7 桃園の誓い ゲームを開始してみよう(主要人物全体)
ゲーム開始直後と同じく、ゲーム開始前の現実世界も桜の季節だった。
初等部、中等部、高等部、大学と併設された犬南学園の敷地は広く、緑が多い。
テストプレイ当日の朝は肌寒く、コート姿もちらほら見えた。
西暦で言えば、この小説が書かれはじめた2014年からさほど遠くない未来のはずである。
背が低く目つきの悪い遠行松路はブレザーにコートを重ねてポケットに手をつっこんでいた。
弟の絹種はさらに小柄で暗くて目に生気がなく、セーターを着込んでマフラーにしがみついていた。
「お前ら……まあ、体感温度が違うのだろうな」
待ち合わせた三尖島霊紀は太めの大柄で、ワイシャツを腕まくりしていた。
よく言えば渋くて貫禄があり、別の言いかたでは中年くさく、並んで歩くと引率教師に見えることは互いに知っている。
「勘違いした先輩に敬語であいさつされる気持ちがわかるか?」
「俺は少し前まで中等部に間違えられたよ。絹種はいまだに初等部に間違えられる」
「理工学部の研究棟……あの桜のあたりですね」
遠くに白い花の樹木が並んでいた。
三人は携帯で地図を確かめながら向かう。
「おっと、案内によると桜ではなく、桃の並木道ですね。偶然か演出か……」
研究棟のまだ薄暗い廊下では園本初紹が栗色の縦ロールをひるがえしてブレザーを脱ぎ、歩きながら肩にひっかける。
「暖房ちょっと強め?」
「心拍数と呼吸数も測るそうですから」
答えた諌治梓呼の長身はブレザーだと細さが際立った。
妹の梓庇は中等部にしても低く、ひどい細さは同じ。
後ろには私服のスーツを着た修告遠子とジーンズに革ジャケットの廓斗公則もアクビをしながら続いている。
「お~。軽音とフォークのみな様ようこそ~」
「なにか手伝う? ……その格好は?」
園本が研究室をのぞくと、眠そうな顔の幼児体型が七五三のような格好をしていた。
「ん~。だいじょぶ~。今年はみんなに気をつかわせちゃったみたい。着物はそれっぽい雰囲気を狙ったのだけど、見せる時間が~」
犬南協留は話しながらもキーボードをたたきっぱなしだった。
周囲には数人の生徒があわただしく隣の部屋と出入りしている。
「ゲーム自体は天才三姉妹様に手伝ってもらっちゃったから、仕上げまでバッチシ間に合ったよ~。期待してして~」
「じゃあもう会場に入っておく。管弦とモダンジャズも着いているから、なにかあったらメールして。……足元が春を見せすぎかも」
犬南は着くずれでかなり深くまで太腿が見えていたことに気がつき、あわてて抑える。
遠行たちは購買部に寄り、ちらほらと客の散らばる食堂でパンと緑茶の朝食をとる。
視線を一身に集めて向かってくる女性がいた。
「遠行さん、おはようございます。そちらも文芸部員のかた?」
長い髪に人形のような整った色白顔、長身モデル体型にきわどいスカート丈……の看護服。
「な、なんだ遠行?! この心臓に悪いクオリティの美人は?! お前の担当医か?!」
霊紀の取り乱す様子には絹種も驚いていた。
「こんなの病院にいたら容態が悪化するだろ。というか俺は何科にかかる必要があるんだ? 例の天才三姉妹センパイだよ。えーと……すみません。まだ見分けが……」
「次女の弓帳宝黄です。姉と妹も来るのですが、ご一緒しても……あ、そのままの席でだいじょうぶです」
宝黄は一斉に立ち上がりかけた少年三人を手でおさえ、霊紀の右隣にすべりこんで会釈する。
霊紀は顔を真っ赤にして呼吸困難に陥り、なにかわからないことをグニャグニャつぶやきながら震えて頭を下げる。
遠行は友人が倒れないか本気で心配したが、さらなる脅威が迫っていた。
「姉さん。せっかくですからそちらの席で」
同じ顔で、スカート丈まで同じの婦警姿が会釈して霊紀の左隣に座る。
「長女の弓帳角黄です」
霊紀は再び目を丸くし、泣きそうな笑顔で頭を下げ、うわごとのようにうめく。
「俺は今日、投獄されるのか? 危篤になるのか?」
顔を直視できずにうつむいても、深くきれこんだ胸元の谷間、そしてパンストの太腿が両側に見えてしまい、汗を噴き出させた。
「三女の弓帳梁黄です」
梁黄は霊紀の向かいに立った。
わざわざ遠行をずらして絹種との間に割って入り、真正面から霊紀の顔だけ見つめてほほえんだ。
やはりギリギリのミニスカートだったが、なぜか消防服だったために霊紀はかろうじて正気を保った……かどうかはよくわからない。
「自分の誕生日は半年先だが……なんのサプライズパーティーだ?」
遠行もすでに三人に見とれて魂が抜けかけ、友人の小さな断末魔には気がつかない。
「私たちは顔での見分けがつきにくいので、信号の青、黄、赤など、三つ順になる特徴を服装に持たせています」
警官服の長女こと角黄。
「今日は犬南さんが着物で来ると聞きましたので、私たちも着替えを用意してきました」
消防服の三女こと梁黄。
「今回はわかりにくくありませんか? 普通は警察・消防・救急の順ですし、世界的には救急・消防・警察の順が多いです」
看護服の次女こと宝黄。
「警察が遅れると病院送り、さらに遅れると火災で証拠全損。前に姉さんの言っていた順番にしてみました」
「そうなんですかあ」
遠行たちは思考の停止した笑顔でうなずくばかりだった。
「こりゃ~時間が危ない。やっぱり着替えてからいこ~」
犬南はパソコンの隣にあるロッカーの陰で着物を解きはじめる。
「手伝いましょうか?」
部屋には三つ編みを頭の後ろで団子にした長身女性だけが残っていた。
「いえいえまさか。すぐに行きますので、先に会場を見ていてもらえますか~?」
玉季璋は犬南の隠れきらない下着姿の尻にほほえんでうなずく。
研究室のある二階の残り全体が会場になっていた。
四つある大部屋の移動隔壁がすべて開かれて長大な一室になり、ネット喫茶のように小さな個室ブースがビッシリと並んでいる。
それらは男子生徒の胸くらいの高さだったが、伊勢日美子の低身長ではほぼすっぽり隠れてしまい、ピョンピョン飛び上がって前の黒板に貼られた指示を見ていた。
「同じ説明はすべて個室内にもありますから、部屋番号だけわかればもう入っていてだいじょうぶですよー!」
一番前から入ってきた璋が見え隠れする日美子の頭に呼びかけると、親指を出した腕が飛び出て振り回された。
「なんかエロくねー? 中でいろいろできそうだよなーあ? なーあ?!」
巨体の重草卓は入ってくるなり大声を出し、連れている十人ほどの男女もバカ笑いする。
「会場では静かにお願いします! 総合スポーツは最前列ですから、通路をふさがないように、もうブースへ入っていてください」
璋がキッパリとした態度で注意すると重草は無表情に目を向けるが、璋の美貌に気がつくと体もニヤニヤと見回す。
「なに? なんで俺らを仕切ってんの? 責任者は? 犬南ちゃんはどこよ?」
璋が軽蔑もあらわに大人びた顔を険しくすると、その背へ加勢して体格のいい男女がどこからともなく集まりだす。
拳ダコや面ずれのある者が多い。
やせたギョロ目の男が気まずそうな笑顔でふたりの間に入り、おどけた仕草で自分の部屋を探す。
「玉季さんは学祭実行委員ですよ。イベント慣れしているから、会場整理を手伝っているんじゃないですかね? 番号は……若いほうから廊下のようですね」
その手に握る携帯端末には部屋番号と『練宮広台』の名前。
別のやせた男が小さな怯えた目をさらに萎縮させて重草にささやく。
「違反で共同出店がつぶれかけたの、ようやく再認可もらったところなんで……」
その手に握る携帯端末には部屋番号と『獅子王充』の名前。
「商業施設と勘違いしないでください。ゲームのテストプレイであっても研究の一環です。協力者以外が入っていい場所ではありません」
「はいはいはい! すみませんすみませんごめんなさいでしたあ!」
璋の追い討ちに、重草は吐き捨てるようにわめきながら逃げる。
「こええよなあ! 空手や柔道のやつらで囲むとか、マジでヤられるかと思った!」
重草は自分のブースによりかかってなお騒いだが、璋の背にいた中でも特に目のすわった三人の男が詰め寄ると真顔で口を閉じる。
「みんな見かねて勝手に『協力』したんだ。祭に茶々いれるなんざ、いくらヤリサーでも野暮の限度をわきまえろや」
肩幅が広く、貫禄のあるネクタイ姿の男が静かに諭す。
「これ以上ガタガタ騒ぐと俺らが、俺らの責任で、表へ引きずり出して話つけんぞ?」
重草ほどではないが大柄で、筋肉のかたまりのようながっしりした中年……にしか見えないこわもてヒゲ男が正面からにらみつけた。
「それと俺らは、学祭委員でも体育会系でもねえ。漫画研究会だ」
冷蔵庫のような体格の二メートル近い大男も冷たく見下ろす。
三人の気迫に誰もつっこむ者はなく、重草も憮然と視線を返すだけだった。
「この手はなに?」
園本は最後列付近にいたが、廓斗公則、紀元逢、審正配といった面々が周囲を囲んで通路もふさいでいた。
「いえ。打ち合わせでもしましょうかと。集合場所でも」
梓呼の薄笑いが少しひきつっている。
「オマエら、園本がヤると決めたらどうせ止められんから、その先を準備するほうがいいぞ」
告遠子はどこかへ出しかけた携帯メールをなにくわぬ顔で削除する。
食堂から弓帳三姉妹の姿は消えていたが、グッタリした少年三人が残されていた。
「大学の漫画研究会、オンラインゲームでもかなりの猛者らしいですよ」
「逆にゲーム研はなぜか三国志ビギナーが中心だよな。社会科系や武道系も三国志好きは多いらしいけど……おい霊紀、そろそろだいじょうぶか?」
「だめだ……いや、なんとか命は……」
遠行の指示で絹種がもう一杯、霊紀のために茶を入れてくる。
「ん……あそこに座っているのもなかなか……」
角の席にいる長髪の少女は胸こそ控えめだったが、スラリとした背と長い脚、凛々しい顔と切れ長の目は印象的だった。
「自分好みだ。見ないでおく。体調異常で参加できなくなったら、なんのための休日登校かわからん」
長任奉弓は角の席でガラス戸の外の森をずっと見ていたが、不意に席をガタリと鳴らして立ち上がり、あわてて食器を片づけると表へ飛び出す。
研究棟のほうには現れず、ガラス戸をすごい勢いで横切った。
携帯のカメラをかまえながら。
「ボクらは打ち合わせとか、いいのですか?」
「俺が本気だせるかよ。ここ半年、小説のために三国志のことばっか調べていたからチートみたいなもんだ。ゲームをしらけさせちゃおとなげないだろ? でもまあ、そろそろ行こうぜ。メールだと手伝いは足りているって返ってきたけど……ほら霊紀、ふんばれ」
ブレザー姿の犬南が会場に姿を見せると、小さな拍手が起きた。
「総スポとか応援団は『前から順に』ということで先に眠らせておいたから」
璋が耳打ちすると犬南は苦笑して両手で拝む。
「助かります~。配置を相談して正解でした。そうなると、あとはうちの部の虞美さんや田々壽ちゃんもいますので、学祭委員のかたもそろそろブースへどうぞ」
犬南は教卓のパソコンを起動し、座席状況を見ながら操作をはじめる。
そこへバサバサの長髪、猫背の長身、やせこけた頬と体、ガッシリ見開いたクマの濃い目の男が上半身を左右に大きくゆらしながらずるずると迫り、胸元から黒い塊をとりだす。
犬南は画面隅に表示させた通報ボタンを押す寸前、男のよれよれの服が同じ高等部の制服ブレザーらしきことに気がついた。
黒い携帯電話には『于示林文則・美術部三年』以下、学籍番号、電話番号などが表示されている。
于示林の背後では正拳突きを出し切った璋と、それをかろうじて跳ね上げてそらした大柄な角刈りマッチョのアクションシーンが展開されていた。
「直前登録した番号なしのかたですね? では、この席へお願いします」
犬南は泣きそうな笑顔で中央あたりの席をパソコンで見せる。
于示林はまばたきすらない無表情のままうなずくと席へ向かい、背を向けたまま一言だけボソリともらす。
「誤解とはいえ、いい殺気だった」
犬南が気をとりなおして振り返ると、今度は暗い顔の男たちが寄り集まって「ククク」「ヒヒヒ」「ホホホ」と笑いあっていた。
「ときめくねえ。僕は3D映像すらろくに見ない時代おくれなのに」
濡れたようにペッタリした長髪、平たい鼻、細いたれ目の男がニターと薄いくちびるから鋭い歯を見せる。
「ああ~。兄貴~。よかったよ~。よかったよな~。ぅぐふふふ……っ」
似た顔格好だが少し低めで太く、頭の両側をモヒカンに近く刈り上げた男が泣く。
「おっとぉ? 座席指定をさ。もらわないとさ。ギシシシシシッ」
異様に細長いつり目の男は辮髪に近い刈り上げ髪を背までのばし、額に何層ものシワを寄せて全身を震わせる。
璋はふたたび無意識に両拳を腰へかまえたが、今度は事前に角刈りマッチョが体をわりこませていた。
犬南も今度は笑顔で座席一覧を確認する。
「みんな同じ部活のかたですか?」
「バレーボール男子」
「……え? …………え?」
犬南は二度、男たちの顔を確認したが、まだ納得できない表情で手元が動かなかった。
パソコン画面には『直前登録・魚日長粥斗・男子バレーボール部・部長』とあるが、顔写真は空欄になっている。
「おやあ。紹介者はまだ来てない? そろそろまずいだろうに……」
細たれ目の男が携帯電話をかける。
「ククク……また、ネコでも見つけたの?」
『すまない! タヌキが……いや、すぐに行く! 食堂の裏だからすぐだ!』
女性の声が音漏れしていた。
「聞こえた? タヌキだって。クヒヒヒヒヒッ」
最後列へ入ってきた遠行は手前にいる諭渉公礼らとのあいさつもそこそこに、窓際にかたまる音楽系部活動のメンバー、その中央で女王然とふんぞりかえる園本と視線がぶつかる。
「よりによって軽音が隣かよ」
「お前、なにげにレベルの高い女と縁が多いよな」
霊紀がボソリとつぶやくと、遠行はさらに小さい声で耳打ちする。
「アレは数にいれるんじゃねえ! 普段は外づらよくしてやがるが、最悪だぞ? 子供のころから会えばケンカ売ってくるし、無関係なケンカに巻きこむし、犬けしかけるし、山奥で置き去りにするし……本人に言うんじゃねえぞ?! 死ぬほどしつっこいから!」
会場に拍手が起きる。犬南が下げていた頭を上げる。
「こんにちは~。このたびはゲーム研究会の新作『ヴァーチャル三国志で迷走してみよう!』のテストプレイにご協力ありがとうございま~す。ゲーム開始まで一時間をきり、すでに半分以上のかたが睡眠に入りました。ここからは仮想空間内を中心に説明します。起きているかたが発言する場合、専用端末を通じてお願いします」
遠行が個室ブースからパソコン端末をとりだすと、すでに専用動画で固定されていた。
会場にいる犬南と同じ動作を画面の中の犬南も真っ黒い空間で同時にとるが、服装は古代中国風の豪奢な着物。
その周囲には参加者の顔を映した小さな鏡が大量に舞い、口々になにかを言い合っている。
犬南「仮想世界へ入るまでの時間は多少の個人差がありますので、ここからの説明は全部、内部に入ってからも録画再生で確認できるようになっています……う~ん、先に入ったかたが事前の協力約束などをまとめているとのことですが……今回はそのあたりも戦略の内、ということで」
黄組「せっかくだから、賞品も少し、なにか賭けない?」
楽文「三国志とかゲームの初心者が多いなら、罰ゲームじゃない方向で」
犬南「それでは~。テストに協力してもらっていることですし、天下統一した君主さんには私からなにか~……」
寥花「なんでもしてくれるの?」
一坪「課題の手伝いとか?」
華夫「デートもあり?」
犬南「ええ~? 物とかじゃなく、私自身ですか~あ?」
養月「洒落で済む範囲で」
璋「犯罪や人権侵害はダメに決まっているでしょ」
季典「強制わいせつは論外として、一緒に映画と喫茶店、くらい?」
犬南「まあ、それくらいなら~。うひ~」
璋「そうね」
魚日長「臨時の試合マネージャーとか?」
永松「臨時の漫才相方とか?」
猛隻「臨時のチアリーダーとか?」
璋「そうね」
馬俊「国内なら登山もあり?」
累「一緒にバンジーとか?」
陽奉「演劇の幼女役とか?」
于示林「デッサンモデルも水着着用であれば……」
璋「そうね。あとコスプレ撮影くらいね。それくらいまでになるでしょうね」
遠行は中継映像を見ながらツッコミ仕草をした後、あわてて周囲の文芸部メンバーを呼び集める。
絹種「ゲーム内での集合場所ですか? ……たしか本気を出すのは……」
遠行「いや、やっぱり手を抜いて参加したらテストのデータがゆがむかと思ってさ。ほかのプレイヤーにも失礼だろ?」
霊紀「まあ……別にかまわんが……」
園本「なに? 松路まで天下統一めざすつもり?」
縦ロールの栗色髪が身を乗り出してニヤついていた。
遠行「うっせーな。今は予選落ちにかまってる場合じゃねえんだよ」
園本「ふーん。じゃ、私が勝つことにする」
さも当然のように、見下した目で笑った。
遠行「ゲームもろくに知らないゲーム研の幽霊部員があ?」
かろうじて皮肉で返す。
園本「文芸は負けたら学祭ライブの整理係ね。ちょうど足りなかったし」
涼しい顔でしらじらしく喜ぶ。
遠行「なに勝手なこと言ってんだよ」
園本「こっちが負けたら……文芸の売り子? やるよ? 完売まで」
遠行「初紹のゴリ押しで売りつけても、読まれなきゃ意味がねえんだよ!」
園本「勝てる気しないなら、そう言えば? 私も松路には負ける気しないし、賭けが成立しなくてもしかたないかも? ほら、降参するなら賭けなしでゲームしてあげるから『かないませんから降参します』って言いなよ」
虞美「あの……最後四列のかたもそろそろ……」
穏やかなたれ目顔の女性が『ゲーム研究会』の腕章をつけて苦笑していた。
遠行「あ、はい。すぐ入ります。……初紹、どんな風に負けても約束やぶんじゃねえぞ」
園本「誓いますとも」
窓の外には桃の花が咲き乱れていたが、それを引き合いに出す程度の三国志知識すら園本にはなかった。
個室ブースの中は薄暗く、リクライニングチェアーに乗った状態で扉を閉めると自動で鍵がかかる。
虞美「手動の鍵もかけてください。荷物は必ず座席より下へ。安全のため、ささいな外部刺激でもゲームが中断され、起きてしまう仕様になっています」
先ほどのたれ目顔の女性の声。
虞美「室内に用意したものは必ず身につけてください。安全性は上がっていますし、二時間ごとの途中休憩も入れますが、念のためです。では心拍と呼吸を測る端末のとりつけかたを説明します……」
遠行が目をさますと、真っ黒い部屋で大きな鏡に囲まれていた。
記録音声に従って動作確認などを終えると小さな鏡が現れ、犬南を中心に小さな鏡の集まる待機会場の様子が映る。
文芸部や軽音部のメンバーも小さな鏡の顔になって次々と現れる。
録画映像を開き、音声を文字化した文章を早送りでざっとながめたが、さほど大事な追加事項はなく、雑談だけだった。
犬南「最後列のかたが見えはじめましたね……遅れて来た人たちも入った? パパリンも来た? じゃ~虞美さん田々壽ちゃんも入って」
リアルの会場を映す鏡が大きくされる。
残っている人影はひとりだけ。
会場の一番前に、遠行もどこかで見たおぼえのある肥えた中年男が座っていた。
犬南「今日はゲーム研究会のメンバーも全員参加できるようにと、パパリンこと犬南雨並理事長が安全監視役に志願してくださいました~」
つぶれた饅頭のような中年男は、ぼんやりした笑顔でゆっくり手を振る。
雨並「むすめ~。むすめ~」
会場に集まる顔へ一斉に不安がよぎる。
犬南「私はちょっと、遅れて来た人たちの動作確認を直接お手伝いに行ってきますね~。虞美さんもすぐ入ると思いますので、それまでパパリンもヤングのみなさんとくだけた会話でもどうぞ~」
そう言って寝ぼけ顔が鏡をくぐって消えると、大画面の理事長と生徒一同が残される。
雨並「今日は娘の研究に協力してくれてありがとう……私は娘を大事にしている」
理事長は穏やかな笑顔で言ったが、生徒の多くは緊張した。
雨並「ひいきも惜しまん。役所に怒られなければなんでもやる。さいわい、私と違ってあまり手を回さんでもだいじょうぶらしいが。そんないじらしい娘が欲しそうにしていたから、このバーチャ……なんとか? てきとーに予算組んで買ってみちゃった」
理事長は穏やかな笑顔で言ったが、生徒の多くは戦慄し、声には出さず『会話がくだけすぎだ!』と絶叫していた。
雨並「私は操作もなにもわからんが、最近の機械はよくできているから、座っているだけでいいらしい。だからここに座って居眠りでもしておるよ。ふほ~っ、ふほ~っ、ふほ~っ。おや……めいっこ~。めいっこ~」
案内役をしていた女性が鏡の中から着物姿で現れ、周囲を見回し、異様な雰囲気に気がつき、穏やかなたれ目顔のほほえみがひきつる。
虞美「おじ様、いったいなにを……いえ、聞かないでおきます……」
多くの生徒が理事長様の姪っ子令嬢に同情の視線を向けた。
虞美「もうじき、最後のかたの確認が終わります。現在は予定開始時間の二分前……本当にちょうどの開始になりそうですね」
努めて明るく案内しながら、さりげなく理事長の画面を最小サイズまで縮めていた。
犬南協留がふたたび鏡から現れ、新たに加わった小さな鏡の中の長髪少女がちょこんともうしわけなさそうに頭を下げる。
「みなさん動けますか~? では、犬南学園ゲーム研究会の新作『ヴァーチャル三国志で迷走してみよう!』のテストプレイを開始しますね~。とりあえず歩き回って遊んでいれば勝手に進みますから~」