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始業-I 日常

 中学三年の三学期の始業式。

 少しほかの生徒よりも早く登校していると、後ろから声をかけられた。

「志野原〔しのはら〕さん」

「栗石〔くりいし〕くん」

 振り返ると、そこには栗石兄妹の兄の方である要〔かなめ〕が歩いていて、愛美〔いつみ〕が立ち止まった分近づいて来てすぐに追いつく。

 「寒いなあ」などと白い息を吐きつつ、彼は手を上げる。

「おはよ。あけましておめでとう」

「あ、うん。あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします」

 ペコリ、と深々と頭を下げると、要は困ったように笑って「いいから、いいから」と愛美の頭を上げさせた。

「相変わらず真面目だね。真面目すぎるよ、同じ学年なのにさ」

「そ、そうだけど……うーん。やっぱりね、クセだし、治らないかなあ?」

「まあ、慣れてるからいいけど。で、アイツとはどうだった? 大晦日、会っただろ?」

「うん。会ったけど何もないよ?」

 愛美はいつも訝しく思いながら、首を傾げる。

 栗石要とは、家が近く小学校が同じということもあり、春日真〔かすが しん〕と同じく結構古い付き合いだ。けれど、古いと言ってもそんなに親しいワケでもなく、こんなふうに立ち話をする程度で……しかも、その話題のほとんどは彼が愛美と真の間の世話を焼くようなものばかりだった。

 そして、ことごとく進展がないのを今みたいに残念そうな表情で見るのだ。

 なんか、居たたまれなくて仕方ない。

「えっと、だから、期待されてもね……ありえないっていうか。むしろ、栗石くんはどうしてそんなにわたしと真ちゃんに興味津々なのか分からないっていうか」

 真が誰か(女の子限定)と出掛けるとか、約束してるとか、告白されたとか、結局振られたとかの情報を持ってくるのは、いつもこの同級生だ。

 もちろん、気にならないワケではないから、ありがたいと言えばありがたいのだけど。

「そう? 君ら二人を見てるとまどろっこしいからねえ。情報を志野原さんに流すのは僕の優しさかな? たぶん言っておいた方がショックが少ないだろうし、っていう……ね」

「うん。それは……ありがとう」

「いえいえ、僕の意地悪でもあるから。志野原さんが感極まって告白するきっかけになれば、とも思ってる」

 にこり、とおだやかに微笑む彼に、愛美は真意をはかりかねた。

 首を傾げて本気なのかと、おずおずと見上げるけれど、よくは考えられなかった。

 もともと他人の気持ちをはかるのは苦手、というか怖いからしたくないと心が拒絶する。

「栗石くんは湊西〔みなとにし〕高校だったよね? 第一志望」

「ああ、そうだよ。志野原は浦川高校だった? アイツがそこだから」

「うん」

 愛美と要は成績面ではほぼ同じ程度の数字の持ち主で、学年でもトップクラスの成績優秀者だ。

 そんなこともあり、意外と接点は多いので話題には事欠かない。


「僕は医者になるつもりだから」

「そっかぁ、お父さんお医者さんだものね」

「そうそう、それも理由の一つかな」


 他愛のない話をしながら、並んで学校に向かう二人の姿は仲睦まじいと見えなくもなかった。




 パン! と左の頬に平手が飛んで、さらにパン! ともう一発右の頬に小気味のいい音が鳴った。

 いい音がする、ってことは案外痛くないってことだ。

 と、冷静な頭で愛美は考える。

 案外痛くない。けれど、全然痛みがないか……と問われれば、もちろんそうじゃないに決まってる。

 両頬はジンジンとした熱を持って、冷やさないとバレるかもしれないと内心心配だった。

 痛みには慣れている。自分の身に起こる痛みには……でも、他人に与える痛みには慣れていないからできるだけ穏便に済ませたいと目の前の彼女たちに向き直る。

(誤解なんだし……)

 と、ちょっと憐れんでしまったのが悪かった。

 ぐい、とセーラー服の胸倉を掴まれて、足が浮く。

「馬鹿にして! あんたなんて ちょっと 頭がいいだけで、色気なんてテンでないクセにっ」

「春日くんにくっついてるだけじゃ足らなくて栗石くんまで手を出すなんてッ」

「身の程を知りなさいよ、似合わないんだから!」

 春日真も栗石要も校内ではかなりの女子人気を持っているらしく、こういう呼び出しは何も今が初めてではなかった。

 ただ、春日真のファンならいざ知らず、栗石要の場合は誤解なのでどう説得すればいいか分からない。

 彼女たちが訴えることは、的を射ている。

 確かに、愛美には色気なんてないし(肉付きが悪いから胸もお尻も触り心地は最低ランク)、真だけでも分不相応なのは言わずもがな(でも、離れたくないからそばにいる)、要に至っては誤解されるのもおこがましい。

 あとで、謝っとくね……って気分だ。

「……うん、そうだね」

 愛美が胸倉を掴まれた喋りにくい体勢で頷いた時、バコッという何かを蹴った派手な音が響いた。

 呼び出されたのは使っていない旧校舎の教室で、予備の机などを保管している場所だった。

「チッ、失敗したー。くだんないトコに首突っ込んじゃったじゃんよー、ヤメテくれる?」

 入ってきた人影は、イライラした口調で舌打ちすると、突然の乱入に固まっている彼女たちを見る。

「っひ!」

 と、引き攣る顔には絶望が映った。

 腕の力が抜けて、掴みあげられていた愛美の体は床に下ろされる。

「美晴ちゃん」

「だぁぁぁ! ヤメロ!! テメェにちゃん、呼ばわりされる言われはねぇ!」

 ぱぁ、と顔を綻ばせた愛美とは反対に栗石美晴〔くりいし みはる〕は嫌そうに身悶える。

「とにかく! お前らも要に告げ口されたくなかったら、こんなヒヨコ女に関わるなよ。バカを見るっコレ決定事項だからな!!」

「えー? それほどでもー」

「褒めてない!」

 何故か照れる愛美に、心底イヤだと美晴は頭を振って息を盛大に吐いた。


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