⑨
『私はキルケ・ゴール。現代の魔女です』
『まず、貴女のお話を聞かせてください』
『とても辛い経験をしましたね。私から癒しの波動を送ります』
『……わかりました。『おまじない』ーー導きの儀式をお教えしましょう』
翌日、深夜1時半。
ケイとアオイは、都道と明治通りの交差点にいた。
深夜を跨いでも、街の騒々しさは変わらない。
星のない空には、看板のライトが輝いている。
どことなく漂う酒と尿臭が、鼻腔を刺激する。
結局もう1日を、『キルケ・ゴール』とのDM応酬で費やしてしまった。
アオイの言った通り、『キルケ・ゴール』は慎重な性格だった。
先方は、まずこちらの情報を詳細に聞いてきたのだ。
幸い、囮アカウント『あおいチャン』の設定はしっかり考えてあった。
仕事掛け持ち、メンクリ通い、親とは疎遠……等々、DM担当のケイは逐一答えた。
『担当が好きで好きで、でももう支えられなくて、つらくて、でも一緒にいたくて、『おまじない』しかもうないって思ったんです』
ケイは存分にアピールをした。
そうしてようやく、『おまじない』の話に持ち込むことができた。
『世界にはポータルがあります。正しい場所に飛び込めば、貴女の魂は思い人へと導かれるでしょう……』
『キルケ・ゴール』は決行方法と日時、そして場所を送ってきた。
場所はなんと、アイカが死んだのと同じマンションだったーーーー。
「指定のマンションが近い」
アオイが眉根を寄せた。
アオイはすでに『あおいチャン』の格好をしていた。
黒髪ツインテールのゴシック地雷ファッションである。
アオイは地図アプリを開いて、目的地の確認をしていた。
「一旦ここで別れよう」
「待って、俺も一緒に行くよ!」
ケイはアオイの前に割って入った。
「呪いとか大丈夫だし!てか俺が見届けなきゃダメでしょ!」
「だが近くでは駄目だ」
アオイはピシャリと言った。
「これから『おまじない』する者が、男連れなのは不自然だろう。というか『あおいチャン』らしくない。そこは、君が一番こだわっていたじゃないか」
ケイは言葉を詰まらせた。
心臓の音が二段飛ばしで跳ね上がる。
アオイが怪訝そうに、ケイを見上げた。
今はカラコンの入った瞳が、心中を見透かすように貫いてくる。
ケイは顔を歪め、胸元を握りしめた。
「…………本当に、大丈夫なのかよ……」
口でも頭でも繰り返してきた不安を吐き出した。
「作戦上必要ってわかってるケド!ガチで飛び降りるって……アンタ、本当に大丈夫なの!?死んだりしない?!」
アイカが死んだマンションから、今度はアオイが飛び降りる。
『キルケ・ゴール』から決行場所の指定が来た時、ケイの中に否が応にも嫌な想像が膨らんだ。
因果応報とはよく言ったもんだ、と含み笑いが漏れた。
今度は鏡ごしにではなく、リアルタイムで飛び降りを直視しなければならない。
嫌だという気持ちが先行して、やっぱり止めた方がいいんじゃないかと何度も思った。
同時に、アオイを信じたい、じゃないと『キルケ・ゴール』に辿り着けない、と考えが錯綜した。
相反する思いが乱反射して、ケイの顔はぐちゃぐちゃになっていた。
「平気だ。心配性だな、君は」
強張るケイの肩を、アオイが叩いた。
「私は死なない。安心しろ。借りる『智』ももう決めた。勝算はある」
アオイは不敵に笑った。
道からケイを退かすようにして、アオイは前へを進んだ。
「『キルケ・ゴール』が現れた時には、それこそ頼むぞ」
ケイは後ろを振り返り、アオイの背を見やった。
その背筋の伸びた後ろ姿は、ケイの心を少しだけ、信じる方向へと傾けた。
「ま、任せとけ!」
ケイは半分震えた声で返した。
アオイは軽く手を上げた。
『囮作戦』本番が、ついに始まった。
アオイについて行けないとはいえ、その行動自体は見張る必要がある。
『キルケ・ゴール』は『おまじない』決行者が死んだ時、初めて姿を現すだろう。
その瞬間を、ケイは逃さず取り押さえなければならない。
ひとまずケイは、明治通りを下って行ったアオイとは別ルートから、件のマンションを目指すことにした。
都道を新宿駅方面へと進み、ビジネスホテルのところで左折をする。
神社の前の道で、チリリ、と頭に痛みが走る。
きたか。
ケイは奥歯を噛み締めた。
またこれ。
呪い。
決着の時が近い。
『キルケ・ゴール』にもアイカにも、この呪いにも。
呪いは、アイカが死んだと聞いた時から始まった。
奇怪な事が起こり、襲われ、体調も悪くなった。
だからこれは、アイカの呪いだった。
だけどアオイとーー500年後悔の中で放浪する『本物の現代魔女』と出会って、少し思うところがある。
俺は、アイカのせいで呪われているのだろうか。
もちろん、アイカはケイの髪を使って『おまじない』をした。
仮に呪いが何かの副産物だとしても、トリガー自体は間違っていないはずだ。
だけどーーーー。
ーーーーと考えているうちに、ケイは指定マンションを通り過ぎてしまった。
咄嗟に引き返そうとしたが、かえって怪しいので別の小道に入り込んだ。
するとラッキーなことに、小道に並ぶ建物と建物の間に、いい感じの隙間を発見した。
おそらく不法侵入だろうが、ケイは構わず身を捩じ込んで行った。
隙間からは生垣越しに、アオイが飛び降りる予定のマンションが見えた。
ケイは生垣に身を隠しつつ、チラチラと頭を出して、マンションの様子を伺った。
嫌に静かだった。
街の喧騒が遠ざかり、代わりに自身の鼓動音が大きくなった。
じっとしているにも関わらず、背中に汗が伝った。
呪いも引き続き、ケイの頭を痛めつけている。
ケイはたまらなくなって、ポケットからスマホを取り出した。
震える指で画面に触れる。
一瞬ノイズ。
後、『01:50』と表示される。
アオイが飛び降りは、午前2時予定である。
「あと10分……」
独語の途中で、スマホの光が消える。
ケイは闇の中に戻る。
暗がりはまた、懸念を引っ張り出す。
アオイは本当に死なないのだろうか。
囮作戦は上手く行くのか?
『キルケ・ゴール』は本当に現れるのか?
というか、アオイはちゃんと『あおいチャン』を演じられているのだろうか?!
「うう……」
不安は尽きない。
ケイは唸りと共に、スマホを握りしめた。
たった10分。
早く過ぎてくれ、と思う傍ら、まだ来ないでくれ、とも願っていた。
無意識に、息を止めていた。
自覚した時には唾が気道に入って、大きくむせ返った。
ケイは両手で口を抑えた。
その時だった。
マンションの一室から、黒い塊が落下した。
「あ」
ドンッッ!!と鈍い音が響く。
塊は地面に激突し、足元まで振動したような気がした。
ケイは膝を震わせた。
塊は間違いなく、『あおいチャン』の格好をした、アオイだった。
マジで落ちた!!!
ケイは思わずしゃがみ込んだ。
マジで落ちた、マジで落ちた、マジで落ちた!!!
軽くパニックを起こし、ケイは両手の隙間から過剰に息を吸った。
到底、冷静でいられる光景ではなかった。
額から汗が吹き出して、だらだらと地面に染みを作っていく。
いや待て落ち着け!とケイは自らを叱咤した。
アオイは魔女だぞ、きっと大丈夫に決まってる、案外もう起き上がってるかもしれない!
ケイは一縷の望みをかけて、生垣から顔を出した。
アオイは、地面に横たわったまま、ピクリとも動いていなかった。
目頭が急激に熱くなって、吐き気が込み上げてくる。
嫌でもアイカの最期と、姿が重なった。
ケイは今すぐ飛び出して、アオイを揺り起こしたかった。
よかった生きている、そう確かめたい抗いがたい衝動に駆られた。
しかし今飛び出すのは、最悪の選択だ。
先に出て行って、『キルケ・ゴール』が逃げてしまったら、これまでの全てが水の泡となる。
これまでの準備もやりとりも、アオイの自己犠牲的な飛び降りも、全部無駄になる。
ケイは『キルケ・ゴール』の登場を待たねばならなかった。
『キルケ・ゴール』は本当に現れるのか?
ズギッと、頭痛はさらに強度を増した。
アオイを助けなくていいのか、とケイを責め立てた。
ケイは手の甲に爪を立てて、昂る気持ちを押さえ込んだ。
口の中が苦い。
熱い鼻息が、耳障りなほどに荒い。
「……ああ、もうッ、無理ッッ!!」
ケイはこれ以上抑えることができなかった。
生垣を乗り越えて、アオイの元へを駆け寄ろうとした。
しかし生垣に足をかけた瞬間、ケイは動きを止めた。
横たわったアオイの側に、誰かが立っているのが目に飛び込んできた。
瞬間、血流は騰した。
「お前かアアアアアアア!!!!」
ケイは雄叫びに似た声を発した。
生垣を越え、人影に突進した。
『キルケ・ゴール』が筋肉ダルマだったら……と怯んでいたことは、最早忘れていた。
ケイは人影にタックルした。
「てめーが『キルケ・ゴール』だなッッ!!」
それで倒せはしなかったが、思ったより『キルケ・ゴール』は思ったより細かった。
ケイが羽交い締めできる程度には、小さかった。
ケイに押さえつけられ、『キルケ・ゴール』はマッシュボブの頭を揺らした。
しかし妙な落ち着きを払って、ケイを振り仰いだ。
縁無しメガネが怪しく光り、不気味な笑みをニタリと浮かべた。
『キルケ・ゴール』は青年だった。
顔立ちが幼い。
文学部の大学生的な印象で、仕立てのいいストライプシャツを着ていた。
「なんだ、ホストか」
声は少年のように高かった。
『キルケ・ゴール』は歌舞伎町には似合わないほどの、好青年だった。
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