【五】立場故、若さ故
月に叢雲。
落日と共に風はますます止んでいた。
大通りから小路に逸れてすぐ、道脇に高く積み上げられた石垣の上。涼むようにして座り込むのはヒザクラとトウヤである。
月明かりもない暗闇だが、喧騒の中に長時間いるのは疲れる。かといって、簡単に帰るのもまた勿体ない気がする。どちらが言うでもなく互いにそう考えた二人は、大通りの賑わいを時折見下ろしながら、石垣に足をぶらつかせていた。
神伯の剣舞披露の後、二人は一度旅館に戻っていた。さすがにヒザクラも一日家業を手伝わず、ということはできなかったのである。
帰宅後は上客であるトウヤとは別れ、御膳の準備や布団下げに勤しんだ。そうして天手古舞の夕餉の時間帯をやり過ごした後で、再びトウヤと合流してこうしている。
祭り好きは朝まで騒ぐのが普通の国とはいえ、子どもが夜更けに出歩くのは関心出来るものではない。が、ヒザクラもトウヤも外聞ほどいい子ちゃんというわけではなく、常識内で羽目を外す程度には遊びたかった。そういう盛りということもあるのだろう。
(今年で最後、なんだよなぁ)
ヒザクラがちら、と隣を見やると、友人はいつもの凛とした表情で遠くを眺めていた。大通りから漏れた光があたり、白花色の浴衣に脚の線が透けている。
自分ほどではないが友人の身体つきも変わったと、そう思えば途端に切なくなる。
互いに大人になり、互いに選んだ別々の道を行く。
分かりきっていたことだが、今日は何故だろう、いやに胸につかえる。
「ヒザクラ」
「なんだ」
「なにやらよからぬ集団がいるな」
耽っていて気付かなかった。いつの間にかトウヤの目線は下の小径へと移っていて、そこでは一人の女子と数人の男が揉めていた。
「ん。女の方、昼間トウヤに声かけてきた奴じゃねぇか」
「そうだな」
暗がりの中、目を凝らしながら集団を観察する。見覚えがない男が六人、いずれも二十歳は超えていないだろう。女の方は確か、昼間会ったときに十六と言っていたか。
「ちょっとくらい相手してくれたっていいだろ!」
「だーかーらー! 私は美男子にしか興味ないの!」
喧嘩腰で展開されるやり取りだが、次第に声量が大きくなってきた。この荒げ方からして双方酔っている。ヒザクラがこのとき抱いた感想は「面倒くさい」の一言に尽きるのだが、隣の友人はそれだけではないだろうことも彼は知っている。
女子の物言いがとうとう勘に触り、男の一人が相手の腕を掴み上げたときである。トウヤがわずかに腰を上げた。
「おいトウヤ」
「すまぬヒザクラ、放っておけぬ」
そう言うとトウヤはすぐさま石垣を蹴った。器用に二三度、石の隙間に下駄を引っ掛けながら、カツンカツンと小気味いい音を鳴らして跳んでいく。
「……お前が行ったら余計拗れるだろうが!」
面倒くさいが、こうなっては。人助けを人に頼めない友人に溜息を吐きつつ、ヒザクラもまた追いかけるようにして藍色の袖を揺らした。
○
ヒザクラの予想通り、トウヤの仲裁は逆効果であった。いや、絡まれている女子を助けるという点では問題なかったのだから、目的からいえば効果的であったのかもしれない。ただその先の、男たちの怒りの矛先がトウヤに向くという部分を彼はどれだけ理解していたか。
「わあ! 昼間の王子様……っ!」
「この国に王子はいねぇよ。頼むから静かにして、というかもう帰ってくれよ……」
トウヤの登場に盛り上がったへべれけ女子を後ろに追いやりながら、ヒザクラは頭を抱えたい気分であった。
「どこのガキかは知らないが、大人の時間に水差すのは関心しないな」
「何が大人の時間だ。少し酔いを冷ませ」
威圧的に詰め寄る男数人にも臆せず、トウヤは真っ直ぐに答える。後ろを庇うように手をかざし、細い顎をすいと上げるその様は女子の言う通り王子の類かなにかで、だから余計に男たちを苛立たせる。
「偉そうに」
ピシッ。
耳を刺す乾いた音。男の一人がトウヤの頬を叩けば、ヒザクラの眉間にもしわが寄った。隣の女子もむっと口を閉ざし、しばし無音の時間が訪れる。空気が少しずつ、張りつめていく。
(トウヤは――)
ヒザクラはトウヤの様子を窺ったが、彼は黙ったまま、手を出さない。
普段は鷹揚に構えているが、喧嘩相手に全くやり返さないという人間でもない。むしろ傍若無人な振る舞いには誰よりも敏感で、簡単には流せないのがトウヤである。
それでも彼が無言を貫く理由は、冬に控えた神官入りの試験にあった。治安維持を理由にいつ神官が飛んでくるかもわからないこの状況で、喧嘩沙汰を起こすわけにはいかないのである。
「何とか言えよ」
「――気が済むまでやればいい」
トウヤが冷たく言い放てば、男の顔にさっと怒気が走った。まずいとヒザクラが踏み出すと同時、振りかざされる固い拳。
苦しかった。
重く鈍い響きとともに倒れ込む友人の、悔しさの滲んだ表情を見るのは。
ヒザクラ自身、頭に血が上ったのが分かった。まだどこかには冷静な自分もいるが、そいつですら「やり返せ」と彼をたき付けている。友人が手を出せないのならば、代わりに自分が受けて立てと。
(ここで逃げるほど、賢しくもないんだよっ!)
そう開き直ったときには既に、彼は拳を突き出していた。