宵も、会合の出席者は七割しか残らなかった。
が、結束は確実に強くなったのを、私は確かに感じていた。
ああ、愛しております、魔王様