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第四話 社交辞令

          4 社交辞令


 資料室でかち合った同僚の鬼怒川きぬがわが、さりげなく宮内に話しかけた。

「以前俺に紹介してくれた女だけどさ、確か、高橋だっけ。」

「ああ。」

宮川はうなずいた。砂羽の事だとすぐに解った。

「あいつ、お前の女友達だったよな。」

「そうだけど。」

それから彼は言いづらそうに言った。

「俺見ちゃったんだよ。あいつさ、不倫してんだぜ。」

それから彼の肩をポンポンと叩いた。

「ま、友達は選べや。」


 今のは何だったんだ?宮川の中には?マークが飛び交っていた。説教か?忠告か?

 確かにあいつとはそれなりに付き合いも有り、友達だと思っていた。お互い辛い時に慰め合える友達だ。だから、自分の同僚に砂羽の事を紹介できる訳だし、もし尋ねられたら、彼女が幸せになってくれるなら嬉しいと答えられると思う。それなのになぜか、今彼の心を支配しようとしていたのは、まったく別の感情だった。あの保守派の彼女が

「不倫、か。」

いつになく砂羽が本気だ、そんな気がした。


砂羽は昔から必要以上に落ち着いている女だった。だから、2コ年上の高校の時の先輩に振られたとやけ酒を煽る姿は本人とは思えなかったと記憶に残っている。

「やっぱ、可愛くないのが駄目ってことですかねぇ。」

ロックグラスが空になる。

「別れないって言って、こっちもやり返すぐらいの気持ち、無きゃいけなかったのかなぁ。」

「ま、呑め。」

宮内は自分の酒を勧めた。彼女は唯一友達付き合いできる女だった。それでもこのまま持ち帰ってしまうのも悪くない。そんな下心は有った。女は食ってみなけりゃ解らない。

 そして彼は特別な人間や特別な関係、例えば恋人だとか親友だとか、に縛られる人間ではなかった。

 彼女と知り合ったのは天体観測のサークルでの事だった。一目見て

“恋愛の対象じゃない”

そう思った。はっきりとした理由なんか無い、ただ漠然とときめかないだろうと思っただけだ。いや、それ以外の何かを感じていたというのが正解だろう。案の定、その夜まではまったくその気配のなかった二人だった。

 男にしてみれば、恋愛とセックスは別物で、友情とセックスも別だった。

 ただ誤算だったのは、彼女が慣れていない、もしかして初めてかもって事だけ。

 ほんの少しの罪悪感。それでも必要以上に積極的な彼女の仕草に、これはこれでいいかも知れないと思った。

 それから、付き合っていた彼女と別れる度に砂羽の部屋に行く様になった。それはあの夜の約束、

“この次は私が慰めてあげるから。”

をお互い果たすため。そう自分にいい聞かせながらその実、砂羽の躯にハマってしまったというのが本音だった。

 恐ろしく相性がいいとは自分たちの事だと思う。

 他の女を抱きながら、砂羽の体臭を思い出し何度も鳥肌を立てた。自分の躯の下にあるきれいな躯が、砂羽だったらもっと感じるのに、と。

 だから彼女を抱くのは、ある意味復讐だった。自分が忘れる事が出来ない砂羽という女に、自分という存在を忘れさせない為の。


 明日はバレンタインという夜に、砂羽を抱いたことが有る。

「ねぇ、私たち、このまま付き合っちゃわない?相性いいみたいだしさ。」

たっぷり絡み合った気怠さの中で彼女が囁いた。

「馬鹿言うなよ。」

男は呆れた様に呟いていた。

「俺達、躯の相性がいいだけだろ?お互い勘違いすると、不幸になるぜ。」

その時は本心からそう思った。

「そりゃそうだ。」

笑って誤摩化す彼女が本気で言っていた事位察していた。でも、宮内はそんな彼女に応える気持ちにはなれなかった。

 しなだれかかる砂羽の肩を抱きながら街を歩いたり、モデルばりのミニスカートをはいた彼女とドライブしたり、彼女の髪を撫でながら友人に見せびらかしたり、そんなイメージはまるで沸かないのだ。

 そのくせその関係が壊れるのは怖かった。 


 夜中、といっても11時を少し回ったときの事だ。宮内の携帯がこんな夜にお似合いのジャズのスタンダードナンバーを奏でた。

「出ないで。」

女が囁くから、

「仕事だよ。」

と無理矢理に電話をつないだ。

「もしもし。」

それは聞き慣れた女の声。それでも、彼女が選んだこの曲が流れるのは初めての事だった。

 思わず唾を呑み込む。

 来たか。

 ベッドを抜け出し、女から逃げる様にベランダへ抜けた。

 予感していた別れの言葉を告げられ、ああ、そうだよな、と独りうつむいた。

「ま、幸せになれよ。」

彼女がありがとうなんて言うから、泣き出してしまうかと思った。      

        


 訳知り顔で頭を撫でられ、砂羽は

“これで良かったんだ”

そう思えた。抱きしめる彼の顔はいつもの様に穏やかで、波の一つも立っていないようだ。


 それは二人が大人の関係になって二週間後の事だった。

 普通、付き合い始めた彼女にセフレがいたと言われたら引くと思う。それを、顔色一つ代えずに彼は受け止めこう言った。

「こんな事を言うのは何だけど、私たちの年齢で今まで何も無かったって言う方がおかしいんじゃないかな。」

 彼女にとっては一世一代の告白だった。それを佐伯はこともなげに言い抜けた。この人に応えたい。砂羽の胸がじんわりと熱くなる。

 わざとらしいと思いつつ、それ以外にとる方法が見つからなくて、無言で携帯を取りだすと、一度もかけた事の無い彼の番号を探した。

「もしもし?高橋です。砂羽です。」

思いのほか冷静に声が出た。佐伯の顔を見る事は出来なかったけれど、それでも彼に聞こえる様にはっきりと宮内に別れを告げる事が出来た。

「もう、お終しまいにしたいんだけど。というか、させて。私たちの関係。・・・・本命、出来たから、彼の事だけ愛していきたい。ご免、一方的で。でも、もう二度と宮内と・・・したくないから。」

案の定、彼はあっさりと引いていった。

『元気で。』

なんてごく普通の友達同士が交わす社交辞令を残して、携帯が途絶えた。

 登録ナンバーの着信拒否と、その登録の解除を済ます事なんて1分もかからない。これで彼との糸はあっさりと切れたも同然だった。職場の番号はお互い知らない。アパートの合鍵を渡した訳じゃない。ましてやあの宮内が女で不自由するとは思えない。二度と彼がここに来るとは思えなかった。

 こんなに簡単に別れられるなんて・・・・・。


 本当は宮内の事が大好きだった。彼は“躯だけ”だと言うけれど、その彼の仕草の一つ一つ、弾ける様に笑う声の響き、タバコをくわえ一瞬済まなそうな表情をしてから火を付けるその指先、ふと見せるぼんやりとした表情、躯を重ねているときの熱に浮かされた様な瞳、それから砂羽の家を出る瞬間に密やかに響くため息さえも。彼の何もかもが好きだったのに。

 苦い何かを呑み込みながら、

「やっと、別れられた・・・」

そう呟く砂羽の横顔に、佐伯は彼女の本心を垣間見た気がした。


 佐伯が初めて彼女を見たのは実はあの時をさかのぼる事1ヶ月になる。その時の印象は“不器用”だった。いかにもイライラした感じのキャリア風の女性に道でも訊かれていたのだろう。人通りの少ない歩道にいる彼女は連れの“可愛い”女の子達よりも少し背が高く、微かに背中を丸め、必至になってその人に道を説明してやっているようだった。端から見て、連れの女の子は面倒くさいと顔に表れていたし、肝心の女性は先を急いでいてぞんざいだった。

「お気をつけて。」

彼女の小さな声が風に舞って耳に届いた。あの救われた様な、雨上がりの青空のような晴れやかな心地を今もまだ覚えている。 

 自分の気持ちを内側に秘めてしまうタイプだと思った。伝えたい気持ちが有るのに、相手を思いやり過ぎて肝心な所で押し切れない。そんな彼女を、もしかしたら自分は解ってやれるかも知れない、つまりは彼女になら自分を本心から必要だと思ってもらえるかも知れない、そう感じたのだった。


 ぼんやりと瞳を上げた彼女を男は抱きしめた。

「大丈夫だよ。これからは、私がついているんだから。」

 

 適正年齢というものは本人が気づいている以上に大切だと思う。つまり、女なら35歳までに子供を産みたい訳だし、男なら40までに子供が欲しい。肉体的な限界もある。子供を育てると言う義務を定年退職後まで続けるという事は容易じゃない。その現実を解っていない人間のなんて多い事か。

 確かに佐伯は初めての結婚で失敗していた。今更の様に理由ははっきりしている。お互い表面だけを見て、過剰な期待をしていたからだ。大恋愛のはずが、いざ蓋を開けてみてお互い

“こんなはずじゃなかった。”

そう呟く二人がいた。

 だからこそ砂羽とは穏やかな関係を築いていける、そんな気がした。二人の間に燃え盛る恋心は無いと思う。しかし幸い、年齢は8年も違う。この差は大きいと思う。距離を保ち、ぬるめの恋をしながら平和な家庭を持てる予感が有った。

 

              ラプソディ・オン・ブルー  つづく


お気づきの方も多いと思いますが、タイトルは間違いじゃないです。言葉遊びみたいな感じです。

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