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第九話 望む事

 結局佐伯は結局急な仕事が入ってしまい、砂羽は独りでイブを過ごす事になりそうだった。

「レストランを予約しておかなくてよかった。」

彼女は自宅のバスタブに浸かりながら自分に向かって呟いた。

 本当は佐伯のマンションで過ごす予定だった。その為の花もケーキもチキンも用意していて、プラネタリュウムデートの後受け取って帰るだけのはずだった。それなのに彼は朝から新潟へ行ってしまい、今日中には帰れないという。

 本当は寂しい夜なのに何故かほっとする自分がいてひどくしゃくに触る。原因は解っている。宮内だ。

 宮内の口惜しそうな、泣き出しそうな顔を忘れられない。彼はあの時本当は何を言いたかったんだろう。もしかしたらそれは自分が長い間望んでいた言葉だったかも知れない。

“愛している。”

と。でも、そんなはずあり得ない。彼にとっての私は非常食の乾パンだから。何も食べる物が無い時が来るまで見向きもされない、カップラーメンにも負ける乾いた女。彼は乾パンの賞味期限を確かめたかっただけ。

 そのくせ婚約の日取りも決まった佐伯と過ごせぬ寂しさよりも、別の男の事で頭が一杯になってしまうという現実が悔しかった。

 気がつくとバスタブのお湯はもう既にぬるく、暖まるはずだったその行為は砂羽の躯を冷していた。


 暖まりたい、そんな気持ちでモエエシャンドンを開けた。コルクの弾ける軽快な音。溢れ出るゴールデンカラーの気泡は光を浴びてきらめきながら彼女の手を濡らす。それをただのビアタンブラーに注ぎぐっと飲み干す。佐伯のキャビネットにあったフルートグラスを思い出しながらもう一杯を飲み干すと、熱い固まりが胃の中へと落ち込んで行った。

 10時を過ぎた時計にイライラし、しばらく見ていなかったDVDを再生する。バクダットカフェ。太ったドイツ系のおばちゃんが旦那と離婚した後、流れて冴えない喫茶店みたいな所でバイトを始める話し。たいしたストーリーは無いけれど、そこで知り合ったおっちゃんが彼女の中に女神様を見いだすシーンが好きだった。いい歳をした中年女。でもその彼女は生き生きとしていて、本当に後光が射しているようだった。ある意味こういう“いい女”になりたいと願ったときもある。

 タイトルソングの“コーリング ユー”が耳についって離れない。

 混乱する頭で空になったボトルを台所に戻す。

 誰かの声が聞きたくて、友人の菜々子に電話をするけれどいない。今更親の声なんか聞きたくない。それから不意に思いついた番号を回す午前0時。

 彼は3コールで電話に出た。そのくせ何も言わなくて、沈黙だけが耳鳴りの様に頭を巡る。

「砂羽。」

ああ、彼には私だって分かったんだ。彼のアドレスに私の番号はまだ残っているんだ。そう思うと目頭が熱くなる。

 私、何してるんだろう。

「ご免。ご免。ほんと。ご免。」

すすり泣きながら、

「悪かった。」

と電話を切った。

 本当、何しているんだろう。

 砂羽は膝を抱き、携帯を床に落とした。

 どうして今更宮内なんだろう。何でこんな夜に彼の声が聞きたくなるんだろう。未来を約束したはずの佐伯の声さえ今は思い浮かばない。

 彼に抱かれたい訳じゃない。いや、それは嘘だと思う。抱かれたい。抱かれて、二人揺れながら微睡み、真っ白になって、何も無い世界に行きたいんだ。


 突然の電話、それから切れた携帯を男はじっと見つめた。慌てて彼女の電話に折り返しの電話をするけれど着信は拒否される。

「畜生!!」

何気なく立ち上がった足がもつれテーブルの上のウォッカのボトルが床に落ちた。ヒーターをつける事すら煩わしく、酒で体を温めていた。心が凍えそうだったから。

「糞っ!!」

つながらないと分かっていて、何度も彼女の電話番号を繰り返す。

「畜生!!」

彼女は何を言いたかったのだろう。宮内はぐるぐると部屋を回りだした。

「畜生!!」


『仕事だもの。仕方ないよ。私の事は気にしないでね。それより無理しないでね。』

つい5時間前に電話に向かって囁いた彼女の声が蘇る。多分、今晩の彼女は独りだ。

 寂しいのか?

 いつかロータリーで見かけた大きな男の影が宮内の中をよぎって行った。まずまずの仕事をしているはずの宮内の目から見ても、その男は“大人”だった。それにセンスがいい。砂羽を見れば分かる。彼に合わせようと必要以上の無理はせず、でもほんの少し背伸びをしている彼女は例えようも無く可愛らしく、そしてきれいだった。

 だったらどうして彼女は俺に連絡をしてきたんだ?

「畜生!!」

つながるはずの無い携帯。この自宅に据え置きの電話なんか無かった。

 男の浮気がばれた?幸せだって、言ってた矢先だぞ?

 それならそれでいい。

 宮内の心臓がとくんと鳴った。

 これは最後のチャンスかもしれない。今の砂羽は助けを求めている。彼は自分を納得させた。

 男は手に持つそれを屑篭に投げ捨てた。彼女につながらない携帯なんかに用はない。

 ふらつく足で財布を掴むと、結婚式帰りのだらしなく皺になった式服の上にコートを羽織った。

 彼女のアパートまでタクシーで20分。

 タクシー乗り場の脇にある閉店間際の花屋でありったけの薔薇を買った。今晩はクリスマス。

 俺だって、プレゼントが欲しい。

 泥沼の修羅場を予想しながら、宮内は砂羽を手に入れる為なら何でもすると今度こそ本当に心に決めた。


            ラプソディ・オン・ブルー つづく



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