始業-M 嫌悪
栗石美晴〔くりいし みはる〕が志野原愛美〔しのはら いつみ〕に懐かれたのは、小学生の時だった。
引っ越してきてそう間のあかない学校からの帰り道で、たまたま助けたのがガリガリの彼女だった。雨の日の捨て猫みたいだと最初に思って、次の瞬間後悔したのを覚えてる。
なにが、気に入ったのかいまだに美晴には解からない。
ただ、分かるのは彼女は「猫」ではなく、――「雛鳥」だということ。
愛美に絡んでいた女の子たちがそそくさと立ち去って、美晴も早々に離れようと背中を向けたが彼女は放ってはくれなかった。
教室に戻る道筋も同じともなれば、一緒に歩いて帰るのも自然の流れのような気もする。
「ええい! くっつくなっ、うっとうしい!!」
「やだー」
腕を組んでくる愛美に対して、バッと振り払うと美晴は歩く速度を速めた。
つい、イラッときて割って入ってしまったのが運のツキ、やっぱり放っておくんだったと 猛烈に 後悔する。
「やだじゃねぇ! ベタベタするのは春日だけにしろよ、気色わりぃ」
「えー? 女の子同士だもん、いいでしょー。ほかの女の子たちだってしてるよぉ」
女友達同士で腕を組んでいる様子は確かによくある風景だ。
だが、しかし!
「あたしはアンタと友達になったつもりはねぇ! つーか、そんな女オンナした友達付き合いがしたいんだったら近場で フツー の女の子に声かけろよ。簡単だろっ?」
美晴の性分からして普通の女の子同士の付き合いなど、たとえ親しくなっても出来るとは思えない。考えただけでもゾッとするんだから、絶対無理だ。
わかるだろ? と睨む美晴に愛美は目を見開きブンブンと首を振る。
「美晴ちゃんがいいんだもん。ほかの子なんていらないよ」
プゥ、と膨れてガリガリの女の子は恨みがましい目でコチラを見上げた。
「勘弁してくれ……」
美晴だって、愛美に偉そうに言えるほど友達付き合いがうまい方ではない。むしろ、女の子同士の付き合いなら数段彼女の方が上手だろう。
頭の回転がはやく、言葉遣いも丁寧だから人と円滑なコミュニケーションが取れるはずだ。
逆に頭が悪くて、口の悪い美晴はすぐに人とぶつかってしまう。昔はそれがどうしてなのか分からなかったけれど、近頃は思慮の浅い自分のせいだと自覚している。
だって、人間の世界には面倒くさいタテマエとホンネがあって、みんな使い分けて暮らしてる。
美晴にはそんな器用な生き方は出来ないし、見て見ぬ振りも本能が阻んだ。
たとえ、それが「地雷」だってわかってても。
形として、出来のいい兄の要が常にとりなしてくれるから深刻な事態〔爆発〕に陥ったことはないけれど、彼の迷惑になっているのは確かだからできるだけ人と関わらないよう単独での行動を心掛けているのに……。
初めて見た親鳥を追うようについてくる彼女を見遣って、ため息がついて出る。
(まったく、何が気に入ったんだか……趣味わりぃ)
「美晴ちゃん、美晴ちゃん」
「だぁぁ! だから、ちゃん付けはヤメロ!!」
背中がゾクゾクする! と眉間に縦ジワが寄るのをニコニコと愛美は受け流した。
なかなかの大物だと、こんな時だけは感心する。
「うんうん、今日からまたみてあげるね?」
「はぁ?」
何を? と無関心に首を傾げる。
「ベ・ン・キョ・ウ」
「ああ……」
美晴は薄汚れた廊下の天井を仰いで、暗くなる。結局冬休み中はほとんど進まなかった受験勉強。頭のよくない人間が一人で努力しても、解ける問題は限られるという事実を痛感した。
「わたしは、栗石くんに教えてもらうのが一番いいとは思うけど」
やっぱりお願いできなかったんだね、と憐れむように見られ美晴は舌打ちするしかなかった。
できるわけがない、と。
一番いい?
「……全然、よくねぇ」
頼めば、要は快く教えてくれるだろうがそこまで迷惑はかけられない。自分の頭の悪さは自分でもイヤになるくらいだ。
「甘えたくねぇんだよ、要には」
「もー、仕方ないなぁ。美晴ちゃんはっ」
「うっせー」
腹の立つ弾んだ愛美の言葉に声を荒げたが、怒りは持続しなかった。少し、落ち込んだからだと思う。
放課後の教室で、美晴は問題に頭を抱え傍らには心持ち険しい表情をした愛美が座っていた。
通常がのほほん娘なだけに、事態の深刻さは明らかだ。
「本当に、サボってないの? 怒らないから正直に言っていいんだよ?」
「サボってねぇよ」
心外だと、美晴は唇を尖らせる。冬休みの間、根が真面目な彼女は 彼女なり に頑張ったつもりだ。
もちろん、一人で頑張ったものだから かなり 効率は悪かったけれど。
ハァ、と愛美は困ったように息を吐いて、無情な結論を美晴に告げた。
「イチから叩き直しだねぇ、年末には出来てた問題が間違えてるなんてありえないんだけど」
「げぇぇ! うそ。頑張ったのにっ」
「んー? もしかして新しい知識を入れると美晴ちゃんの場合、古い知識が消えるようになってる……とか」
「なに、それ! 意味ないしっ。あたしをバカにしてんだろっ?」
してないしてない、と慌てて(もう遅い!)首を振る愛美を恨めしく睨み悲壮な面持ちで舌打ちする。
「あーあ。結局、頭の出来が違うんだよなぁ? やっぱ」
と、すべてが空しくなった。
告白しても、勉強しても、なにも変わらないなんて……どんだけ情けないんだ?
せめて。
言わなきゃよかったんだ、とあの夜のことを考えると消えたい気持ちになる。
――家に、帰りたくない。
そんなふうに考える自分に、ほとほと嫌気がさした。