二月-M→K 水面
そういえば、と栗石美晴〔くりいし みはる〕は目を瞠った。
目の前に転がった可愛く包装された箱の数々に、机の向こうに並ぶ女の子の集団の気配をヒシヒシと感じた。
もう、そんな時期なのか……と近づく受験に焦りにも似た感覚を覚え、彼女たちみたいな余裕が欲しいと問題集に苦戦を強いられるわが身を嘆く。
顔を上げ、美晴は自分がいかに余裕がないかという表情を隠さなかった。
「なんだよ、邪魔すんなよ!」
勉強中なんだけど? と睨む。
「仕方ないでしょ? 栗石くんが妹からしか受け取らないって言うんだから。渡してよ!」
美晴の机まで来た時点で、彼女たちの肝は据わっている。口の悪い美晴の暴言など最初から見越しての行動だから下手には出ないで最初から喧嘩腰だ。
派手な見た目とその言動から、自分によほど自信があるのだろう。要に受け取ってもらえなかった時点でかなり機嫌を損ねたらしく、美晴のところに来たのは半分意地なのかもしれない。
「はぁあ? なんで、あたし? 体よく断られたって気づけよっ」
「なっ、失礼ね! いいじゃない、簡単でしょ!!」
渡してよね、と苛立った目で美晴に命じて、彼女たちはスカートを翻す。
残されたのはチョコレートと思しき色とりどりの箱。
「……どうすんだよ、コレ?」
自分の机にのったそれを眺め、美晴はうんざりとした。
毎年、チラホラと美晴に要への仲介を頼む輩はいる。けれど、今年みたいに大量に来たのは初めてだ。
やはり、卒業が近いせいだろうか?
最後のチャンスだと考えれば、必死になるのも頷ける……か?
彼女たちの高飛車な態度にゴミ箱に捨てたい気持ちはあるけれど、美晴だって鬼ではない。
仕方ない、渡してやるか。
「……チッ、なんであたしが」
要と他の女の子との橋渡しをしなくてはならないのか、と悪態をつく。しかし、それと同時に自分にはそんな資格がないとも気づいてしまった。
「今日、バレンタインデーかよ。気づかなかった……」
ひとつのことに必死になると他のことはおざなり、この頭の許容量の狭さはどうにかしたかった。
「 要 」
家に帰るなり、ドサッと色とりどりの箱の入った紙袋を美晴は兄の前に置いた。紙袋は美晴の現状を見るに見かねた親切なクラスメートがくれたものだ。それに、一応学校に「そういうモノ」を持ってくるのは違反なので目立ってはいけない。
妹を見た要は、知っているクセに「なに、コレ?」と問う。
「おまえが言ったんだろ! あたしからなら受け取るって、大変だったんだぞっ」
と、恨み節を吐けば、彼はおかしそうに首を傾げた。
「あー、アレ。あの子たち、そう解釈したんだ?」
「そーだよ! あたしの名前を出すの、めんどくせぇからヤメロ!!」
「うーん、そうは言ってもねぇ……俺としては一番わかりやすく伝えてるつもりなんだけど」
「はぁあ?」
よくわからないと睨めば、要は微笑んだ。
「で。美晴からはないの?」
グッと言葉を詰まらせて、美晴は「ねぇよ」と低く唸る。
「俺の誕生日なのに?」
「ねぇっ!」
くわっと吠えると美晴は顔を背けた。要の誕生日がバレンタインデーだという事実は、知られていない。美晴との血の繋がりを疑われる要因になるから、あえて隠しているのだ。
「まぁ、いいけどね」
美晴が要の誕生日を忘れているのは、許容の範囲内だ。
「美晴が合格してくれるのが 一番 だし」
言えば、内心後悔している彼女が頑張るのは目に見えている。
「っ、仕方ねぇなぁ……見とけよ、要!」
上目遣いで睨む美晴に、要が微笑んだのは可愛くて仕方がないせいだ。天邪鬼な妹は、素直な性格ではないけれど反応は素直すぎる。
頭を撫でる要に美晴は嫌そうにするものの、受け入れた。負い目を感じているせいだろうけれど、と意地悪く要は目を細める。
「見てるよ」
気づかなかった? と心の中で呟いてみる。
(俺は、ずっと美晴を見てるよ)
「あ?」
ナンのハナシ? とばかりに彼女は見上げ、その無防備さに衝動を抑える。今は、まだ――ね。
「だから、頑張ってね」
にっこり微笑んで見せれば、美晴は「げぇぇ」と呻いて……真っ赤になって逃げていった。
夜。
リビングでの勉強会で要は美晴の前にチョコレートを差し出した。
彼女が運んできた箱の一つ。
「はい、あげる」
「いらねぇ! 超いらねぇっ」
自分で食え、と睨んできたから、要が買ってきた別の一口チョコを出して包装のセロファンを解いた。
彼女の頑なな口元に持っていって、微笑む。
「はい、あーん」
「ばっ、バカか? 誰がするかってーの!」
「美晴、糖分は疲れた脳にいいんだよ? ホラ、食べて」
くすくす声を立てて「バレンタインデーでしょ」と優しく強いる要に、彼女は顔を真っ赤にして「意味わかんねぇ」と……口を開けた。
ぱくり。
「美味しい?」と訊けば、睨みつけるように赤い顔で要を見る。
「甘い」
「そう?」
「ほ、ホントに頭にいいんだろうな! ウソ、だったら殺すっ」
「本当だから、勉強しようね? 美晴」
「……はい」
こくり、と頷いて美晴は黙々と問題を解きはじめた。要も向かいで問題集を開いて、脳裏に先ほどの彼女を思い出して満足する。
口を開いて、チョコレートを含むなんて……美晴のクセに、ちょっと艶めかしかった。