1 曹操の飛翔1 歩いてみよう(長任)
「正義の味方リュウビが、どっちつかずのソンケンと手を組んで、悪のソウソウを倒す話……で合っている?」
「マニアさんだと五個以上ツッコミそうだけど、昔の一般にはそんな感じ~」
真っ黒い空間。
長身にストレートロングの少女を何枚かの全身鏡が囲んでいた。
颯爽とした色白顔に不似合いな古風で粗末な着物、木製胴当て、竹槍。
「ゲーム自体、あまり経験ないけど、本当にいきなりでだいじょうぶ?」
頭上の空中には青白い文字で『長任』という表示が出ている。
一枚だけ骨董風の顔鏡が頭の高さで浮遊し、中には別の少女が映っている。
ねぼけたような童顔にふわふわ髪で、小さな体には不似合いな、豪勢すぎる着物と髪飾り。
「なにをしてもいいし、なにもしなくてもいい初心者さん対応がウリなの~」
頭上には『犬南』の表示。
長任はゆっくり手を握り、開く。
そろそろと何歩か足を出すと、鏡も合わせて動く。
「服も足の裏も感触がある……なんだか怖いな」
「それくらいの触感だけでもなかなか感動するでしょ~?」
着物のえりをあちこち引っぱっても、少し浮くだけで着くずれない。
「痛みとかは受けないし、外部からの強制遮断でも簡単に起きるから、用心のリアル装備さえつけていれば問題ないよ~」
「その話はやめよう……いや、介護の経験にはなったけど」
「部費の都合で旧式の払い下げだから味、におい、温度、繊細な肌ざわりとかはなくて、ガチな運動競技や恋愛競技までは再現できない仮想世界なの~」
犬南は空中に表示された青白いタッチパネルを操作する。
犬南を映す鏡が映画スクリーンのように大きくなり、低身長の全身、その周囲へ大量に漂う小さな骨董鏡が見えた。
小さな鏡はそれぞれに別の顔が映りこみ、その中に長任を映す鏡も加わると、恥ずかしそうにちょこんと頭を下げた。
「みなさん動けますか~? では、犬南学園ゲーム研究会の新作『ヴァーチャル三国志で迷走してみよう!』のテストプレイを開始しますね~。とりあえず歩き回って遊んでいれば勝手に進みますから~」
長任を囲んでいた大小の鏡がゆっくりと薄れて消え、黒い空間はだんだんと昼の田舎風景に変わる。
畑の真ん中で一本だけ、満開の桜が花びらをふうわりと広げて散らし、どこかでウグイスがホケキョと鳴く。
遠くには古代中国の遠大な城壁がのび、近くには茅葺き土壁の小さな家が何軒か見える。
長任はフラフラと桜に引き寄せられて見上げた。
日差しの温かさはなく、日陰の肌寒さもなく、土のにおいもなく、風も感じない。
それでも花吹雪の中へ腕を泳がせると、自然に顔がほころんだ。
「やっぱり怖いな……こんなにきれいとは思わなかった」
人目に気がつき、そっと腕を下ろす。
老いた農夫が畑で立ちつくして見ていた。
「お若いかた、なにか御用でも?」
しわだらけの顔は表情が読みにくい。
とまどう長任の視界の端に、ベージュ色の文字が横書きで表示される。
一 会話
二 戦闘
三 略奪
四 逃走
長任は顔をしかめ、『一 会話』の上端を慎重につつく。
選択肢が消え、老農夫は首をかしげて頭をかいた。
「旅は慣れておらんようじゃな。まあ、近ごろは山賊が多い。気をつけなされや」
「ありがとう……ございます」
長任が照れながら小さく頭を下げる。
老農夫は笑顔で二度うなずき、農作業にもどる。
長任は思わず、自分の口をふさぐ。
(話したことも聞かれているのか?)
老農夫が振り続ける鍬、飛び散る土の動きなどをながめて感心していると、ふたたび選択肢が表示される。
一 会話
二 交友
三 求愛
四 略奪
五 戦闘
(また極端な。でも『逃走』が消えているのは前の選択の影響かな?)
長任は『二 交友』に指をのばしかけて止める。
(なにもしなくてもいいと言っていたか)
少し離れて腰かけ、桜と農夫を含めた里山の景色をぼんやりと見まわす。
「お仕事の邪魔をしても悪いし」
長任が苦笑して小声でつぶやくと、老農夫は急に起き上がって震えだす。
「あわわわ。あわわわ。あわわわ」
(なにをどう解釈された?!)
しかし農夫のおびえた視線は、長任とは逆の方向へ向けられていた。
見れば数人の中年男たちが畑を荒らしながら迫っている。
(ながめているだけでも楽しいのに、あわただしいな)
蹴り上げられた作物がカブであることを確認すると、長任は竹槍をかまえて立つ。
「それは私の好物だ」
一 突撃
二 威嚇
三 防衛
四 逃走
(動作でもう戦闘開始のあつかいか。でもこれ、いつ選択するんだろ? 槍をふりながら?)
考えている間に相手から突撃してきた。
人相の悪い顔ばかり。手にした斧や鎌を振り上げてくる。
長任の竹槍と腕が勝手に動いた。
「せやーあっ!」
長任は発したおぼえのない自分の勇ましいかけ声が響いて驚く。
「げえーっ」
先頭の小男が竹槍に突き刺され、派手に転がって倒れる。
重い振動も腕に伝わってきた。
(うわああああ。ちょっと待ってえええ)
「せやっ! せやっ!」
男たちが近づくと槍も勝手に速さを増し、次々と突き倒す。
(選択しなくても私の意志を推測して、勝手に動いてくれるのか)
さらにふたりのやせた男を倒したが、最後の太った大男はなかなか倒せない。
「せやっ! せやっ! せやっ!」
しかもふたり目と三人目が起き上がりだす。
竹槍の先が壊れていることに気がついた。
左胸に小刻みな振動が伝わってくる。
疲労の演出らしき自分の荒い息が聞こえる。
「これをお使いくだされ!」
老農夫がふるえる手で鍬を差し出していた。
受け取って振り回すと、一撃で大男が倒れる。
「ぶっげえええーっ」
起き上がったふたりのやせ男は、武器をかまえたまま動かなかった。
一 突撃
二 威嚇
三 略奪
四 捕縛
五 交友
六 逃走
(いやいや、交友や逃走はないだろ。捕縛……なのかな?)
四を押そうとしたが、その前にふたりは逃げてしまった。
足元には割れた竹槍といくつかのカブ、それに大男と小男が転がったまま。
(生々しいな……破裂して消えてもいやだけど)
老農夫がひざをついて手を組み、感謝の意を示していた。
一 君主にして忠誠を誓う
二 義兄弟の契りを結ぶ
三 臣下にして従える
四 求愛
五 交友
六 贈物
七 捕縛
八 略奪
九 突撃
(選ばないで勝手に解釈されるのも怖いな。すると交友……いや、鍬のお礼になにか贈り物を……)
自分の持ち物をあさると、財布らしき巾着が出てきた。
(いや待て。どうせゲームなんだし、これもなにかの縁……)
贈物へ向かいかけた指が、おそるおそる上へとずれていく。
迷っている間に老人は逃げてしまった。