ばあちゃんの佃煮
寝たきりで認知症で、俺の名前さえ言えなくなったばあちゃんが、天国へ行こうとしている。
「おばあちゃん、寒くない? 食べたいものある?」
妹がばあちゃんの耳元で涙をこらえて声をかける。
「お母ちゃん、つくだ…に、食べたぁい…」
認知症も極まれり。25になる妹に向かって「お母ちゃん」ときた。
「お兄ちゃん、冷蔵庫見てきて」
「はいはい、待ってろ」
冷蔵庫には市販のノリの佃煮しかない。ばあちゃんの気には召さなかった。
仕方がないから俺が作る。椎茸を見つけたので、これにしようと決めた。余計な物は使わず、砂糖と醤油と少量の酒だけで味付けする。
じっくり焦がさぬように、しかし焦げる寸前が一番うまい。水加減でごまかすのは邪道だ。
ばあちゃんは、俺が嫁さんを初めて連れてきた時も、自作の昆布の佃煮を出した。これが酒に合うんだ。
「お粥、いや、重湯がいいか」
冷飯から即席で重湯を作り持っていくと、母さんもばあちゃんの枕元に陣どっていた。
「あんた作ったの?」
「ああ」
「ほら、おばあちゃん、佃煮と重湯だよ。お兄ちゃんが作ってくれたよ」
胡麻ぐらいに細かくみじん切りした佃煮と重湯を小さなレンゲに乗せて、ばあちゃんの口に流し込む。ムグムグ山羊のように口を動かして飲み込んだ。
「…美味しいねー…、お母…ちゃん…」
ばあちゃんは静かに眠った。俺も、ばあちゃんの「お母ちゃん」になってしまったよ。お休み、ばあちゃん。