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【二】小さな疼きと熱視線

「お疲れさん、トウヤ」


 ヒザクラがお弓神事の役目を終えた友人――トウヤと話ができたのは帰り道だった。行き先は同じ、商業区の一角。ヒザクラの実家であり、トウヤの家の常宿でもある。石段を下りながら労わりの言葉をかけると、自分でも納得の出来だったのだろう、トウヤは屈託のない笑顔を返す。


「ああ。姉上と見てくれていたな」


「気付いてたか」


「この集団は目立つし、そうでなくとも分かる」


 前方を向けばサクヤとヒザクラの弟たち四人が和気藹々とはしゃいでいる。ヒザクラの隣では手を繋がれる形で長妹がゆっくりと歩を進めていて、トウヤの胸にはもうすぐ三歳になる末妹。自身の腕に抱かれうつらうつらと微睡む友人の妹を温かく見やりながら、トウヤは言う。


「来年は見習だが、神官籍なのは同じだ。俺は大弓主を拝命するぞ。そしてゆくゆくは神伯だ」


 トウヤが今年担った役目は小弓主といい、山ノ国では仕事に従事する前の子どもから一人、選ばれる役である。そして、もう一つの大弓主は神官籍とするのが常。


 水が流れるように、風が吹くように。さらりと口にするトウヤにヒザクラは苦笑した。目の前の友人は簡単に言うが、本来は神官職に就くことすら狭き門なのだ。にもかかわらず、その門をくぐるのは当然のこと、先輩の神官方を飛び越えるという。


 ヒザクラも、彼以外の人間が言ったのであれば「夢見がち」と内心で嗤ったかもしれない。だがそれをしないのは、彼の人となりを知っているからである。


「ヒザクラも、神官は向いていると思うのだが」


「俺じゃあ役不足だよ。軍政にはお前ほど興味ないし、商人の子だ」


 実家の事情を知っているため、トウヤはヒザクラを無責任に誘うようなことはしない。しかしそれでも考えるものはあるようで、「向いている」の言葉に留めながら、時折この話題を出す。

 ヒザクラは、それを努めてかわしていた。友人の気持ちは分かっているが、自分の気持ちは分からなかった。軍政への興味の無しは事実として、自分が根っからの商人気質かと言われても、首を傾けたいところであったから。


 決められた自分の将来に不安も迷いもない。当然のように示された道は明るく、このまま人生を上手くやっていく自信もある。だが同時に、奔放な友人の生を見ていると、彼の心の奥底が小さく疼く。


 それはトウヤがいなければヒザクラ本人すら気付かなかったであろう微々たる淀み。

 自覚はあっても無視できるほどの、霞にもならない曇り。


 変な思いが芽生えたところで、進む道は変わらない。よってこういうときは「長男だしな」と、そう自分に言い聞かせてやり過ごす。


 有言実行を崩さない友人は、いずれ本当に神伯になるのだろう。

 その傍らで、自分は家業を継ぐ。

 それがヒザクラの描いていた未来であった。



 居住区まで降りてくると、蝉時雨が落ちてくる。杉が並んだ小径を進み、浴衣姿の女性と擦れ違えば、遠くに聞こえていた喧騒がぐっと近付いた。祭りもまだ半日ある。いかなる枷も持たない子どもとして振る舞える最後の年、楽しまなければ損だろう。


「家に弟妹たち預けられたら、ビャクシン様の剣舞でも見に行きてぇな」


「ああ。それはいい」


 受け入れられるのを承知で友人を誘ってみれば、彼は嬉しそうに顔をほころばせた。



 トウヤとヒザクラ、十四歳の夏である。





 友人に「将来は神伯になる」と教えられたのはいくつのときだったか。山頂を見上げるように夢を語っていた彼は、いつの間にかその雲路の入り口に足を掛けていた。


 政事と軍事の双方を神官が司る山ノ国。その神官職の最高位にあたり、文武に長けた精鋭たちを束ねているのが神伯である。世襲制の国主と違い、神伯は高位の神官と国主による指名で決まる。その選考基準は独自的で、現在神伯であるビャクシンなどはわずか十八の歳で任命されていた。


 十八歳から二十八年間。毎年披露される彼の剣舞は当然生半可なものではなく、洗練され、言葉では言い尽くせない感動がある。ヒザクラはトウヤと一度実家に戻ると、様子を見て弟妹たちを預け、涼しい格好に着替えてから祭りに繰り出すことにした。一番の目的は当然、神伯ビャクシンによる剣舞の見物である。



(しかしまぁ、よくこれだけ声がかかるよな)


 人混みの中を颯爽と歩く友人の人気ぶりに、ヒザクラは改めて感嘆していた。

 白麺屋台に向かう途中で二回。白麺の食事中に三回。その後、剣舞の行われる会場に着くまでに二回。短時間でこれほど女子から誘われるトウヤは明らかに普通ではない。たまに指摘すると「ヒザクラも口調さえ直せばこうなる」と言われるが、嘘だ。


 山ノ国の結婚は見合いがほとんどということもあり、よほどでなければ女性の方からお声がかかるということはない。男性から逢い引きに誘うことはあっても逆は稀で、トウヤ一人がおかしいのだと、ヒザクラは断言できる。


 今もまた、一人の女子がトウヤの袖をちょんと引いた。トウヤが丁寧に振り向けば、自分から声をかけたにもかかわらず相手はのぼせた(・・・・)ように黙りこくってしまう。

 子どもの殻を脱ぎ去ろうとしている少年の初々しい色香。白花色地に沙綾形の浴衣で扇子をあおぐ彼には、薫るようなそれがある。


 トウヤが彼らしい優しさでやんわりと断る様子を横で眺めながら、ヒザクラも扇子を取り出した。立ち止まると余計に暑い。標高の関係もあって大陸の中では早くに秋を迎える山ノ国だが、日が高いうちはいまだじりじりとした熱がある。これでは浴衣に染め抜かれた蜻蛉も心地悪かろうと、彼はゆるりと風を送る。

 実のところ、今彼が感じている暑さにはトウヤが相対している女子の、そのさらに後ろからの熱視線が含まれているのだが、本人は全く気付いておらず、そこが彼と友人の違いでもあった。



「こう続くと、純粋に気疲れしてくるな」


「俺はなんつーか、慣れたよ」


 ようやく女子から離れられたと息を吐くトウヤの肩を、ヒザクラがぽんと叩く。試しに一人でも誘いを受けてみれば、これほど(たか)られることもなくなるのかもしれない。だがトウヤの芯にある潔癖さがそうさせるのか、彼は誰の誘いも受けたことがなければ、誰を誘ったこともなかった。

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