07 今日から
猛烈な勢いで、力で、波が押し出されていた。その海面の下にて、巨大な「力」が「勢い」よく泳いできている証であった。潮の流れを完全に無視したその「力」で押し出された「海」は、海中は勿論、埠頭に至るまで影響を与える。やがて、巨大な、ひたすら巨大な肉塊が、海から港へ、港から埠頭へと進んでくる。
「オーバー・キッズ」だ。あの宇宙から来た神、「オーバーサイズ」に身も心も売り払った連中である。何はともあれ、今は逃げなければならない。地上にて車に乗って逃げ出す。間に合わず、地下へと逃げる。そして、逃げ遅れて踏み潰される。これらの光景は同時に展開されて、「ビッグセブン」と呼ばれる「オーバー・キッズ」は、次々とその足で文明が産み出した建物や設備、それに人間を踏み潰していく。
蟻の様に地の上を蠢く人間を踏み潰すのに、この「オーバー・キッズ」は慣れきっていた。「罪悪感」「恐怖感」「自己嫌悪」の後にやってきたのは、「興奮」と「歓喜」であった。ことさら「オーバーサイズ」の教えも必要ないままに、莫大な「力」を与えられた彼女は、マリアナ海溝と言う絶好の隠れ家にて身を潜めて、皆が忘れない内に現れて、沿岸部の都市や港を踏み潰していた。
彼女は、それでも平気であった。「人権」「人道」「共感」「受容」「愛情」、そして「権利」。全てが一部の人間にとってしか通じない考えなのだ。難民として、「生きるか死ぬか」の世界に身をおいてきた彼女にとって、自分達を差別して、低賃金でこき使い、要求を悉く握り潰してきた、「上」の人間をこうして殺すのは、とんでもない逆転劇ではなかろうか。
そうだ。人間、清貧を貫いて自我を抑える必要なんてこれっぽっちもない。現に、そう言う人間が経済界にて成功して、やがては世界を握るのだから、死ぬまで、殺されるまで、やせ我慢するつもりはない。自分はお前達の為にひり出された無精卵ではない。
1歩、2歩、3歩と、歩く度に地面には紅い足跡が残る。次の1歩を踏みしめようとした時、彼女の身体は硬直した。「あいつ」が来たのだ。幸いな事に、「敵」は1人。後はどうとでもなる。
だが、もう随分とこちらの間合いに踏み込まれてしまった。これ以上は逃げても仕方が無い。しかし、今更戦おうにも、自分達の「力」は「敵」と戦うのには力不足であるのは事実である。どうしようもない。やっぱり逃げよう。
彼女の決断は遅かった。これから海に飛び込もうとしたその瞬間、こちらへ飛んできた「敵」が、その身体を背中から掴み、彼女が踏み砕いた港の跡地に放り投げる。
くそ、死んでたまるか。殺されてたまるか。自分はもう難民じゃない。「危険人物」でも「犯罪者予備軍」でも「お荷物」でも「異端」でもない。だから、こんな所で「犬」や「猫」の魂を元にした「天使」なんかに殺されるつもりはない。
生きるんだ。どんなに苦しくても、どんなに嫌でも、どんなに辛くても、人生は1度きりしかない。そして、何時終わるか分からない。後で気が付いても後の祭り。失われた時間と可能性は戻ってこない。
もう一度、身体を起こすと、彼女は「敵」に向き合う。「敵」は、身体にエネルギーを貯め始めている。あれだ、あの「熱線」や「熱球」を使うつもりだ。今の所、どうすれば防げるかなんて分からない「武器」だ。今の所、唯一の対処方法は、エネルギーを貯める前に逃げる。それだけだ。
逃げるのか。今まで「生きるか死ぬか」の場面に何度も出会ってきた。父も母も、祖父も祖母も、兄も弟も、姉も妹も、そして夫、みんなが己を犠牲にして、自分と、そのお腹の中の子供を守る為に「死ぬ」選択を選んできた。なのに、自分はその「献身」と「誠意」を裏切った。カップ1杯のシチューを飲む為に、折角五体満足で産まれた子供を売らなければならなかった。
「子供なんて産んだのが悪い。お前、自分の置かれた状況を冷静に、客観的に見てごらんよ。今のお前が子供を育てられる筈が無いだろう。お前の油断だ。認めろ」
冷静に、客観的に。そんなの、もうウンザリだ。あの「オーバーサイズ」を名乗る「神」が来て、力を与えたその日から、ウンザリになる必要も義務もなくなった。文句があるのなら、もっと強い「力」で捻じ伏せてみせろ。自分の「力」でな。
彼女は、逃げなかった。自分の身体の姿勢を動かして、「急所」に当たる部分に分厚い肉と骨でもって防壁を作る。そうこうしている内に、「敵」はエネルギーを充分に貯めた末に、右手をこちらに向けて叫ぶ。
「ぅてぇ!」
膨大な熱量が込められた「熱線」が、「オーバー・キッズ」に向けて放たれる。熱線は、防御姿勢を取る彼女の身体を急速に焼いて、溶かして、消していく。そのまま急所まで焼いてしまうのか。いや、熱線は急速に弱まって消えた。と言うよりは、途中で止められていた。
「オーバー・キッズ」の変身が解かれて、身体が元の身体に、19歳の女性の身体に戻る。それに歩み寄る「敵」。彼は、この憎き「友達」の「敵」に、止めを刺そうとして来ているのか、あるいは助けようとしているのか、まだこの段階では決めかねている様子であった。
ここら辺じゃないのか……見つけた。両手と両足が真っ赤に染まっている。それでも、ダメージを負っているのは薄皮1枚のみである。多分、すぐに治癒して、そのまま放って置けば、また暴れるに違いない。
でも、この「オーバー・キッズ」の表情は、「凶悪な邪神に身も心も捧げた負け犬」と言う、世間の風説通りではない。何よりも、彼の「友達」にソックリである。自分の心身を痛めつけてくる世間から身を守る為に、人目につかない所へ、なるべく人の居ないところへ、西へ東へ、南へ北へ、彷徨った先で、彼と出会った「友達」は、ちょっとだけ元気を分けてもらえたらしく、並の浮浪者よりもかなり長く生きられた。
もう冷たくなったと分かっていた。果てしなく遠い所へ行ってしまったのは理解出来た。であればこそ、最期はこの「友達」の骸の隣でと思い、「マルミ」と名付けられた老猫が最期に見つめるのは、この「友達」の冷たくなった顔だ。
それなのに、これから深く暗い穴の中へと墜ちていこうとしたその瞬間に、「友達」の骸が他の人間に運び出されてしまった。
待ってくれ。置いていかないでくれ。この世の理不尽の中に産まれて初めて出会った、生涯最初で最後の「友達」と一緒に逝くんだ、逝かなければならないんだ。
嗚呼、結局、独りで死ななければならないのか。そう思った直後、「天」から声がかかる。
「友達の魂は、もう私の元に召されてしまった。残ったお前は、どうする? これから起こる事次第では、ああ言う形で私の元に召される魂が大勢出てくるだろう。もしそうなら、君はどうする」
……戦う。そして、守る。1人でも多く、あの「友達」、朝倉正信の様な人間に寄り添って生きる。
「分かった。では、お前に「力」を与えてやる。お前を待つのは、辛く悲しい「茨の道」だ。どうしようもない、救いの無い「生」だ。「マルミ」よ。そうと知っても、尚も生き続けるというのか」
辛い目に遭うのは、俺が最後だ。もう1人も、あんな目には遭わせない。
「マルミ」は、「オーバー・キッズ」の女を見つめる。気絶から醒めた女は、「マルミ」を見て言う。
「殺して、私を」
出来ない。出来ない、俺には出来ない。こんな顔、もう2度と見なくても良いと思っていたのに。何でこんなにも、悲愴感の漂う顔で、こちらを見るのか。
「どうしたの、早くしなさい。どんなになっても、私、負けない。負けないのよ」
「……そして、逃げもしないか」
「当たり前よ。私が逃げる理由なんて、無いのよ」
よし、もう決めた。
「今日から、お前は俺の「友達」だ。何があっても守る。一緒に居る」
「「友達」?……糞食らえよ、馬鹿野郎……「猫」から「天使」になった様な奴なんかに……私の気持ちが分かる筈が無いのよ」
「分かるさ。人間は何処へ行っても人間のままだ。お前みたいな奴は腐るほど見てきた。そして、全員腐っている。お前だって、そうじゃないのか。だから、「オーバー・キッズ」になったんだろう」
「で、どうするのよ、私を」
「「友達」として、お前を安全なところへと連れて行く。そこで、お前がもう2度と変身する必要が無い様に、俺が守る」
「やめろ……触るな、この小汚い「猫」」
「俺の名前は「マルミ」。お前の名前は」
「教えて……やるもんか。この、小汚い「猫」」
数分後。そこには「マルミ」の姿も、女の姿も無かった。ただ、瓦礫と死体の山だけが残されていた。




