第二十二話:あるディストピアと私兵の話
剣戟が響く。
左右から同時に投擲された枯竹色の短剣。
甘い。
見極める。二つの刃の領域を。
引くのではなく踏み込む事でそれを回避。刃を空気を裂く不気味な音。だが、当たらなくては意味はない。
懐へ踏み込まれ、相手が慌てて一歩下がる。
遅い。後ろへ下がるより前へ出る方が速いのは当然の道理。
相手の両手が腰へ伸ばされ、同時に蹴りが放たれる。
明らかに苦し紛れの行動。
余裕でそれをかわした瞬間、その靴が脱げ、飛んできた。
「……おいおい……ただの靴?」
わけわかんねえ。
半身を捻ってそれをかわし、その回避行動によってできた死角に迫る攻勢を回避。
風の音で分かる。
三十センチほどの両刃の肉厚のナイフによる刺突は、俺の頬を逸れ、空を切った。
いくら俺が天才であろうと、人間である以上死角というものが存在する。
視界の及ばない範囲――人間の視覚の範囲は一般的に200度程度だといわれているが、大抵の場合死角が指す意味は背後と同等だと思えばいいだろう。また、俺にはどちらかというと左からの攻撃への迎撃に多少の遅れが生じるという癖がある。尤も、この相手にはわからない程度の遅れ微かな遅延だが……
隙ができると知ってさえいれば、それは既に隙ではない。むしろ、戦闘の中での強みの一つになるだろう。そこから攻撃が来る可能性が高くなるのだから。少なくとも俺は今までそう思ってきた。そしてそれを変えるつもりはない。
――あれだ。俺、魔術師だし、近接戦闘への対応なんてぶっちゃけどうだっていいのだ。魔術師は魔術師らしく、相対する者の刃が届かない場所から攻撃が一番。
変幻自在に煌くナイフに、灯が反射する。
刀身から柄まで黒で塗られた禍々しい外見のナイフ。
研削された刃は斬ってよし突いて良し、刀身にさる魔術がかけられており、まともに刺す事さえできれば相手の肉体をぐずぐずにできる。
対悪魔用大型ナイフ:シーン三式
俺が監修して生み出した、どんな馬鹿でも悪魔を殺せる五つの武器のうちの一つだ。
ちなみに、先に投擲されたスローイングナイフが対悪魔用ナイフ:シーン四式である。
どんな馬鹿でも悪魔を殺せるシリーズは、ナイフ・銃・長剣・暗器・ガスの五つのジャンルの武器で構成されており、それぞれの武器の中にもいくつか種類が存在する。
他領の貴族に、これって詐欺じゃね? みたいなぼったくり価格で飛ぶように売れるので、今ではプレミアがついているほどだ。馬鹿は天才に搾取される運命なのである。
馬鹿でも悪魔を殺せるシリーズは、当たったら例えそれが致命傷でなくても身体の機能を奪ってしまうほどデンジャラスだ。
当たったらまずい。だからこそ避ける。
相手は人間。おまけに女。俺に避けられぬほどの速度を出すことは不可能。
なんたって、俺にはまだグラングニエルだった頃の感覚が多少残っている。初めにKillingFieldに会った時に受けた不意打ち以外に見えなかった攻撃などない。
「しかし、面倒だな――」
相手の手腕はカスにしてはそこそこで、戦闘のセンスも悪くない。靴飛ばすのはどうかと思うけど。
普通の武器でも並悪魔くらいなら破壊できるだろう。
だからこそ、その攻撃を掠らせることなく掻い潜り制圧するのは非常に面倒くさかった。相手もそれがわかっていて、"俺を倒す"のではなく"隙を作らない"戦い方をしている。
五分…………しゃーない、魔術使うか。
「"這い出る奈落"」
「――ひゃっ!!」
突然足元から現われる黒い影にできる致命的なまでの隙。
俺はそれを見逃すことなく、その喉元に包丁を突きつけた。
「お前の負けだ」
「……はい」
首を動かすことなく頷き、エージェントAは両手に握ったナイフを捨てた。
第二十三話【あるディストピアと私兵の話】
シーン様の屋敷には、現在五十人ほどの人間と十六人のエルフがいます。
人間の内訳は男性が十五、女性が三十五で、エルフの内訳は全員女性。一人は、本来ここにくるはずではなかったらしいのですが、そのお姉さんがここに来るに当たってそれについてきてしまった子だそうです。
シーン様が集めた人員は、皆シーン様にとって必要な者だといいます。
男性十人は兵士。
シーン様が自ら連れてきた、この悪魔が蔓延る世界を逆手に取るため作り出した私軍の構成員。人数は少ないながら、シーン様が自らとことんまで苛め抜いた――失礼、訓練をつけただけあって、その実力は、教会が全ての悪魔を抹殺するために保有している教兵と呼ばれる人間界最高の戦力と張り合えるほどのものがあるそうです。とある国では、シーン様の所で訓練を受けた兵は優遇されて取り立てられるとか……
弱点があるとすれば、それは彼等が極度の男色だと言う事だけ……男色だからこそ、シーン様が選ばれたのかもしれませんが……
シーン様は、たとえ顔がどんなに良くても使えぬ者はいらないと仰ります。
それ故、屋敷にいる者達にはそれぞれに仕事が与えられます。
私兵として男性十人、女性十人。
事務官として男性五人、女性二十人。
屋敷の管理に女性五人
エルフの方々の仕事はそれらの手伝いという事に。
使えないものはいらないとか言う癖に、シーン様が人を選ぶ基準は顔や性格、もしくはノリです。
特に、奴隷に恩を売って好き勝手――色々な意味で好き勝手するのが好きなので、奴隷を買ってくる事も多々あります。
連れて来る方々の全てがすぐに使えるわけがありません。むしろ何の取柄もない人間の方がほとんどで――
あの、幼い頃から天才として知られていたシルクでさえ、ここにつれてこられた後すぐは何もできなかったらしいです。シーン様が直接叩き込んだとか言ってました。
それと同様。
シーン様がただのアンジェロ・エイシェントだった私に叩き込んだのは"戦うための術"でした。
いくらシーン様が天才であったとしても、一人で物事を成すのには限界がある。
シーン様が求めているのは、理想のため働ける――自分を満足させることができる手足なのでしょう。
「動きは悪くない。だが、一つの物事に集中しすぎているな。戦闘開始五分後から魔術を使うと言った筈だ」
シーン様の瞳は、酷く暗い。
五分。
久しぶりにシーン様につけていただいた訓練。
今回の私に課せられた試練は、十分の間敗北しない事でした。
五分もっただけでも私にとっては行幸。しかし、シーン様にとって、目標を達成しない限りそれはただの愚かな失敗に過ぎないのでしょう。
武装の差。
戦闘体制の差。
私が通常の任務で装備している対悪魔用の兵器を複数使っているのに対し、シーン様の装備はただの包丁一本です。
そして、シーン様の戦い方は本来近接戦闘ではなく、魔術でロングレンジから攻撃を仕掛けること。
にも関わらず、初めの魔術を使わないといった五分の間私の攻撃を全てかわし(ただの包丁でシーン様監修の武器と打ち合うのは不可能です)一瞬で術を使用し気がそれた僅かな瞬間に包丁を突きつける。
私の動きはシーン様からの教えを元に、独学で様々な流派の武術の動きを混ぜた独自のものです。
よもや完全にかわされるとは――
「速いですね……」
「違うな――お前が遅いんだ」
こともなげに言い捨てるシーン様。
自称魔術師でありながら、近接戦闘で受けるより遥かに困難である"完全な"回避を行うほどの身体能力。
無駄にハイスペックな身体能力に戦闘センス。
シーン様が何故魔術師になろうとしたのか、疑問に思い聞いた事があります。
『殺すのが楽』だからだそうです。
より簡単に、より楽しく、より楽に自らに害する勢力を制圧する。
そんな騎士はもとより傭兵にとってさえ異端といえる考えを基礎としているそうで――
「十分間身を守れといったはずだ。今のお前に体術はまだしも魔術を出されたら耐えられるほどの力はない」
「はい。……質問です。私はどうすべきだったんでしょうか?」
シーン様は、その顔をにやりと邪まな笑みを浮かべて言いました。
「五分持たせる自信があるなら、五分ぎりぎりまで耐えてから逃走。避けるのではなく、全力で走ってこの場から逃げるべきだった。五分持たせる自信がないのならば、初めから逃げ回るべきだったな」
「はい……質問です。それでは訓練にならないのでは?」
「これは訓練というよりどちらかと言うとテストだ。お前みたいな才能のない奴は、いくら努力したって限界がある。だからこそ――自分より力量のある相手と出会った時の心構えだけはしておいて貰わなくてはな」
尤もといえば尤もな意見。
勝てないなら逃げろ。
力量の差が明らかなら、逃げるという事を視野に入れるのもまた重要な事です。
特に、全て避けるというのは明らかに彼我に相当な差があるという証拠。
……正直へこみます。
まるで、魔法のようでした。全てを掻い潜られるとは……
「気を落とすなよ。俺は天才でエージェントAは凡才。俺と比べようとする事自体が間違えてる。それでも、以前と比べたら力は上がってる方だ。後は経験の差のみ。死ななければ経験は勝手に積み上がってくるから、俺が教えるべきことは死なない方法だけ――」
包丁の刃を指で撫でながら言い切るシーン様。
毎回、シーン様が私や他の者に任務を言い渡す際、一番しつこく命令する事は何があっても死なない事です。
優先度は、第一に命、その下に任務の成否。
どんなにシーン様の計画に大きく関係する任務でも、命よりその成否が上に来ることはありません。不思議な事に男性も含めて。
果たしてシーン様の心中は如何なものなのか――
包丁を終い、大きく伸びをすると、シーン様はこちらを向いて表情を引き締め、終了の合図を出しました。
「さて、これにてエージェントAの訓練を終了とする。以後、最低でも自らの命だけでも守りきれるよう精進するように」
灯を背に背負うシーン様の顔。
たとえ目を瞑ったとしても感じられるであろう巨大な気配。
シーン様は、真面目にさえしていればこの上なく凛々しく見えます。
どんなに男嫌いの人間でもこれを見たら気が変わってしまうだろうと思えるくらい――
しかし……これは……
「……すみません、これを外していただけませんか?」
身体中に巻きついた黒い物体。
シーン様が術で呼び出したであろうそれは、私の身動きを奪い、床に張り付かせたまま離れる気配はありません。
質量もなく、感触も薄い。しかし、確かに存在する黒の触手。幸いな事に、今は静止したままぴくりとも動いていないし、初めて見たわけでもないので幾分マシですが、初見の人にこれが動く光景は悪夢のように感じられるでしょう。
シーン様がしゃがみこみ、視線を合わせます。
鋭い視線。
「無様な結果をどう釈明する?」
「……はい」
釈明も何もありません。
シーン様の真面目な表情に騙されてはならない。それは、数年の間ここで過ごした私が学び取った事のうちの一つです。
真面目な顔をしている時に、真面目な事を考えているなら――この国はもっと豊かになっていたはずです。
なんたってシーン様はいつも大体真面目そうな顔をしているので。
「ふむ……」
シーン様の相好が崩れる。
さっきとは打って変わった暖かい笑み。
それに引き込まれそうになるのを、何とか耐えます。
「な、何ですか?」
「いや、別に……」
シーン様……別にとか言いながら手が――
片手が伸び、闇を掻い潜って衣類のボタンに伸びる。
「シーン様、何をなさっているのですか?」
「ボタンを外してる以外に何か見えるのか?」
私が言いたい事はそういう事ではなく――
自然高まる鼓動。
最近思います。
シーン様が沢山の人間を集めたのは、手足がほしいわけじゃないんじゃないかと。
初めて会った時、『お前にしかできない事があるから来てもらった』とか言ってたけど、それって――
なんたって、つれてきて初めての夜に、服を脱げなどと命令するお方ですし。
男を集めた理由はカモフラージュかも――いや、ばれて気にするような方じゃありませんね。
当時は、私の怪我を治してくれるために呼んだのだろうと考えようと悩んでいましたが、もう諦めました。
「まだ、昼間ですよ?」
「そんなの関係ないし」
「汗が――」
「大丈夫、気にしないから」
私が……私が気にするんですが……
「そ、あ……次、次の訓練が待っているのでは?」
今日はシーン様が作り上げた兵達全員への訓練の日です。
私は隊長だから、我々の基準を知る事も兼ねて一番最初。
後が二十九人つかえているはず……
シーン様は、私の言葉を聞き一度首をかしげるような動作をします。
「確かにそうだったな……よし、男は明日にしよう。他の九人一度に終わらせてパーティだ」
思考が一瞬で凍る。
「……それって、十人同時って事ですか?」
「余裕だな。うん、限界を追求するか。天才の限界……どこまでいけるか、か」
遠い目をする色々間違えているシーン様。
一歩間違えても間違えなくても……ブレーキが足りないような気がするのは気のせいでしょうか?
「身体を洗って待ってろ、アンジェロ。多分一時間半くらいで全員の訓練が終わるからな」
私は頷くことしかできませんでした。
無様な結果とかそういうの絶対関係ないでしょう、シーン様?
黙って付いて行けばよかった……
初めてではないですが……沢山っていうのは気分が……
無駄に格好良く佇むシーン様に、私はため息をつきました。
「ため息をつくな。まったく、アンジェロは駄目だな」
「…………」
誰のせいですか?
今年の後始末のため、更新が不定期になります。
もうちょいたったら安定するはずです(*ノ∀`)ペチンッ
少なくとも二日以上は空けない予定……