訣別
そこは先日とは売って代わり、雲1つない快晴だった。
時刻は夕方。空の片隅がオレンジ色に染まり、空を扇状に彩る。大地には森の緑が一面を覆い尽くし、その葉は日の光に照らされ、空の色と葉の緑が入り交じった森林が広がっていた。
「この辺りでいいのか?」
「ああ。……もうすぐだ」
俺がいるのは、ブラオのコックピット。内装はラーゼと全く同じ。しかし違うところもある。
1つはエリーゼの手の甲に刻まれた允証。ブラオのものとは違っていた。機体によって、その模様は変わるようだ。
そして何よりも違うのは、電子精霊の存在。考えてみれば、ここまでブラオの電子精霊を1度も見たことがない。今も話しかけてる素振りすらない。
シャルは、オリジナルの機兵にはそれぞれに電子精霊がいると言っていた。もしかして違うのか?
(……いや、それももうどうでもいいんだ)
自分の中に生まれた疑問を打ち消す。今は、それは重要ではない。
俺が……いや、俺達が目指す場所は、ただ1つ。
――ラーゼが待つ、森の片隅の滝だ。
◆ ◆ ◆
何とか暗くなる前に滝に着いた。3日振りに見る滝は、変わった様子もなく川の水を落下させ音を放っていた。
そこで降りる俺とエリーゼ。エリーゼは、滝に見入っていた。
「綺麗な、ところだな」
「……ああ」
俺達は口数も少なく歩く。しかし、その理由は全く違う。
エリーゼは自然が織り成す景色の美しさに心をとられ、黙り込む。しかし俺は、これから起こるであろうことに胸を痛めていた。とてもエリーゼの方を向けず、ひたすらに下を見ながら歩く。
やがて滝の袂に来た。そこにラーゼがあることを知る俺には、うっすらと白い影が何となく分かるが、まさかそんなところに機兵があるとは思わないエリーゼは、全く気付く素振りを見せていなかった。
そして俺は立ち止まった。振り返れば、終わりの始まりが待っている。それを考えると、中々後ろを振り向けない。でも、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。
一度大きく息を吸い込む。森の新鮮で冷たい空気を全身に巡らせ、淀んだ気持ちを込めるように、大きく息を吐いた。
腹の真ん中に一本の筋を立て、そして、手を握りしめながらエリーゼの方に正対する。
「……エリーゼ。話がある」
「なんだ? 改まって……」
エリーゼは、ただならぬ雰囲気を察したのかもしれない。少しだけ表情を固くした。
「エリーゼのことは、アーサーから聞いたよ。何があったのか、何で機兵に乗るのか、全部」
「……あの、お喋りめ」
エリーゼは目線を剃らし、アーサーへの愚痴を溢す。
「エリーゼ、俺も、アンタと同じなんだ。大切な人が目の前で死んで……自分の無力さが悲しくて、悔しくて……どうしようもなくて。
それでもエリーゼは前に進んでいた。そんな自分を変えようと、全てを背負って戦い続けていた。
片や俺はどうだ。自分の不甲斐なさが許せなくて引き込もって、全てから逃げていた。
……そんな俺にとって、アンタは憧れだ」
自然とエリーゼに向け、笑顔が溢れていた。憧れと感謝。そんな感情が、頭と心を駆け巡った。
「琉人……」
エリーゼもまた笑顔を返す。俺とエリーゼの間には朗らかな空気が流れていた。
「この世界に来て、俺には関係ない世界だと思っていた。それは当たり前のことなんだけど、俺はまだ逃げていたんだ。本当はフェルモントに何かを感じていた。だけど、俺はまた失うのが怖かっただけなんだ。
そんな俺にとって、エリーゼの温もりは心地よかった。全てを包んでくれるような微笑みに、俺はまた立ち止まろうとしていた。それでもいいと思った。
……でも、俺も前に進もうと思う。俺の中で止まっていた時間を進めようと思うんだ。
――だからエリーゼ、ここでお別れだ」
「え?」
俺はもう一度深呼吸する。目の前で困惑するエリーゼに、全てを話すことで、そこから始まると思うから。
……その、訣別の覚悟を口にする。
「俺は、エリーゼの弟じゃない。俺に被せないでくれ。
……アンタの弟は、もういないんだよ」
その言葉を受けたエリーゼは、たじろぎ始めた。目は焦点が合わず、首を小刻みに横に振る。
「ち、違う! ――私は、そんなつもりじゃ……!!」
それは、エリーゼ自身も気付いてなかったことだったのだろう。俺に向けた言葉は、同時に自分に向けている言葉のように感じた。
そんなエリーゼを見て、心に針が突き刺さる。その痛みに耐えながら、更に追い討ちをかけるかのように続けた。
「……もう一度言うよ。俺は、エリーゼの弟じゃない。アンタの弟には、なり得ないんだ。
――俺は、シュルベリアの機兵の操者だ。アンタと剣を交えた白い機兵は、俺だ」
「…………え?」
「混乱してるだろうけど、ここでハッキリさせようと思う。
――俺は、アンタの……敵だ」
「……嘘だよな? からかってるんだろ?
……何とか言ってくれよ……何とか言えって! 琉人!!」
「嘘じゃない!! ……俺は、敵だ」
「嘘だ!! 嘘だ嘘だ!! ――嘘だ!!」
エリーゼの、それまでの凛々しい姿はどこかに影を潜めていた。取り乱し、髪を振り乱していた。
エリーゼは、とっくに分かっていたはずだ。俺の目が本気であることも、全てが、真実であることも……
そんなエリーゼをしばらく見つめる。おそらく、肉眼で見る、最後の姿になるだろう。その目に、焼き付けた。
踵を返し、滝の裏に向かう。
「お、おい!」
後ろから響くエリーゼの声。振り返ることはせず、声だけを返した。
「――今、証拠を見せる」
滝の裏側には、変わらないラーゼが座していた。少し見上げ、乗り込む。
コックピットに入った瞬間に、それまで何も言わなかったシャルが出てきた。
「琉人……」
悲しそうな視線を送るシャル。そんなシャルに、無理矢理笑顔を作った。
「……そんな顔をするな。いつかは、こうなるはずだったんだ」
シャルは納得出来ない複雑な顔をしていた。そんなシャルから顔を剃らし、視線を正面に戻し目を閉じた。
(……エリーゼ、俺と同じ傷を持つ人。俺に、戦う意味を教えてくれた人。……そして、俺の、敵……)
そして目を見開く。
「――行くぞ、ラーゼ……!!」
ラーゼは鈍い機械音を響かせながら、滝を裂いてエリーゼの眼前に立ち上がる。
純白の機体は、黄昏の光を受け赤く染まる。滝で濡れた機体……その顔からもまた水が滴り、それはまるで、涙のようにも見えた。
目の前のモニター、そこには、顔を青くしながらラーゼを見上げるエリーゼが映っていた。……そしてその目からは、ラーゼと同じように涙が流れていた。それは、おそらくエリーゼも気付いていないだろう。心の奥からの涙だった。
そんなエリーゼに歯を食い縛る。
「……シャル、音声全開だ!」
「……うん」
呆然と見つめるエリーゼに向け、声を上げた。
「……戦う相手に名乗るのが、礼儀なんだろ?
――こいつは、シュルベリアのオリジナルの機兵、“ラーゼ・エントリッヒ”……
――そして俺は、その操者……桐谷琉人だ!!」