日常
「――琉斗。ねえ、起きて」
「――……うぅん……」
体を揺さぶられた琉斗は、ベッドの上でもぞもぞと動く。まだ眠っていたい。そう言わんばかりに、顔をしかめて掛け布団の中へと潜り込んでいた。室内はどこか薄暗い。灯りもなく、窓もカーテンがされているからかもしれない。余計なものなどない室内。机とベッド、本棚、大きめのクローゼットが並ぶだけだった。
静まり返った空間に、再び声が響く。
「もう! いい加減起きなさい!」
強い口調と共に、彼女は小さな体で強引に布団をはぎ取る。するとそこには、体を丸め微睡みに身を任せる彼がいた。
「ほら! もうとっくに朝だよ! 早く支度しなさい!」
「……あぁ、分かったから朝から怒鳴るなよ、シャル」
ようやく、琉斗は体を起き上がらせた。黒髪は寝癖が立ち、瞳はまだ閉じたまま。まさに、嫌々といったところか。
彼の前に浮かぶシャルは、小さな羽を動かしながらあぐらをかき腕を組む。体こそ小さいが、まるで世話好きの姉のようにも見える。
まだ眠っていたい衝動に駆られながらも、琉斗はゆるりと立ち上がり、閉められたカーテンを開けた。その瞬間、外からの陽光が差し込み、部屋と彼を照らし出した。
目の前には街が広がっていた。まだ朝早いというのに、人々は活発に往来する。ある者は物資を運び、またある者は物を売り、ある者は人々をかき分け歩く。街の至るところで建物の工事が行われているが、以前に比べれば少なくなっていた。ただの日常が、そこにあった。
ここはハイリベルト……少し前まで、ベリオグラッド、シュルベリアと呼ばれていた国である。
その景色を見渡した琉斗は、一度大きく息を吸い込む。そして、強くため息を吐いた。
「……外はこんなに天気がいいのにな。面倒くさい」
すると背後から、シャルが答える。
「仕方ないでしょ? 琉斗の年なら普通は行ってるらしいし。てか、前の世界でも行ってたでしょ?」
「ああ、行ってたよ。毎日毎日。……ほんとに面倒だったけど」
「それは分かるけど、アーサーやエリーゼも言ってたじゃん。行かなきゃダメだって。……ほんと、人間って面倒なことするんだね」
最後の呟きと共に、シャルはやれやれと首を振る。電子精霊たる彼女にとって、人の行動には理解出来ないことがあるのかもしれない。そんな姿に、琉斗は一度苦笑いを浮かべながらも、せっせと支度を始めた。
クローゼットから服を取り出し、着がえる。まだ真新しいその服は、濃緑色を下地としたブレザー、ズボン、ネクタイであった。胸元には紋章が刻まれたワッペンもある。一見すると、何かの制服のようにも見えるが……。
クローゼットの扉に備え付けられた内鏡で、琉斗はまじまじと自分の姿を見つめた。そして、再びため息を一つ。
「……はぁ。なんだって異世界に来てまで、学校に行かなきゃならないんだか……」
◆ ◆ ◆
「――で、あるからして、我々の国はこうして……」
広い空間で、神父のような格好をした男性が講義をする。どうやら、歴史を解説しているようだ。教壇の前は長い机が並んでおり、ちょうど棚段のように、後ろにいくにつれ高くなる。そこには、先ほど琉斗が着がえた制服を着た少年、少女が多数座っていた。
ここはこの国の兵学校。齢十二から十八までの者が、あらゆる分野の知識、機兵の操縦などを学ぶところである。
そしてここは、その教場の一室。その角には、琉斗がいた。一応教材は開いてはいたものの、まるで見ようともせず窓の外をぼんやりと眺める。
それも致し方ないのかもしれない。何しろ彼はこの世界とは違う世界から来た少年。この国の歴史なんてものに興味が起こるわけもなく、そもそも彼はこの世界の文字は読めない。教材にはびっしりと暗号のようなものがつづられているが、全く読めないものなど誰が見ようとするだろうか。
(まったく……恨むぞ、アーサー、エリーゼ……)
彼は窓の外のどこかにいるであろうアーサー達に向け、心の中で愚痴をこぼしていた。
彼の脳裏には、およそ一ヶ月前のことが思い返されていた……。
◆ ◆ ◆
「――は? 学校?」
「ああ。そうだよ」
平和な毎日を過ごしていた琉斗は、突然アーサーに呼ばれる。向かった玉座の間にて、彼は自分が兵学校に入校することになったことを告げられた。その場には、エリーゼ、そしてフェルモントも同席していた。
「断る」
琉斗はほとんど話を聞くことすらせず、断言する。
「ダメだよ。決定事項だし」
だがアーサーもまた、ほとんど話すことすらせず言い放った。
「なんで学校だよ。俺に何しろってんだよ」
「別に特別なことをしろってわけじゃないよ。ただ、本来君の年齢の子は、兵学校に入校しているんだ。それに則ってもらうだけだよ」
「でも、俺はこの世界の学校なんて行っても意味ないぞ? 文字とか読めないし」
「でも話は分かる」
「そりゃそうたけど、それってどうよ。筆記テストとかされたら0点の雨あられだぞ」
「その辺は大丈夫。ちゃんと僕の方から口添えしているから、君は授業に参加すればいいだけなんだよ」
「ええ……そんなのいいのかよ」
「いいんだ。とにかく、明後日からさっそく行ってもらうから」
どうやら、本当に決定事項のようだ。琉斗はそう理解した。それと同時に、何とも言えない脱力感が彼を襲う。
元々彼は学校というところがあまり好きではなかった。狭い教室に集められ、将来使う可能性の方が低い歴史だとか数学だとかをほぼ強制的に教えられる場所……それが、彼の思う学校というところであった。
ふて腐れる琉斗の姿を見たエリーゼは、困ったような笑みを浮かべ話しかけた。
「琉斗。確かに興味は持てないかもしれないが、これは重要なことなんだ。お前は、オリジナルの機兵、ラーゼ・エントリッヒの操者だ。先の戦で鬼神の如き戦果を上げ、終戦に導いた者だ。
……でもな、見た目上はただの少年なんだ。そんなお前が兵学校に行かずふらふらしていると、余計に目立つんだよ。
お前がラーゼの操者であることは、私達をはじめ、ごく一部の者しか知らない機密事項なんだ。忘れてはいないだろうが、オリジナルの操者は常に狙われる立場にある者。もしものことが起きないとも限らない。それを防ぐためにも、お前には普通の生活をしてもらわないといけないんだ」
「……」
もっともなエリーゼの説明に、琉斗は黙り込んだ。場の雰囲気から琉斗の心境を察したのか、続いてフェルモントが口を開く。
「琉斗さん。あなたをこの世界に召喚した私が言えたことではないかもしれませんが、私は、琉斗さんには普通の生活を送って欲しいのです。これまで琉斗さんは、休む間もなく戦地を駆け巡り、年相応と呼べることは出来ていませんでした。……それでも、戦は終わりました。だから琉斗さんは、機兵の操者としてではなく、一人の琉斗さんとして生活をしてほしいのです。
ですから……」
「――ああもう! 分かったよ! 行くよ! 行けばいいんだろ!」
アーサーは、ニヤリと笑う。彼には、こうなることが分かっていたのかもしれない。
琉斗はフェルモントに弱い。だからこそ、こうして下手下手に物事を言われたら、琉斗は、なぜだか自分がものすごく悪いことを言っているような気になってしまう。そう、確信していた。
ともあれ、こうして琉斗は兵学校へと通うことになった。そして、一ヶ月が過ぎようとしていた……。
◆ ◆ ◆
(……なんか、考えたら掌で踊らされてた気がする)
言いようのない敗北感に苛まれながら、琉斗は視線を教場に移した。
「……」
先生の授業を、教材を見ながら受ける生徒たち。それは、琉斗の元の世界と同じような光景だった。
……だが、どこか決定的に違う。何かが違う。漠然と、そう感じていた。
――ねえ琉斗。なんかさ、変な感じだよね――
突然、シャルの声が琉斗の頭に響く。彼は小声で、それに答える。
「……ああ、そうだな。まあ、まだ国が合併して日が浅いし、仕方ないだろ」
――それはそうなんだろうけど……――
琉斗には、シャルが言いたいことが分かっていた。
彼が見つめる教場。一見すると、普通の光景。だが、そこは二つに分断されていた。
向かって左側が、元ベリオグラッドの生徒たち。右側が、元シュルベリアの生徒たち。二つの間は空席となり、まるで壁のように教場に線を引く。
生まれたての国は、未だ後を引きずっていた。時間だけが解決する方法なのだろうか。それは分からない。それでも、この空間は歪み、軋みを上げる。
(なんだかなぁ……)
退屈とも違う、空虚感とも違う、何か体に穴が空いたような感覚を覚えた琉斗は、ぼんやりと教場を見つめていた。