逆襲の優衣
優衣が何を考えているのかが、全然わからない。もう四時間目の終わりに差し掛かっているのに、何もしてこない。
すぐにでも仕掛けてくると思っていた僕にとっては、意外の一言だった。
しかし、優衣の目的が僕への復讐ということは、容易に理解できる。ただ、復讐したいのなら、夜道でもいいはずだ。まさか……。
僕が学校に来られないぐらいにする気ではないだろうか。それ以前に、殺される危険性さえある。
四時間目の終了を告げるチャイムが鳴る。僕にとって、憂鬱な時間の始まりだ。優衣はチャイムが鳴ると、どこかへ出かけてしまった。
この時間も、優衣は何もしてこないのだろうか。
「優衣ちゃん。かわえぇーな」
テルが、少し顔を赤くしながら話した。テルは、完全に騙されている。優衣の本当の性格を知ったら、ぶったまげること必至だろう。
「テル。さっき、椎名さんと何を話していたんだ?」
優衣の狙いを探っておきたい。
「いろいろと話したでー。優衣ちゃん、料理と裁縫が得意なんやと」
テルには悪いが、優衣が裁縫をやる人間には思えない。
「つまらない話してるな」
仮に優衣が、裁縫が得意だろうと、僕には関係がない。興味すら一切ない。
「つまらなくはないでー。優衣ちゃん、かわえぇし、癒されるわ」
テルの話を聞いていると、頭が痛くなってくる。
「それは、よかったな」
僕にとってどうでもいいことなので、適当に返事をした。
しかし、優衣は、間違いなく、性格を作っている。それも、男に好かれるように演じているだけだ。
僕は、それを四日で気づいた。一週間もあれば、クラスの内数人は、わかるだろう。
「椎名さんのどこがいいんだ」
僕にとって一番気になる所だ。
「完璧美少女だからだ」
テルは、何かを宣言するように、喋った。
「完璧な人間なんて、いるかよ」
少なくとも優衣は、完璧美少女ではない。強いて言うなら極悪美少女だろう。
「勉強もできて、裁縫も料理もできる。ルックスも、すばらしい」
美少女である事実は、認めるが。裁縫や料理が得意とは思えないし。テストの成績がよかったという情報も嘘っぽい。
というか、優衣の能力があれば簡単に、満点が取れるはずだ。
「完璧とか僕にとっては、どうでもいいが」
優衣が完璧でない正体ぐらい、僕は、知っているのだから。
「そういえば、涼の話も出たんや。優衣ちゃん、おまえのこと知っていたで」
なんだって! どういうつもりなんだ。優衣は……。
「椎名優衣……。どこかで会ったっけ」
僕は、適当に誤魔化した。どういう狙いで優衣が言ったのか、探るためだ。
「そりゃそうだろ。優衣ちゃん、涼をテレビで見て知ってたらしい」
そう言われれば、銃の乱射事件を解決して、ニュースに出たことがあった。
「で、優衣は、なんて言っていた」
そこが、一番肝心だ。
「簡単に暴行を振るう人は、怖いらしいで。やはり、華奢やな、優衣ちゃん」
重さが一トン近くある鉄球を当てようとした人間の言う台詞には思えない。そうこうしている内に、優衣が戻ってきた。僕とテルの席に向かってきている。
「北﨑くん、これ、あげるよ」
優衣がテルに差し出したのは、ハンバーグと目玉焼きのサンドイッチだった。
「北﨑くん、さっき、ハンバーグが好物と言っていたから、北﨑君のこと思い出して、買っちゃった」
こいつ……策士だ。どう行動すれば、男が靡くのか、理解している。
「優衣ちゃん、おおきに」
テルは、すごく笑顔になった。
「ところで、黒木君は、どんな料理が好きなの」
僕に、話を振ってきた。僕は、そっけない返事をした。
「別にない」
優衣の用意した物を食べるのは、願い下げだ。腹を壊すことは、間違いないだろう。
仮に貰っても、食べず、ゴミ箱行きは確実なのだが。
「涼は辛いものが好きで。甘いものが苦手だな」
テルが余計なことを口走る。
「へぇー、そうなんだ」
優衣は不気味な笑みを浮かべた。僕は、ゾッとする。
「栄養には気をつけるから。基本的に好き嫌いはないけど」
僕は好き嫌いに関して、誤魔化した。
優衣は少しニヤリと笑った後、「またね」と、女子たちのグループに混ざっていった。
なぜ、クラス中に受け入れられているんだ……。誰か、優衣の極悪な性格に気づけよ……。
「優衣ちゃん。可愛いだろ」
テルが僕に小声で喋る。
「俺には全然わからんが。こちらも弁当にするか」
僕は強引に話題を変えた。テルも「そやな」と弁当を机に上げる。僕も机をくっつけて弁当を出した。
僕の弁当箱は、二段だ。なぜか、いつもよりも軽かった。僕が弁当の上段の蓋を開けると、蜚螂だか蟋蟀だか全然わからない虫が入っていた。
なんじゃ、こりやぁぁぁぁぁぁ
これは、優衣が、やったことは、簡単に想像できる。くそっ……。
僕は、今更ながらに、優衣と関わった現実を後悔した。しかし、焼かれて死んでいたのは、不幸中の幸いなのだが……。
弁当の蓋を急いで閉めた。下の箱は軽い。本当なら開けたくはないが……。
空けなくて惨状になる可能性も、十分にある。
恐る恐る開けると、メモが入っており、「好き嫌い、ないんでしょ(笑)」と書いてあった。
優衣を殴りたい気分になった。しかし、優衣の挑発に乗れば、それこそ、優衣の思う壺だ。
「すまん。テル。用事を思い出した」
軽い嘘をついて、教室を出た。
「そっか。わかった」
テルは、不思議そうな顔をしたが、同意してくれた。僕は、優衣に文句を言いたかったが、ぐっと我慢して、弁当箱を持って教室を出た。
僕は携帯で、学食のホームページにアクセスした。
今は、携帯で食事の予約も簡単にできる。しかも、トッピングや辛さ等の微調整も可能だ。僕は、麻婆丼を予約した。辛さは、MAXの5で……。
辛さMAXは、辛い物好きの僕にとって、最高の食事だ。
「難儀しているようだね」
隼人が、面白そうに答えた。
「あんな弁当、見たことない」
上段は、虫の死骸。下段は、紙切れ一枚。こんな弁当は、誰も見た経験はないだろう。勇人は、驚いた声を上げた。
「そんな酷かったのか」
「それよりお前の用は」
勇人が、僕をからかいに来ただけとは、思えない。
「それは、可愛い女の子に会うためさ」
僕が「はぁ」と答えた時、とんかつ定食を持った七海が話しかけてきた。
「涼も、食事?」
今や食物油は、どんなに大量に摂取しても太らないように工夫されている。今は、ダイエット中の女の子でも、気軽に油料理が楽しめている。
「ほらな」と勇人が、僕の耳元で囁いた。
「弁当を忘れてしまって」
勇人を無視して。七海に答えた。嘘をついたのは、弁当箱を優衣に虫だらけにされたとは、さすがに言えない。
「だけど涼が、学食を使うなんて珍しいから、驚いちゃったよ」
七海は、少し笑顔で答える。僕は、七海に気を使った。
「確かに、久々だな。それよりも、料理が冷めるぞ。食べなくて、大丈夫なのか?」
「そうだね。そしたら、席とっておいてあげるね」
学食の料理は、すべてが全自動で、一料理に掛ける時間は、一分ぐらいだろう。
厨房は全部で合わせて一〇。一〇〇人が並んでいたとしても、一〇分ぐらいでできる。勇人の注文番号の一〇五番が表示される。
僕が注文してから、五分。もうそろそろ、できるころだろう。
僕の注文番号の一二五番が、表示された。
麻婆丼を受け取り、七海たちがいるテーブルに向かった。七海が、手を振って、くれていた。
「こっちだよ。涼」
「この間は、ほんとすまなかった」
僕は、この間の誤解を解こうとする。
「うん。大丈夫だよ。こっちも、誤解してゴメン」
七海は、可愛らしい笑顔を浮かべた。助かった……。
「涼、そのマーボ……」
七海が、言葉を呑んだ。
なんだ。この麻婆……。赤い。ドロドロとした赤い色で、豆板醤と同じくらいの赤い色をしている。
これは、辛いなんてもんじゃないはずだ。
周りを見渡すと、辛さに耐えられずに涙を浮かべている者も。メールや電話で苦情を言う者、諦めて食事を捨てる者などいる。辺り一面、生き地獄のような状態だ。
この生き地獄を作った者がいるとすれば、間違いなく優衣だろう。
「俺のは大丈夫だな」
勇人は、スプーンを取り、美味しそうに食べる。
しかし、辛いものが苦手な人間であれば地獄だろうが。辛いものが好きな人間なら、それほど苦でもない。
これだけ、広範囲な人間の料理に細工をするんだ。さすがの優衣でも、人に危害を加える料理は、出さないはずだ。
「どうしたんだろう。みんな、大騒ぎしている」
七海が首を傾げる。
たぶん、食事を昼前に予約をしていた人間は、細工されていないはずだ。細工されているのならば、僕が教室を出た時から作り始めた料理だけだろう。
しかも、これだけ広範囲の人間の料理に細工をしたんだ。毒などは入っているはずがない。僕は、スプーンを取った。
「ちょっと……。涼、大丈夫なの」
七海が心配そうに見詰める。
僕は麻婆丼を少しとって、口に運ぶ。一瞬で舌が麻痺する。物凄い辛さだが、その中にも甘さがあり、僕好みの味だ。
「まぁ、少し辛いけど、舌がヒリヒリするのは。快感だな」
正直、辛いのは好きなので、全然、苦ではない。逆に、このぐらいの辛さのほうが好きかもしれない。僕は、五分もしないうちに完食した。
「最高だ」
「涼、おいしかった」
薄い可愛らしい笑顔で、話を聞いた。これが、優衣の実力なら、いいお嫁さんになれるだろう。
「かなり僕好みの味で、よかったよ」
「涼に危害が及ばなくてよかったよ」
七海が腕を動かした時に、ブレザーから切り傷が見えた。なぜ手の下の辺りに傷があるのだろうか?
「その傷、どうした」
「ほんと今三だよ、涼は」
いまさん? 何じゃ、そりゃ?
「どういう意味だ」
意味がわからない。
「いまいちってあるでしょ。それよりさらに、二ランク下という意味だよ」
僕は今、七海に、軽く酷いこと言われているのだろうか。
「それじゃ、涼。私、教室に戻るね」
七海は、バイバイと手を数回振った。僕は、軽く答えた。
「ああ、わかった」
「傷は、空手で怪我しただけだよ」
七海は、歩きながら答えた。
「俺も、そう思う」
真剣な表情で、隼人が答えた。
「何がだよ」
勇人のいいたい意味がわからない。
「ルックスはいいが。性格が問題だな。お前は」
勇人がいいたいのは、俺が、『いまさん』という事実か。
「わかった。僕も行く」
僕は、勇人との会話を打ち切り、歩き始めた。
階段側から優衣が歩いてきた。僕を少し睨んでいるようだった。
優衣とすれ違う瞬間、僕は優衣の肩をポンと叩き、「料理、上手いじゃん」と嫌味を言った。
優衣はプルプル震えながら、ムスッとした表情で、
「君、ほんとうに生意気だよ」
僕の口の中に何かがある。口の中が、ものすごい辛い……。
優衣が握っているのは、ババネロ・ソースだ。
僕は我慢できなくなり、ポケットの中からテッシュを出して、口の中のものを出した。
テッシュには、オレンジ色のものが大量に出てきた。
「べーーーだ。君が悪いんだからね」
優衣は一瞬、僕に向いて舌を出して、走っていった。