不運なプロローグ その3
身体が女の子になった事はけして小さくない衝撃であったが、だからといってここでじっとしていても始まらない。むしろ終わる。人生とか。
なのでとりあえず水場を探すことにした。
理由としては、まず身体を洗いたい。地面に寝ていたから色々と汚れているうえ、擦り傷などに細菌が入り込んで何かしらの悪影響が無いとも限らない。
そんなわけで水場を探して歩き出したはいいものの。
「これは……思った以上にキツイですね………」
何がキツイって、足の裏及び足先がだ。
そう、私の身体は大きなシャツのようなものを羽織っているのみ。つまりは、足も裸足なわけで。
そんな状態で森の中を歩きまわっているのだ。あっという間に傷だらけだ。
これはかなり痛い。肉体的にも精神的にも。
「とは言っても、どうする事も出来ませんしねぇ……」
水場を見つけたら、次は民家を探さねば。
民家で無くとも人に会えれば靴か何かを貸して貰えるかもしれない。
「そういえば、何故か『私』になっていますね……これは一体…」
そうだ。
いつの間に私の一人称が『僕』から『私』となっている。
いつからだ?
分かり切った事だ。あの時からーーーあの真っ赤な景色の後からーーー
「うっ、うぇ……」
思わずえずく。
思い出した。
そうだ、『僕』の隣を歩いていた女の子は引き潰れ、その隣に居た『僕』もまた。同じように潰れてーーー
「ーーー死んだ?」
そうとしか思えない。
自分は間違いなく死んだ。
それでは今ここに居る自分ーーー『私』は何だ?
死んだのだから、こうして意識があるのはおかしな話だ。
可能性その1。
これは私の見ている夢であり、あの時私は死んでおらず、しかし重傷を負い昏睡状態となってその状態で見ている夢である可能性。
可能性その2。
『僕』が死んだ、また『僕』の記憶は私の妄想であり、自分自身をそういう存在だと思い込んでいたが、何らかの原因で正気に戻った可能性。
可能性その3。
非現実的だが、やはり『僕』はあの時死亡していて、輪廻転生よろしく記憶を持ったまま違う人間として生まれ変わったという可能性。
ただそれも生まれ変わったにしても、肉体が赤ん坊ではなく少女という状態が不可解である。
「誰かこの状況を説明してくれませんかねぇ……」
そんな事はありえないと分かってはいても本気でそう思わずにはいられない。
そんな風に思考に囚われながらも歩くこと十数分。
音が聞こえてくる。水の流れる音だ。
「ようやく水場が見つかりましたか…」
そして音を頼りにまた数分。
見事な川を発見する。
森の中を別つように大きな川が流れている。
見た感じでは水は澄んでいて飲んでも問題はなさそうである。
そう思って水面に近づくと、気付く。
「『僕』の顔と同じですか……」
肉体が女の子になっていて、多少気になっていた自分の外見は、はっきり言って見慣れたモノでもあった。
顔の造型がほぼそっくりそのまま『僕』であった頃と同じだ。
違うのは髪が伸びた事とまつ毛が伸びた事、後は心無しか唇がぷっくりとしたように感じる事だろうか。
正直な話、これが自分で無ければ、万人が認める可愛らしい美少女であると言えるだろう。自分であるから素直に認めたくは無いが。
「……気にしても仕方ないですし、まずは傷と身体を洗ってしまいますか」
大きなシャツを脱ぎ捨て川に身体を沈める。
思ったよりも冷たくは無く、むしろとても心地よい。
ただどこか恥ずかしい。
いや、理由ははっきりしている。
この身体のせいだ。
一応は自分の身体とはいえ、まだその自覚は薄い。およそ二十年近く男性として生きてきた記憶が少なからずある以上、自分の身体とはいえ、直視するのに申し訳ない気持ちになる。
「……自分の身体なのですからセーフ。自分の身体だからセーフ」
ブツブツと呟きながら汚れを洗い流していく。
やはり日本人として、身体を水に沈めるのはとても気持ちが良い。思わず眠ってしまいたくなるが、眠ったら間違いなく溺れて流される。そうなってはどざえもんの出来上がりだ。
心地よい眠気と戦いながら身体を清め、川から上がりシャツを着込んでいると、対岸の方からガサガサと音がする事に気が付く。
「野生動物…鹿などなら良いのですが、さすがに熊や猪、野犬などだとマズイですね……….」
とりあえず、素早く逃げられるようにしながら注意深く見ていると、不意に音が止む。
居なくなったのか?
そう思った瞬間。
対岸の木々が吹き飛んでいた。
「…え?」
気の抜けた声が出るが仕方が無い。
誰だってそうなるだろう。
木々が突然吹き飛んだから?
それもある。
けれど、それだけじゃない。
私が唖然としている原因は、その木々を吹き飛ばした元凶だ。
木々が吹き飛んだおかげで視界を遮るものが無くなり、その元凶の姿が良く見えた。
大きな鉤爪の着いた四足の足。
太く長く、見るからに強靭そうな尾。
今はたたまれているが拡げれば数メートルはあろうかという大きな翼。
蜥蜴に二つの角を付け足し、より凶悪な顔付きにしたような頭部。
全身を覆う、光を反射し輝く鱗。
どこからどう見ても。
それは神話や創作の中で語られている存在。
人間なんかではどう足掻いても対抗出来そうにも無い存在。
すなわちーーー
「ーードラゴン、ですか……」
『GYAAAAAAAAA!!!』
雄叫びを上げる紅い竜を見ながら、私は呆然としていた。