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黒紫色の理想  作者: 槻影
36/66

第二十六話:怪奇現象と俺

 

 

 

 

 顔も身体も何もかも黒で塗りつぶされた人型。

 まるで御伽噺に出てくる魔物のようで、しかしそれは確かな圧力を持って存在している。

 

 知っている。

 

 それは一種の鏡だ。

 虚像と実像。

 現実世界に侵食する虚像。

 

 自分はそれを怪奇現象と呼ぶ。

 

 

 そしてその奇怪な生き物は、

 

 俺の眼の前で

 

 にやりと哂った。

 

 

 

 おそらく、大抵の人間はその存在に嫌悪を抱くだろう。

 人ってのは自らが理解できない存在に言いようのない悪寒を感じるように出来ている。

 グラングニエルは違う。

 グラングニエルが恐れるのは理解できない存在ではなく、理解できてなお自らよりも強い存在のみ。

 なんたって、月から降り立ったといわれるグラングニエルより強い存在なんて世界中を探し回ってもほんの数種しか存在しないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二十六話【怪奇現象と俺】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かに揺らされる感触に、俺は目覚めた。

 一瞬で覚醒する頭。脳が半分眠っているような状態に俺が置かれることはない。

 

「おはようございます、ご主人様」

 

 俺を起こしたメイドは角度九十度の綺麗な礼をすると、俺の返事も聞かずそのまま早足に部屋を出て行った。

 いつも変わらない光景。

 

 いつもと違う点がたった一つ。

 

 

「……変な夢見たな」

 

 

 俺が夢を見る事はほとんどない。

 大抵の日はスムーズに意識が落ち、目覚めた時には次の日になっている。

 脳の記憶の整理など俺の関知するところではないのだ。勝手にやってくれって感じである。

 

 だが今日は夢を見た。

 

 夢の内容はかつて捕らえた悪魔について。

 ドッペルゲンガーと言う名のとても便利な力を持つ悪魔。

 

 確かに未練がないでもないが、それ以上の成果が得られた以上もうとっくに振り切れたと思っていたが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何かあるな……」

 

 

 微かに乾いた唇を湿らせる。

 いつも夢を見ない主人公が突然見た夢。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 間違いなくフラグだろう。となると、確実にこの夢には何かある。

 

 ここまで分かりやすいフラグはそうはない。

 それが分からぬほど愚かではない。

 むしろフラグであれ。これでフラグじゃなかったら詐欺だ。

 

 

 

 

 暖炉に火が焚かれ、徐々に暖かい空気が部屋に満ち始める。

 

 

 それにしても、よりによってドッペルゲンガー……か。

 

 

 俺の仕事を手伝わせていたあの悪魔について思い出す。

 

 あれは一家に一匹必需品といえるくらい便利な奴だった。

 記憶に容姿、能力までコピーする驚異的な特殊能力。

 

 俺の実験によると、変身条件は他者の血を吸うこと。

 大抵の場合は他者を殺して入れ替わるのだろう。性格まではコピーされないようなので(コピーされていたらそれは本人と寸分たがわず"同体"だ)、本当に親しい人には変化が漏れる可能性があるが、記憶はあるからフリは出来るだろうし、多少変わったとしてもスキルレイの結果まで変化させる事ができるのだ。違和感なんてちっぽけな物は気のせいという事で誤魔化せる。

 

 

 冷静に考えてみるとかなりデンジャラスな奴だ。

 俺にはなんとなく見分けがつくので別に対して脅威に感じないが、見分けのつかない他の人間から見たら脅威だろう。

 初めに俺自身がドッペルゲンガーに襲われていなければ、あの水蓮口でシロに感じた違和感も気のせいだと思っていただろうし……

 

 

 よかったのはタイミング、か。

 運も実力のうちだ。それに疑いはない。

 

 

 しかし……あの夢は……

 フラグからして考えられるのは誰かがドッペルゲンガーに成り代わられているとか……ありえない。

 

 

「おはようございます。シーン様」

 

「…………」

 

 挨拶してきたシルクの顔をじっと見つめる。

 ただの人間だ。間違いない。三年前からの付き合いだ。もし違和感に気づかなかったとしても――性格が変わったらすぐに見分ける自信がある。

 

「私の顔に何かついていますか?」

 

「いや、人間だな」

 

 訝しげな顔をしているシルク。

 そもそもこいつがドッペルゲンガーに襲われたとしたら、俺にはそれが一瞬で知れるはずなのだ。

 そのためのシルクのチョーカー、これは俺直下の部下の印であると同時にもし万が一何か起こった場合俺に知らせる警報装置のような役割も持っている。

 

 大体、この屋敷の人間は全員俺がじきじきに鍛えたそこそこの実力者だ。

 文官であるシルクにしてもLVが423

 ドッペルゲンガーはLVこそ高かったが、そう攻撃型の悪魔ではなかった。LVに約200の差があるから勝つ事はできないだろうが、抵抗くらいはできるはず……

 アンジェロと戦闘員の中の数名はさしでやったらおそらくドッペルゲンガーをぎりぎり制圧できる程度の力はあるだろうし、KillingFieldやナリアなら負けることは考えられない。

 そこらの貴族共の家とは格が違う。

 

 

「負けないな……」

 

「何の話ですか?」

 

 知る必要はない。これは俺の問題だ。俺にしか解決できまい。俺用のフラグなのだから。

 シルクを無視して足を進める。

 

 

 

 

 

 

 飾られた幾枚もの絵画。

 灯された無数の明かり。

 暗黒の月に入っても消えることがない明かりの中、廊下を歩く。

 廊下のそこかしこに置かれた気色の悪い怪物の像。

 青銅で作られたソレは、俺自身が一体一体組み立て生み出した"ガーゴイル"と呼ばれる警備用のロボットである。

 いや、ロボットというよりも魔族の一種といった方がいいだろうか。

 ゴーレムよりも身軽で空を飛べ、固体としての力は遥かに劣るがゴーレムと違って非常に作りやすい。質より数で圧倒するという厄介な魔物。

 

 かつて魔王だったころの業を使うのは多少気が引けたが、ダールン公が雇っていたへたれな護衛兵よりはマシだ、背に腹は変えられないという事で数年前にこの屋敷の守護の為に生み出した。

 見た目は翼の生えた鬼みたいな格好、形はまちまちで初めに作ったものより後に作ったものの方が精巧にできているが力は大して変わらない。

 それがざっと三メートル間隔で廊下や部屋に並べられている。多分全部で五百体近くはいるだろう。

 ドッペルゲンガーを倒すほどの力はないが、自らが勝てる敵と勝てない敵を見分けるほどの知性は持っていないので、ドッペルゲンガーが現われた瞬間獲物に群がるジャッカルのように周囲のガーゴイルが全て襲い掛かる。それだけの騒ぎが起これば俺の目に入らぬわけがない。

 

 

 

 

 この屋敷に在る限り俺の目を欺けるとは思えん。

 たとえ何があっても――

 

 

 

 

 

 

 

 

「まてよ……しまったッ!!」

 

 

 そこまで考えた瞬間、何かが頭の中を奔った。

 

 

 どうして気づかなかったんだ!?

 

 

 

 玄関に向かって走る。

 途中で会った連中が奇異の目でこちらを見るが構いはしない。

 

 かつて水蓮口で考えた内容が脳裏に蘇る。

 俺は……馬鹿だ。

 

 

 

 

 『貴族の中にドッペルゲンガーが混じっていた、そして、数週間前には俺自身襲われたって事から、人間界で悪魔が不穏な動きをしているという事は予測できる』

 

 

 『たとえ他の貴族の家の者達が皆ドッペルゲンガーに取って代わられたって別に構いはしない。俺のものに手を出したら即効殺すけどな』

 

 

 

 遅い。襲われた後じゃ遅い。可能性があった時点で全て手元においておくべきだった。

 分かっていたではないか。ドッペルゲンガーが貴族に向かってその手を伸ばしている事を。

 

 所有物のほぼ全ての警報を取り付けている俺だが、それには例外がある。

 貴族だ。貴族の子には警報を取り付けていない。

 なんたって高貴な身分だ。チョーカーなんてつけたら価値が下がる。

 

 

 エントランスにたどり着く。

 鏡に映った俺は、真っ青な顔をしていた。

 

 暗黒の月。それは、それぞれの屋敷が一月密室となる時でもある。

 たとえ、成り代わったのがその家族だったとしても―― 一月あれば全員殺しつくせるだろう。

 いや、俺が悪魔だったら間違いなくこの格好の時を逃しはしない。間違いなく全員殺す――あるいは調教する。暗黒の月が明けると同時に魔界に帰れば、暗黒の月の間に貴族の一家が惨殺されるという奇怪な事件の出来上がりだ。

 

 ドッペルゲンガーを倒せる戦士は、人間界ではそう存在しない。

 密室という事は、外に助けを呼べないと同時に、外から敵が来る心配もない。

 

 自分でも分かっていた。

 ドッペルゲンガーが貴族の家に潜んでいるという根拠がそう強くないものであることを。

 名前忘れたけどあの金髪貴族がドッペルゲンガーだったのは偶然だと考えられない事もない。俺と奴が偶然ドッペルゲンガーに襲われた。

 

 

 

 何と甘い仮定であることか。

 

 

 扉を睨みつける。

 開けたらまず間違いなく暗黒の月の効果がエントランスを侵食するだろう。

 だが引くわけにはいかない。俺が俺である故に。

 全力を持って――

 

 外に出るための複数の魔術を思い描く。

 一瞬で点から点へと移動する転移の術は使えない。暗黒の月に転移は働かないのだ。

 闇を掻き分け外を歩く。おそらくソレだけがこの月の間に外を移動できる唯一の方法だろう。

 せめて様子だけでも見れればいいのだが、遠見の術も無効。

 

 光の衣の加護を三十回くらいかければ何とか耐えられるか?

 光は闇に強い。この外に満ちているのがただの闇なら――何とかなるかもしれない。

 

「どうしたんですか?」

 

 エントランスに駆け込んでくる複数の足音。

 投げかけられた声を無視する。

 何でもいい。何とか外に出なくては……

 時間がない。もしドッペルゲンガーが混じっていたらもう全員死んでいる可能性もある。

 だが少しでも生き残っている可能性があるなら――

 

 

 

 

 

「くっ、待ってろルナ!!」

 

 

 

 

 

 

 脳裏に浮かぶ薄水色のロングヘアーの少女。

 十年以上前から目をつけていた幼馴染の少女。

 

 よし、もう十分好感度上げたから今度はちょっと焦らそうか、とか思って数ヶ月の間放置しておいたツケが来たか!!

 ドッペルゲンガー対策をしていないのは彼女だけだ。

 

 

 

 身体全体がざわめくように振るえる。

 頭が重い。

 心の底からわきあがってくるような憤怒。

 居るかもしれないドッペルゲンガーへの憎しみ。

 常に統率している魔力が――血が熱く燃え上がる。

 

 仮に既に殺されていたとしたら――

 

 

 

 

「絶対皆殺しにしてくれる……俺の十年単位の努力を無にした者め。殺しつくしてやる。悪魔と名のつく存在全てを――殺しつくしてくれる……ありとあらゆる考えうる全ての手段を用いて確実に――」

 

 

 ここまで怒りを覚えたのは何年ぶりだろうか?

 ちょっと記憶にない。

 八つ当たり――もし死んでたら悪魔全体に八つ当たりしてくれる。

 逆恨みで構わない。全てを殺しつくさねば――この怒りは納まらぬ。

 

 頭が割れそうだ。

 確実に助ける。死んでたら仇を取る。

 命に賭けても――

 

 扉に手を賭ける。

 小声で詠唱。

 身体全体を包み込む光の衣の加護。

 暖かな光の加護は、外に広がる虚無の世界に対してあまりにも頼りなかった。

 

 

「シ、シーン様!? いきなりどうしたんですか!?」

 

「ルナを――ルナの所へ行って来る」

 

 

 国を跨いで屋敷までおよそ七百キロ。平時であれば転移により数瞬で着く屋敷。

 ここにきて現われる距離という名の壁。

 

 

「どうやって!?」

 

「走る。全力で」

 

「む、無理ですよ!!」

 

 

 いつの間に来たのか、アンジェロの声。

 それはお前が凡人だからだ。

 

「秒速七百キロで走れば一秒で着く」

 

「……時速二百五十二万キロってどれだけですか!! 走る速度じゃないですから!!」

 

 

 

 

 ……ちょっとだけ冷静になった。

 確かに少し骨が折れそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それに、私が言っているのは距離的な"無理"じゃないです。暗黒の月に外に出るのは無理って意味ですよッ!!」

 

 眼の前で佇む主人に叫ぶ。

 

 身支度を整え、部屋から出てすぐに出会ったシーン様の形相に私は一体何が起こったのかと思った。

 今までほとんど見た事ない青ざめた表情。挨拶をしても返すことなく、まるで風のように横を通り過ぎていった己の主に私は非常にいやな予感を覚えた。

 

 見る人が見れば、その表情を"死相"だというだろう。

 あれはシーン様に余裕がない印だ。以前見た事がある。

 一体どんな状況でなるのかと言うと―― 一言では言いづらい。

 

 シーン様が作った魔導具が原因である事故が起きて、シルクの右手が切断された時に真っ青になった。

 治療魔術を作った結果、ある子の身体に傷が残ってしまった時にもなった覚えがある。

 私がある不治の病にかかって倒れた時にも騒いだらしい。

 シルク曰く、自分が原因で"所有物"に致命的な損傷が現われた瞬間、シーン様は最も慌てるんだとか。

 

 他の二者はともかく、私の場合はシーン様のせいではないと思うのだが……

 

 

 

 シーン様が通り過ぎて数秒、事態を把握し慌ててシーン様の走っていった方に続いた。

 あれはまずい。あれは本気だ。何が原因なのかは知らないが、何かが起こったのは確実だろう。

 何がまずいって、あの状態になったシーン様は心配事が解決するまで自分を顧みず全力を出すのだ。

 シルクの場合は、全力でヒーリングを掛け、何故か血を吐き倒れた。

 私の場合は、世界中周って"ありとあらゆる病を治す薬"とやらを手に入れてきて……帰ってから三日間眠り続けた。

 全力に身体がついていかないらしい。

 

 それを知ってから……私達はあの状態になったシーン様を止めるべく奔走する事にしている。

 何かの拍子で死んでしまったら……凄く困る。私達はシーン様のブレーキ役でもあるのだ。

 

 今回やっと見つけたその時、やはりシーン様はぎりぎりの状態だった。

 

 暗黒の月に外に出てはいけないのは、どんな小さな子でも知っている事実。

 ところがシーン様はそれを反故にする寸前だったのだ。

 どんな馬鹿だ……いや、シーン様らしいというか……

 秒速七百キロ……およそマッハ20だ。仮に走ってその速度を出したとしたら……間違いなく身体がばらばらになる。

 

 そもそも、外に出た瞬間シーン様は消滅するだろう。

 

 シーン様が外に出る前にここにたどり着けた事を神様に感謝した。

 危なかった。

 

「俺ならいける!!」

 

「落ち着いてください。一体何があったんですか?」

 

 扉の前に立ちはだかり交渉を開始。

 いくら冷静さを失っていてもシーン様は私を傷つけたりしないから……前に立ちふさがればしばらく時間稼ぎができる。

 交渉が失敗したら壁を破ってでも外に出るだろうが。

 

 

 話の内容は部外者の立場から言わせてもらえればいまいち焦るにふさわしいとは思えぬ内容だった。

 ドッペルゲンガーとかいう悪魔の話は知っている。シーン様から注意を受けた。人間そっくりに化ける高レベルの悪魔らしい。

 『アンジェロなら勝てるかもな』と言っていたから覚えていた。

 だがしかし、それがルナさんが危ないと言う考えにいたるには些か早計過ぎるというか……

 

 まず第一に、貴族に成り代わっているとか言っていたけど、シーン様が見た貴族に成り代わっていた、もしくは成り代わろうとしていたドッペルゲンガーはたった二体だと言う事。聞いた話では、その貴族同士が行ったダンジョン探索でドッペルゲンガーが成り代わっていたのは六人のうちたった一人。それは逆に言えば五人が無事だったという事を意味している。そもそも600オーバーの悪魔がそう沢山居るわけがないのだ。そんなのがごろごろしていたらとっくに人類は敗北している。

 

 第二に、危ないと言っているが、もし仮に成り代わられていたとしたら、シーン様には悪いがもう既に死亡している可能性が高いと言う事。密室さえ出来てしまえば後は躊躇する必要はない。一人一人殺してしまえばいいのだ。少なくとも私がドッペルゲンガーの立場なら一日で全滅させる。見知った姿に化け、後ろを向いた瞬間にナイフでぐさっと……人間は脆い。たとえ相手が鍛え上げられた筋肉の鎧で包まれていたとしても――急所はいくらでも在る。いや、600オーバーの悪魔なら急所など狙う意味はないだろう。本性を現し真正面からぶつかるだけで十分。全ては血の海に沈む。

 

 そんな理論でシーン様を説得に掛かるが、どうにもなかなか上手くいかなかった。

 そもそも、私より遥かに頭が回るシーン様が私が述べた可能性に気づいていないわけがないのだ。

 その可能性を考えた上で、外に出てルナさんの屋敷に行こうとしている。正直説得できる気がしない。

 しかしそのまま『はいどうぞ』というわけにもいかない。

 そんな『かもしれない』で――いや、たとえ今現在ルナさんが本当に危なかったとしても……私にとってシーン様の方が大切なのだ。

 

 

「無理ですよ。絶対無理。駄目です、シーン様!! どうやって外を歩こうというのですか?」

 

「何とかしてみせるッ!! 大体まだルナには指一本触れてないんだ!!」

 

「自分の命と、昔から目をつけていただけの幼馴染のルナさん、どちらが大切ですか?」

 

 

 

 

 

 

「ルナに決まってるだろ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 即答。

 心中嘘偽りない答えがエントランスホールに響き渡る。

 

 ……見事な心意気だった。泣きたくなってくる。

 一体どうしてこんなにもシーン様は女の子を求めるのだろうか?

 もうずいぶんいるのに……以前ハーレムでも作るつもりか聞いたらそのつもりはないとか言ってた。

 これがハーレムじゃなかったらなんなんだ。側室?

 

 

「人にはやらねばならない時があるんだ!!」

 

「駄目です。駄目だって!!」

 

 

 扉に掛かりかけた手にすがりつく。

 身体を覆っている魔術の光が暖かかった。

 相当高位な防御魔術だが、はっきり分かる。これで外に出るのは無理だ。

 そもそも、この暗黒の月に外に出てはいけないというのはこの世界の"ルール"なのだ。加護でどうにかなる話ではない。

 

 

「悪魔め……もしルナに指一本触れてみろ。殺し尽くしてくれる」

 

 

 

 掛け値なしの殺気。

 殺すという"意志"に空気が振るえる。

 身体を包み込む圧迫感。

 たとえ縋り付き右手を塞いだ所で、シーン様は左手を使うだけ。

 分かっていたが、あまりにも無力だ。

 

 

「アンジェロ、どいてろ。暗黒の月が終わったら帰ってくるから」

 

「シ、シーン様。もし死んじゃったらどうするんですか!?」

 

「んー、その時は自由にしていいよ。どーせ俺が死んだらこの国は滅びる。俺の国だしな。国を出るなりなんなりするがいい」

 

 

 そういう意味じゃないんですが……

 シーン様は命に未練はないのだろうか?

 私の事ではなくシーン様自身の事を聞いているのに、シーン様が答えたのは死後の私達の事だった。

 多分シーン様が死んだら、おそらく私達のほとんどは壊れるだろう。

 たとえ歪んでいたとしても――それほどまでにシーン様の影響は濃い。

 そんな危うい関係が成り立っているのは、シーン様が死ぬわけがないと知っているから。

 少なくとも私が死ぬまでシーン様を殺させはしない。

 意志を固め、しかしそんなのは風の前の塵に等しいちっぽけな覚悟で、

 

 全力で進もうとするシーン様をもう押さえきれないと目を瞑った瞬間、ようやく援軍が届いた。

 

 

「シーン様、落ち着いてください」

 

 

 

 誰かが連絡したのであろうシルクの姿。

 急いできたのだろう、微かに息を切らしてはいるが、紛れもない文官トップの姿。

 シルクの交渉は私のそれよりはるかに秀逸だ。なんたってシーン様が直接それを教え込んだのだから。

 私の姿を見て一瞬呻いたシルク。よほど酷い状況なのだろうか?

 

 

「アンジェロ、遅れた。ごめん」

 

「いいから早く!!」

 

 

 さきほど行った状況説明を再び行う。

 シルクは時に頷き、相槌を取り話を進めていく。

 些かの焦りも見えない表情。

 凛々しいその受け答えの様子を見ていると、『ペンは剣よりも強し』との言葉が良く分かった。

 ただ専門が違うだけなのだろうが……私にはできない。

 

 シルクは全てを聞き終えると、微かに首を傾けシーン様に尋ねた。

 

 

「つまりは、そのドッペルゲンガーが居るのでルナ様が危ない、と」

 

 

 青ざめた表情のまま首を振るシーン様。

 その様子に、シルクは一度息をつくと、

 

 

 

「シーン様、忘れてないですか? クリアがいるでしょ、クリアが。シーン様が出向するよう命令されたと聞いていたのですが、あれは気のせいでしたか? いざという時、ルナ様の身を守るため、わざわざ命令を出したと存じておりましたが……」

 

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 

 シーン様の間の抜けた声が辺りを揺らした。

 

 

 

 

 

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