8 江東の虎1 街をのぞいてみよう(長任)
海中のような深い竹林に、ふたりの少女が馬を並べていた。
「留守番を頼んだ修盾さんたちは賊とも戦いなれているからだいじょうぶですよ。兵力も倍を派遣しました。……大事にしていた田畑から引き離すのは、私も心苦しいですが」
「いや、今日中には終わるゲームだし……あの土地に未練がないと言えば嘘になるけど、ほかのプレイヤーとも会いたいと思っていたから。いろいろわがままを聞いてもらってもうしわけない」
質素な鎧姿の似合うスラリとした背の長任奉弓は恥ずかしそうに笑って頭を下げる。
文官の衣装がちぐはぐなほど小柄な永松喬子はそれを見て嬉しそうにため息をつく。
(よかった。この人ちゃんと、園芸以外のゲームをする気もあるんだ)
狭い間道を抜けると、見えてきた城壁は高さにして数階分、幅は一キロを超えそうな彼方まで続く。
中央の城門の上には跳ね上がった屋根が何層にも重なった楼閣が築かれている。
長任は馬上で口を開けて眺めた。
「すごい……私の住んでいた所はいかにも戦争用の基地だったけど、ここは本当に王様の住むお城だね……そういえば私は、リュウビとソンケンとソウソウ、どの王様の国に住んでいるんだろ?」
永松は口を大きく開けて空を仰ぎ、数秒して我に帰る。
(どこから説明する? 皇帝と王の違い? というかまだ後漢王朝あるし、でもすぐ無くなるみたいだし……)
「えと、三国志の初期は、山賊も警察もいっしょくたで国の枠組みがあいまいな、原始時代みたいなものなんです」
「えええ?!」
「たてまえでは全国を統治する政権も残っていますが、実際は大きい軍事力さえ持てば家柄や前科はほとんど関係なく、後づけで支配権を認めてもらえる状態です」
「ですから兵をたくさん集めた賊や賊もどきが城を奪って勝手に支配者を名乗ったり、あるいは勝手に地方の管理者にされるような話はざらです」
「そんな有象無象が大量発生して好き勝手につぶし合うのが『乱世』と呼ばれるゆえんですね。それらがだんだんとまとまり、史実では三大勢力となるわけです」
永松は説明したあとで、長任の落ちこみに気がつく。
「すると私は、暴力団抗争のまっただ中で園芸に精をだしていたようなものか……」
(しまった。理解は一気に進んだけど、どん引きしてゲームそのものに幻滅されたら元も子もない)
「あくまで大雑把な背景ですよ。そして三国志という物語が広く愛されている理由は、そのようにひどい時代でもなお、それぞれの理想や人間性を貫こうとした人たちの生き様を感じられるからです」
永松はあわてて取りつくろったあとで、少し驚いた顔になる。
(言っておいてなんですが、そんな考え方は私も今はじめて気がつきました……ビギナーさんに教えながらでも、自分が得るものはありますね)
長任もうなずいてほほえむ。
「なるほど……すると、この世界であえて園芸を愛することもまた、三国志らしい醍醐味というわけか」
「そこまでもどるな!」
思わず声と手が出ていた。
そのころ、竹林の先にある城の内部、城門に近い広場では大量の立て札が追加されていた。
太眉で鋭い目の角顔少年、正法孝直は不満顔でざっと見て歩く。
「プレイヤーの性格に合わせた能力変化と言っても、中間層にかたよる無難な評価基準だ。それじゃ頭数の勝負になっちまう。はじめからリアルの人脈規模で勝てるやつが決まっている。戦略なんぞ関係ねえ」
一緒についてまわる少女、子達皿慶子はそれなりに目をひくスマートな顔体、アヒル口で軽快に笑う。
「だから有名武将で変化つけているんでないの?」
「同じだ同じ。コンピューター武将は頭が悪くて、小道具の補助兵器も同然。史実で肝心な戦略や交渉はプレイヤー任せ。その上、どんな怪物武将でもプレイヤー数人で袋だたきにすれば倒せる戦闘バランスだ」
立て札には『君主・留遥袋山 志半ばに没す』ほか、同じ文面の訃報で『君主・幹腹香』『武将・竜初巴子』『武将・金重遥』『武将・菊麦義一』などが並び、正法が指している立て札には『君主・ソウソウ』とある。
「多くのプレイヤーを楽しませる発想だったんだろうが、結果は『大多数の少数派』を問答無用に切り捨てる……民主主義の失敗例みてえなシステムだな」
「おお~。さすがとび級の法学部。……しかしソウソウ逝っちゃいましたかあ。賊はちっとも減らないし。歴史改変にしても、いろいろサドンデスな方向かな?」
正法は追加で打ち立てられた立て札を見て、いぶかしげに首をかしげる。
『留遥袋山さんがログアウトしました
体力41・武力42・知力53・徳力62』
「この表示、俺が見るだけでも四回目だ。冗談か荒しでなけりゃ、なんかのバグか?」
「本人許可が必要なステータス数値がついているし、自慢するほど高いわけでもなし。公開前の一桁もついてるし?」
『幹腹香さんがログアウトしました
体力11・武力12・知力26・徳力49』
「こいつは二回目。ヤケでなけりゃ、ちょっとまずいだろ。三姉妹の誰かはわからんが、心理学と大脳生理学の天才もいたはずだ」
「しかしすごいね香さん……犬南ちゃん以外でもこんな数値を出せるのか。20台でもレアとかいってネタなのに……あ、犬南ちゃんも気がついた」
子達皿は追加された立て札をつっつき、ねぼけ童顔を出現させる。
犬南『すみませ~ん。不具合の報告です~。ゲームオーバーで天国にいるかたも含め、ログアウトは少々お待ちください。ログアウトの際にステータス値が表示されたり、表示がくり返されたりするようです』
「天国って?」子達皿。
「少し前の立て札に説明がでていた。脱落プレイヤーの観戦席で、ゲーム内とのメッセージ送受信は一切できない代り、内緒話以外は自由に観戦できる。あと逆応援投票もしていて、一定数たまると妨害キャラの仙人が襲ってくるらしい」
「こわっ、怨念システム?!」
犬南『まだ管理アカウントに入れず、天国の様子をのぞけないので、詳しい状況はわかりませんが、復旧次第にお知らせしま~す。次の休憩までにはなんとかしないと~。うひ~』
「休憩でログアウトするたびに全員の能力情報がだだもれじゃ締まらねえよなあ……」
次の立て札には辰安虞美の署名があり、たれ目の大人びた女性が映る。
虞美『ゲーム研としての連絡です。さいわいというか、ちょうど私はもうすぐ天国に行きます。趙雲様の槍にかかるなら本望です。彼が玄関まで来ていますので、もうどうなるものでもありません』
虞美『天国の様子を見て、可能なら立て札で連絡します。時間がありませんので、詳しい方法は手紙に書きました。もう余計な抵抗はしませんので、城を奪ったプレイヤーさんは代わりにこの手紙だけ、犬南協留さんへ送っていただけますか?』
次の看板には一重のつり目で髪をかっちりと後ろで三つ編みにまとめた女性が映る。
総子賛『なんか空気読まない速攻ですんません。ゲーム研の人とは知らなかったもので。郵便の件、承りました』
虞美『あ~れ~っ、いや~んっ、……ちょっと田々壽ちゃん、わりこまないでよ!』
『武将・田々壽春子 志半ばに没す』
『君主・辰安虞美 志半ばに没す』
犬南『虞美さんは志を満喫して昇天ですね~。というわけで総子さん、気になさらずその調子で。お手紙だけお願いします。私もさいわいと言いますか、圧倒的な賊軍に囲まれ、もうすぐ大首領の弓帳三姉妹様に投降の予定で~す』
「さいわいじゃねえだろ皇帝……首都まで賊が占領かよ」正法。
犬南『……あ、渦進さんも消えた。では私は捕虜生活をしながら弓帳さんと相談してバグ対応ですね。頼んでないのに首都防衛に集まってくれちゃった有志エジキの皆様、ありがとうございました~』
子達皿は小柄な少女が来たことに気がつく。
広場の端から立て札をギロギロと忙しげに見て回っていた。
「永松ちゃん、お帰り。話していた領主さんは?」
「あ、どもです子達皿さん、正法くん。え~と……あれ? そこの店に行くと言って……あ、あの、レアの80以上ってどれくらいプレイヤーにいるんです?」
永松はあわてた様子で立て札と近くの出店と友人たちの顔を見比べる。
「うちでは正法くんの知力だけ。70持ちでもちらほらしか……数人? やっぱ永松ちゃん知力80いった?」
「いえ、私は知力が70で、ほかはやはりというか、イマイチな感じですが……」
永松は長い前歯を強調するように呆然と口を開ける。
「永松の連れてきたほうか?」
正法が聞くと永松も我に返る。
「は、はい……確保しておかないと! 武力80さん!」
城門からの大通りに沿ってちらほらと店があった。
商品数は少なく、看板だけあったり、見本が吊るされているだけだったり。
永松が地味な反物を売る店をのぞいても、店主の中年男以外に人影はなかった。
「女の子なの? 飾り物か化粧品かな? どんな子?」
周囲に見える範囲の商品は酒、草履、かんざし、瓜、竹細工、卵、刀剣……
「長身長髪すっぴん美人ちゃんです。どちらかといえばお菓子とか……あ、あれだ!」
永松は台に卵を並べただけの店へ走る。
店主の老婆の後ろで長任がしゃがみこみ、ニワトリを抱え上げて目を輝かせていた。
「プレイヤー武力といえば意欲と積極性と主体性?」
子達皿が笑顔で首をかしげる。
「どういう方向の『やる気』だよ」
正法のムッスリとした顔にも呆れが混じる。
「そこが問題なんですよね」
永松がもうしわけなさそうに頭をかく。
長任が視線に気がついて振り返る。
「あ、ごめんなさい永松さん……えーと、はじめまして? 長任、です」
そのひざにはヒヨコが七匹のせられていた。
「子達皿ですどうも。永松ちゃんとは中学から、正法くんとは小学校からの仲です」
正法は紹介されるままに頭を下げるだけで、目は無愛想に長任の表情を探っていた。
四人は連れ立って中央の城へ向かう。
「面白いといえば面白いが、劉備じゃねえよなあ?」
「そうですかねえ? 斜めには近いような?」
永松は素直な憧れをこめて長身の切れ長目を見上げる。
「リュウビといえば主人公だろう? 優等生の王子様じゃないのか? 私がそんな……」
長任は照れ笑いする。
「無茶苦茶な性格のチンピラだ」
正法がなにくわぬ顔で言い切る。
「……え?」
長任は抱えていた卵を落としそうになる。
「演義の劉備は矛盾が多い。史実よりに整合性のある人物像ではそうなる。頭がきれてケンカも強いが、ロクデナシだな。だがそこが面白い」
「エンギ? シジツ?」
長任は永松に助けを求める。
「一般に知られる三国志という物語は『三国志演義』というフィクション小説をはじめ、架空の要素も多い娯楽作品なんですよ。ただ、三国時代の実際の記録である『正史』を見ると、小説より面白い事実もたくさん見つかるので、三国志マニアは中級あたりから正史マニアとなる人も多いです」
永松の説明に正法はなにくわぬ顔でかすかにうなずく。
「私は面白ければなんでもいいと思うけどね~。孔明が目からビーム撃ちまくって船団を沈めるのだって、すごさを視覚的にデフォルメしただけっしょ?」
子達皿はソバージュの髪をひらひらふりながら笑う。
「上級者はそこにもどりますね。史実から派生した注釈、民間伝承、創作加筆などの凄まじい積み重ねもまた『三国志』の魅力には違いなく、それら自体も貴重な歴史記録となっています」
「ずいぶん深そうだね? 外国の一時代の話なのに」長任。
「それだけ普遍的な内容が多く含まれ、娯楽にとどまらない影響も与えているのですよ。日本でも歴史書としては平安時代から、小説の演義も戦国時代までにはあったようで、戦国武将にも『ああコイツ、読んでいたな』と感じるエピソードは多いです」
「なるほど…………そして私はロクデナシのチンピラか……」
「いや、劉備の話だっ! 史実よりの!」
正法はあわてて弁明したが、長任の落ちた視線は出店の餅を見つめていた。
「私は演義にあるような、庶民よりの王子様キャラという意味で言ったのですよ? がつがつ頂点を目指したり、なにかしら目立とうとするプレイヤーが多い中、こじんまりとした楽しみかたを大事にできる癒し系なかただなーと」
永松が『がつがつ』と言ったところで長任は一瞬びくりと止まる。
味のしない餅をひきのばしてかじりとり、はしゃいでいる最中だった。
「史実でそうなら関羽と張飛は見かけても通り過ぎていただろうけどな」
正法は卵を代わりに持たされ、財布もわずかに軽くなっていた。
「実際の劉備が庶民の味方かは怪しいですが、後世に限らず、庶民が望んで期待した君主像ですよ。無茶苦茶な中にも感じさせる愛嬌は、やはりそう期待させるだけの寛容な優しさも含んでいたのだと思います」
城の前には中年の衛兵が立ち並び、長任はキョロキョロしながら食べかけの餅の扱いに困っていた。
屋根の下には細かい彫刻が見え、内部には色とりどりの派手な装飾が広がっている。
しかし衛兵以外の姿はない。
中に入って見回すと、入口すぐ横の壁にすがってうなだれる豪華な文官姿の長身女性がいた。
「協留ちゃんとられた……あれ? え?!」
三つ編みを後ろで団子にまとめた玉季璋は視線に気がついてうろたえる。
長任もこっそり餅をくわえてひきのばしていたところだった。