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黒紫色の理想  作者: 槻影
26/66

第十七・九〇話:ある美食家と可哀想な私の話


 

 

「シーン様はお優しい方です――」

 

 脳裏によみがえる、アンジェロという方の声。

 私と同じ闇属性でありながら、陰のない表情をしていた彼女に私は興味を持った。

 

「あの方は……そ、そう。今の現状に憂いているのです」

 

 罰の悪そうな表情をするアンジェロさん。

 津々浦々と述べられる綺麗事。他の人間が言っていたら信じられないであろうそれも、私と同じアンジェロさんが言う事なら信じられるような気がした。

 闇の迫害は、世間一般で知られているより酷い。

 命を絶とうと思ったことも一度や二度じゃない。

 だからこそ、"同類"に対する共感――気の緩みは、普通の種族よりも大きかったのかもしれない。

 少なくとも、嘘はついていないと思った。人の目を見れば大体その人が何を考えているのかわかる。嘘はついていないけど、肝心な事を言っていないような……そんな表情。

 ちょっと嫌な予感がしたけど、ついて行こう。

 そう思った。

 

 

 悪くならない。

 少なくとも今より悪い事態なんて――思いつかなかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな事を考えていた時期が私にもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仄かに灯るランプ。

 外は吹雪いていたが、その部屋は冬とは思えないほど暖かかった。

 

 しかし、そんな事とは関係なく腕はかたかた震える。

 

 他人が怖かった。

 私は今まで権力者というものに会った事がない。

 今まで会った事がある一番の権力者は、お父様だろう。

 

 果たして、親というものは実の娘に恐怖の混じった視線を投げかけるものなのだろうか?

 

 聞いた話では、この世界で悪事を犯した人間は地獄に落とされ、異形の存在に永遠の責め苦を負わされるらしい。この世での業の報いだそうだ。

 私は……多分何も悪い事はしていないけど――

 

 

 異形の存在――それは、同じ人間からそれを受けるよりそれはいくらか楽な事だろう。

 

 

 

 突然領主のシーン様という方に呼び出しを受けたのは、屋敷につれてこられたその日の夜の事だった。

 

 

「あ、あの……――ッ!?」

 

 

 

 部屋に入ってまず第一に眼に入ってきたのは、椅子に腰掛けて眼を瞑る私と同じくらいの年の一人の男の子の姿。

 

 それを見て、一瞬確かに私の時間は止まった。

 

 今まで訪れてきたいろいろな国でこのルートクレイシアに来れば最低限の生活を保障されると聞いてきた。

 

 ルートクレイシア公国。

 まだ十代の少年がトップに立ち統率している、自ら公に叫んで止まぬ独裁国家。

 闇属性を持つ者が頂点に立つ唯一の国。

 

 

 自分のものとも思えない声が、微かに喉から漏れているのが聞こえる。

 さっき外で一度会った時は暗くてよく顔が見えなかったが、それはそれで幸運だったのかもしれない。

 分かる。

 私は今まで、自分より鮮やかな黒髪を見た事がない。

 それでも、彼の髪は――

 

 

 理屈なく理解する。彼が遥か遠き国、私の祖国にまでその名が轟く天才だと。

 

 

 おそらく、私を悪魔だと罵った人たちは、この人を見たらその認識を変えざるを得ないだろう。

 私の髪の黒が闇だとしたら、この人の髪の色は一体何なのだろうか?

 

 まるで、辺りの光を全て奪い奪取し塗り潰すかのような漆黒の髪。それと対比すれば私の闇など色褪せる。

 

 今まで身じろぎ一つせず、まるで眠っているようにすら見えたその男の子の瞼がゆっくり開く。

 髪と同色の瞳……いや、微かに紫色が混じる――黒紫色の虹彩。

 

 昔から私は恐怖の対象だった。

 黒の髪は悪魔の化身だと。

 許すことはできないが、今なら私を恐れたあの人々の気持ちがわかる。

 

 もちろん、黒色の髪を持つ者が悪魔の化身ではない事を知ってはいるけれど――

 

 心の底からわき上がるような恐怖。

 ただそこにいるだけで感じる圧倒的な存在感。

 私が悪魔だとしたら、彼はさしずめ魔王という所か。

 

 悪魔に恐怖を抱かせるほどの"闇"を持った少年。

 張り詰める空気。

 

 抵抗するなど、考えることすらできない。

 

 

 

 ……抵抗? 何故?

 この人はただ私の目の前にいるだけなのに……私には指一本触れていないのに。

 

 

『存在自体が恐怖の対象』

 

 

 どこかの本で読んだその言葉が脳裏を過ぎる。

 

 そして、その"恐怖の対象"は私の目の前でゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、取り敢えず服を脱いでもらおうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十七・九〇話【ある美食家と可哀想な私の話】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『服を脱いでもらおうか』

 

 

 

 

 

 初め、何を言われているのか私は分からなかった。

 

 言っている意味が分かったのは、数秒後。

 初めて見る自分以上の闇に混乱を極めていた頭が、やっとその台詞の意味を理解する。

 服を脱ぐ。

 脱衣。

 来ている衣装を脱ぎ捨てること。

 

 

 

「……ふ、ふく?」

 

 

 まさかこの人は本当に悪魔で、人間を――それも、闇属性を持つ人間を好んでむしゃむしゃ食べてしまうとか?

 頭がくらくらする。

 悪魔――

 

 私は悪魔じゃない。それは自分が一番知っている。

 それは、子供が柳の風に揺れる様を霊と見るような――そんな馬鹿げた考えだ。

 

 でもそれでも、皆が言うように私が悪魔に近い存在なのだとしたら、

 私自身から見ても、私以上の闇を纏ったこの人が悪魔だったとしても何もおかしいことはないかもしれない。

 

 自然と下に下がっていた視線を無理やり上に上げ、おそるおそるその姿を見る。

 机に頬杖をついて、こちらを見ている人型を。

 

 

 人の死肉を喰らう人類の絶対敵対者。

 

 今踏んでいる地面よりも下

 遥か奈落から這い上がる

 人間よりもずっと強靭で邪悪で

 神と相反する闇の眷属。

 

 

 その姿は、聞き及んでいたものとは違い、まるで名の知れた彫刻家が造る像のように美しい。

 心臓が苦しい。喉から聞こえるひゅーひゅーという音。

 

 瞬きせずに、静止したままこちらに向けられる視線。

 怒鳴られたり、暴力を奮われたりするより、遥かに恐怖を覚える"沈黙"という存在を私は知った。

 

 突然動いて私を殴る、蹴る、爪を剥ぐ、髪を引っ張り街中を引きずり回す――ナイフを心臓に突き立てるかもしれない。

 それでも、たとえ死んでしまったとしても、この人に黙ったまま視線を向けられるより安堵できるだろう。

 

 恐怖に喰われそうになる心を燃やし、全力を傾け口を開く。

 

「ふ、ふく、ふくを脱……ぐ?」

 

 もしここで返って来たのが沈黙だったら、私は完全に壊れていただろう。

 幸いな事に、その領主様は私を観察するのに飽きたらしい。

 思ったより軽い口調が返って来た。

 

 

 

 

 

 

「うむ。もちろん下着もな。指輪やネックレス、イヤリングなどの貴金属も外せ。寒くはないだろ?」

 

 

 

 

 

 

 思ったよりも人間に酷似した声色に、心臓の鼓動が緩む。

 麻痺しかけていた頭も、徐々に正常な状態に戻っていく。

 動悸を抑え、その真意を測るべく私は全ての勇気を振り絞った。

 

 

「わ、私、私を――た、食べるの、ですか?」

 

「当然だ。裸にしてやることなどそれくらいしかないだろ」

 

「――ッ!! あ、わ、私は、や、いやです。たべ、食べないで――」

 

「無理。久しぶりに見つけたんだ。我慢などできるものか」

 

 

 

 それで確信した。こいつは間違いなく悪魔だと。

 

 

 どうして、私はこんなに不運なのだろう。

 この悪魔が私を保護したのはどうやら食事をするためで、それを辞めるつもりはなくて、さらに獲物である私にそれを知られてもなんとも思っていない。むしろ、相手を怖がらせるかのようにそれを通告してくる。

 

 本物の悪魔と、ただ髪の色が黒いだけの人間。

 勝敗は競うまでもなく明らか。

 悪魔は人に近い形をしていればいるほど力が強いといわれている。この悪魔は相当な力を持っているんだろう。獲物がたとえ何をしようが――自分から逃げることはできないと確信を持っているほどに。

 

 何とかこの場を切り抜けようという考えと、このままこの悪魔に身を委ねてしまおうという考え。

 

 どうやらアンジェロさんは私を裏切ったみたいだ。

 その事実が精神を蝕む。

 とっくに捨てたと思っていた、人を信頼する心。

 どうやら私にもまだ残っていたみたいで――

 

 そんな事を考えていると、

 

「安心するがいい。お前が大人しくする限りお前の連れの命は保障しよう」

 

 その悪魔は、にやりと哂った。まるで恐怖し震える私を嘲笑うかのように。

 

 一人の人間の姿が脳裏に浮かぶ。

 ミラ。

 あちこちを共に渡り歩いた人。

 友人ではなかった。親類でもない。

 親切にしてくれた人でもなかった、夜が訪れるたびに顔を恐怖に歪め、私に暴力を奮ったことすらあった。

 

 それでも――お父様に命令されて嫌々とはいえ、私を連れて行ってくれた人。

 

 決して好きではなかった。

 彼女が旅の途中で亡くなったとして、私は涙を流す事ができたかどうか自信がない。その程度の関係。

 

「ミラ――の、いの、ち?」

 

「ああ、そうだ」

 

 鬼の首を取ったかのように宣告する悪魔。

 それが私の弱点だと思っているのだろう。それは間違いだ。

 しかし――

 

 

 

 

「た、助けて、くれるんですか?」

 

 

 

 

 お世辞にも幸福とは言えなかったこの人生。

 最後にたった一人の命でも救えるのなら、私の人生には意味があったという事にならないだろうか?

 

 分かっている。これが諦めるための言い訳だと言う事が。

 死にたい人なんているわけない。

 それでも、そうでも思わなければ自分が救われないような気がして――

 

 こちらをじーっと見つめる二つの黒の瞳。

 恐怖を抑えきれず震える手。

 それでも、これほどの状況でもまだ動ける自分に、どこか感心している自分がいた。

 

 震える手を服の裾にかける。

 

 大丈夫、いける。

 

 

 布がするりと肌に擦れる感触。

 

 そういえば、この悪魔はどうやって人間を食べるんだろう……口が裂ける、とか?

 

 手が止まりそうになるたびに、そんなどうでもいいことを考えた。

 本当にどうでもいい。

 欲を言うならば、痛みがなかったらいいけど――それはどうしようもない事だ。

 

 口が自然と言葉を紡ぐ。

 

 

「い、痛いんです、か?」

 

「ん? そりゃ一回目は痛いだろうな」

 

 一回目……?

 

「一回目……? と、と言う事は、何回も?」

 

「当然だ」

 

 

 恐ろしい。この悪魔は何回もに分けて私を食べるらしい。

 くじけそうになる心。

 

 ばらばらに……ばらばらにされるのか?

 

 脳裏に浮かぶ、自分のばらばら死体。

 それをおいしそうにフォークとナイフで切り取り口に運ぶ悪魔。

 吐き気を催す同種食いの様子。

 基本生物は一部を除いて種内捕食を嫌う傾向にあるらしい。

 だからこそ、その行動にこれほどの嫌悪を抱くのか。

 たとえ実体が悪魔であれ、この眼の前のモノの外見は人間そのものだから――

 

 

「おいおい、そんなに怯えるな。お前、俺を悪魔か何かだと思ってないか?」

 

「――ッ!! か、あく、悪魔、でしょう!!」

 

「馬鹿だな。こんな天才かつ慈悲深い悪魔がいるものか」

 

 

 

 妙な理論を述べる目の前の少年。

 苦笑とも嘲笑とも知れぬ人外の表情。

 

 もし仮に悪魔じゃなかったとしても……それはそれで最悪だ。

 悪魔じゃないとしたら、これは紛れもないカニバリズムに他ならないのだから。

 

 

 手は、そんなやり取りをしている間も休むことなく動く。

 最後の服が床に落ち、少年の視線が私の身体を食い入るように見つめる。

 恥ずかしい。本来持つべき当たり前の感情は、今の私には全く存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、その時奇跡が起こった。

 

 

 

 

 

 

 

「そこまででいい」

 

 下着に掛かりかけた手。

 それを止める少年の苦々しげな声が響く。

 

 

 一瞬言葉に詰まる。

 視界に入った悪魔の様子に。

 

 

 その時の悪魔の目に宿っていたのは、深く暗い絶望。

 

 今まで張り詰めていた空気がいつの間にか霧散していた。

 

 突然の出来事に理解が追いつかない私。

 そんな私を無視するようにその少年は、その場で崩れ落ち、今度は絨毯の上を腕でバンバン叩き始めた。

 微かに聞こえる嗚咽。

 唖然とする。

 その悪魔は、信じられないことに、まるで普通の少年のように声を殺して泣いていた。

 

 

 

 私、何か……した……?

 

 

 思考の欠落。

 今までとは別の意味で空白になった意識。戸惑い。

 何がなんだかわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 嗚咽の混じった悪魔の声。

 

「――ッ。クソッ、すっかり忘れてた――」

 

 

 

 

「あ、あの――」

 

 思わず出た声に、顔を上げる少年。

 その眼に宿るのは、殺意とは全く違った種類の妄執。

 ぎらぎら輝く黄昏の闇の瞳。

 それは、あまりにも人間じみた感情。

 ふらふら立ち上がるその姿は幽鬼の如く。

 人差し指に嵌められた黒い石のついた指輪が、灯篭の光に微かな陰りを見せている。

 

 一歩こちらに近づく。

 

「それ、痛くないか?」

 

「……え?」

 

 指した先にあったのは、私の身体だった。

 ここに来るまで受けてきた打撲や裂傷、火傷の跡。

 あちこちに血が滲み、傷跡が残るお世辞にも綺麗とは言えない――

 

「アンジェロの時もそうだったもんな……俺としたことがこんな大事な事を忘れていたとは……」

 

 ぶつぶつ呟きながらまた一歩。

 足の震えは、突然のアクシデントに治まっていた。

 巡る思考。

 この人の呟く意味を租借する間もなく、その人は手を伸ばせば私に届くほどの距離にまで近づき、ポケットから万年筆と革表紙の小さなノートを取り出す。

 

「裂傷3、打撲痕3、普通の火傷の跡が1……低温熱傷が一つ、膿んでいる所が一つ、と。はい、くるっと回って」

 

「???」

 

 混乱して固まっている私の肩に手をかけ、一回転。

 背中に感じるひやりとした、指でなぞっている感触。

 

「ったく、何で俺がカス共の後始末までせにゃならんのだ。絶対全員見つけ出して根絶やしにしてやる。遠見とEndOfTheWorldによる暗殺コンボの力を思い知るがいい」

 

 津々浦々と述べられる呪いの言葉。何を言っているのか分からないが、もう私を食べるとか食べないとかそういう問題ではなくなっている事だけは分かった。

 …………

 傷?

 

 まさか、悪魔は痛んだものは食べないとか?

 

 馬鹿げた考え。

 しかし、それ以外にこの状況に説明がつかない。

 身体を見て、泣き出した悪魔。

 自分の食べ物が痛んでいたから……?

 人間で言えば楽しみにしていた果物の皮をむいてみたら中が虫食いだった……みたいない?

 

 

 …………

 

 

 

 

 初めて見た人間そっくりの悪魔。

 

 その悪魔は、美食家だった。見限られた私にしてみればちょっと失礼な話かもしれないけど……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めて傷だらけの自分の身体に感謝する。

 人生、何が役に立つかわからないものだ。

 

 

 

 

「ヒールだけじゃ跡が残るかもしれないからなぁ……んーと、火傷を治す術……何だったっけ……火傷と内出血と膿みと裂傷を治す術で四つ、後は一応栄養失調と――骨も弱くなっているかもしれないな。骨粗鬆症を治す術、と。頭痛腰痛肩こりにストレスによる体調不良……全部治さないとな……一応新型インフルエンザ予防の術も掛けとくか。まさかギャグだと思ってた術を使う機会が実際やってくるとは――」

 

 何事か奇妙な言語を呟く声。

 それと同時に、何の前触れもなく――呟く声が前触れだったのかもしれないが、背中に激痛が奔った。

 酸で身体を溶かされたかのような、刺すような痛み。

 思わず悲鳴が漏れる。

 

 

「痛……ッ」

 

「ん? あー、悪い。……おかしいな。術は間違ってないんだが……逆でいってみるか」

 

 その声と同時に、今度は何かひんやりとした感触が背中全体に広がった。

 痛みが和らぎ、何ともいえない心地よい感覚が身体全体を覆う。

 

「何とかなるもんだな……うん、完璧だ。さすが俺。この身体になってから初めて本気で術使ったわ」

 

 

 遠いような、近いような、どこから聞こえてくるのか分からない不思議な声色。

 さっきとは違った意味で頭がくらくらする。

 半分閉じかけた瞼。

 暗く閉じる視界の中、私の身体にあった傷に何か黒い物体が染み込んでいくのが見えた。

 

 

「傷……治る……?」

 

「一月は絶対安静です。休まず風呂にはいり、傷跡をよく洗うように。全力を持ってして処置を施したので跡は残らないでしょう」

 

 

 

 誰に問いかけるまでもなく自然と出た言葉

 それに返って来る冗談めかした台詞。

 酷く頭が重い。

 ひんやりとした感触と同時に襲ってきた眠気。

 意識が落ちる直前、何か耳元でささやく声がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところであんた、名前は? 優先順位の問題から訊くのが後になっちゃったけど……」

 

 

 私の――名前?

 

 名前……

 

 

 私は――

 

 

 

 ――

 

 

 ―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪景色。

 白銀に彩られた木々。

 ルートクレイシアの屋敷が建てられているのが森の中でなければ――さぞ幻想的な風景が出来上がっていただろう。

 残念な事に、黒く塗りつぶされたような色をした針葉樹の森は、いくら多少の雪で彩られたとしても、幻想的とは程遠い景色にしかなりはしない。

 一本や二本ならば景色へのアクセントになるであろう木々は、大量に集まることにより闇が蔓延る異界への入り口と化す。

 

「残念だ……」

 

 煌々と灯る暖炉。

 俺は窓の景色を眺めながら、ティーカップを傾けた。

 暖かい部屋でアイスティーを飲む、それこそが俺のダンディズム。

 

 大きくため息をつく。

 

 俺最近仕事しすぎかも。ストレスで胃に穴が空きそうだ。

 

 椅子の上で足を組んだ姿勢を保ったまま、俺は絨毯の上で眠っている半裸の女を見た。

 身体に感じる疲労は、魔力を消費しすぎたが故。

 対インフルエンザ用の術や骨粗鬆症を治す術を実際に使ったのは初めてでした。精神的に疲れた。

 

 

 数分で元に戻るだろうが、この一時不快感はどうしようもない。

 そしてこの獲物を眼の前にして手を出せないという状況。

 

 

 神よ、貴方は何ゆえ私にここまでの試練を科そうというのか。

 

 

 今手を出せば、傷の完治後、治療痕が残る可能性がある。これは実体験だ。あの時は正直自殺しようかとすら思ったわ。

 

 もう一度ため息。

 ちょうどその時、扉を叩く音がした。

 「失礼します、シーン様」という声。どうやら迎えが来たようだ。

 

 このまま絨毯の上に転がしておくわけにもいかないし、まあ妥当な処置といえよう。このまま置いといたら蛇の生殺しだし。

 

「入れ」

 

 あー、本当に今日は実入りの少ない日だった。

 まあちょっとは収穫があったけど………

 

 扉を開け、アンジェロが入ってくる。

 アンジェロはまず初めに脱ぎ捨てられた薄手のコートを見て、次に半裸のまま眠っている少女を見て、最後に俺に何か言いたげな視線を向けた。

 非難の篭った視線。

 どんなに俺に依存していても言いたいことははっきり言う。実にいい事だ。従順なのもいいが、従順すぎるキャラは一人か二人で十分なものである。ちょっとくらい反抗してもらった方が楽しいし。

 

 

 

「何も言うなよ。何故呼んだのか分かるな?」

 

 だが、残念ながら今日は小言を聞く気分じゃない。

 TPOを弁えるのも俺のものとして必要な技術である。

 

「はぁ……分かります。この子を連れて行けばいいのですね?」

 

「ちゃんと服を着せてやれよ。多分その娘なら大丈夫だろうが、もしかしたら風邪をひくかもしれない……」

 

「分かっています。シーン様……」

 

「ん?」

 

「もしかして……一言目で『脱げ』とか言いました?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……エスパー?

 何故それが……盗聴器? 監視カメラ?

 いや、違うな……俺がそんなものを見落とすわけがない。

 

 勘?

 

 

 

 

「何故分かった?」

 

「服脱がせたら、傷がいっぱいで、治療したら眠っちゃったんでしょう?」

 

「――ッ!? な、何故お前がそれを!?」

 

 

 

 

 肩を落としため息をつくアンジェロ。

 じとーっとした目で俺を見る。

 遠見の術……? まさか扉の鍵穴からずっと覗いていたとか――

 

 

 

 

 

「シーン様、やるなとはいいません。本当はやってほしくないけど……シーン様ですし。ですからせめてTPOを考えてください。人間不信の強い傾向にあるほぼ初対面の子に突然服脱げは完全にアウトですよ、アウト!!」

 

「んー、それで、何で分かったんだ?」

 

「ッ――私の時もやったでしょう!!」

 

 あー、経験則か。なら分かるな。

 謎が解けてすっきりした。

 それにしても……アンジェロが叫ぶ姿、久しぶりに見る。

 

 

 

「あー、なるほど。でも全て上手くいってるし……いいんじゃない?」

 

「は、反省……せめて数秒だけでも反省を――」

 

 

 

 

 今度は俺がため息をつく番か。

 大きくため息をつく。物分りの悪い臣下を憂いて。

 アンジェロは大事な事が何も分かっていない。

 これを機会にはっきり言ってしまわねば……

 

 

 

 

 

 

 

 

「残念ながら、俺は後悔はしても反省はしない主義で――「普通逆です!!」……す」

 

 

 

 

 瞬きを数回。

 

 

 

「……早いな」

 

「三年以上シーン様の側にいるので」

 

 素直に感心した。俺の主義を理解できないことには感心しないけど。

 後悔しないけど反省するってどんな超人だよ。後悔あってこその反省だろーが。

 

「はぁ……これでよし、と」

 

 会話している間も、アンジェロの手は休まない。

 いつの間にか床に落ちた衣類を眠っている少女に着せ、わきを抱えるようにして背負っていた。

 

 こいつ、けっこうメイドに向いてるかも……気配りとか得意そうだし。

 もう私兵のリーダーとか辞めさせてメイドにしてしまおうか……

 

 新たな人事について考えていると、

 

「それでは、おやすみなさいませ。シーン様」

 

「ああ、待てアンジェロ、まだ用事は終わっていない。……その子の名前解かるか?」

 

 立ち止まってこちらを振り向くアンジェロ。

 呆れたように言う。

 

「名前も知らずに脱げと言ったんですか?」

 

「優先順位の問題だ。それで、知ってるか?」

 

「んー、タルテと言っておりました」

 

 タルテ……

 紅茶を含み、唇を湿らせる。

 

 実に面白い。

 希望……そう、これは希望だ。

 もしかしたら、今日と言う日は俺にとっての転機なのかもしれない。

 いや、転機じゃなくても構わない。僅かな手がかりさえあれば俺ならばどうとでもできる。

 そしてこれは手がかりだ。

 

 くっくっく、笑いが止まらんわ。

 

 

 

 怪訝そうな顔をするアンジェロに、俺は笑いを浮かべたまま告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンジェロ、タルテは十中八九悪魔だ。おそらく無意識の――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まさか、偶然にも、悪魔が、手に入るとは、思わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……根拠は?」

 

「入ってきた瞬間に掛けたスキルレイがジャミングされた。神聖魔術で傷を癒そうとしたら逆に傷ついた。アンジェロ、今必要なのは考えることだ。まだ信じなくてもいい、取り敢えずその子を悪魔だと仮定しろ。……どう考える?」

 

「……チャンスだ、寝ている間に殺してしまおう、と」

 

「まぁそれが凡人にとっての百点だろうな……だが、天才で在る俺はその逆をつく――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 脳がフル稼働する。

 硬い表情のままこちらを見ているアンジェロ。

 

 俺の脳裏には既に未来の光景が鮮明に映し出されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 着物を着た沢山の黒髪美人。

 

 

 以前魔王だった頃に片付けたベリアルが中年男の格好をしていたため、気づかなかった盲点。

 

 ぐっじょぶ、悪魔ッ!!

 

 

 

 

「アンジェロ、魔界を切り崩す。取り敢えず、魔界へ行く方法を調べておけ」

 

 

 

 

 正義のため

 人間の意地にかけて

 

 地上を蹂躙する怪物共を放っておくわけにはいかない!!

 

 

 

 

 崇高な宣言をした俺。

 何故かアンジェロはそれに、大きなため息で答えた。

 

 

 


ここまでで一まとめ。

半端に小数点以下、十七・二五話とか作ったおかげで無駄に冗長な話となってしまいました。


今は後悔しています。反省はしませんが(*ノ∀`)ペチンッ

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