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第六話 本音

           

 男には秘密が合った。それはとてもささやかな事で。でも肝心の彼にとっては悩み続けてもうすぐ10年にもなり、こんなものだと諦めて、そのくせ何か方法はないかと足掻く日々を過ごしていた。

 ごく普通の人が、ごく普通に悩む病気。もとい、症状。


 不眠。


 眠れない夜が続く。単調なクラシックも面白みの無いミステリーも効かない。ましてやアルコールは同じ思いを繰り返し呼び起こし、男にとっては泥沼だった。

「畜生。」

潰れた空き缶が42インチのテレビをやり過ごし壁に当たり跳ね返る。

 

 彼女に電話をすると、

“あ、はい。私。” 

決まってそう返事が帰って来た。その後ほんの少し息を呑む。

 男は知っていた。彼女がディスプレイを見なくても電話の主を知っている事を。それから、男が何を欲しているかも。

 彼女のシーツはいつもブルー。

“よく眠れる色なんだって。”

花柄、無地、星の柄。ワッフルにエジプト綿。そして彼の好きなフランネル。2日に1回は替えているというそれはいつも清潔で、いつも同じ洗剤の匂いがした。

 男は眠れない事実を誰にも言っていない。もちろん家族にも。誰にも言えない。医者にも行けない。病名なんてついて欲しくない。市販の睡眠導入薬だってまっぴらだ。第一、自分は正常だから。

 無理に体を使う。外回りの営業の名前でダバ(駄馬)の様に一日中歩き回り、夜には24時まで開いているジムで自分を虐める。

 セックスは特効薬。その後だけは眠れている気がする。どんな女でもいい。セックスはセックスだ。

 それでも男は砂羽のベッドが好きだった。正確には彼女のシーツ。冷たくて温かい。

 啼き疲れた彼女と眠る狭いパイプベッドでシーツの波に溺れる。そのささやかな数時時間だけは、確かに眠れていると確信出来る瞬間だった。


 男は気がついた頃には体面を気にして生きていた。名前の通った大学に、ブランドもののスーツ。最新式の携帯に、流行の髪型。一部上場の会社の営業職に、いつでもきれいな彼女を連れて歩く。親には褒められ、友人には羨ましがられ、同僚にはひがまれて。

 そのくせ28の今になって焦る事がある。

 それほど努力をしなくても人並みに何でも出来た。だから苦しんでいる所を他人に見せた事が無い。ましてやなりふり構わず何かをやり遂げるなんて事は考えもしなかった。

 今更その姿勢を崩せない。

 会社提出のTOICEのスコアが800を下回らない為に英会話も週1で通う。何となく行っていると何となく耳が音を拾うから、なんとかなっているのが分る。でも正直CNNは聞き取れない。だからいざ最高点を目指そうと目標を決め頑張ったとして、果たして今以上の点数が取れる自信がない。860の壁は目の前に立ちふさがっていた。

 乗っているBMWの支払いは月に8万。それにボーナスも飛ぶ。はっきり言ってキツい。携帯代も服代も交際費もかさむ。いつでもリボ払い。でも止められない。

 本当の自分は、小手先で生きている器の小さい小心者だってばれるのが辛い。とりあえず金で買える事で誤摩化している。他人に

“カッコいいね”

って言われていないと自分の評価に自信が無いなんて馬鹿げていると思う。でもその罠から抜け出せない。

 それ以上に本当に辛いのは、必死になって生きていこうとする力が自分には無い事。

 砂羽の様に地味に泥臭く生きる事を格好悪いと思うと同時にひどく羨ましい。

 学生の頃から住んでいる老朽化の進んだ安いアパート。洗面台に並んでいる化粧品はスーパーで売っている安物で、昔近所に住んでいたおばちゃんを思い出させた。

 目立たない、出しゃばらない服のセンス。実用的な靴。流行を感じさせないバック。

 彼女の生き方はアルミの弁当箱に詰められた昨日の残りのおかず。そして彼女は笑うんだ。

“その方が経済的でしょう?第一食べ物捨てると罰当たるんだよ。それに一日経った方が美味しいおかずがあるって知らないの?”

 自分に“女の子”の魅力がないと臆病な彼女。実際そうだと思いながら、心のどこかでそれだけじゃないと知っている男。

 

 彼女が惚れた“俺”は、作り物の“俺”

 

 そのくせ一番情けない姿を彼女にだけは晒している事を彼は気づいていない。


 何かの音で彼女は目を覚ました。薄暗がりで見上げた天井には見覚えが無い。生まれ育った実家の天井には木の年輪があった。そしてもう10年も暮らす東京のアパートとも違う。自分が誰か解らない、そんないい知れない恐怖が湧き上がり、

“ここは違う。自分の知っている場所じゃない。”

落ち着ける場所に帰りたい、そう遮る様に両手を突き上げ深く息をした彼女に

「どうした?」

穏やかな声で男が呟いた。それから夢うつつの佐伯は砂羽の躯をひと撫ですると再び眠りに落ちて行った。

 心臓がばくばくと鳴っている。

 砂羽には時々こんな事があった。異常なほど疲れた翌日、朝起きれずに現実と夢の狭間を行き交いながら、今いる場所が分からないとパニックを起こしそうになる。そんな時、必死になって自分を思い出そうとする。名前は高橋砂羽。3月4日生まれ。生まれは長野で育ったのは埼玉の外れ。3歳はなれた弟がいる。それからいつも記憶は決まってあの男を呼び出す。

 彼のしなやかな腕、熱に浮かされた様な半眼の眼差し。あれほど自信過剰な男のはずなのに、ふとした瞬間どうしようもないほどの孤独を覗かせるその瞳。それはまるで生まれたての仔犬が、兄弟達が新しい飼い主にもらわれて行く中でたった一匹残ってしまった最後の様な、いい知れない寂しさを砂羽に訴えていた。

 あいつに限ってたいした悩みじゃない、そういつも割り切ろうとしていたはずなのに、ふとした瞬間その事を思い出してしまう。

 宮内に対する気持ちは恋じゃなく、兄弟のそれに近いのかな、時々そう思う時もあった。もしあいつが辛いなら、何も問わないで抱きしめてやりたい、そう願ってしまうのだから。偉そうに言えば、癒してあげたいと思うのだから。彼とのセックスは最高だった。でも、こうして佐伯に抱かれる様になって初めて気がついた。抱き合った後、眠りに落ちるまでの余韻がどれほど幸せだったか。快楽の海を漂う。ただそれだけじゃなく、無条件に幸せな、それはほんの数秒かも知らないし、数分かもしれない。何にも要らなくて、この世に二人だけいればいいと感じるそのひと時を。

 佐伯は大人。ただ燃え上がるだけの恋じゃなく、生活という基盤の上に愛を育もうとしている。それが物足りない訳じゃない。むしろ感謝している。ただ心の底に住む宮内をどうしても追い出せない。

“不実なのかなぁ。”

そんな言葉が彼女の唇からこぼれた。

 砂羽はカーテンの隙間から覘く半月をぼんやりと見上げた。


             ラプソディ・オン・ブルー  つづく


スターダストレビュー聞いてモチベーション上げてます。ついでと言っては何ですが、皆様ぜひご評価のほどを・・・・。お待ちしております。

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