第四十話:殺戮人形と最強の話
各国の代表が粛々と昨年の悪魔被害についての報告を始めていく。
各席に三人ずつ鎮座している会合の場。たった一人しかいないルートクレイシアの席は司会からも両隣の席の代表からも注目を浴びていたが、私にはどうしようもない。むしろ私が泣きたいくらいだ。仕方ないので、完全に無視する事にする。さすがにこの場で非難を浴びせかけてくるような愚か者はいないだろうし。
報告を聞くところでは、被害は大きなもので人口の十数パーセントを失った国、小さな物では村が一つか二つ壊滅的な打撃を受けた程度、少なくともどの国も一度か二度の襲撃を受けたらしい。近年の悪魔は徒党を組む事を覚え、小さな物では数体から十数体、大きなものでは数百に群れ、それを一体か二体の高レベル悪魔が率いる形で襲い掛かってくるようになっている。完全に統制された高レベルの騎士団でも、数百の悪魔はさすがに手に余る。おまけに高レベルの悪魔は一個師団並みの力を持つというから、大きい群れを相手にすれば相当の被害がでる。大国から小国まで、皆総じて苦い顔をして報告をしている中、私だけはその内容を頭に入れつつ全く別の事を考えていた。
シーン様は大丈夫だろうか?
シーン様はクリアの事を甘く見ている面がある。
思い出すは、先ほどクリアを見つけた時のその表情。
無表情で、しかし強烈な意志を宿した視線。一種の殺気にも似たその気は戦闘を前にしたシーン様に酷似し、しかし私はそれに異なった印象を受けた。シーン様の気は強烈ながら一種の遊びがある。迷いなき意志にも余裕が見える。だが、今感じ取ったクリアの視線には余裕など一片たりとも感じられなかった。あれはシーン様の言うように感情を忘れた者の視線ではない。
悋気。あの視線に含まれる感情は"嫉妬"だ。
シーン様はクリアをなめている。感情のない機械のような人間だと。
初めてクリアに会ったその瞬間に私が気づけたソレに気づけていない。それほどクリアの心を殺す技術が優れているのかもしれないが――
三年。三年もシーン様の元で教練を受けて何も感じないわけがないのだ。私やアンジェロが変化したように。
意志を完全に殺しきったあの状態は、シーン様がおそらくかつて望みクリアが実現した一つの完成体に過ぎない。
一手。私とアンジェロが三年の時をシーン様に頂き至った境地の更に上にある到達点に至ったその少女は、私から見ると本当に哀れな存在に見えた。
私はシーン様が全力を尽くして教練した結果ではない。生徒が二人いたからこそ、それだけ訓練の時間も減っていた。また、シーン様はその頃から政務の一部を受け持ち始めていたから(これは後から気づいたことだが)それだけ時間がなかった。
だが彼女は違う。彼女はシーン様が生み出した唯一の完全体だ。それだけシーン様に対し執着もあるだろう。望まれないが故にその感情を表に出さないだけで。
だからこそ、クリアが哀れだった。
いくら私を睨み殺さんばかりに睨みつけてもその感情が行動になる事はない。三年越しの命令を破ってまでシーン様の御前に現れてもその心が報われる事はない。世間で超越者と呼ばれる600LVオーバーの領域に至っても、その実力がシーン様に評価される事はない。
ただ――
「邪魔です」
ルナ様はそろそろ十六になると聞く。いくらルデール卿の領地が平和でどこの国とも禍根なく、急いで結婚する必要がないとしても、そろそろどこかに嫁いでもいい年齢だ。十中八九シーン様の元に来るだろうが、そうするとクリアが戻ってくる可能性がある。
私情を挟んでも私情を挟まなくても、その存在は私にとって邪魔だった。そしてそれは彼女が可哀想だとかそういう感情とは全く別の話。同情はするが容赦はするつもりはない。
彼女は素直で、そして知識面でも能力面でもシーン様に一部匹敵するほどの力を持っているらしい。シーン様は過小評価はしても過剰評価はしないからまず間違いないだろう。実務経験は私より劣っているだろうが、それも予想の域をでない。本来なら私やアンジェロを押しのけNo.2を張っていてもおかしくない。もちろんそれはシーン様の寵愛の大部分を受けるという事でもある。私とアンジェロだけならともかく他の者たちはそれを決して許さないだろう。
そしておそらく彼女はシーン様以外の命令を決して聞かないだろう。現在のヒエラルキーが崩れるかどうかは彼女がどのような性質を持っているかによるが、少なくとも私の望む未来にクリアはいらない。いや、いてはならない。あるいは今のクリアの状態が戻ってきてもずっと続くなら、あるいは無視しても大丈夫かもしれないが、思いもよらぬ事態と言うものはどんな時でもあるものだ。
「今回の命令違反の罰で殺されてしまえばいいんですけど……」
それに暗い嫉妬が篭っていることは百も承知だ。だが、私にはこの感情を押し止めることはできなかった。
クリアにさえ完全に出来なかった事を私に出来るものか。また、欲しいモノは自らの手で奪うようシーン様の行動に学んできた私にそれを押し止めるような気はまったく沸かなかった。
第四十話【殺戮人形と最強の話】
人にはそれぞれ価値というものが存在する。
例えばルートクレイシアの領地に住む民達の価値は税金という形で俺に金や命や物を貢ぐ事だし、アンジェロやシルクの価値は身を粉にして俺のために尽くすことだ。
しかし、人の価値は通常一つではない。少なくても二、三の存在理由を誰しもは持っている。
そういった意味で、クリアという存在は俺の中では異端だった。
クリアの価値は俺の命令を確実に遂行する事たった一つだけ。
まだ俺が親父の代わりに政務を行い始めていない頃に手に入れ、訓練を課し、そして出来上がった完全なモノ。ありとあらゆる何もかもを可能であるが故に俺の興味を全く引かないそれは、完全であるが故に欠陥品だったのだ。
愛の反意語は憎しみではなく無関心だという台詞がある。
俺は決してこの言葉を正しいと思っているわけではないのだが――確かに、そう考えてみると俺はクリアにのみ唯一愛を持っていなかったのだろう。
はっきり言って俺はクリアがどうなろうが果てしなくどうでもよかった。
人材的には極めて優秀。俺の手持ちの札の中ではまず間違いなく最強の駒の一つだろう。
だからこそ捨て置くにも勿体無く、側に置いておいてもその存在はそれはそれで厄介だ。他の部下の訓練に支障をきたす。
だってそうだろ? まずありえないし、成し遂げられるほどの才能の持ち主はいないと思うが――部下の内の誰かがクリアを目指し始めたらどうする! 一人ですら持て余しているのに、もし万が一それが複数になったら手をつけられない。無口で有能キャラは一つの作品に一人で十分なのだ。これ豆な。
どうしようもないし、ちょうどよかったからルナの護衛として派遣したが、まさか命令の撤回なしに戻ってくるとは思わなかった。その存在は評価しないがその性能は信頼はしていた。派遣してから三年間、ルナは何事もなく順調に成長できたのだからその札は確かに役に立ったのだろうが、だからといって俺に沸く新たな感情と言えば、ああルナの護衛任務が終わったらクリアをどうしたらいいだろう、程度に過ぎない。全く困ったものだった。
俺が魔王であった頃犯した最大の失敗がグラングニエル族として生まれた事そのものだとすると、人間として転生した俺にとって最も大きな失敗は機を待たず初めから全力で動いた事だと言えるだろう。少しずつギアをあげるべきだった。
ミスだ。まさか見るからに平凡な女が化物になるとは思わなかった。
まさか人間としての垣根があんなに簡単に突破されるとは……俺でさえ全く予想できなかったのだから、例え神だったとしても想像がつかなかっただろう。
正直、とっとと処分したいようなしたくないような気分だが、彼女は俺には決して逆らわない上に失態一つ起こさないのでどうしようもない。
均衡が破られない限りは――
最近ちょっとないくらいわくわくしながら走り出して数分。
数メートルの幅がある神殿の廊下――辺りには人影一つ存在しない。
聞こえる音は、俺に唐突に手を取られ、わたわたしながら引きずられるようについてきたKillingFieldの微かな呼吸音だけだ。
まだあの警備の兵達は戻ってきてないのだろうか?
ふと疑問に思ったが、すぐにその思考を頭から追いやる。そんな事今はどうでもいい事。たとえ三日後くらいに水死体となって発見されたりしてニュースになったとしてもそれはルートクレイシア代表としてこの場に居る俺とは何の関係もない。
さて、ついノリで表へでろとか言ってしまったがどうしたものか。とりあえず罰は必要だと思う。命令違反は銃殺刑……いやいや。
まぁ、まず初めに行うべきことは話し合う事だろう。コミュニケーションは重要です。あまり話したい相手ではないが、そこら辺は仕方ない。億歩譲ってじっくり問い詰め――いやいや。
どこか暴れてもいい場所――じゃなかった、静かで誰も来そうにない話し合いに向いた場所を探し、左右を見渡す。
均等に建てられた純白の柱。
柱の間、床に彫られた溝を流れる水。
いくら静かだと言っても、ここは通路だ。場所が悪い。話し合いの最中に邪魔が入っては興が殺がれてしまう。
と言っても、この神殿はこの街ではかなり重要な部類の施設。どこに何があるのか、その構造は全く想像が衝かないが先ほどの会議の間以外の部屋は空っぽだと考えるのは浅はかだろう。
何より、今は人族が行うなかでは最も重要な会合の一つの真っ最中。セキュリティも相応に堅固なはず。
「仕方ない……上にするか」
「へッ?」
天井を見上げ、足場があることを確認した後、床を強く蹴って走る。
壁に向かって走り出した俺に、KillingFieldが短く悲鳴を上げた。
「登る! 何故ならそこに壁があるからだ!」
勢いを殺さず、自然な姿勢で壁に向かって歩を進める。
そのままリズムを崩さず、地面を歩くように壁を上った。重力に従いKillingFieldが俺の手に吊り下げられるような形になる。傍から見れば物理法則を無視して壁を歩く男とそれにぶら下がる少女という相当シュールな光景に見えるだろう。
ちなみにこれは、魔術でも何でもないただのLV補正。LVが高くなれば多少の物理法則を歪めることができるこの世界は素晴らしいと思う。
「ぃやああああああああああああああああああああああ!」
「うるさい」
背後から流れる普通に絹を裂くような悲鳴。誰かに聞きつけられたらどうする。ヘタレめ。
速やかに柱を抜け、数メートル上、高く吹き抜けた天井――張り巡らせられた梁の上に立った。
暴れている一気にKillingFieldを引き上げる。
ぴんと張った肘。KillingFieldはそんなに重くないし、LV的にもここから落ちた程度でダメージを受けるほどやわな身体はしていないはずだ。
いくら惰弱とは言え、相応の理由もないのに悲鳴を上げてもらっては困る。俺のようにTPOを弁えてほしい。
LV700以上ってのは個人差もあるが、例えばこの神殿が倒壊して崩れてきた岩塊が奇跡のような確率で全てが直接頭に飛んできてぶつかっても死にはしないくらいの馬鹿げた肉体を持つ者を指すのだ。
恐怖など滅多に感じるものではない。
「立て」
「はぁはぁ……うぅ……ん――」
「立て。立たないと落ちるぞ」
「ッ!?」
ふらつきながら縁に立つその様子はとても死神には見えない。
高さはおよそ五メートルほどか。遥か下に見える石床を見て顔を青くしているが、へたれなだけでステータスはレベルに見合ったものを持っているのかバランスを崩す様子はない。ここでバランス崩して落下したらそれはそれで面白いとは思うが……
「はぁ……手が掛かる手が掛かる」
だがだからこそ面白い。
足場は幅約三十センチ。
上空に迫る真っ青な空は、広大すぎて逆に圧迫感を感じてしまう程。
辺りに満ちた気配は歩を進める。
そうだ、面白い。
だからこそ面白い。
「お前とは違うな……失敗作め」
その台詞とほぼ同時に、俺の眼の前数メートル先の梁の上の空気が微かに揺らめいた。
完全な透明だったそれは、まるで魔法のように揺らめき色を得る。
一瞬目の錯覚ではないかと勘違いしてしまうほど完全な擬態。気配の遮断による隠身。
空気が割れる。
瞬きの後、そこには一人の少女が立っていた。
人間<追随せし紅>
クリア
LV777
特技:
○オーバーキル<偽>:
常に全力全快。力を抜くことがない暴走機関
○炎術:
炎の精との契約。属性:火の魔術を具現する事が可能
眩くばかりの赤の髪。
小指の先ほどの曇りもない穢れなき真紅の虹彩。限りなく炎に近く、しかし揺らめく事のないそれは自然の物ではない、人工物のような気配がある。
身の丈は百六十センチセンチほど。体重はそれに不相応に軽く――
薄手の灰色の外套に、下に見えるは紺色のエプロンドレス。
それらは、俺の記憶に間違いがなければ彼女をルナの護衛として派遣していた時に来ていたその時の服装だった。命令を出したその時クリアは十三歳。
三年間
成長期の三年間で背丈も伸びているはずなのに服装が変わらないとはどういう事だろうか?
……嫌味かな?
クリアは俺の言葉に全く動揺する事もなく、ただその場に在る。
微塵も揺らぐ事なく、もし仮に今現在のクリアと全く別の形で出会ったら俺はクリアを何か最新の技術で造られたロボットかなんかだと見誤る自信がある。全力である。そしてもしかしたらそんなロボットがあったら俺はきっとそれを大金を出して買い上げていただろう。
「何故呼び出されたか分かるか?」
「はい」
俺の問いに、平坦な声で答える。
大きくもなく、小さくもなく、萎縮してもおらず、かといって張り詰めているわけでもないただの音。
「……」
そしてそれに続く無言。
以前と全く変わらない様子に、俺は気づかれない程度に軽く肩を落とした。
肩透かしを食らったといってもいいかもしれない。
問いに対する答え。
完璧だがただそれだけ。それでこそのクリア。
公式はなぞれるが自発という言葉とはほど遠く、その動作には俺の命令以上の意志は存在しない。
クリア。クリア。完全な透明にして――
「命令を復唱せよ」
「神暦三○一三年。ルナ・ミ・ルーデルの生命の安全を確保及びその生活を観察する事。期限は未定。緊急事態発生時意外の報告の必要はなし。その際自らの生命維持に問題が発生した場合のみ無断での離脱を許可する」
「噛み砕け」
「ルナ・ミ・ルーデルから離れるな」
「箇条書きで」
「
1.ルナ嬢の側をつかず離れず付き従う事
2.何らかの原因でルナ嬢に危険が迫った場合速やかにその原因を排除する事
3.生活習慣などを観察し、何か欠点を発見した場合その矯正を行う事
5.ルナ嬢の身辺周辺で大きな変化が起こった場合速やかに報告する事。その他異常がない場合は定期的な報告は必要としない
6.任務において十分な必要性が認められた場合においても、性交渉を行ってはならない
7.自らの身に危険が迫った場合、それらに対応不可な場合に限り撤退及び任務の放棄を認める。
8.上記七要項をシーン・ルートクレイシアの命令によるものだとばれてないように行う事
」
「……その通りだ。うん、よく覚えているじゃないか」
一切の澱みなく流れる音声。
変わっていない。壊れていない。いや、他人から見れば十分壊れているように見えるかもしれないが、クリアはこれが正常、全ての訓練を通り抜けた時点で出来上がった姿だ。
しかし、故障じゃないとなると、一体何が彼女をここに導いたのだろうか?
想定外のクリアの出現に高揚していた脳がクールダウンする。
ルナもここについて来たからその護衛としてこいつもここにいるとかなら納得できるのだが……常識を弁えているルーデル卿がいかに娘とは言え、会合において何の役にも立たない飾り物を連れてくるとは思えない。現に、先ほどルーデル卿の隣にいたのはおっさんだった。あれがルナの真の姿とかいうオチはないと思う。てかあったら泣くぞ。んで国を滅ぼす。
しばらく頭を動かすが、面倒になってやめた。若干心配ではあるが、おそらくルナは無事だろう。命令に違反したとは言え、クリアがここにいることが一種の証拠。軽く見た限り、少なくともクリアは俺に反乱を起こしたわけではなさそうだ。ルナには出来る限りの安全策をつけたからこそここにいると見るのが一番いいだろう。
しかし、思ったよりもつまらない。
思ったよりも変化がない。
やはり所詮人形に期待するだけ無駄なのか。
期待も大きかっただけに、落胆もそれなりに大きい。仕方ない事だ。
「よろしい、それじゃそろそろ――」
俺はやれやれと肩を竦め、その場でとんと足踏みをした。
それを合図に、シーン・ルートクレイシアという機構が起動する。
低い唸りが俺の影から
梁を伝い
神殿を駆けた。
「気が進まないけど罰を与えるしかないね」
俺の影が爆発的に膨張し、当たりに粘度の高い"影"が飛び散る。
肉体を巡る魔力。魂の核を中心に、つま先から頭の先まで。
頑強な石材で出来ているハズの神殿が細かに揺れる。
クリアの表情がわずかに悲しげに歪んだのは気のせいか。恐らく気のせいだろう。
気のせいじゃなかったとしても関係ないが……だってしょうがないよ。勧善懲悪は一国の当主として守るべき心理だと思う。
そして俺は、初めてクリアに向けて心の底から微笑を向けた。
取り敢えず
お前はここで死ぬ。
いや、死ね。
「きゃっ!?」
その時あがった悲鳴は果たして誰のものだったのだろうか。
発動が一拍遅れた魔術と。
視界いっぱいに広がった、頭上から覗き込むようなクリアの顔。
のんびりしすぎました。
ごめんなさい。