010 選ばれた人間
2週間後、「ジェラード」の唯一の家族、ジェントル・マイクロトスは軽く踊る様にニューヨークの自宅に戻ってきていた。何か良い事でもあったのかと尋ねると、ジェントルはカフェでウェイトレスに注文を言う様に答える。
「「教師」は辞めた。これからは、お前の為に活動する」
「ジェラード」は、それを聞いて不安そうな表情で尋ねる。
「どうして、あんなに毎日楽しそうに仕事していたのに」
「もう昨日までの世界は崩れたんだ。あのツインタワーが崩れた時と同じさ。私はこれから、あの巨大な化け物を生み出した「神」、SNSで言われている所の「オーバーサイズ」と戦う為に生きるんだ」
「それは、私の役割です。お父さんがやるべきなのは、人間としての営みを続ける事ではないですか」
「……「ジェラード」、私は、いや、我々はな、理屈では正しいと理解出来ていても、時としてそれを曲げてみたいと思う生き物なんだ。すまない。これから色々と苦労をかけるかもしれないが、我慢してくれるかな」
「別に咎めている訳ではありません」
「ああ、それと、ついでに言うと、私は自分から好きで「教師」になった訳では無い。一番楽に稼げて、そして自分の目的に合致しているから選んだんだ。辞めて良いと思った時には、即行動に繋げるのがアメリカ人の美点ではないか」
「それは分かりませんが、そこまで言うのなら、私も協力します」
……ああ、ムカつく。
こいつら、何時までイチャイチャしているつもりなのだ。元を辿れば、片や初老の男性、片やその飼い犬のメスではないか。「天使」として選ばれて人間の身体を得たのだから、まぁまぁ画になる光景にはなっているが、それを差し引いたらと思うと、激しい程に気持ちが悪い光景だ。
「ビッグセブン」の役割は、月面都市「オーバー・ムーン」建設の為の時間稼ぎであるが、こいつはもう我慢できない。こちとら、お前らアメリカ白人に散々苛め抜かれた難民の1人だ。学があるから出世して、この国で永住権を得て幸せに暮らしているのかも知れないが、それはお前の「力」じゃない。単純に「運」と「環境」に恵まれただけで、自分にだってそれさえあれば、南部の州であんな屈辱的な扱いを受ける羽目にはならなかった筈だ。
こんな世界、ぶち壊してやりたい。その想いに、宇宙の果てから流れてついてきた「移民の神」こと「オーバーサイズ」は、充分に答えてくれていた。だからこそ、「力」を得たのだ
「誰にも負けない「力」だ」
と説明を受けていたが、実際には大勢の犠牲者を出していた。あの「犬」や「猫」が変身した「天使」に対しては、こちらとしては戦略を変えなければならない場面にまで追い込まれている。自分達「ビッグセブン」の役割は、「時間稼ぎ」であり、その主な手段は「地下活動」や「ゲリラ戦法」を用いた、単刀直入に言うとテロリズムによる闘争である。
でも、これは我慢できない。まるで「家族」の様にイチャイチャ、ベタベタ、くっ付いて離れない、まるで磁石の様に、てか。冗談じゃない。こちらとて、犬の一匹だって飼えない極貧生活を強いられていたのだ。そこから抜け出すのに、どれだけ努力しても、どれだけ頑張っても、どれだけ結果を出そうとしても、人種を理由に弾かれてきたのだ。お前がそこで外見は17歳の「天使」とイチャついていられるのは、単純に「運」と「環境」のお陰に過ぎない。
……嗚呼、クソ。この光景、耐えられない。いっその事、今度こそこのニューヨークの摩天楼諸共、全部踏み潰してやろうか。前々からその欲求に駆られていた。どいつもこいつも、「チャンス」だの「チャレンジ」だのと言葉だけは御立派であるが、最初から受け入れる人種は決まっている。俺は人種と言う自分ではどうにもならない理由にて、全ての「機会」を奪われたのだ。
……もう無理だ。こんなの、耐えきれない。焼き殺されても良いから、この摩天楼を崩そう。
ジェントルが「ジェラード」を連れて、さっきまで住んでいたアパートから当面必要な荷物だけを持って出かけようとした時、海を割って、「オーバー・キッズ」はその巨大な「肉塊」を見せつけながら、街への上陸を試みていた。
狭いところに摩天楼が密集しているニューヨークに上陸する「オーバー・キッズ」は、その動きの一つ一つで、摩天楼を突き倒していく。崩れていった摩天楼の瓦礫に、「オーバー・キッズ」はダメ押しにとでも言わんばかりに、足で瓦礫を踏み潰す。1人も生かしておかない。その一挙一動は、見る者にその意志を正しく伝えていた。
「お父さん、私は行かなければなりません」
「行ってこい、止めはしない。自分の使命を果たせ」
「ジェラード」はヒーローの様に空へと飛び上がると、「オーバー・キッズ」よりも、ニューヨークの街を見下ろす遙か上空まで上昇すると、ピタッと止まって、そこでエネルギーを貯め始める。触れる空気に含まれる物質がバチバチと音を立てて焼かれる音が聞こえてくる程のエネルギーは、「ジェラード」を第2の太陽にさせる。
右手を伸ばして、次々と摩天楼を崩して、人間の命を奪う「オーバー・キッズ」に「狙い」を定める「ジェラード」。外してはならない。いや、あの巨体ならば、外す筈が無い。それでも、ギリギリ限界まで調整して、叫ぶ。
「ぅてぇ!」
細長い熱線は、「オーバー・キッズ」の身体を捉えた。その巨体を構成する「肉塊」が音を立てて溶け始める。このまま大地に還っていくのかと思いきや、ここでもう一波乱起きていた。
しめた。あいつ、まんまと囮に引っかかった。幾ら「天使」の「力」とは言え、「オーバー・キッズ」を殺すのには多少の時間がかかる。その多少の時間の内に、この街をぶち壊し、あのムカつく初老の紳士ぶった男を踏み殺してやるのだ。
「ジェラード」は完全に混乱していた。つまりは、敵の術中にまんまとはまっていた。仕方が無いから、あの1人の「オーバー・キッズ」はこのまま焼き殺すしか無い。
しかし、奇襲となった第二の「オーバー・キッズ」にはどう対処するのか。囮を殺すのに全エネルギーを使ってしまった。また貯められるが、貯めている内に、自分の「家族」が踏み潰されてしまう、こうなったら、この身を賭けて肉弾戦をする他は無いのか。
思い詰めた「ジェラード」の眼下において、またもやどんでん返しが起こる。囮の身体が消滅したのと同時に、本命の「オーバー・キッズ」の身体に、もう1つの太陽が叩き込まれて、悲鳴を上げる間もなく燃え滓になって消え去っていったのだ。
どうやら、自分1人で戦っていると思っていたらしいが、それは間違いらしい。こちらに、別の「天使」がやってきて、一礼して言う。
「気紛れで助けた。またやれるとは限らないぞ」
「ありがとう、お陰で助かりました」
「おいおい、礼を言うのは早いんじゃねぇの? お前、元々は「犬」だったんだろう。だったら、「家族」の安否が気掛かりだろう。行ってこいよ」
とだけ言うと、その元「猫」と思しき「天使」は、北米大陸の何処かへと消えていった。またいつかは会えるかも知れない。同じ大陸に、そして恐らく同じ国に住んでいるのならば。
ジェントル・マイクロトスは、自分の身の上に起きた「奇跡」を見て、自失茫然になりそうな自分を、どうにか現実に繋ぎ止めていた。
「ジェラード」の他にも、似た様な存在は世界各地に居ると言う噂は聞いていたが、事実だったらしい。今の所は人間の味方、と言うよりは最後に縋る藁になっている。
ジェントルは茫然としないように自分を強く保ちながら、空から戻ってくる「ジェラード」に手を振る。




