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言葉のない部屋  作者: 桔梗たつや/為西亜鶴
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柏羽中の七不思議

2 柏羽中の七不思議


 窓際の令嬢。

 私の双子の姉、敷島冬美――ゆーみんは、一部の男子生徒から陰でそう呼ばれているのを、私は知っている。

 昔から身体が弱く、あまり他人とは接せず、いつも本を読んでいて、学年でもトップクラスの成績優秀者で、何より美人。まさにお嬢様と呼ばれるに相応しいステイタスを兼ね揃えている私の姉は、多くの男子を魅了してやまない。

 本人にあまり自覚はないみたいだけど、ゆーみんは凄くモテる。今までにいったいどれだけ、愛のメッセージが詰まった手紙を渡されてきた事か。そしてその度に受け取りを拒否しては、男子を泣かせてきている。

 正直、私からしてみれば失笑ものだ。ゆーみんの素性を微塵も知らないというのに、上っ面だけで人を判断しては撃沈してく男子共はあまりにも滑稽すぎる。片腹が痛すぎて、救急車で搬送されちゃうレベルだ。

「痛い! 痛い痛い痛い痛――」

 尤も、今はお腹じゃなくて――引っ張られている耳が痛い。暗闇に浮かぶゆーみんに訴え掛けようとして、口を塞がれてしまう。

「静かにしなさい。何時だと思ってるの」

 私が黙ったのを見て、ゆーみんはようやく耳と口を解放してくれた。

「三時」

「よろしい。なら早く支度しなさい」

 室内を照らす蛍光灯の明かりに目を細め――そのまま再び寝に入りそうになったけど、ゆーみんの殺気を感じ取ったような気がして慌てて身体を起こした。

「何が窓際の令嬢だよ……」

「何か言った?」

 私の囁きに対して、ゆーみんが訝しげな目を向けてくる。「何でもないよ!」と強引に笑顔を浮かべてみせてからベッドを降り、クローゼットからジャージを引っ張り出した。

 夏休みに突入してから四日が経過している。

 初日に学校で七不思議の聞き込み調査を行ってから今日まで、それらしい活動は全く出来なかった。というのも全て、お母さんのせいだ。私の成績が悪いからって、夏休みの間だけ塾に通わされる事になってしまった。加えて、ゆーみんは昔から週一でピアノのお稽古を受けているので、互いのスケジュールが全く噛み合ってくれなかった。

 なので、四日ぶりの調査は非常に気分が高揚したけど――それは昼間で打ち合わせをした時の話。

 今は眠い。とにかく、眠い。

 窓から見える外の景色は真っ暗で、何の面白味もなかった。午前の三時。通常であれば、その時間に私が活動している理由はない。あと五分――いや、あと五時間以上は寝ていたいけど、学校の七不思議を本気で調べたいのなら、やっぱり夜中の学校に忍び込むくらいの事はやってみせないといけない。ミステリー研究会の代表として――、

「あのさぁ……」

 ビクリと肩が震える。呆れたようなゆーみんの声が、薄れ掛けていく私の意識を現実に引き戻してくれた。パジャマを脱ごうとしていた体勢のまま、眠ろうしていたらしい。

「ねえ、やっぱやめた方がいいんじゃないかな。真夜中だよ? 不用意に外を出歩いたら、怒られちゃうかも」

 深夜の学校を調査しようと決めたのは私の独断で、お母さんやお父さんは勿論、先生にも全く相談していない。言った所で許可は貰えないどころか、下手をすれば外出禁止を言い渡されるかもしれないのだから、やむを得ない。

「言い出したのは小夏でしょうに」

 口で言うのは簡単だけど、行動に移すのは大変なんだもん。政治家の人たちは、こういう心境なのかな。

「それにさ、もしも暴漢みたいなのに遭遇しちゃったらさあ……私はともかく、ゆーみんは逃げられないかもしれないよ」

「じゃあ、小夏ひとりで行きなさいな。私は寝るわ」

「待って――」部屋から去ろうとするゆーみんの裾を掴もうとして――脱ぎ掛けのズボンの裾を自分で踏み、顔面から思い切り転倒してしまった。目の奥で火花が散る。

「ちょっと……大丈夫?」

 心配には至らない。これくらいの事故は日常茶飯事で朝飯前。鼻頭に走る痛みに呻き声が漏れそうになったけど、それを押し殺すように勢いよく立ち上がり、満面の笑みを浮かべてみせた。

「お陰で目が覚めた!」

「そう……」軽く嘆息を吐いてから、ゆーみんは私から視線を反らす。「なら、早く何か着なさい。はしたない」

 下着だけの姿となってしまっている自分の格好を見、照れ隠しの意味も込めてわざとらしく笑ってみたけど――ゆーみんの溜め息は大きくなる一方だった。


 お母さんとお父さんの寝室は一階にある。

 支度を終えてから部屋を後にした瞬間から、私とゆーみんのスニーキングミッションが開始された。抜き足、差し足、忍び足で廊下を進もうとして、ふと私の頭に疑問が浮上する。

「ゆーみん」「静かにしなさい」

 背後のゆーみんに頭を叩かれ、問答無用で黙らせられた。私も迂闊だったと思うので、猛省。

 段差にへばりつくくらいの慎重さを以て階段を降り、誰も出てくるなと念を送りながら寝室の前を通過する。玄関で靴を履こうとして、ゆーみんに肩を軽く叩かれて制される。先行する姉が靴を拾い上げて段差を降りるのを見、どうやら外で履くつもりらしい。私もそれに倣う。

 後は玄関の戸を開けるだけだが、ここが最大の難所。

 鍵を開けるにしても扉を開けるにしても扉を閉めるにしても鍵を掛けるにしても――それら全ての動作は、どうしたって音が鳴ってしまう。うちはお母さんが寝る前にドアにチェーンロックを掛けてしまうので、難易度は更に跳ね上がる。

 と思ったけど、何故か今日はチェーンロックが掛かっていなかった。精密機械ばりの慎重な手つきで鍵を開け、ゆーみんは外の世界へ続く扉を開放する。

 一足先に深夜の空の下へ抜け出した私に続き、外に出たゆーみんは開けた時と同様に慎重な手つきで施錠した。カチリという音が鳴る度に、肝が冷えた。

 鍵穴から抜かれる鍵を見――私は殆ど何もしてないのに、溜め息が漏れる。家から出た後で靴を履くのは中々に滑稽な光景だったけど、ゆーみんは相変わらずの仏頂面なので笑うに笑えなかった。

「で、何だったの?」

「……え?」

 無言で家を後にし、虫の鳴き声だけが静かに響き渡る深夜の住宅街を少し進んだ所で、ゆーみんが先に沈黙を破ってきた。だけど、突拍子もなしに何だったと訊かれても、何を示しているのか全く分からない。

「家を出ようとしていた時に、私に何か訊こうとしていたでしょう」

「ああ」そうだった。私とした事が、すっかり忘れていた。

「抜き足、差し足、忍び足ってあるでしょ?」

「ええ」

「忍ぶだけなら、忍び足だけでもいいんじゃないのかなって思ったんだけどさ。だって、忍ぶ為の忍び足でしょ? それ単体で機能してくれないのなら、抜き足と差し足も忍び足の中に含んだ方がいいよ」

「あのさぁ……」虫の鳴き声に紛れるようにして、ゆーみんの口から溜め息が漏れ出たのが分かった。

「小学生じゃないんだから、慣用句にいちいち突っ込まないでほしいわ。それだけ慎重に歩きたいという事でしょう?」

「石橋を叩いたワタル的な?」

「誰よ」

 私も知りたい。

「ところで」街灯に群がる羽虫を見上げながら、ゆーみんは話題を切り替えてきた。「今日は何時まで調査するつもりなの。柏羽中学の七不思議を――いえ、九不思議ね――全部調べようと思ったら、恐らく一日では終わらないでしょう」

 胸の前でそれらしく腕を組んでみて、それらしく唸ってみたけど――別段、何も考えちゃいない。そういったスケジュール管理はゆーみんに全部任せようと思っていたから。

「でも、確か」ふと思い出した事があったので、先日の調査で使用したノートをバッグから取り出して適当なページをめくる。「七不思議のひとつに、合わせ鏡の中に引きずり込まれるというのがあるでしょ」

 ゆーみんは頷いた。

「合わせ鏡に引きずり込まれるっていう話自体は、別に珍しくないよね。普通の建物で、合わせ鏡になるような鏡の配置の仕方はしないだろうから、生徒が自分で鏡を持って、壁に掛かっている鏡に向けるんだと思うけど――その為に、とりあえず鏡も持ってきてあるし」

 でも、流石は都市伝説。よくある話でも、人によって微妙に細部が異なる。

「鏡を合わせる時間が正午零時だったり、二時だったり、四時四十四分だったり、情報がてんでばらばら。一番多いのは、やっぱりというか――四時四十四分なんだけど、零時と二時にも一応は調べておきたい気はするかな?」

 でも、時間帯的に――二時はともかく、正午零時というの相当に厳しい。お母さんもお父さんも就寝するのはちょうどその頃になるので、その時間の前に学校で待機するのは物理的に不可能になる。誰か、友達の家にお泊まりに行くという体で抜け出す方法もあるけど、それは最終手段。

「……という事は、一番遅い時間で、帰りは五時を回るのね」

 どうやら、ゆーみんは正午零時の方を如何にして調べるのかという点に関して、まるで興味がないみたいだ。

「早く寝たいの?」

「生活リズムを崩したくないというのはあるけど、それは仕方ないわね。それよりも、帰りが問題なのよ」

「そうかなあ?」

 ゆーみんが何を危惧しているのか、よく分からない。

「行きよりも、帰りの方が不安なのよ。深夜の五時とは言うけど、実際には早朝よ。会社勤めのサラリーマンなら普通に通勤している時間帯だから、そういう人たちに見付かる可能性は無視できないでしょう?」

「別に、悪い事はしてないもん」

 私だったら、朝の散歩です! で押し通せる。姉妹が仲睦まじく散歩している――うん、何ら不自然じゃない。

「……ま、お父さんやお母さんに見付かる訳じゃないからいいけどね」

 私たちの両親は、大体いつも同じ時間――朝の六時頃に起床するのが常となっている。早く帰ってくる事はあれど、早く起きる事はない。その点、うちだけならゆーみんが危惧しているような心配はない。

「そうだよ。大体さ、ゆーみんはいつも考えすぎなの。ド田舎じゃあないんだから、私たちが外を歩いている所を誰かに見られたって、お母さんやお父さんに言う人なんていやしないよ」

 それから取り留めのない話を小声で交わしながら歩き続け、深夜の柏羽中学校に到着したのは三時半頃の事だった。勿論、正門も裏門も施錠されていて普通に立ち入り出来ないので、門を乗り越えてお邪魔させてもらう。その為に、私もゆーみんもなるだけ動きやすい格好で来ている。

「だからといって、ジャージはどうかと思うんだけど」とは、着替え終わった私に対するゆーみんのコメントだけど、誰に見られる訳でもないから構わないでしょう。

 まあ、ジャージに探偵帽子という組み合わせは、ちょっと不格好だけど。

 でも――別に悪い事はしていないとは言ったけど、門を乗り越えて学校に入るのはどうなんだろう。不法侵入に値するのだろうか。別に盗みを働く訳じゃないし、私もゆーみんもここの生徒なんだし、大丈夫だと思いたい。

 もし先生にバレたら、思い切り怒られるんだろうなあ。

 一切の明かりがない深夜の校舎を直に見るのはこれが初めてだけど、それだけでひとつの巨大な化け物に見えない事もないなと思った。こんなにでかい化け物なら、中に魑魅魍魎が蠢いていたっておかしくない。そんな新校舎を横目にがらんどうとしたグラウンドを突っ切り、先行する私は旧校舎の昇降口の前で足を止めた。

 古ぼけた木造校舎を見上げ――涼しげ夜の風が僅かに汗ばむ私の身体を撫で、その意外な寒さに身震いする。武者震い――ではない。怖いとは別に思わない。いや、嘘。怖さ半分、楽しさ半分、だろうか。

 三度の飯より怖い話が好き――なんて豪語していた時期もあるくらいには怪談が好物だけど、実際にそういうスポットに足を運ぶのは今日が初めてだ。小学生の頃は深夜に出歩くという発想がなかったし、そもそもうちの近辺にはそういう類の場所がない。家族で遊園地のお化け屋敷に行った事はあるけど、生身の人間が演出している恐怖では物足りなかった。

「……そういえば、ゆーみんはお化け屋敷で号泣してたよね。帰る?」

 思い出し笑いを浮かべてしまったのが悪かったのかもしれない。言いながら後ろを振り返ってみると、ゆーみんは眉間に縦皺を刻んでいた。

「じゃあ帰らせてもらうわ。後は頑張って」「ごめん、ごめんなさい」

 踵を返そうとするゆーみんの袖を引っ張りながら、旧校舎に突入しようと試みる。立入禁止と書かれている張り紙を無視して昇降口の扉に手を掛けたけど、ガタガタという音が鳴るだけでビクともしない。

「開く訳ないでしょう」と、溜め息まじりのゆーみん。そんな風に冷静に言われても、困る。

「じゃあ、どうすればいいの? この中に入る為に来たのに、このままじゃ何もできないよ」

「こっち」

 ゆーみんを引っ張る側だった私が、引っ張られる側になる。旧校舎の建物をぐるりと回って裏手の方まで来たので、裏口か何かあるのだろうかと――そう思っていたのだけれど、立ち止まったそこは廊下の前だった。

「ゆーみん?」

 首を傾げる。ずらりと並ぶ窓ガラスはどれも汚れており、その向こう側、校舎の中を伺う事ができない。その窓の中のひとつに手を伸ばしたゆーみんは、ガタガタと――建て付けが悪くなっている窓に相応しい音を立てながら開けた。

「開いていてよかったわ」

「というか、何で開いてるの? 鍵は?」

 試しに開いている場所の隣にある窓に手を掛けてみたけど、指が汚れただけだった。

「どうせ小夏は何も準備しないだろうと思ったから、今日の昼間――小夏が塾に行っている間に手を打っておいたわ」

 鞄から上履きの入った袋を取り出し、その中の物を廊下に入れる。地面に足が付かないよう、器用に靴を脱ぎながら廊下へ侵入するゆーみんに倣って、私も旧校舎に足を踏み入れた。

 床に足が乗っただけで、軋むような音が鳴る。

 締め切られている空間は蒸し暑く、そして光源が月明かりのみなので非常に暗い。もちろんこのままでは満足に調査できる訳もないので、私とゆーみんは靴をしまってから各自用意していた懐中電灯を鞄から取り出した。

 円形の光が照らす廊下の壁を見ながら、ゆーみんは続ける。

「ボランティアで旧校舎の清掃をしたいって先生方に頼み込んで、特別に立ち入らせてもらったの。あそこはいろいろ危険だからと――教頭先生に反対されたりして、一時は断念しようかと思ったけどね。福島先生が立ち会いの元、というのと、清掃するのは一階のみという条件で許可してくれたわ」

「マキちゃん先生が」

「私は諦めようと思っていたのに、何というか……後半は、福島先生が意地になっていたわ。こんなに学校の事を想っている生徒の気持ちを、無下にしてしまうんですか云々」

 その光景は容易に想像できる。まだ夢多き新米教師のマキちゃん先生なら、そう言い出しても何らおかしくないと思う。

「それで旧校舎の一階を先生と二人で清掃して――隙を窺っては、何カ所か窓の鍵を開けておいたわ。この窓のようにね」

 再びガタガタと音を鳴らしながら、ゆーみんは私たちが入ってきた窓を閉める。そうすると外から吹き込んでくる風が完全に遮断されるのだけれど――旧校舎の窓が開けっ放しになっている所を目撃される可能性は否定できないので、仕方ない。

「本来であれば、旧校舎は誰も立ち入らない場所だから、先生も殆ど戸締まりを確認しない――という読みが当たっていてよかったわ。これでもし閉まっていたら、手詰まりになり掛けていたでしょうね」

「さっすが、ゆーみんだね! 私はそんなこと全然考えてなかったよ」

 思わず懐中電灯の先をゆーみんに向けてしまった。眩しそうに目を細められ、私は慌てて「ごめん」と、足元の床に光を当てる。

「というか、昇降口に鍵が掛かっていないとでも思っていたの? 私が前以て手を打っていなかったら、どうするつもりだったのよ」

 正確には、鍵という概念自体が私の頭の中から消えていたのだけれど……それを言うと呆れられそうなので、私は胸の前で腕を組み、考える。

「……扉を突き破る?」

「あのさぁ……」

 結果は変わらなかった。

 まあいいわ、と言って、ゆーみんは続ける。

「で、どこから調べるつもりなの」

「んー」鞄から例のノートを取り出し、七不思議の一覧を纏めたページを開く。そのままではまともに読めないので、それをいったん床に置いて懐中電灯で照らした。

「私としては……やっぱり、トイレの花子さんを推したいかな。定番の中のド定番だし、それだけに最も情報が多かったし。でもさ、ゆーみん。あまり調査に時間を掛けたくないんなら、二人で手分けした方がいいかなと思うんだけど」

 返事がない。

 あれ? と思って紙面から顔を上げてみると、ばつの悪そうな表情を浮かべているゆーみんがそこにいた。

「……いえ、これに限っては、手分けする必要はあまりないわ。こんなに暗い場所じゃあ、一人で調べたら重要なものを見落としそうだし」

 私の頭の中で閃くものがあったので――思わず笑いを堪えきれず、口の端に笑みが浮かんでしまったかもしれない。

「ひょっとして、怖い?」

「は?」その瞬間だけ、ゆーみんの声量が通常の倍近く大きくなった。明らかに怒気を孕んでいると分かる表情だったけれど、しかし目が泳いでいる。

「何を馬鹿な事を言っているの? 一体この学校のどこに怖い要素があるのか、教えてほしいわ」

 怖いんじゃん。

「……そうだね。怖くないね」

 言及して怒られるのも嫌なので、話を合わせてあげた。

「じゃあ、とりあえずトイレの花子さんから調べよう。……といっても、これはトイレの花子さんなのかどうか非常に怪しいんだけどさ」

「どういう意味?」

 言いながら、ゆーみんは中腰でノートを覗き込んでくるが――目が悪い上に薄暗い環境下で、そのうえ私の向かいなのでノートを逆さに見る形となってしまっている。それでは到底読めないだろうから、私が要約してあげた。

「情報として一番多かったのは、旧校舎二階の女子トイレの奥から、たまに荒い息遣いのようなものが聞こえる……という話なんだけど」

「……それだけ?」

 ゆーみんが不満に思うのも無理はないと思う。

 トイレの花子さんといえば、三階のトイレで手前の個室から扉を三回ノックし、「花子さん遊びましょ」等と声を掛けていくと、三番目の個室から「はい」という返事が来て、その扉を開けると赤いスカートを履いたおかっぱ頭の女の子に引きずり込まれる――という話が有名だろう。

 地方などによって細かい差異はあるけれど、それを差し引いても、これは酷い。

 ドアをノックする訳でもなければ、遊びに誘うのでもない。何か聞こえるというだけで、花子さんらしき人物の目撃例は一件たりともない。それなのに、みんな口を揃えて「トイレの花子さん」と言うのだから、おかしな話だ。

「でも、その話が最も多い――という事は、二階のトイレには何かしらあるのかもしれないわね。それを誰かが誇張してトイレの花子さんになった可能性は、充分に有り得る」

「そうだといいんだけどね。じゃ、二階のトイレに――」向かおうと思って踏み出した足が、止まる。「――階段はどこにあるんだろう」

 何せ、旧校舎に入るのは今回が初めてなのだ。外から見ただけで構造を理解できるような頭はもっていないので、どこに何があるのかまるで分からない。私たちの目の前には教室があるけれど、果たして何年何組の教室なのか――はたまた何かの特別教室なのか、それすら判然としない。

「こっちよ」

 進行方向に懐中電灯を向けて、ゆーみんが先行する。流石、今日の昼間に訪れただけの事はある。

 私とゆーみんの足音だけが響き渡る旧校舎の廊下は、外界から遮断されているかのような気味の悪さがあるけど――僅かな蒸し暑さが雰囲気を損ねている。清掃をした為か、あまり汚れているような印象も受けない。

「もっとさ、なんかこう……蜘蛛の巣があちらこちらに張り巡らされていて、埃っぽい空間を想像していんだけど、拍子抜けしたな。こんな場所じゃあ、肝試しすら満足に出来そうにないよ」

「私と先生が清掃しなくても、ここはそこまで汚い場所じゃなかったわよ。定期的に清掃されていても、おかしくないし」

 長年に渡って使用されていないとはいえ、学校の一部だ。年に一回くらいは清掃されていても不思議ではないか。

 そこそこ長い廊下の突き当たりで左に曲がると、すぐ右手に上り階段があった。そこから先は、ゆーみんにとっても未知のエリアとなる。

 心なしか、階段を上るゆーみんの足が遅い。怖いものが苦手なら無理もなく――知らない場所なら私も条件が同じなので、少し歩を早く進めて彼女の前に出てあげた。

 私だって、たまには空気を読める。

「うわ」何となしに手摺りを掴もうとした手に不快な感覚が伝わり、思わず声が上がってしまった。どうやら二階から先は、あまり清掃されていないらしい。手のひらに付いてしまった埃を払いながら、二階に到着する。

「で、トイレは……」

「一階と場所が同じなら――たぶん、こっちね」

 懐中電灯の光を辺りに巡らせている私の背に、ゆーみんが声を掛けてくる。振り返ってみると、私とは正反対の方向を見ていた。

 二人で並びながら進むと、廊下の中程――進行方向の右手に男子トイレと女子トイレが見えてきた。その前で立ち止まると、ゆーみんが微かに息を飲んだ気がする。

 出入口の扉がないトイレの奥は廊下にも増して暗い空間が広がっており、入れば二度と出られないような気味の悪さを覚える――と、ゆーみんはそう思っているかもしれない。

 じゃ、私は男子トイレを調べるから、ゆーみんは女子トイレをお願いね! と言ってみたかったけど、冗談でもそういう事を言うと怒られそうなので諦めた。

「とりあえずは、女子トイレからかな」

 出入口の前で立ち往生したまま進む気配がないので、私が率先して女子トイレに足を踏み入れる。本当に怖いのなら外で待ってくれても構わないのだけれど、ゆーみんはくっつくようにして私に続いてきた。

 どっちにしろ――一人で待っているのも、怖い事に変わりはないか。別行動を取った途端に仲間が失踪するのも、ホラーの定番だし。

 入ってすぐ右手に水道と鏡が二つずつ並んでいる。正面には、掃除用具入れと個室が二つ――二つ?

「……これって、掃除用具も個室のひとつとしてカウントすべき、なのかなあ」

 唸りながら三つの扉をそれぞれ懐中電灯で照らしていると、何を思ったのかゆーみんが掃除用具入れの扉を躊躇なく開けた。怖いと思っている筈なのに、よく分からない所で行動的だ。それとも、何かしていないと落ち着かないというやつかな。

 ちなみに、掃除用具入れの中には錆び付いた蛇口があるだけで、他には何もなかった。懐中電灯で一頻り狭い空間を照らして、ゆーみんは扉を閉める。そのまま隣――いよいよ本命の個室に向かうと思いきや、

「後は小夏に任せるわ」

 なんて中途半端な……。

 それなら最初から何もしないで見ていればいいのに――そう思いつつ、「オッケー」と素直な妹を演じて一番手前の個室の前に立つ。集まった情報の中には、扉をノックする行為も声を掛ける行為も――トイレの花子さんらしい情報は何ひとつとしてないけれど、とりあえずは形式通りにドアを三回ノックしてみた。ここは二階だから二回の方がよかったのかもしれないと思ったけど、時すでに遅し。

「花子さん、遊びましょ」

 返事はない――代わりに、ゆーみんが鼻で笑ったような気がして顔が熱くなった。何の躊躇いもないように思われているかもしれないけど、実際にやってみるとすごい恥ずかしい。

 中学二年生にもなって、私は何をやっているんだろう……。

 出来れば奥の個室に同じ事はしたくなかったけど、ゆーみんの手前やめる訳にもいかないので、同様にノックして同じ文言を口にしてみたが――結果は変わらなかった。もしかしたら、万が一にでも、と期待しただけ無駄だった。念の為に個室の扉を開けてみるが、その中には見慣れた光景しかない。

 軽く嘆息を漏らす私の隣で、ゆーみんが手前の個室の扉を開けた。安全だと分かった途端に、これだ。

「そっちも何もないよね?」念には念を入れて、懐中電灯で個室の隅から隅まで見回しながら尋ねてみる。だけど返ってきたのは無言だった。

「……ゆーみ――」

 どれだけ入念に調べても収穫がないので、諦めてゆーみんの方を確認しようとして――言葉を失う。

 ついさっきまで、間違いなく私の隣にいた筈のゆーみんが姿を消した。

 私が個室の中を入念に調べていた僅か数秒の間に――姿を消してしまった。

「ゆーみん!」思考が停止してしまうよりも早く動いた私の身体が、手前の個室に突入しようとして――全く意図しない所で扉が何かに引っ掛かって止まり、勢い余って扉に顔面をしたたか打ち付けてしまった。

「いったぁ!」という私の悲痛と同時に、扉の向こうから「痛っ!」と、ゆーみんの声が聞こえてきた。

 頭上に大量のクエスチョンマークが浮かんでいてもおかしくないくらいに、目を瞬かせながら呆然としていると、扉の向こうからゆーみんが姿を現した。どうやら、私と同じように個室の中を調べていたらしい。

 怪訝そうな表情を浮かべながら「どうしたの」と訊いてくる。まさか「ちょっと目を離した隙にゆーみんがトイレに引きずり込まれて姿を消した」なんて言える筈もなく、無理矢理な笑みを浮かべて「別に、何でもない」と首を横に振った。

 そうしてから、心中で溜息を漏らす。

「小夏。ひとつ確認したいんだけど」

 今し方わたしが調べていた奥の個室を覗き込みながら、ゆーみんは訊いてくる。

「なあに?」

「旧校舎二階の女子トイレの奥から、荒い息遣いのようなものが聞こえる、だったわね」

「たまに、ね」

 補足してあげたけど、ゆーみんは何も応えなかった。暗がりの中で獲物を狙う動物のように、じっとして動こうとしない。何か思う所があるらしいのは分かるけれど、何を思っているのか分からない以上、余計な口出しは無用だと思った。

 ただ、その状況が十数秒も続いてしまうと、流石に我慢の限界を迎えるというもの。動かない背に向かって、「ゆーみん、どうしたの?」と声を掛けてみる。

「何となく分かったわ」

 一拍の間を置いてから、その返事と共にようやく個室から出てきた――と思いきや、再び手前の個室の扉を開けた。

「分かった……って?」

「荒い息遣いのようなもの。物は言い様ね。誰か出てくるかもしれないという極限状態なら、ただの音を息遣いと勘違いしても無理はないでしょうね」

 ゆーみんに続いて、私も手前の個室を覗き込んでみる。彼女が懐中電灯で照らしている箇所――個室の隅に目を凝らしてみると、壁に張り巡らされているタイルの隙間に何かがある事に気付いた。

 個室に足を踏み入れてよくよく見てみると、そこには何かあったのではなく――何もなかった。小指も通りそうにない狭い空洞が空いている。その虚空に手を伸ばしてみると、すきま風が吹き込んできているのが分かった。

「これがトイレの花子さんの正体?」

 肩越しに振り返ると、ゆーみんは「さあ」とかぶりを振る。

「本当にトイレの花子さんがいるのかもしれないけど、だとしたら『息遣いのようなものが聞こえる』なんて曖昧な噂は立たないと思うわ」

 扉を叩かなければ、呼び掛けもしない。それは何故かといえば――そうする必要がないから。

「そんなものかな」

 納得できない――というか、これで納得したくない感はあったけど、もし本当にトイレの花子さんに出てこられても困るので、ゆーみんの結論を採用する事にした。

 鞄からデジタルカメラを取り出し、すきま風が吹き込む問題の空洞や、トイレの至る所を撮影する。そうしてから、念の為に男子トイレも調べ(男子トイレに足を踏み入れる事をよく思わないゆーみんに少し反発されたけど、外で待っているのは、やっぱりそれ以上に嫌らしかった)、女子トイレの時と同様に花子さんを呼び出そうとして――結果は言わずもがなだった。

「さて、次はどうしよっか」

 次に検証する七不思議を決めるべく、二階トイレの前で再びノートを開く。

 何せ、まだ謎は八つも残っている。今日一日で全部調べるのは無理にしても、出来るだけ短期間で済ませたいと思っているのは私もゆーみんも同じだ。

「いちいち選んでいるのも手間だから、情報数の多いものから順に調べていけばいいんじゃないかしら」

 ゆーみんの意見はもっともなので、トイレの花子さんの次に話が多かった十三階段を調べるべく、三階へ向かう事に決めた。

 来た道を戻り、三階へ続く上り階段を目の当たりにして私とゆーみんの足が止まる。二階に来た時は全く気付かなかったけど、上り階段の前にはロープが張られてあり、その真ん中には「キケン 立ち入り禁止」と書かれた紙が乱雑にくっつけてあった。

「おかしいわね」懐中電灯で張り紙を照らしながら、ゆーみんは呟く。そうとう年季が入っているその紙は、薄汚い茶色に変色している。

「おかしいって、何が? 古い校舎なんだから、危険な場所があってもおかしくないと思うけど」

「そもそも……この旧校舎自体、立ち入りが許可されていないでしょう。昇降口の扉にも張り紙があった。なのにこんな場所にわざわざ張り紙がある。まるで何か、見られると都合の悪いものを隠しているかのように」

「ははん」口の端が否応なしに吊り上がってしまう。

 駄目と言われるとやりたくなってしまうのが人の性だ。そしてそれを止める人はいない。何の躊躇いもなしにロープを潜り、私とゆーみんは並んで階段を見上げる。

 目の前にある段差は六段。その先の踊り場を経由して、更に六段――計十二段を上れば三階に到達する、筈だ。しかし、十二段しかないこの階段が、十三段に増えている時があるという。

 確かに怖い話ではあるけれど、それだけだと画的に地味になってしまうのはどうしたって否めない。話によっては、十三階段を上ると死ぬとか、別次元に飛ばされるパターンもあるらしいけれど、今回はそのような情報は全くなかった。

 階段の写真を取ってから、隣のゆーみんと頷きあう。

「一段」と声を揃えて互いに片足を階段に乗せ、「二段、三段」とカウントしていった。そうして何事もなく六段を上り、狭い踊り場に到着する。

 そこから望める残りの段数は六段。それをフレームに収めてから再び階段を上る――前に、私は口を開く。

「ところでゆーみん、今なんどきでい」

「……七つね」

 頷いて、階段を上る。

「八段、九段、十段」十一、そして十二で終わる筈だった私たちのカウントは、「十三段」まで続いてしまった。

「……何が続いてしまった、よ」三階に到着したゆーみんが、大きな溜め息を漏らす。「七段目を飛ばしてるでしょう?」

「あれ、バレてた?」

 わざとらしくはにかんでみせるけど、時間を訪ねた際にゆーみんが「七つ」と答えてくれた時点で何もかもバレていたのは分かりきっていた。つい最近、友達の家で読んだ落語の漫画を見て、ちょっと落語の真似をしてみたかっただけだった。

 ゆーみんなら乗ってくれるだろうと信じて。

 肝心の段数は、言わずもがな――十二段だった。これで十四段カウントしていたら肝を冷やしていた所だけど、そんな事がある訳もない。

「じゃあ、何で十三階段の情報が多かったんだろう」

 三階から階段を見下ろしながら、顎に手を当ててそれっぽく唸ってみる。

 火のない所に煙は立たないと言う。十三階段に関する情報が多いという事は、先程のトイレの花子さんのように、それを裏付ける「何か」があって然るべきなんじゃないのだろうか。階段が増えていると錯覚するような「何か」が。

「ゆーみんは、どう思う?」

 隣にいる姉は、てんで見当違いな方向――階段を上った先、三階の教室を見ながら難しそうな表情を浮かべていた。その視線を追ってみても、先にあるのは教室で間違いない。

 もう十三階段の事なんかどうでもよく思っているのか。それとも、不自然に閉鎖されているこの三階に何があるのか気になって仕方がないのか。気持ちは私も同じだけど、せめてもう少し真面目に考えてほしいと――そう思って頬を膨らませかけて、

「ひとつ、強引な解釈をすると」と、ゆーみんが口を開いてから、前方の教室に向かって一歩踏み出した。

「ここに来るまでにいくつか教室の前を通ったけど、こんな物を見るのはこれが初めてだわ」

 懐中電灯の先が教室の入口に向けられる。そうして光に照らされた「こんな物」は、確かに私も初めて見るものだった。

 ステップ、というべきだろうか。木製の小さな段差がひとつ、入口の高さに合わせて置かれてあった。黒板の下にある足場を、思い切り縮小したような、そんな物体だ。

「建築ミスでもあったのか知らないけど、この足場がないと教室に出入りする際に転びそうになるわね」

 その足場に片足を乗せて、ゆーみんは私の方を振り向く。

「これが、十三段目」

「階段じゃないじゃん」

 どう贔屓目に見たって、それはただの段差だ。

「強引な解釈をするならって、最初に断ったでしょう。もしも階段を上る途中でこの段差を見付けて、それを十三段目だと錯覚したのであれば」

「……そんなの、有り得るのかなぁ」

 意地の悪いなぞなぞの解答を見ているようで、全く釈然としない。しかし、それ以外に十三階段と関係のありそうなものが見付からない以上――何かしらの怪現象が発生しない限りは、これが最有力候補として挙がってしまう。

「情報が多かったトイレの花子さんと十三階段がこれだよ? この後に控えているやつも同じように微妙なものだったら、どうしよう」

「やめるのも一つの手でしょうね」

「ここまで来てやめちゃったら、女が廃るよ!」

 別に廃らないと思うけど――というゆーみんの言葉は聞かなかった事にして、とりあえず十三階段と仮定した段差を写真に収める。それで十三階段の調査は終了したのだけれど、ふと気になった私はその教室に歩み寄り、段差を上ってから扉に手を掛けてみた。

 鍵が掛かっていると――開く気配のない扉に最初はそう思ったけど、どうやら単に建て付けが悪いだけのようだった。僅かに開いた隙間に両手の指を突っ込む事で、重い扉はようやく動いてくれた。

 ここが本当に十三階段だというのであれば、この先は違う次元に繋がっているかもしれない。そのような淡い期待を胸に開けた扉の先は――、

 何もなかった。

 この場合の「何もなかった」というのは、期待していた光景などなかった、という意味ではなくて(勿論、そんな光景もなかったけど)、言葉通り何もなかった。そう勘違いしてしまう程度には、何もない空間が延々と広がっている。

「多目的室、かしら」

 普通の教室の三個分か、それ以上の広さがありそうな部屋を覗き込み、ゆーみんは言う。懐中電灯の明かりを巡らせても机ひとつ見受けられないそこは、確かに多目的室と呼ぶに相応しい場所だと思う。

「人によっては、このだだっ広い空間を十三階段の先に続く異空間だとか、そう思った可能性もあるかもしれないわね」

「そんな有り得ないレベルの勘違いをする人なんているの?」

「この多目的室があるからこそ、入口の段差を十三段目と勘違いした――という考え方も、出来るんじゃないの」

「……物は言い様だよね」

 多目的室の中へ足を踏み入れ、数枚の写真を撮影しておく。この場所もレポートに載せた方が、十三階段のオチとしては多少なり盛り上がるだろう。

「さて、次は確か……人体模型だったかな」

 多目的室を後にした私は、そう言いながら後ろ手に扉を閉めようとして――しかし建て付けが悪いので思っている通りには事が運ばず、結局は扉に向き直って両手で閉めた。そうしてからゆーみんの返事を待つが、あまり面白くなさそうな表情を浮かべる一方で何も言おうとしない。

「……どうしたの?」

 まさか、人体模型が怖いとか。

「さっき小夏に訊かれた時にも答えたけど、もう午前の四時を回っているのよ。そろそろ引き上げた方がいいかもしれない」

「えぇ?」反射的に反論の声を上げてしまった。「まだ来たばっかなのに」

「……小夏がすんなり起きてくれて、さっさと支度してくれれば、もっと時間に余裕を持てたんだけどね?」

「うっ……」

 そう言われると、返す言葉がない。

 だからといって、このまま引き下がる訳にもいかない。大体、ゆーみんは警戒し過ぎなんだ。お父さんは大人の特権がどうとか言っていたけど、子供にも子供の特権が――何をやっても大抵は許されるという特権がある。早く大人になりたくてやきもきする時はあるけど、子供である以上は子供である利点を最大限に活かしたい。

「じゃ、じゃあさ……せめて、理科室だけでも探さない? そうしておいた方が、次の調査がスムーズになると思うんだ」

 それは私なりの最大の妥協点だったのだけれど、

「一階にあったから」

 一蹴されてしまった。

 一階に理科室を設けようと考えた人の罪は重い。

「あ、そう……」

 という訳でそれ以上の反論は出来ず、大人しく帰宅する羽目になった。

「子供なのに大人しいって、何なのさ。相手の言う事を素直に利くのが大人だというのなら、そんなの絶対に間違ってる!」

「そういう矛盾を大量に抱えないと大人にはなれないんだ。……お父さんなら、そう言うでしょうね」

 ――等という取り留めのない会話を交わしながら、入ってきた時と同じ窓から外に出、来た時と同じように正門を乗り越え、私とゆーみんは帰路に就いた。

 いつもの通学路を歩く際に、ゆーみんが危惧していたような事態――近所の人に目撃されるというような事もなく。恐らくは早朝の新聞配達だろう、遠巻きにバイクの走る音が聞こえてきたけれど、それくらいだった。

 運がよかっただけよ。いつも都合よく事が済むと思っていたら、いつか痛い目を見るわ――何もなかったじゃんと言えばそのような反論が返ってくる事は充分に予測できていたので、コメントするつもりはなかったのだけれど。

「運がよかっただけよ。いつも都合よく事が済むと思っていたら、いつか痛いを見るわ」

 自宅に到着する直前に、私の心中を見透かしたような言葉が飛んできた。

 一卵生双生児でもテレパシー的な何かが存在するのか、それとも見透かされる程に私の思考は単純なのか。恐らくは後者だろうけれど――どちらにしても、私は苦笑を浮かべるしかなかった。

 慎重に自宅の玄関の鍵を開けるゆーみんの後ろで、何となしに空を見上げてみる。ぼんやりと明るくなっている西の空が、新しい朝の訪れを告げていた。


 事件が起こったのは、一週間後の事だった。

 夏休みとはいえ――寧ろ夏休みだからと言うべきか、互いのスケジュールが確実に合う日は、調査初日を含めて週に三日くらいしかなかったので、一週間で九つの項目を全てクリアする事は出来なかった。尤も、急いで調べる必要がなかったので、二週間でも三週間でも構わないと暢気に構えていたものだったけど。

 群を抜いて情報数が多かったトイレの花子さんと十三階段の結果が散々たるものとなれば、それ以外の怪談で満足のいく結果が得られる道理もなかった。

 動き出す人体模型に関しては、どうやら教材の類は全て撤去されていたらしい。まず理科室に人体模型が存在しなかった。既に動き出していて――校内を駆け回っているんだよと否定してみたけど、それと遭遇できないのであれば仮説を立てても何の意味もなかった。

 音楽室に関する二つの怪談――勝手に鳴り出すピアノと、目が動き出す肖像画に関しても同様で、ピアノもなければ肖像画もなかった。どうやら学校の備品は大半が撤去されているようで、七不思議が提唱された時にはまだ撤去されていなかったか――若しくは新校舎が立てられる前だろう……というのが、ゆーみんの推測だった。

 となると、備品が絡んでくる怪談は軒並み調査が不可能になる――そう危惧していたのだけれど、残された怪談の中で備品が絡んでくるものは「合わせ鏡」のみだった。鏡ならトイレで見掛けているので撤去されている可能性は低く、調査は滞りなく行える……そう、滞りなく行えた。

 問題の時間帯、特に深夜零時の調査をどうクリアするかについては、結局諦めたけど。

 ただ、どこの鏡が曰く付きの物なのか。合わせ鏡に引きずり込まれるというだけで、他には一切の情報がなかった。仕方がないので旧校舎にあるあらゆる鏡を探して回り、家から持ってきたスタンドミラーで検証を行ったのだけれど、当然の事ながら時間と労力の無駄に終わった。

 その他に関しても散々たる結果だった。校庭から出てくる手を確認する為に、二人で一時間近くに渡って校庭を眺め続けていたし、プールで足を引っ張られるという怪談に関しては、私ひとりで水泳を満喫しただけだった。夜のプールを一人で独占できたのは、それはそれで悪くなかったのだけれど、ゆーみんに白い目で見られていた気がする。

 そうして着実に七不思議の調査は進み、一週間が経過した。

 いよいよ最後のひとつ――無人の体育館からボールが跳ねる音が聞こえてくるという怪談の検証する為に(今までの結果が結果なので、殆どやる気がなかったのだけれど)、午前三時に起床してから身支度を整える。ゆーみんに嫌みを言われてからは、起こされる前に起きるよう努めてきた。

 いつものように音を立てずに自分の部屋を後にして、抜き足、差し足、忍び足で廊下を進む。一階へ降りるべく階段を降りようとして――階下に見えた人影が、私の足を止めた。思わず後退さりした身体が、後ろを行くゆーみんとぶつかる。

「……なによ、どうしたの?」

 ゆーみんが小声で言った瞬間、頭上の電球に光が灯り――廊下と階段が照らされた。もちろん、私もゆーみんも電気のスイッチに触れていない。かといって、勝手に点くような機能が備わっている訳でもない。

「……お父さん」

 階段手摺越しに階下を見、ゆーみんは呟く。

 気のせいだと思いたかったけれど、現実を告げられてしまっては仕方がない。ゆーみんと同じようにして階下を覗き込むと、一番下の段に腰を下ろしているお父さんが、こちらを見上げながら片手を挙げていた。

 階段で寝る程だらしのない人ではない。つまり、私とゆーみんが深夜に活動しているのを知っていて、待ち伏せされていたという事なのかな。

「いつから気付いていたのさ?」

 私の問いに対して、水色のパジャマに身を包んでいるお父さんは、自分の口元に人差し指を当てる。

「母さんは寝てるんだ。ここを静かに出ていきたいんなら、小声で喋っとけ」

「……てっきり、止められるものだと思っていたんだけど」

 その口振りからすると、どうやらそのつもりではなさそうだった。だとしたら、どうして待ち伏せしていたのだろう。

「俺は基本的に放任主義だからな。やりたいと思っている事は自由にやらせておくさ。まあ……だがしかし、だ。年頃の娘が夜中に外を出歩くのは道徳的によろしくない。それでも俺は構わないが、母さんは絶対に許さないだろうな」

 そこでだ――と言いながら、お父さんは気だるそうに立ち上がる。

「交渉しよう。お前たちが最近こそこそ調べ回っているのは、例の学校の七不思議、だろう? その調査が終わったら、全ての情報を俺に開示する。それを約束してくれれば、俺は何も見なかった事にして、このまま寝る」

「断ったら?」と、ゆーみん。

「母さんに報告してやろう。当然、外には出られない。お前たちの夏休みの自由研究は、ここで終わりを迎える。実に呆気なかったな」

「自由研究じゃなくて自由課題だもん」

 お母さんにチクられる事よりも、自由研究という言葉が引っ掛かった。小学生の宿題と同じだと思われるのは極めて心外。誠に遺憾である。

「いいんじゃないの、別に」

 私の意志はお構いなしに、ゆーみんはあっさりと承諾してしまった。

 どうしてお父さんに研究成果を見せないといけないのか全く分からないというのに――どうやらそれで交渉は成立してしまったようで、

「オーケー。じゃ、俺は何も見なかった事にして寝るかな。まあ、せいぜい頑張ってくれ。面白い結果を期待してるぞ」

 廊下の電気が消される。

 これから自分の娘が深夜の学校に侵入しに行こうとしているというのに、暢気に手を振りながら寝室へ戻っていってしまった。だからこそ助かったというべきなんだろうけれど、父親ならもっとしっかりしてほしいとも思う。放任主義? それっぽい事を言っているようで、教育を放棄しているだけじゃないのかしら。

 寝室の扉が閉まり、再び深夜の静けさを取り戻した廊下を進もうとするゆーみんの袖を掴む。怪訝そうな表情が暗闇の中に浮かんでいる。

「何で勝手に許可しちゃったの?」

「あのさぁ……」

 溜め息をひとつ吐いて、ゆーみんは私の手を払う。そうしてから静かに階段を下り始めたので、話を続けるに続けられない私も後に続いた。

 どうやらお父さんが計らってくれたのか、玄関のドアにはチェーンロックも鍵も掛かっていなかったけれど――だからといって、損なわれた私の機嫌は直らない。

 思わぬ邪魔が入ったけど、いつも通り音を立てないようにしながら自宅を後にした。玄関先で靴を履き、学校へ向かって少し歩いた所で、私よりも先にゆーみんが口を開いた。

「小夏の気持ちは分からないでもないけど、もう少し冷静に考えてみたらどうなの?」

 心なしか、ゆーみんの歩幅が広い。語気からして怒っているような気がするけれど、私だって機嫌が悪い。

「私が感情的になってたっていうの?」

「あんたはいつも感情的でしょうに。つまらない事で調査が中止になっても、よかったのかしら」

「よくないに決まってるじゃん。でも、だからといってさ、何でお父さんに私たちが集めた情報を教えないといけないの? お父さんには何の関係もないのに」

「お父さんはあれでいて頑固だから、私たちが――特に小夏が何を言った所で利かないでしょう? あんな所で話し合うだけ時間の無駄。それに……」

「それに?」

「どうしてお父さんが、わざわざこんな時間に起きてまで、私たちから情報を得ようとしているのか。私たちが集めている情報には、私たちが思っている以上の重要性があるんじゃないのかしら」

 首を傾げて思案してみる。そうしながら暫し無言で歩を進めたけど、何も思い浮かばない。平静を欠いているからだろうか。

「重要性って……どんな?」

「さあ」微かにかぶりを振った後は、ゆーみんは何も喋ろうとしなかった。私も気分が悪い状況で敢えて喋ろうとは思わなかったので、それから交わされる言葉は全くなかった。

 無人の体育館からボールの跳ねる音が聞こえてくる時がある――どうしてこんなにも地味なものが最後に残ってしまったのだろう。学校に到着してからも穏やかでない雰囲気が続いた結果、体育館の前で延々と黙っているだけの状況が一時間近くも続いた。案の定、体育館からボールの音など聞こえる訳もなく、こうして柏羽中の七不思議の調査は微妙な幕引きを迎える。

 私が悪かったの?


 翌日――というか、日付は既に跨いでいるので、その日の夕刻になる。

帰宅してから正午近くまで就寝して、午後から塾で数時間の講義を受けた。私にとって勉強は苦行以外の何物でもないけれど、学校の友達が何人かいるのがせめてもの救いだった。

 微かな夕焼け空の下、友達と談笑しながら自転車で自宅を目指し――道中で分かれた後の私は、スイッチを切り替えたかのように表情が険しくなっていたと思う。いい加減に気持ちを切り替えるべきなのは分かっているのに、深夜の出来事を思い浮かべると、どうしたっていい気分ではなくなる。

 丁字路を右折し、自宅を望める道に出た瞬間に思わずブレーキを掛けそうになった。引き返してやろうかと思ったけれど――そうする前に、反対方向から自宅へ向かって歩いてくるお父さんが私に気付いて手を挙げたので、やめた。

 ここで逃げ出すような真似をすれば、負けたような気がする。

「おかえり」

「……ただいま」

 ほぼ同じタイミングで、私とお父さんは自宅に到着する。

 本来であれば一言たりとも話したくない所だけど、それでも挨拶されれば返してしまうのは、お母さんの教育の賜物だと思う。不機嫌であるという事を最大限にアピールする為、ぶっきらぼうな調子で言い返してみても、お父さんがそれを気にする訳もなかった。

「自由けん……課題の後に塾とは、もしかすると俺より忙しい身なんじゃないのか。さぞお疲れだろう」

「別に……」

 様付けで呼ばれている女優のような返事をしながら、自転車を車の隣に停める。そうしてから、玄関の扉を開けようとしているお父さんがビニール袋を手に提げている事に気付いた。どうも、見覚えがある。

 私の視線に気付いたお父さんが、意味ありげな笑みを浮かべながら袋を持ち上げた。袋に印刷されているドーナツ屋のマークを見、思わず「あっ」と声を上げてしまった。

「疲れた頭と身体には糖分だろうと思って、お前の好きなドーナツ買ってきたんだが……必要なかったか?」

「必要!」

 ドーナツを前にして不機嫌な表情をしていては、ドーナツを作ってくれた人に失礼だ。なので満面の笑みを浮かべて帰宅すると、丁度ゆーみんがノートを手に階段を降りてくる所だった。既視感がある。

「あ、ゆーみん!」お父さんから受け取った袋を掲げて見せつける。「お父さんがドーナツ買ってきてくれたよ!」

 階段を下りきる直前で足を止めたゆーみんは、私とお父さんを交互に見遣る。

「あのさぁ……」

 溜め息混じりの言葉を吐かれたけど、どうしてゆーみんが呆れたのか、私にはよく分からなかった。もしかしたら、もうすぐ夕飯時だからなのかもしれない。私が大食らいなのを知っている筈だというのに、全く心配性だ。

 一番乗りでリビングに突入した私は、ただいまと言おうとして、開けた口を閉ざす。いつもならリビングで夕飯の支度をしているお母さんが、今日はいなかった。

「お母さんは買い物からまだ戻ってきてないわよ」

「そっか」とだけ答えてから冷蔵庫の麦茶をコップに注ぎ、それを一瞬で空にする。

 今からする話は、お母さんがいない方が都合がいい。

 ゆーみんがテーブルにノートや写真を広げている傍ら、私はビニール袋からドーナツの入った紙袋を取り出す。その中に入っていたのは、私が一番好きなもちもちとした食感のドーナツと、この夏限定の抹茶チョコのドーナツ、それとカレーパンだった。流石、お父さんは分かってる。

「ドーナツで買収されるなんて、安いプライドよね」

 ゆーみんがちらとこちら見て何事か呟いたみたいだけど、よく聞き取れなかった。さては、私だけドーナツを買ってもらったので拗ねているのだろう。どんなに大人ぶっていた所で、所詮は私と同じ日に生まれた人間。欲しいと思われても尚ドーナツを独占する程、私も無慈悲ではない。

 そう思って「ひとつ分けてあげる」と袋を差し出したのだけれど、ゆーみんは「いらないわよ」と頭を振った。意地を張ってもいい事なんてひとつもないと思うけど、本人がそう言うのであれば仕方がない。

 善意の押し売りは、ただの悪意だ。

「これが、柏羽中の七不思議について調べた結果を纏めたノート」

 そう言って、ゆーみんはテーブルを挟んで向かいに座るお父さんにノートを差し出す。私が最初に聞き込みをした際に使用したノートだけれど、調査結果に至っては散々たるものだったので、その中のページは半分も埋まってない筈だ。

「それと、小夏が撮影した校内の写真」

 次いで、数十枚の写真の束をノートの横に置く。撮影は全て私が担当したけれど、現像はゆーみんにやってもらった。

 お父さんは先にノートを手に取ったので、私はドーナツを食べるの一旦やめて、写真の束に手を伸ばした。七不思議はもはや何も期待できない。ただ、写真に関してはまだ望みがある。これでもし心霊写真の一枚でも撮れていれば、あるいは大きな話題になるかもしれない。

 そのような期待を胸に、写真の隅から隅まで視線を走らせる。決して映りがいいとはいえないそれらを一枚ずつチェックし――次第に一枚当たりの確認時間が短くなっていった。

 それらしいものなど、まるで映っていやしない。

「小夏が期待しているようなものは何も映っていなかったわよ」

「つまんないの」

 ゆーみんの一言がとどめの一撃となり、半分ほどまで確認した写真の束を元の位置に戻した。そのタイミングを見計らっていたかのように、お父さんはノートをテーブルに戻し、写真を手に取る。そうした所で得るものは何もないと思うけど、暫くしてからお父さんは写真の束から一枚を抜き出し、頻りに他の写真と見比べはじめた。

 そうしてから、「小夏」と口を開く。

「なあに?」

 もしかして、ゆーみんも見落としている心霊現象を発見したのかと思って微かに身を乗り出したけど、

「旧校舎の全景写真は撮ってないのか?」

「……撮ってないよ」

 期待はずれの質問は、落胆を禁じ得なかった。確かに、旧校舎を外から撮った写真が一枚はあった方がレポートは映えると思うけど、それをお父さんが心配する必要はあるのだろうか。

「そうか」

 どうでもよかったのか、私の返答に対するリアクションはあまりにも乏しかった。頷いてから、尚も難しい顔で写真を眺めている。

「何かあるの?」

 ドーナツを頬張って喋れない私の疑問を、ゆーみんが代弁してくれる。ちょっとな――という返事は、どう考えても何か誤魔化しているように聞こえる。

 私たちが集めている情報には、私たちが思っている以上の重要性がある――半日前のゆーみんは、そう言っていた。その時は機嫌が最高に悪かったので深く考えなかったけど、こうなるとお父さんが何を考えているのか気になって仕方がない。

「ところで二人とも、明日は何か予定あるか?」

 お父さんから予定を訊かれるなんて滅多にないので、思わずゆーみんと顔を見合わせてしまった。明日は金曜日――塾がないので私は何も予定がない。

「ううん。何もないよ」

「私も大丈夫だけど……」ゆーみんが頷く。

「よし。じゃあ決まりだな。明日、学校に行こう」

 突然の提案に、カレーパンを喉に詰まらせそうになった。

「もしかしたら、七不思議の謎が解けるかもな」

 意味深な笑みを浮かべているお父さんは非常に楽しそうだったけれど、私はゆーみんから渡された麦茶を喉に流し込む作業に必死で、それどころではなかった。

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