制約
「移動する?」
「そうだ。この砦は隣国に知られたからな。いつまでもここにいては危険だ」
フェルモントの部屋で、ゾルはこの砦を放棄することを話した。
もっとも、それはある程度予想していた。
敵の偵察は結果として国に戻っている。すなわち、敵はすぐにでも本隊をこの砦に向け進軍させることは想像に容易い。いかにラーゼが優れた機体でも、圧倒的数で押されれば一溜まりもないだろう。
そうなる前にすべきことは、自然と逃げることになる。
「場所はある程度目星を付けている。問題は、そこが安全かどうかということだ。逃げた先でまた敵に遭遇でもしたら本も子もない。
故に、今後の行動はこうだ。
まずはその場所の偵察を行う。そして、安全が確認された後、そこへ向け移動する」
「その偵察の間に敵が来るかもしれないぞ?」
「それなら問題ない。敵にとってオリジナル機兵が動いていたことは大きな誤算だったはずだ。
闇雲に部隊を送り込むことはしないだろう。
仮にこちらの想像以上に向こうの侵攻が早かった場合、最後の手段としてオリジナル機兵のみを持ち出し、レプリカは全て破棄する。
そうすれば、すぐにでも逃げることが出来るだろう」
「ええと、そもそもレプリカはどうやって運ぶんだ?」
「あの格納庫は移動式になっている。俺とニーナでレプリカを使い、格納庫を引っ張って移動するんだ」
(移動式って言っても、かなりアナログな移動方法なんだな……)
その時、ふと疑問が生じた。
「いや、ちょっと待てよ。それなら、ラーゼを、オリジナルを使えばいいだろ。ちょっと乗ったが、性能は段違いだし、移動も楽になるはずだろ?
オリジナルにゾルかニーナが乗れば……」
「……お前は、何を言ってるんだ?」
ゾルは、呆れた顔をしていた。
その後ろにいるフェルモントも、表情に影を落としていた。
「何って……オリジナルは起動したんだ。それにゾルかニーナが乗ればいいだけだろ?」
ゾルとフェルモントは沈黙した。室内にも不穏な空気が漂う。
(何なんだよ……)
その空気の理由を探ってみる。
ゾル達は、ラーゼのことを聞いた瞬間に黙り混んだ。ゾルかニーナが乗ればいい……。その言葉に反応した。
……ということは、つまり……
(……おいおい……。嘘だろ……)
俺は、答えに行き着いた。それは、これ以上機兵には乗らないと思っていた俺の思考を打ち砕くものだった。
そして、フェルモントは重い口を開け、俺の想像が正しかったことを証明する。
「……琉斗、言いにくいのですが、それは無理なんです」
「む、無理?」
何を意味するかは分かっていた。分かっていたけど、それを認めたくなかった。
ゾルは、そんな俺にとどめを刺すかのように、淡々と言い放った。
「オリジナルは、もはやお前以外には乗れない。あれを動かせるのは、お前だけだ」
「そ、そんな……」
……予想した通りだった。だけど、改めて断言されると、ハッキリとした絶望が目の前に現れた。
「――シャル! シャル!! 出てこいよ!!」
天井に向け叫ぶ。それが本当かどうかは、シャルに聞かないと分からない。必死になってシャルを呼んだ。
そんな俺を見たゾルは固まっていた。フェルモントもまた、目こそ俺には向けないが、誰に向かって俺が叫んでいるか考えているようだった。
「……もう。だから、私はあんまり人前に出たくないんだって」
そう愚痴を漏らしながら、シャルは現れた。
「これは……」
シャルの姿を見た瞬間、ゾルは声を漏らした。
「ゾル、誰かいるのですか?」
そんなゾルの短い声を聞いたフェルモントは戸惑っていた。見えないはずの目で見ようとするかのように、部屋中を見渡していた。
でも、2人には悪いが、悠長に説明する時間が惜しかった。
「シャル! 本当なのか!? ラーゼは、俺以外には乗れないのか!?」
俺の悲鳴のような問いかけに、シャルは表情を曇らせる。
それでも、その口から真実を語りだした。
「……うん。その通りだよ。言ったでしょ? 琉斗は私とラーゼに認められたからラーゼに乗れるって。琉斗以外がラーゼに乗っても、あの子は反応しないよ」
「そ、そんな……」
その言葉は、ゾル達の言葉が正しかったことを意味していた。
でも、ゾル達が知っているのは、“そこまで”だったようだ。
シャルは、更にゾル達ですら知らなかったであろうことを話し出した。
「その人達が、どこまで知っているか分からないけどね、それだけじゃないんだよ。
機兵の操者には、制約がかかるんだ」
「制約?」
「……どういうことだ?」
俺とゾルは、ほぼ同時に声を漏らした。
ゾルもまた、食い入るようにシャルに問いかけた。
「琉斗、覚えてる? 琉斗はラーゼ、ラーゼは琉斗って言ったよね?
……つまりね、琉斗とラーゼは心を共有してるんだよ。簡単に言えば、心が同化してる状態に近いんだよ」
「それって……」
「うん……。例えば琉斗が死んじゃうと、ラーゼも心を閉ざしてしまうんだけど……ラーゼが死んでも、琉斗の心が死んじゃうんだよ。
心の死は魂の死。息はするけどしてるだけ。心臓は動くけど動くだけ。
琉斗は、人としての魂がなくなるんだよ。
……強いて言うなら、それが、“強力な力の代償”ってことかな」
「…………」
言葉が、出なかった。それは、ゾルとフェルモントも同じだった。
心の死。いまいちピンと来ないけど、シャルの説明はその状態を怖いくらい正確に表しているのかもしれない。
息はするけどしてるだけ。
心臓は動くけど動くだけ。
それは、生きてると言えるのだろうか……
(……言えないよな)
少なくとも、俺にはそうは感じない。
つまりは、俺に逃げ場はないということだろう。
このまま機体を捨ててでも逃げたところで、機体が敵の手に渡り、乗れないと分かった瞬間壊されるだろう。そして、俺が死ぬ。
機体と一緒にフェルモント達を見捨てて逃げ出しても、フェルモント達は殺され、俺もまたこの世界で死ぬまで追われる身となる。
いずれにしても、俺は逃げ道は塞がれている。
……助かる方法は、2つだけ。
1つは、隣国に投降すること。オリジナルの操者であれば、悪いようにはされないだろう。むしろ、ある程度高い地位に就くことができるはずだ。
もう1つは、戦うこと。自分が死なないために、襲い来る敵を全て倒していくしかない。だがそれも、戦いの中でラーゼが大破する危険が常に付きまとう。
投降するか、戦うか……
自分の身を考えるなら、当然投降が最も最善だろう。もともと俺はこの国とは何の関係もないし、命を懸けてまで戦う義理なんてない。保身に走り、いかに罵られようが知ったことではない。
(……俺には、関係ないんだ)
そう自分に言い聞かす。俺だって死にたくない。死にたくないんだ。
……だけど、フェルモントの姿は、それをすることを躊躇させる。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
フェルモントは、虚ろな瞳から大粒の涙を流し続けていた。目を閉じることなく、見えないはずの目を見開き、ポタポタと涙を流し続ける。拭うことなく、その顔を隠すことを忘れ、俺への謝罪の言葉をひたすらに口から溢し続けていた。
フェルモントは、そんな制約を知らなかったようだ。せいぜい、操者が固定される程度だと思っていたのだろう。
……まさか、そこまでの代償があるとは想像も出来なかったようだ。
ゾルもまた、予想外だったらしく、あれだけ戦えと言っていたにも関わらず、完全に沈黙に徹していた。
「……琉斗、1つだけ補足するけどさ、この制約は、操者になって初めて分かることなんだよね。
もちろん、ラーゼみたいな機兵がたくさんあるなら、操者が教えればいいんだけど……
この国には、ラーゼしかないからね。知らなくて当然なんだよ」
それは、シャルなりの精一杯のフォローだったのかもしれない。
無論、シャル自身も操者になってから現れる存在だから、事前に知らせようがない。
隣国は3体のオリジナルを所有しているらしいが、このことはもちろん知ってるだろう。
でも、なぜフェルモント達は知らなかったのだろうか……
研究する過程で、何かしらの情報を得なかったのだろうか……
……いや、それは難しいことかもしれない。
今のシャルの説明を聞く限り、圧倒的な性能を持つオリジナルでも、操者を殺せばその活動を停止させることが出来る。それは、稼動するオリジナルの数を減らすということ。
そんな戦局を左右する可能性がある情報を、オリジナルを有する国があっさり外部に漏らすことはしないだろう。それこそ、最重要機密事項になっていても不思議ではない。
何も知らなかったフェルモント。知っていたけど伝えることが出来なかったシャル。
この2人を責めたところで、俺への制約が変わることはない。それでも俺の中には行き場のない憤りがうねりを上げて巡回している。
「……ゾル。移動先の場所を教えてくれ。下見、しないと行けないんだろ?」
「……いいのか?」
「ああ」
「しかし、お前は……」
「いいんだ。それに、一人になりたいんだよ」
「……分かった」
ゾルは、それ以上何も言わず、俺にその場所の位置を教えた。
そして俺もまた、必要以上の言葉を交わすことなく部屋を後にする。
「……琉斗」
部屋を出る寸前、フェルモントの声が聞こえた。
聞こえたはずの俺は、その声を無視し、部屋を後にした。