第四十二話:クリアの話
これが死地か。
視線と視線が一瞬交差する。
肩に受ける衝撃と、初めて見るクリアの笑み。
しかし俺は、すぐにその視線を顔から外し、クリアの付けているチョーカーに向けた。
シーン・ルートクレイシアへの従僕の証。
自然な動作で肩に伸びる腕。
華奢な仕草に込められた力はどれほどのものか。
人間という種族ははLV599とLV600の狭間で限界を超え爆発的に能力を増し、それからは緩やかな成長曲線を描く。
LVだけだったらクリアと俺の間ではダブルスコア以上の差があるだろうが、実力はレベル差ほど離れていない。
そもそも、人間の耐久力は他の種族と比べて脆弱だ。
全力を出して狩りに行けば、クリアの腕でも俺の首を容易くへし折れるし、身体を貫くこともできるかもしれない。
死の可能性。
その感覚が俺の心を焼く。
寿命で死ぬくらいなら戦場で死にたいものだ。裏切りでも構わない。時に殺されるというのは俺のプライドをどうしようもなく傷つける。
俺の最後は果たしてどのような最後になるだろうか。
先日KillingFieldに生命力を分け与えた時点で考えたことはまずそれだった。
果たして俺に勝利し得る存在がこの世に存在するのか。少なくとも前世よりはマシな死に方をしたいものだ。
柄にも無くそういう考えが浮かんだのも、仕方のない事だろう。
しかし、その心配ももうない。
場や間や天運がクリアの味方をしたとは言え、この程度の存在がこの俺の命を脅かしうる可能性を持つ。人間というのはなんと脆弱で面白いものか。
その首に巻かれたチョーカーが俺への殺意を反応して首を刎ねるというトラップの役割を持っていなかったら、クリアの勝利で終わっていただろうに。
さようなら。
ああさようなら愛しいクリア。
そして俺は、もしかしたら転生してから最も安らかな気分で瞼を閉じた。
第四十二話【クリアの話】
拳は鳩尾を貫き、意識を軽々と刈り取った。
全力で放った突きは軽々とその体躯を吹き飛ばし、神殿にくぐもった音を響かせる。
いくらLVが高くても、急所は人間である以上変わらない。耐久が高いのならそれ以上に力で早さで攻撃を加えればいい。
刹那の一瞬。
石の壁に叩きつけられたその一瞬に見たその表情は、見間違えでなければ非常に安らかな顔をしていた。
重力に従い、その身体が数メートル下に落下する。
「……そんな馬鹿な……」
だが相手の表情とは対照的に、こちらの心情は穏やかではない。
予想外の事態にフリーズしていた頭が再び働き始める。
俺は、右手に残った人の肉が潰れる感触を確かめた。
「いやしかしこれは……つまらないと言えばつまらないが、面白いと言えば非常に面白い……」
先程まで感じていた興奮も全く残っていない。ここまで静かな気分は久しぶりだ。
しかし予想外にも程がある。まぁそれが結果的に自身を救ったんだが……
良く考えてみれば、殺意に反応するトラップだったらもっと早く発動するはずだな。
しかし……誰が予想できようか。
あのタイミングで抱きついてくるとは……
育て方間違えたかなあ。
ここまで他人の心中が知りたいと思った事はないよ。
取り敢えず、ピクリとも動かないクリアの回収を命じる。
「KillingField、あれ拾ってこい」
反射的に殴ってしまったが、多分生きているだろう。距離があまりに近かったので、力もあまり入れられなかった。
不完全燃焼……まぁ屋敷に戻ればストレス解消の手段などいくらでもある。
ぐずぐずしているKillingFieldを蹴り落とす。
悲鳴も上げず落ちていく死神を眺めながら、梁の上に腰をかけた。
さて、あれをどうすべきか。
もともと厄介な問題がさらに厄介になった。
抱きついてきたのは反抗か。
理解できん。まさかこれが噂の反抗期という奴か。
ああ、こういう時はそうだ。あの方法がある。
シルクに全部任せよう。
名案だ。面倒事全部任せるために教育したんだし。
ルナの方は……アンジェロを代わりに派遣してもいいし、俺が直接護衛に行くという手もある。情勢が不安定な中、このままじゃいつ悪魔が攻めこんでくるか分からないし、そろそろ収穫してもいいだろう。
クリアを背負って登ってきたKillingFieldを膝の上に乗せる。
クリアは適当に置いておいた。寝返りどころか少し動いただけで落ちそうだが、無意識にバランスくらい取れるはずだ。落ちても死なないだろうし。
「しかし……一気に気が抜けてしまったな」
「ひゃい!? いひゃ! ひゃめへ――」
嫌がるKillingFieldの頬を伸ばしながら、俺はため息をついた。
目的は死神の生命力補充だったから最低限のミッションはクリアしているが……俺は最大限の利益をほしいのだ。もしクリアの首が派手に飛んでくれたら良かったのだが……いざと言う時に俺を殺せる人間が生き残ってラッキーだと考えるべきだろうか。
「んん……こ、こんなことして楽しいで……すか?」
軽く抱きしめ、顔をKillingFieldの肩伏せた。
いくらバグで死神でヘタレでも一応女の子なので、抱き心地は上々だ。愛玩目的ならこれで十分。
「つまらなくはないがもっと面白い事知ってるな」
「!? い、いや、このまま……抱きしめてていいです」
「抱きしめて下さい、だ。そっちが頼む立場だろ」
「…………」
「俺は独占欲強いからこういう衆人環境で服脱がせるとか嫌なんだよ。まぁKillingFieldが望むなら俺はそういうとこ物分りいいから別に構わないけど……」
目撃者消すのに手間がかかるしねー。特にこの場所は相性が悪い。俺は臆病なので200%勝てる相手しか真正面から戦いたくないのだ。まー大体の戦闘は200%勝てる相手に奇襲かけてるわけだが。
「お、お願い……します。だ、抱きしめて下さい」
「仕方ないなあ」
腕を前に回して強くぎゅーっと抱きしめる。要求されちゃせざるを得ない。
耳まで真っ赤にしているKillingFieldは予想通り非常に可愛らしい。少なくとも、気は非常に紛れる。とてもありがたかった。
だが……しかし物足りないな。
そういえばせっかく連れてきたのに昨日は手を出してなかった。顔青くて具合悪そうだったし……というか倒れたし。
今なら大丈夫かな。
そんな事を考えていると、
「ッ!?」
「ん? どうした?」
「いや、今……すごく嫌な予感が……」
びくっと震えるKillingField。小動物のように身を縮こませている様子を見ると、これは……
敵か!
「何かあるのか……」
「……へ?」
「LV700オーバーの嫌な予感……俺は別にそんなの感じないが……何かある!」
「い、いや、そういう予感じゃ……あ、そ、それです! 多分」
語尾についた小さな『多分』は聞かなかったことにして、俺はKillingFieldを開放して立ち上がった。
衛兵が戻ってこない事に関係あるのか……相当数のドッペルゲンガーが集まっているこの地では何が起きてもおかしくない。まぁ聖域があるから大した事はないと思うが……ここはKillingFieldの勘を信じるしかないだろう
何故か目を伏せ、いたたまれない様子のKillingField。もうちょっと自分に自信を持って欲しいものだった。
しかし俺の感じない気配を感じ取るとはさすがイレギュラーだというべきか。
もしこれがただの気のせいだったらお仕置きが必要だが、初めて自分の意志で出した警告、そんな事は万に一つありえまい。
「クリア……索敵だ」
「了解しました。索敵に入ります」
さっきKillingFieldを抱きしめた当たりから復活してこちらを見ていたクリアに指示を出す。KillingFieldがまるで今その存在に気づいたかのように顔を真っ赤にして大きく跳ねた。
しかし、ついさっきまであんなやり取りを交わしたにも関わらず、如才なく指示に従うクリアには感嘆を感じざるを得ない。指示だしたの俺だけど……
目を閉じて五感に意識を集中し、気配を探るクリアの様子は本当に人形のようだった。
「クリア、動けるか」
「まだダメージが残っています。歩行程度なら可能ですが、逃走や戦闘などは困難だと思われます」
そりゃそうだ。これで平然と動かれたら、俺の立場がない。
しかし、そうなると何をやろうとしてもクリアが足手まといだな。
「二人……気配が二つ、こちらに向かって近付いてきます。二人の間は五メートルほど。前を走る一人は致命傷ではありませんが、怪我をしているようです。このまま速度を落とさなければ後二十秒後に真下を通過するでしょう」
しばらくたって、クリアが声色一つ変えずに報告を始めた。
「やはり何かあったか。今までへっぽこだと思ってたけど、KillingFieldも見習わなきゃならないかもな」
「え!?」
何故本人が驚くし。
気持ちを引き締め、いざという時に備える。俺の攻撃系の魔術はほとんど闇魔術だからここではロクに役に立たない。まあその時はKillingFieldに頑張ってもらおう。
「"光の衣"」
取り敢えず防御系神聖魔術"光の衣"を三人にかける。
普段その程度では感じないはずなのに明白に身体にかかった負荷は、俺の魔力がじわじわ聖域に削られている事を示している。この程度ハンデにもならないが。
「クリア、後何秒だ?」
「あ……今、前の者が後ろの者に追いつかれました。どうやら逃亡者と襲撃者だったようです」
「…………」
報告を受けると同時に、神殿に悲鳴が響き渡った。断末魔の悲鳴。恐怖と絶望が入り交じった怨嗟の声は、この聖域には全くそぐわない。やれやれ、最近は本当に何がどうなっているのか。物騒なものだ。
「……バラバラにされました。恐らく殺されたのは衛兵の一人だと思われます。鎧ごと切断されたようです」
「相性が悪いな……」
いつもなら遠距離からの"EndOfTheWorld"で一発なのに。ここでは天井に穴を開ける事すらできず終わる。
もともと近接戦闘はあまり得意ではない。さりとて、この場では俺に有効的な攻撃手段がない。
この舞台装置、差別だ。帰国したら平和的な手段で真っ先にこの神殿を潰してやる
「仕方ない。逃げるか……」
俺の言葉に、クリアが被せるように警告を発した。
「遅かったようです。速い……来ます」
ちょっとだけ地獄が見えた。
最近健康状態とかじゃないけど調子悪くてぐったりしてたら、友人は死にかけてた。
栄養不足で入院とか言っててびっくりです。
ちょっと出来がいまいちなのでこの話は改訂するかもしれません。
次の話で挽回できるよう努力しますが