卒業-S 境界
頬に、少し冷たくて柔らかな感触を感じた。
「――なっ! おまっ……なにして」
志野原愛美〔しのはら いつみ〕の肩を掴んで引きはがし、春日真〔かすが しん〕は自分の頬を手の甲で拭う。けれど、打刻された熱はなかなか引かない。
どころか、上がった。
周囲のギャラリーには同じ学校のクラスメートも含まれていたせいで、口笛や囃し立てる声がやかましいほど耳に入った。
「ついにまとまるのかー? おまえら」
「つーか、どこまでイッてるんだー? じつは熟年じゃねーの!」
「言えてるーっ」
などと勝手なことを騒ぎ立てるから、真は彼らを睨んで黙らせた。
「うるせーよ! 志野、来いっ」
「え? あれ……わたし、なんかした?」
予想通りの彼女の反応に真は頭が痛くなり、高校生活の先が思いやられた。
「やったよ、やった。どでかいのを一発な! 入学前から俺たち公認かもよ?」
「公認?」
「恋人同士、ってこと。言っとくけど俺のせいじゃないぞ」
男の頬にキスをする方が悪い。無自覚、だとは言え、収拾のしようがなかった。
言い聞かせるように説明すると、愛美は真っ青になった。
「う、嘘! 真ちゃん、どうしょう……わたしっ、みんなに誤解だって言ってくるよ!!」
「無駄だよ、無駄。どんだけいたと思ってんの?」
「じゃあ、別れたってコトに……」
「付き合ってもねぇのに、どうやって別れるんだよ。余計ややこしいだろ」
「うー、だってぇ……真ちゃんに迷惑かけちゃ、そんなのヤダぁ!」
うるっとなって、ふぇぇと愛美は泣き出した。
「ごめんね、真ちゃん。ごめんねぇ……」
「いいから。志野に迷惑かけられるのイヤなら、とっくに離れてるし」
「ひどいよぉ! はなれないもんっ」
泣く愛美の頭を撫でて、真は彼女に謝られるほどには迷惑だと感じていなかった。半ば、愛美の予想外の行動から生まれた状況ではあるけれど、彼女がしなければ真がそういうふうに仕向けたかもしれない。
(まー、大胆だよな? 志野は)
仕向けるにしても、まさかココまでの行動が出るとは思ってなかった。
「誤解させとけばいいよ。関係ないヤツにはさ」
「う、うん。でも……じゃあ、真ちゃんは言ってね?」
「んー、何を?」
彼女は能天気ないつもの言動からは想像もつかない真剣な顔で、「好きな子ができたら、わたしに言ってね」と訴えた。
「わたし、ちゃんと誤解、解くから!」
「……ああ」
あまりの真剣さに気圧され、真は頷いて――複雑な表情になる。
(こいつ、ホントに俺のこと好きなのか?)
そういう好き、ではないのかもしれないと思ったことがある。
付き合う、という選択肢が彼女の中にないのだから きっと そういうことなんだ。
べつにそれでも 問題 はないけれど。
じゃあ。
この、胸のモヤモヤは……なんだ?
(独占欲? 冗談じゃないぞ。俺はそんなに心の狭い人間じゃないってーの!)
真面目な顔で仰ぐ愛美の額に指をあて、ピンッと弾いた。
「イダッ!」
額を押さえた彼女は先ほどとは違う涙目で彼を見て、恨みがましい呻き声を上げた。
「痛いよぉ、ひどいよぉ、真ちゃんなんで怒ってるの?」
やっぱり誤解されるのイヤなんじゃないの? と首を傾げて訊くから、手を振った。
「怒ってねぇよ」
「じゃあ、なんでデコピン?」
よほど痛かったのか、愛美は「痛い」を連呼する。
「……さぁ? なんで、だろうなぁ」
真は自らも問うように冬の雪雲を仰いで、答えのない腹立たしさに白い息を吐いた。
視点の順序をどうしようか迷いましたが、書いた順序に沿ってみました。
書いた勢いが伝わればいいな、と思っています。