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第1話「普通=楽しい」

僕は地球儀を眺めるのが好きだった。

昔父に買ってもらった地球儀。

暇さえあれば地球儀を眺め、見たこともない世界に思いをはせていた。

自分の住む国「日本」がいかに小さいことか、"ニューヨーク"という大都会があるということしか知らない「アメリカ」がいかに大きいことか、地球儀を見ているだけで想像はどんどん膨らむ。

「オーストラリア」のまわりにあるたくさんの名もなき島々にもそれぞれ人が住んでいて、知らない言葉を話し、知らない生活がそこにはある。地球儀は僕の好奇心の源だった。

「いつかこの指でなぞったいろんな国へ行ってみたい」


 そんな想いは少年時代に誰もが抱く一時の気持ちの高まりだったようで、俺はいたって普通の大学に通ういたって普通の大学生になっていた。

「映像研究会」という、男女比が1:1で会費なし、週に1回ミーティングをして、半年に1回の"制作発表会"という名の個人が適当に撮影したおふざけ動画を見て談笑するだけの大層なイベントがあるゆるいサークルに入り、それなりに楽しい日々を送る。充実した大学生活だ。

田舎というわけでもないが、都会でもない地方から上京して2年。

酒とタバコも覚え、ファッションで彼女を作り、テストは友人から借りたノートで一夜漬けで乗り切る。

そんなお気楽な日々が続いていた。

「安藤先輩が今日飲みたいらしんだけど、お前も今日くる?」

「んー、行けたら行く」

俺の「行けたら行く」はわりと行くほうだ。

ちょっとだけ忙しぶりたいからワンクッション置く。本心は行きたいのだ。

バイトのシフトもとりあえず飲みのお誘いがかかりそうな感じがするところはあけてもらう。そうすると結局シフトに入れるのは週に2,3回になり、大して稼ぎがない。

思うに、どうせあと2年で社会に出て急速に老け込んでいくのだから、今はとりあえず形だけアルバイトをしておいて、あとは遊びにまわす。上京組には仕送りという心強い収入源があるのだから。


 「気持ち悪っ。」

「先輩のおごりだからって飲みすぎだろ」

「いやせっかくおごってもらうんだったらとことん飲まないと」

「せこいねぇ、じゃあまた明日、、、今日か、じゃあな」

という会話をしたあたりまではなんとなく覚えている。

次に気がついたとき、俺は最寄駅から10駅以上離れた八王子の駅のホームで横たわっていた。

胃液の匂いが鼻を突く。あたりはもう明るく、ホームに並ぶ人たちが俺をごみでも見るような、いや実際にごみだったのだけど、そんな目で見ていた。

そのときひざの辺りがブー、ブーと震えた。母親からのメールだった。

『ちゃんとご飯食べてる?話があるのでメール見たら電話ください』

二日酔いで手が震える俺はとりあえず家に帰って寝ることにした。

帰りがけの電車の中で夢を見た。昔よく眺めていた地球儀の夢だ。

特に内容はないのだけれど、地球儀が夢に出てきたことだけは覚えていた。

結局寝過ごした俺は3往復ぐらいしてようやく家にたどり着いた。

とりあえずいつもの癖でテレビをつけて、寝る準備をする。朝のバラエティ要素が強めのポップなニュース番組ではどこか南の国で山火事がったことを伝えていた。テレビを消すのも億劫で俺はそのまま眠りに落ちていた。

携帯が震える音を聞いて目覚めたときにはすでに日が傾きはじめていた。

「もしもし・・・」

「今起きたの?ちゃんと学校も行かないで・・・メール見た?」

「・・・あぁ」

「あのね。言いにくいんだけど、うち火事になっちゃったの」

「えっ?」

「たいした火事じゃないのよ。あんたの部屋ずいぶん埃がたまってたみたいで、その上蛸足配線だったもんだから、コンセント抜いたときにバチっとね。」

「ごめんなさい・・・」

「いいのよ。それよりあんたのものだけいろいろ燃えちゃったんだけど、そろそろ春休みでしょ?そのとき整理してね。じゃ、ちゃんと食べるのよ」

一方的にそういい電話は切れた。必要なものはこっちの家に持ってきているから困るという程ではなかったが、やはり思い出の品々が燃えてしまったのはなんとなく寂しい気がした。

と思ったものの、実際自分の家が燃えたのを目にしたわけではないせいか、次の日にはすっかりそのことも忘れ、また飲んだり、飲んだりしているうちに大学は春休みに入った。


 大学生の休みは長い。特に私立文型で一番楽と言われる経営学部に入っている俺は長期の休みの間は一切学業に触れることはない。

約2ヶ月という聞けばサラリーマンたちの恨み言が聞こえてきそうなとんでもなく長い休みの間まるまる帰省したっていいのだが、やはり遊びがないのは寂しいものだ。

飲んだり、騒いだり、別に休みじゃなくたって毎日が休みみたいなものなのだから長期の休みの間くらい実家に帰って親孝行するべきなのだろう。それでも刺激がないと気が狂ってしまいそうになるのが大学生なのだ。

とりあえず今回は10日くらい実家に帰ることにし、親には「バイトとかあんまり休めないし。」と適当なことを言っておいた。もちろん俺なんかシフトにいようがいまいが関係なく店はまわる。

駅まで親に迎えに来てもらい、悠々と半年ぶりの家路に着く。

「なんか最近変わったことあった?」と東京かぶれなこと帰省するたびに言う。半年でそうそう劇的な変化なんて起きるはずもないのにとりあえず決まり文句として言っておく。

「実はね、斜め迎えの前田さんのとこのゆうくん、結婚するみたいなのよ。昔はよくあんたも遊んでもらってたわよねぇ」

母親も俺の決まり文句に毎回何かしら必ず返してくれる。どうでもいいことだけど。


 家の前まで来ると俺の気配を感じ取ったのか、愛犬のベスが吠えまくっている。この家に住んでいたときは五月蝿いと感じていたこの鳴き声もたまに聞くと心地がよい。

ベスを一撫でしてやると俺はソファにどさっと沈み込んだ。

「たいした疲れてもないくせに」と母親がチクリと小言を言う。どうせ疲れてないですよ。

そうして長いこと何をするわけでもなくソファでだらだらして、よいしょと重い腰を上げ、自分の部屋へ向かった。

「何これ」俺は一瞬自分の目を疑ったが、先日の母親との電話を思い出した。

「これでも結構片付けたのよ、あとはよろしくね。」後ろから覗いていた母親はそういうとそそくさと庭へと向かっていった。最近はじめたガーデニングとやらだろう。

自分が思ってた以上に俺の思いでが詰まった、散りばめられたくらいかな、部屋は煤けていた。

もうたぶん読まないだろうけど捨てられなかった漫画や本、もうたぶん見ないだろうけど老後懐かしむために取っておいた写真、捨て場に困り隅に押しやった青春のおかずたち、みんな焼けてなくなっていた。

実際この惨状を目にするとかなり堪えるものだった。

押入れの中にあった物も原型は留めていたものの、ところどころ焦げていたり、ひどく炭の匂いがした。

「あれ、これって・・・」俺の目に留まったのは昔父に買ってもらい、よく眺めていた地球儀だった。

不思議なことにその地球儀はほとんど無傷だった。


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