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011 紳士の邸

 ここは自分にとって大事な場所である。誰が踏み込む事だって許さない。誰にも踏み込めさせはしない。ここを守る騎士として選ばれたのは、この自分だ。「ヘルロイド」。そう名付けてくれた「友達」の為に、自分は今日もここで頑張っている。犬が来ても、同胞の猫が来ても、鳥が来ても、車が来ても、遂に「ヘルロイド」はその場を動かなかった。

 例え相手が餌を片手にやってくる老婆だろうと、冷やかし半分に食べ残しを投げ与える観光客だろうと、貰える物は貰っておいて、忠誠心も愛情も受け取らなかった。そんな遊び半分の餌付け行為の引き換えに、自分の「魂」まで売る様な真似はしない。

 あの日もそう、今日の空模様と同じく、深い曇り、果てには霧に包まれる悪天候の中で、自分はその日の餌を求めて周囲を徘徊していた。縄張りは主張してこなかった。1度、マーキングをうっかりやってしまって、人間に捕まって処分された同胞が居た。彼に倣って、マーキングの本能を抑えながらの移動である。

 その中で、「友達」と出会った。飼い主は、「猫」である自分から見ても老い先短そうな老人である。何か病気もやっているのか、吐血する事もあった。それでも、身体に身につけている衣装だけはビシッとしており、服と言うよりは鎧であった。

 「友達」は、暫く自分を見下ろして動かなかった。そのまま動かないで、1分ほど時間が経ってから、「友達」は言う。

「来い」

 言われるままに付いていくと、その先にてデカい屋敷が見えた。「友達」が入っていったのだから、恐らくはこいつの屋敷だ。そのまま付いていって屋敷に足を踏み入れると、「寂しい」と言う感情が床から壁へ、壁から天井へと向かって染みこんでいる空間が広がっていた。

「お前、今日から「ヘルロイド」と名付ける。少し長ったらしい名前だが、すぐに慣れろ。この私の、ミテラス・ヘルロイドの姓を名乗れるのだから、野良猫には過ぎた「名前」だ」

 今にも血を吐いて斃れそうな年寄りだったが、き然と振る舞うその仕草は、まさしく「紳士的」と言う表現がしっくり来る。「友達」のミテラスは、どんな気持ちでこの屋敷に住んでいるのか、最期は一体誰が看取ってくれるのか、恐らくは全員と不和で不仲なのだろう家族からは何と思われているのか。色々と「ヘルロイド」は考えてしまい、そして、どんなに辛い思いをしていたとしても、ここで独り、誰も看取ってくれないままに死ぬのも、覚悟の上でここに居るのだ。

 別にそれを悪く思う事は無かった。「ヘルロイド」からすれば、これからタダ飯、タダ水が手に入り、文字通り食っちゃ寝していても文句を言われる筋合いは無い「飼い猫」として生きていけるだけでも、めっけ物であった。


 ミテラスは、メイドの1人も、そして執事も雇わない中で、全部自分でやっていた。こんなに広い屋敷なのに、掃除も炊事も全部1人でやっていた。「ヘルロイド」の面倒も同じくこなしており、この今にも血を吐いて倒れそうな老人は、「ヘルロイド」の餌を買う為に、「型落ち」と言う表現も厳しいオンボロ車に乗り込んで町まで行く程だ。

 何でそんな事にいちいち拘るのか、よく分からない。いや、そのヒントは、この屋敷の至る所に散らばっていた。白黒の写真に並んでいる若い夫婦、カラーの写真に息子や娘と思しき子供達と共に並ぶ夫婦、孫と共に家族全員が揃っている中に紛れ込んでいる老人が1人、そして、それ以降は夫婦で写っている写真は1枚も無かった。

 ここが好きだから。それだけを理由にして、ミテラス・ヘルロイドはここを離れないでいるのだ。ここには、色んな思い出が詰め込まれている。他で暮らす事なんて考えられない。この老人は、ホームに行くのも家族と同居するのも拒否して、思い出の詰まった、恐らくこの老人にとって唯一の財産を守っている。

 いいよ、付き合ってやるよ。「ヘルロイド」は、自分が出会った産まれて初めての「友達」に、そう誓っていた。あんたがそうまでして守りたい物ならば、俺も守らなくちゃならないだろう。それが「友達」として自分が報いる道である。

 小さな「ヘルロイド」と、老いた「ヘルロイド」の付き合いは、こうして始まった。穏やかな日々が流れていく中で、老いた「ヘルロイド」は急速に弱まっていく。小さな「ヘルロイド」は、その老いた「友達」の隣から離れなかった。

 強情を張る、根性と意地だけを根拠にして生きている「友達」。一体何で、野良猫である小さい「ヘルロイド」を拾ったのか。

 ……そんな事はどうでもいい。「猫」のアイデンティティは、そう言う理由づけを求めていない。生きていく為には「友達」と一緒でなくてはならない。「猫」はその為に産まれてきた。理由を求めてはいけない。1度そうしてしまったら、一生抜け出せない螺旋階段を上ったり下ったりしなければならない。

 だから、老いた「ヘルロイド」の魂が天に召されたその日が来ても、小さい「ヘルロイド」は嘆き悲しみを面に出そうとはせずに、棺桶の中で審判の日が来るまで待ち続ける羽目になった「友達」に代わって、この小さな「ヘルロイド」が守り続けなければならない。

 空き家になった「ヘルロイド邸」の屋敷にやってくる野良猫、野良犬、野鳥に至るまで、全部追い返した。そして、最終的には人間も相手にしたのだが、車にひかれては手も足も出ない。

 絶対にここは通さない。絶対にここを守り通す。あの日、老いた「ヘルロイド」に誓った約束、決して忘れずに胸に抱き続けて、生きてきた。宜しい、本望である。激しい衝撃と共に、鈍い感触が身体に響いて、自分もまた、深く暗い穴の中に突き落とされていた。良いじゃないか、こんな生涯があっても。生きていれば、人間に限らずに猫も死ぬ。ここで朽ちて死ぬのも、酔って池で溺死するのも、猫らしい最期だ。

「そうか。お前はそんなに人間が好きなのか。猫にしては珍しいな」

 穴に落ちていく最中に、穴の底から声が響いてくる。

「あの屋敷、まだ暮らしている人間が居るとすれば、残される可能性は無きにしも非ずだ。どうする? お前の「友達」が生涯をかけて守ってきた「財産」を守るつもりは無いか」

 じゃあ、そうしてくれ。

「そんなに早く決めて、後悔しないか」

 する筈が無い。是非やってくれ。


 その次の日、イギリス連邦こと連邦王国のメディアにて、「車で轢き殺したと思った猫が、「人間」になった」と言うニュースが1面を飾ろうとしたのだが、その少し前に、そんな事はどうでも良いニュースで、全世界に絶望と喜び、不安と戸惑いが広がっていた。「移民・難民の神」である「オーバーサイズ」による破壊と殺戮、それに対して戦う「元猫」や「元犬」の存在、全てがこれまでの現実を塗り替えていた。

 英国紳士として、「ヘルロイド」は一切の動揺と混乱を見せなかった。ここには、「友達」の人生の「財産」がある。「オーバー・キッズ」なんぞに壊させやしない。ここは、「友達」そのものだ。「友達」を見捨てるわけには行かない。


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