第十九・五話:災厄と賢帝たる俺
あんたならどうする?
十年以上会う機会のなかった妹が、いきなり家に押しかけてきていきなりこんな事を言ったら。
「レアの身体がお兄様を求めているの――」
その言葉には色々な取り方があるかもしれない。
老若男女、聞くものによって考えられる点が多々あるだろう。
だが俺に言わせればその台詞から読み取れるのはピーしようという事くらいしか――
残念ながら俺は近親相姦はあまり好きじゃない。
生物学的には、親類を"情欲"という形においてあまり好きにならないのは遺伝子に似通った部分があるからで、生物はなるべく遺伝子の型の違う者を欲する傾向があるとかないとか。
まぁ、そんなのどうでもいいか。
要するに、俺にはヘドロともコールタールともいえない粘性の闇を大量に従えた妹を愛でる趣味はないという事だ。
義妹以外の妹はいらん。全国の実妹ファンの皆様には悪いが……
ヘドロが蠢く。
アンリに似た生物が近寄ってくる。多分アンリではない。いや、アンリだったら非常に困る。
傍らで頭を押さえる親父様に尋ねる。
「おい、あれは一体なんだ? 親父様。何か非常にアブノーマルな事言ってるけど……」
親父様は、すんごい良い笑顔で俺を見上げた。
「シーン君の妹に決まってるじゃないか」
…………
てめえは本当にそれでいいのか!!
第十九・五話【災厄と賢帝たる俺】
「お兄様ッ!!」
感極まったようなその妹の声と共に伸びてくる数十本の触手を余裕を持って避ける。
幸いな事に、量は多いものの触手のスピードは速くはない。
たとえ目を瞑ったところで、この闇に俺を捕まえる事はできないだろう。
そんな俺の様子を見て悲しそうに目を伏せるレア。
アレか? 今のって、感動の対面を果たした兄妹がお互いに抱き合う場面とかそんなのか?
悲哀に満ちたその表情と、レアを中心にうにょうにょ蠢く闇の領域のミスマッチさが色々とやばい。
久しぶりにあった妹は、いつの間にか反抗期に入ってるらしく、兄に対してデンジャラスな感情を持っているようだった。
「何故逃げるのですか? お兄様」
「もうあれだ、現実から逃げたくなってきた。ていうか、お前が追いかけなかったら逃げないから」
「それは無理です!! レアの身体がお兄様を求めているのですから!!」
笑顔。
天井まで染み渡った闇と床を流れる闇、レアの身体を覆う黒い闇から突出する数千の触手。
その光景はただひたすら気持ち悪く、もはや冷静に話し合おうとかそういうLVを超えているという事を俺に深く知らしめる。
飛び掛ってくる触手をかわす。
正直、触りたくない。
触手は俺を捕らえそこない、その代わりに椅子に絡みついた。
ずぶずぶ闇に沈んでいく椅子。
消滅と異空間の形成が闇の最たるものである。
沈んでいく椅子に同情を禁じえない。
はぁ……気に入ってたのに……
「お兄様、お願いです、逃げないで下さい!! すぐに終わりますから!!」
「一応聞いておいてやる。何がすぐに終わるんだ?」
レアの手の中で、泥が蠢き、細長い剣のようなものを形作る。
身体が求めているの意味がわけわからなくなってきた。
何で剣が必要なの?
剣の切っ先がこちらに向けられる。
油断してはならない。
あれは闇だ。剣の形はフェイク。リーチなどあってなきが如き。
突然伸び迫る刀身。
素人のやる事など高が知れている。
俺は、それを華麗に避け、ホーミングして迫るその辺にあったモノを盾にして防いだ。
即ち、うどの大木との言葉が最もよく似合うダールン公を盾に。
しかしこいつのどこが病弱なんだよ。めちゃくちゃ元気いっぱいじゃねえか。こいつから比べたら俺の方が病弱だよ。
「お父様をそんな風にするなんて――お兄様素敵……」
うっとりするように呟くレア。
しつけは一体どうなってるんだ?
急速に闇に侵食され始めたダールンを捨てる。
身体の半身を黒に染めた哀れな木偶の坊。
半笑いをしながら闇に沈むそれが半端に笑える。
しかし、これはひどいな。
今回の俺の勝利条件って何だ?
レアの目的は俺の身体?
もしそうだとしたら、レアは、闇で辺りを支配しながら徐々に部屋の角に俺を追い詰めるだけでいい。
部屋の半分は既に闇に覆われ、出ることは適わない。
「お前の目的は何だ?」
もう一度問う。
辺りに汚泥に似た闇を撒き散らす愛しの妹君に。
汚泥とは違い匂いがないのが不幸中の幸いという奴だろうか。
妹は、俺の問いに青白い微笑みで答えた。
震える細い声。
濃い闇の中で、色を持っているのはその見事な金髪のみ。
正直、幻想的な美しさというより先に怖気が奔る。
綺麗じゃないって事はないのだが……
「お兄様、さっきも言ったでしょう。レアの身体が捜し求めているのです。欲しているのです、お兄様を。お兄様の魂を、レアの体が――頭の中で声がするのです。レアは、本当は、この肉体の本来の持ち主じゃないと。神様が間違えたんです、きっと。本当はお兄様がこの身体を持って生まれるはずだったのに、何かの手違いで逆に生まれてしまった。でも大丈夫。レアが何とかするから。お兄様は安心して全てをレアに委ねてください」
その言葉と同時に、巻き起こる闇の津波。
全てを飲み込まんとする奔流。
レアの周りの闇が一気に弾け、襲いくる力。
なるほど、これは確かに避けられん。
それにしても……
レアの言ったことを反芻する。
なるほど、一見ありえない事のように思えるが、それなりに筋は通っている。
グラングニエル族という表記が出た妹と、記憶を残したまま人間に転生した俺。
腹の中でソフィアを蝕んでいた瘴気は俺のものではなくこいつのものだったってわけだ。
確かに、少しおかしいとは思っていた。いくら闇属性とは言え、ただの人間の赤ん坊が腹の中で瘴気を発するなど聞いた事なかったし。
しかし、あれだな。
「お前の言う事が正しいとしたら、本当は転生しても俺の身体はグラングニエルのままのはずだったって事か。伝説って当てにならないんだな」
確かに、読み漁った書物には転生した後の身体は別物になると書いてあったのに……
差し迫った闇にため息。
迸る飛沫の隙間から見える、妹の不思議そうな顔。
落ち着いている俺が不思議か?
簡単な事だ。
「お前さー、その髪、金属性だろ? 何で闇操ってんだよ」
「え……!?」
レアの呆けた声。
これだから人間は……
念じる。
全ての闇を我が前に。
全ての力を我が下に。
俺の台詞と同時に、辺りの全ての闇がその場で静止した。
まるで荒れ狂う海原のその一瞬をフィルムに写したかのように、あまりに躍動感溢れる"瞬間"の停止。
奇跡のような光景に言葉を失うレアの表情が酷く滑稽に見える。
眼の前で静止した闇を触る。
冷たいような暖かいような奇妙な感触。思ったとおり、その闇は酷く曖昧だ。
レアが闇を制御仕切れていない事は分かっていた。
完全に制御できていたら、表皮に闇が浮き出るわけがない。
身体中を巡るグラングニエルの血液。闇を引き寄せる魔法の血。
魂が人間のレアでは全てを制御できなかったと言う事だろう。
そして、制御を半ば失っている闇を操ることなど天才たる俺には造作もなかった。
大体、金属性のレアより闇属性の俺の方が闇の操作に長けていて当然。
ただそれだけの事。
この結果は必然。
何百回今と同じ状態になろうが、その結果は変わらないだろう。
所詮は偽者。道化の妹。肉体だけのグラングニエル。
今にも辺りを覆いそうな闇のうねり。けれど、もう二度と動くことはないその闇に憐憫を。
天才にしてセンス溢れる詩人。
今日も俺は絶好調のようだ。
「今にも落ちてきそうな空の下、か。おい、レアとやら。お前にその肉体をやる。俺にはいらん。今ので満足してるし、どうやら女みたいだし。危なかった……神様が間違えてなかったら俺女に転生してたのか」
その発想はなかったわ。
間違いなく男に転生するものとばかり思ってた。
結果オーライだが、詰めを誤っていたな。次からは気をつけよう。
俺の決定に、レアはその場で崩れ落ちるように座り込んだ。
うつむくその下から聞こえる微かな嗚咽。
鳴いているのか? 鳴かぬなら鳴かしてみせよ、ホトトギス。
尋ねる。
「何故に鳴く?」
「レアは、いらない、です。この身体、怖いです。夜寝てると、真っ黒な物が近づいてきて――」
「それはなつかれてるんだ。餌やって仕込めば良いじゃん」
何でそれが鳴かなきゃならないのかわけわからん。
しかし、懐かしいな。魔に好かれるグラングニエルの特性。
闇の中には意志を持つ者もいて、たまにそういう事もある。
確かに初めは驚くかもしれないが、慣れれば闇に芸を仕込むのも楽しいもんだ。
もっとも、お前にはその機会は永久に来ないがな。
未だ聞こえる呻きにも似た泣き声。
数秒で聞き飽きた、何を考えているのか分からない少女の嘆き。
鳴けばいいと思っているならそれは大きな間違いだ。
このまま何のお咎めなしで終わろうなど虫が良すぎだし、兄としてお灸を据えてやらねば気がすまん。
停止していた闇が空気中に溶け消える。
闇の制御とは、操ることだけではなく消す事と生み出す事すら含み、それこそが闇魔術と呼ばれる魔術の根幹。
汚泥に似た闇が消え去った後に残るのはいつもどおりの日常か。
床に気絶しているダールンと椅子。
どうやら闇に飲み込まれても、レアの闇じゃ消滅とまではいかなかったようだ。
クソッ、ダールンと椅子がどっちも消滅してくれたら差し引きプラスだったのに――
「ン――え? や、闇が――」
「レア、まさかこれだけ俺を巻き込んでおいてただで済むと思ってるんじゃないよね?」
闇がなくなってみれば、そこにいたのはただ一人のか弱い少女。
こういう、力を持った存在が力を失った姿が俺は大好きだ。
自信を持っていたモノを失い打ちひしがれる姿。
くっくっく――
「お前に本当の魔術を教えてやろう――」
俺の言葉に微かに震えるレア。
小声で口ずさむ。
十三小節にも及ぶ詠唱をほんの二秒足らずで完了させる。
確かに、グラングニエルの身体ならば素で闇自体を操ることは可能だ。
だが、それは所詮ただの遊びのようなものに過ぎない。
本当に闇を従える術を求めるならば、魔法の門を叩き崇めよ。
それこそが魔術の魔たるに相応しい。
闇を崇めよ。
光を奉じよ。
それらは他の魔術と違い、その個人の資質のみで成り立つ紛れもない生物の力であるが故に。
「"蓬落の城"」
第二位神聖魔術"蓬落の城"
微かに床が震える。
発生した圧倒的な光が視界を埋め尽くす。
「俺を殺そうとした罪は何よりも重い」
あまりの眩しさに、涙が出た。
久しぶりに使ったからすっかり忘れてたわ。この術、めっちゃ光が出るんだった。
微かに瞼を開ける。
レアの視界が戻ったとき、俺が目を硬く瞑ってたら格好悪いから。
しかしどうやら、その考えは杞憂だったようだ。
凄まじい量の光の中、微かに見えた影もまたうつむき目を硬く瞑っているようだったから。
光が急速に収束する。
"蓬落の城"が形作るは、業深き者を捕らえる光の柱。
視界が完全に回復した俺の目の前に移ったのは、幾重にも張り巡らされた檻に閉じ込められているレアの姿。
「な、何……? コレ」
金色に輝く光の格子。
闇を捕らえるため神が生み出したといわれる最高位の神聖魔術。
外から中には入れるが、中から外には出られないという一方通行の結界を生み出すための術。
だが、おそらく今レアが求めているのはそんな説明ではないだろう。
床に座り込んで目をしばたたかせているレアの眼の前にしゃがみこむ。
「俺の眼の前に現われた時点でお前は大罪人。よって、俺は正当な権利によってお前を拘束させてもらった」
聞いているのか聞いていないのか。ぼんやりしているレアの顔に微かに残る黒い線。
あらかた光に吹き飛ばされたようだが、まだ少し残っているか。
まぁ後一週間も蓬落の城にいればその身から完全に闇は消え去るだろ。もともと闇を閉じ込め力を奪うための術だし。
そして――
「だが、しかし、肉親として義妹をこのままにしておくのも可哀想だ。よって、お前の目的は適えてやる」
グラングニエルの肉体って事は、レアと俺は全然血のつながりがないという事を指す。
よって妹じゃなくて義妹。
いやあ、よかったよかった。さすがに実妹に手をだすのはあれだし、かといって可愛い妹がわざわざ尋ねてきてくれたのにそのまま帰すのも損だ。
だが、義妹なら話は別。
皆幸せになれる。
大丈夫、これは忌避されるべき事ではない。
多くはないけどあるじゃん。小説とかゲームとかでも。だから大丈夫。
「レアの闇が完全に消え去ったら、お前の望みどおり、お前の身体を貰ってやろう」
それまではせいぜい、そこでじっとしていていただこうか……
急激に自らに宿す闇を抜かれ、ショックによるものかぼんやりとした表情をしているレア。
それを横目に、新たにできた義妹に心の中で乾杯した。
一話書くのに費やす時間はおよそ二時間ほどです(´▽ `)
時間ない……
次でやっと二十話です。
PV200000突破。
いつも見て下さっているかた、ありがとうございますm(_ _)m
ここ三回続いたあれですが……(笑)
ちなみに、作者ページにある説明↓
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