狼煙
空は、夕闇に沈んでいた。
西の空だけが仄かに茜色を帯びるが、既に明かりが必要なほど薄暗い。こと、街から遠く離れた森においては夜の訪れが端緒に現れ、木々は沈黙に伏していた。滅多に人が訪れないからか、草木は生い茂る。
だがその森では、異変が起きていた。羽を休める鳥や、巣穴に潜る動物の姿が一切なかった。
『――クソッ!』
その理由がこれである。風景に不釣合いなスピーカーの声が響き、濃緑色の巨大な影が森を駆け抜けていた。体は仄かに光を帯び、その手には棍棒のような鉄の塊が。太く逞しい大樹すらも圧し折りながら、巨像は何かを探すように頭部を右へ左へと動かす。
『――ッ! そこか――!』
巨像は右方向に動く“何か”を見つけるや棍棒をその方向に向ける。その瞬間巨像の足元の木々は蠢き、瞬時に槍のように鋭利な樹枝を走らせる。樹木の槍は森を駆け抜け、何かに猛烈な勢いで迫る。捉えた――確信した刹那、影はゆらりと動き姿を夕闇に溶かすように消した。
『――ッ!?』
濃緑の巨像に一瞬の動揺が走る。その時、背後に何かが動いていた。
『――ざんねーん』
『――ッ!?』
濃緑の巨像が声に気付くと同時に、その巨体は胴体から切り裂かれた。
『うわああああああああ!!』
上半身は宙を舞い、木々を薙ぎ倒しながら地に転がる。脚部はその場で半回転しながら倒れ込み、動くことはなかった。
それを見下ろす巨像からは、声が響く。
『キャハハ! あんたの固有兵装、面白いじゃん! 植物を自在に動かすなんて凄いね! びっくりー!』
どうやら幼い少女のようだ。声は無邪気に笑う。だが、彼女こそその巨像の操者ということ。さきほど無残に濃緑の機兵を切り裂いた張本人。にも関わらず、彼女は笑う。そこには何とも言いようのない不気味さがあり、地に伏せる機兵の中の操者は、遠退く意識の中で身震いをする。
『……でも、私の“シュヴァイゲン・アーヴェント”の方がもっと凄いけどね! キャハハハ……!』
甲高い笑い声が響く宵の中、地に転がる機兵はやがて光りだし、消えた。それはかつてゾルの機兵、シュトス・シュランゲが力尽きた時と同様の現象だった。
天へと上る光の筋は、まるで狼煙のように周囲を照らしていた。
『あ~あ。消えちゃった。もっと楽しみたかったのに……』
残された機兵からは至極残念そうな声が響く。手を頭の後ろで組み、ふて腐れたようにぶらぶらと機体を揺らしていた。
『……まあいいや。今からが本番だし……』
そして機兵はゆっくりと歩き出す。木々をものともせず、道なき森に巨大な轍を作りながら。
『――“あんた”なら、もっと楽しませてくれるよね! ――白い機兵!! キャハハハ……!』
不気味な笑いは夜に落ちた森に響く。
何かが、動き始めていた。それは巨大な転機。大いなる返還。
ゆっくりと、しかし確実に、巨像は白き神の元へと、歩みを進めていった――。