第十二話:トンボと私と悪魔の話
第十二話【トンボと私と悪魔の話】
冷静に考えればその訓練は初めから何かおかしかったのかもしれない。
初心者が好んでいく魔境"水蓮口"
私も何度か行った事がある多少は慣れ親しんだ場所。
出現する闇の眷属の強さは、人間界の中型動物程度。
悪魔だからこそ、核からの消滅は望めないものの、知性も力も足りないそれは一般人でも退治できる程度のLVだったはずだ。
まず、入り口を抜け、魔境に足を踏み入れた瞬間違和感を感じた。
薄い霧が張っていたのだ。
水蓮口の九十パーセントは湿地帯だ。
常識的に考えて霧が張っていてもおかしくはない。
だがそれでも私は今まで訪れた数回、水蓮口に霧が張っていた光景を見た事はなかった。
異常と言えば異常といえたのかもしれない。
しかし私はその微かな違和感を、気のせいだと思った。
たかが霧だ。それも前が見えなくなるほど濃いものではない。
何とかなるだろう。
パーティメンバーは七人。初心者用のダンジョンを攻略するのには十分な数だった。
メンバーの大多数はまだ正式に戦闘の訓練をつんではいなかったが、それでも貴族だけあって持っている道具は一流。一つ数百万はするテイルズオブマギ――各々に登録してある術を魔力を注ぎ込むだけで使用する事を可能にする指輪型魔導具を両手の指に十個つけている姿には恐ろしいほどの親の過保護を感じた。
一人およそ数千万。私の目には、人本体よりテイルズオブマギ自身の方に価値があるように見える。
貴族は総じてプライドが高い。そいつらも例に漏れず、実力にそぐわないプライドがそこにはあった。見たところさすがは貴族、血がいいのか才能はありそうだったが、傲慢でわがままな子供の域を出ない少年達の実力などたかがしれている。
親の力を自らの力だと思い込んでいるのだ。貴族の子供が陥りがちな落とし穴だろう。
常に強くある事を言い聞かされてきた私、クレシダ・クレイシアと他のメンバーに軋轢が生じたのは当然といえる。
もちろん大っぴらに悪口を言われるような事はないが、それでも嫉妬の混じった負の視線を感じた事は確かだ。
メンバーの平均LVはおよそ百五十。私だけ三百近かったのもその原因。
家で両親兄弟に散々しごかれた結果であるが、十四歳の私に、既に並の傭兵以上の力があるというのは他の"英才教育"を受けた者たちには信じられないものがあったのだろう。
まぁそんな奴らとの友好関係はともかく、私の他にも一人女の子がいたこともあり、さして気まずいこともなくそれなりに楽しく道中は進んだ。
ここの悪魔の平均LVは70から100。強くてたまに170くらいが出てくる程度。
はっきり言って雑魚だった。
軽く蹴っただけで倒せるし、襲撃のスピードも眼で見て全てかわせる程度。
この世はLVが全てではない。
だが、LVが強さの指標となるのは間違いなかった。
大量の――それこそ周囲を全て埋め尽くすほどの悪魔がでるならともかく、たまに数匹出る程度ならまったく負ける要素はない。私がいなくても他の六人のメンバーだけで対応できただろうし、逆に他の六人のメンバーがいなくて、私一人だけで歩いていたとしてもあまり苦労はしなかっただろう。
探索は本来命がけだ。だが、今回の訓練は、私にとって訓練と呼べるほど大層なものではなかった。
いつ不足の自体が起こっても不思議じゃない魔境で、些か気が緩みすぎていたというのは、情けない話だが隠しようもない事実だろう。
それは、本当に唐突に起こった出来事だった。
眼の前を歩いていた男の首が、突然吹き飛んだ。
突然の襲撃。
前を歩くジェイルという名の青年の足が止まり、不審に思って上を見上げた時には既に首がなかった。
グロテスクな首の断面から、まるで噴水のように血が噴出す。
パニック。混乱。
弛緩した平時から死の香り満ちる戦場への変貌。
おそらく、ジェイルは自分が死んだ事にも気づかなかっただろう。
貴族にしては鍛えこまれた身体が、首を失いまるで糸の切れた人形のように真横に倒れた。
一番初めに混乱から立ち直ったのは、自らリーダーを買って出ていた十大貴族のうちの一つ、リクシエラ家の嫡子、レイド・ランス・リクシエラだった。
眼も覚めるような金髪に、全てを見透かすかのような薄水色の瞳。LVは145とそれほど高くないが、さすが十大貴族の一つ、リクシエラ家の跡継ぎだけあって、皆をひっぱる不思議なカリスマがある。
首を失った死体が水面に倒れ、水音を立てる沼に浸かるとほぼ同時に立ち直り、取り返しのない混乱に陥りかけていた残り五人に大声で指示を出す様は見事の一言に尽きるだろう。
「皆!! 落ち着くんだ!! 僕を中心に陣を組んでッ!!」
メンバーがその声に叱咤されるように、レイドの周りに集まり円陣を組む。
そして、私はその"悪魔"の姿を捉えた。
巨大なトンボのような悪魔。
二メートルはあろうかと言う巨大な透明な羽は細かく振動を重ね、なんともいえない奇妙なリズムをもって空気を震わしている。吐き気のするような巨大な蟲。蟲を大きくしたらかくも気持ち悪いものなのか。
一歩下がると同時に、円陣を組む味方に敵の存在を教える。
腰から刃渡り三十センチほどの短刀を引き抜く。
「くそっ……こんなにでかいのがいつの間に!!」
恐怖の混じった声を背に、私は今まで何百回となく行った動作で短刀を投擲した。
同時にスキルレイを行う。
私の唯一持っている"スキルレイ"のテイルズオブマギ。人差し指に嵌めた赤紫色をした石のついた指輪に魔力を注ぐ。
悪魔
ベルゼビュート
LV520
「520――!?」
頭に浮かんだ内容を噛み砕くのと、数メートル先に浮かんでいたはずの巨大なトンボが消えるのは同時だった。
ここに出てくる並LVの悪魔では決して避けられない速度で投げたはずの短刀が標的を見失い水面に落ちる。
LV520!? そんな馬鹿な話がある分けない。LV520といったら――
脳を揺らめく答えの存在しない問い。
ありえない。確かに水蓮口の奥地ではLV500以上の悪魔の存在も確認されている。だが、それはもっと奥での話だ。
一日や二日歩く程度じゃ絶対にたどり着かない最奥。記録ではその冒険者はこの水神の秘境を三ヶ月ほど歩いた末に出会ったといわれている。
一瞬止まった思考。
上空から降った何かが私の身体を濡らす。
奇妙な臭いのする真っ赤な液体。
指先にぬるりと感じたそれを見た瞬間、私は隣にいた友人の腕を掴み、全力で地を蹴っていた。
人一人の重さくらいでは、私の動きは鈍らない。
脳を支配する恐怖、そしてまるで靄のかかったようなまっさらな思考。
今まで訓練で悪魔を何度となく倒してきた。死にかけた事だってある。
だが、ここまでの死地に立たされた経験はちょっとなかった。
眼の前を歩いていた人間が、気がつかないうちに首を飛ばされるような状況。
短刀を投げた瞬間に姿が消えた悪魔。
兄弟で最もLVの高い兄のLV470を超える高LV悪魔の出現。
その全てが私の脳をかき回すかのように思考を混乱に導く。
振り向いた時には、初めに七人いたはずのパーティメンバーが四人にまで減っていた。
新たに増えた二人の首なし死体。
その側を悠然と浮かぶ巨大な蟲。
とっさに手を引いた、私の他に唯一いた女のメンバー。代々悪魔祓いを専門に行ってきた家系出身だと言っていた、二夜が呆然とした表情でそれを見ていた。
「えっ――――」
まだ何が起こっているのかわからないといった表情で、首のなくなった死体を見つめる二夜。
ベルゼビュートに接近された少年の一人が後ずさる。
今更ながら、極度の恐怖を孕んだ悲鳴が静寂の秘境を揺らした。
馬鹿だ。こんな時に悲鳴を上げるとは。
私も冷静だったわけでは決してない。
ただただ逃げることを考えていた。
LV520――何も成すすべもなく殺される。
一太刀とて浴びせられないだろう。
敵は
私の目の前で
消えたのだ。
見えない。
今まで行ってきた訓練で受けたどの攻撃よりも速いスピード。
見えないほどのスピードで宙を移動する敵にどうやって歯向かえというのだ。
ベルゼビュートの側に残った二人のうち、悲鳴を上げた一人の首が宙を舞う。
そこでようやく気づいた。
首をはねている攻撃が何だったのか。
羽だ。ベルゼビュートの、あの膜のように薄く透明な羽に首をはねられたのだ。
高速で振動しているらしい羽は、一瞬だけ血で染まり、しかしすぐにその振動故に弾かれるのか、元の透明な色を取り戻す。
「ク、クレシダさん――」
「判ってる」
メタリックグリーンに光るベルゼビュートの複眼が、ゆっくりとした動きでこちらを見ていた。
気持ち悪い。
今まで感じた事のない強烈な嫌悪。
節の多いグロテスクな身体。
丸太ほどもある腹がゆっくりと上下する。
吐き気がする。
無理だ。逃げられない。
覚悟を決め、腰から家に代々伝わる聖銀性のレイピアを抜いた。
構えは縦に真正面。
少なくともこうしていれば前から首を刎ねられる事はないだろう。
自分でも馬鹿だと思う程度の低い悪あがきだけど、他に私にできることはない。
不思議な事に、身体に震えはなかった。
人間は、真の恐怖を前にすると震えすらなくなるのかもしれない。
後ろで震えている二夜を――LVがまだ50なのにこの訓練に無理やり参加させられた可哀想な少女を後ろに押す。
助けはこない。何とか生き延びているらしいレイドは、首のない死体達の真ん中で、腰を抜かしたままベルゼビュートの後姿を凝視している。
ベルゼビュートが左右に揺れる。
覚悟を決めた。こんなところで死にたくないが、戦士の世界はいつ何時誰が死んでもおかしくない修羅の道だ。
だが、私も唯で死ぬつもりはない。
首が刎ねられる瞬間に何をしてでも――たとえ一筋の傷しかつけられなかったとしても、あのグロテスクな身体を斬り付けてみせる。
そんで、死んだら死霊になって呪い殺してやる。絶対に。
「誰かいないッ!? 助けて!!」
ようやく頭が状況に追いついたらしい二夜の悲痛な叫びが耳を打った。
助けを求める声。
これが普通の地下のダンジョンだったら、確立は高くないが側を探索しているパーティに聞こえていたかもしれない。
だが、ここはダンジョンとは言っても屋外。助けを求める声は反響する事すらなく、空に消える。
外に広がるダンジョンで、広大な水蓮口だからこそ、その声が聞き入れられる可能性は、天文学的にまで低い。
神様が助けでもしてくれない限り、この状況が覆ることはないだろう。
「無駄よ。こんな場所で助けなんか――」
しかし、今回ばかりはその選択は正しかったようだ。
「え――」
「ッ!?」
突然現われた人の気配。
戦闘中故に鋭くなっていた感覚が、数十メートル先に現われた人間の気配を感じ取る。
「そんな馬鹿な――」
こんな広い迷宮の中で人に偶然出会う?
確かにありえない事ではない。だがしかし、それは奇跡と言ってもいいほどに低い確率だ。
この二つの国がすっぽり入るほどに巨大な湿地帯で――
偶然ピンチに陥っている時に――
人に出会う?
「神様っていたんだ……」
口から自然と出るその言葉。
まだ助かると判ったわけではない。
眼の前で浮遊する悪魔は依然傷一つない状態だし、この初心者の好むダンジョンで500オーバーの敵を倒せるほどの実力を持った人間が来る事はほとんどないだろう。
だが、私はその時心の底から安堵していた。
これで助かるかもしれない、と。
それは、深い闇の中で見つけた一筋の光明。
「……クレ……シダ…………さ、ん」
「? どうかしたの?」
まるで死に掛けたような声を出す二夜。
敵が眼の前にいるのも忘れ、振り向く。
二夜の顔は、不思議な事にベルゼビュートと相対していた時よりもさらに真っ青だった。
傷があるわけでもない。私がすぐに腕を引っ張ったおかげで二夜には傷一つ存在しない。
かたかた震える二夜。
「二夜!! ちょっと!! 大丈夫?」
「私には――あ、あ、わ……わかるんです。闇の……眷属と……戦って、きた、家系……だ、から」
「……何が?」
頭を抱え身を縮ませる二夜。
二夜は決して臆病な性格ではない。ベルゼビュートは別格だからしょうがないが、ここまで来る道中、自らの倍ほどのLVを持つ悪魔相手に果敢に戦ってきた。
その二夜がここまで怯えるって一体――
「こ、この、今、今来る人――」
ベルゼビュートが、不快そうに身体を震わせる。
何かを警戒するように複眼をきょろきょろ動かす。
「魂が――真っ黒です」
「え!?」
「に、逃げ、逃げないと――ま、まずいですよ。ここここの人、べ、別格……です。真の悪。闇の中の闇。本来奈落の深奥に生きるはずの――光の元に出てこれるわけがない闇ですよ。魔物です。化け物です。み、見た事、ないです。は、初めて、見ました。悪魔よりも魂が穢れている人――」
二夜の言っている事がよくわからない。
魂が穢れてる?
真の闇?
分かる事は今の状態が尋常ではない状態である事だけ。
しかし、逃げると言っても眼の前に立ちはだかるのは500オーバーの悪魔。
逃げられるならとっくに逃げてる。
「は、早く逃げ……ひゃ――――ッ!?」
「な――」
その時、私は悟った。
神は常に無慈悲であることを。
もともと、常日頃神を熱心に信仰していない私に、いざという時だけ都合よく救いが来るわけがないのだ。
いつの間にか透き通っていた水が黒に染まり――
沼の中から何かが這い出る――
未だ嘗て見た事のないほど純粋な黒の髪
人を見下しているかのような表情を映すその相貌
全身を黒の衣で包んだその姿は、まるで死神のようで、
髪と同じ闇の色をした透明な瞳が私を見ていた。
私と同程度の年であろう幼げな雰囲気の残る少年。
沼の中から突然現われたにも関わらずその痩躯には全く濡れた様子はない。
少年は、唇の端をゆがめ笑い、
腕をゆっくりと上に上げて
私と二夜を指して言った。
「そこの立っている奴、七十五点。うずくまってる奴、八十二点」
澄んだボーイソプラノが耳を打つ。
ぞくぞくするような妖しい魅力を含んだ声。
捨てる神あれば――
「おい、女二人。そこのトンボを殺してやる。その代わりお前らの全存在をよこせ。つま先から頭の先、髪の毛一本から血の一滴、そしてその魂から心に至るまで、俺のものになることを誓え――」
……神が捨てた哀れな少女を拾うのは悪魔のようだ
選択肢は当然なかった。
言い訳をー聞いてください(´▽ `)
帰ってきたの十一時半でした。半分はできていたんですが完全に書き上げるのに時間かかっちゃって一日一話があえなく崩壊つД`)・゜・。・゜゜・*:.。
まだ日が変わって二時間しかたってないと言う事で(*ノ∀`)ペチンッ