⑥
アイカは死の直前まで、『誰か』とやり取りをしていた。
その誰かは、アイカが『どこから飛べばいいか』を指示していたーーーー。
『キルケ・ゴール』。
それが、その人物の名前だった。
「ハ、大層な名だな」と、アオイが静かに、だが侮蔑の籠った声で言った。
その声色を聞いて一瞬、じゃあ悪いのは『コイツ』であって、俺じゃないとケイは思った。
すると、また頭に激痛が戻ってきた。
呪い。
頭蓋骨が軋む痛み。
背中に冷たいものが流れ、体温が急激に奪われていくような気がした。
それはまるで、アイカの最後の感覚が流れ込んできているように思えた。
呪いは、ケイを意味不明な現実へと強烈に押し返した。
光明を前にして、ケイは顔を歪めた。
「自殺教唆だ。どうやらあの『おまじない』、裏があるようだぞ」
アオイは黒い鏡越しにケイを覗くと、笑みを浮かべた。
「ケイ!コイツを探れば君の呪いもーーーー」
「わけわがんねえよッッッ!!!」
ケイはアオイの言葉を遮って喚いた。
「『おまじない』とか、呪いとかッッ!ホント、もうわけわかんねえよ!」
耐えられなかった。
もう、たくさんだった。
「何が起きてんだよ、俺が何をしたよ!何でこんなことになってんだよ……ッ」
ケイは拳を地面に叩きつけた。
何度も何度も叩きつけた。
アスファルトが、血と涙で濡れそぼった。
それでもケイは、叩きつけた。
「やめろ!」とアオイが腕を掴んだ。
ケイはそれを大振りで振り切った。
驚いて目を見開いたのは、アオイではなくむしろケイだった。
視界が滲んで、ぐらぐらと揺れた。
それを隠すように、ケイは額を地面に擦りつけた。
アオイその様子を、何も言わずに見ていた。
それからポツリ「私も、そんな風に泣いたな」と呟いた。
アオイはケイの隣に腰を下ろした。
ケイが「は?!」と睨み上げると、アオイは眉を下げて微笑した。
「私も君同様に誤った。まあ要は昔話だ。気晴らし……になるかわからんが、聞いてくれないか」
アオイは掌までケロイドまみれの手に、瞳を下ろした。
やや緊張したような横顔は、ゆっくりと口を開いた。
家族が流行病にかかった。
周りの村人も皆死に、なす術がなかった。
アオイは七日七晩寝ずに看病し、祈り続けた。
しかし家族は悪くなる一方だった。
七日目の夜。
看病の甲斐なく、家族は峠を迎えていた。
病床で、アオイは必死に祈った。
その時、疲労と絶望の朦朧とする目に、ふと炉の炎が映った。
瞬間、アオイは悟った。
『神』は天ではなく、炎の中にいる。
躊躇なく炉に手を突っ込んだ。
激痛。肉の焼ける嫌なに匂い。
絶叫しながらも、『何か』を掴んだ。
えもいわれぬ高揚感が全身を駆け巡った。
アオイは火中から手を引いた。
手は『薬瓶』を握っていた。
何故、そんな所から薬が出てきたかはわからなかった。
それでもこれは、神の恵みだとアオイは思った。
アオイは家族に薬を与えた。
すると家族は『まるでそれまでの苦しみを忘れたかのように』、寝たきりだった体を起こした。
「……ふざけんな。いい話じゃねえか」
ケイは鼻を啜った。
「頑張り話とか、今聞きたくないんですケド」
「その三日後、彼は死んだ。『忘れていた分』一気に苦しみ抜いてな」
ケイは息を飲んだ。
アオイは渦の瞳を細めて、続けた。
「私も泣き喚いた。どうしてこうなった、私のせいか、だから彼は苦しみ死んだのかーーと。だが事態はそれだけでは済まなかった」
「……すまなかった?」
アオイは頭上を指差した。
「私の前にコイツが現れた」
黒キャップの上、あの不思議な白い鳥が首を傾げた。
「この鳥は言った。『大書架の無断利用を確認。ペンエンテスの霊薬。借智料12。損害料15』」
「え……えっと……」
「はは、私も最初はわからなかった。だがコイツはいきなり、私の腹を食い破った」
ケイは「え゛ッ」と鳥の嘴に目を向けた。
ワシのように鋭利さが、街灯を反射して光った。
「鳥はさらに言った。『乙の魂を帳簿化。帳簿残高-27。乙は負債分の智を大書架に返済しなければならない』」
「ど、どゆこと……?」
「あの薬は恵みじゃなかった。『世界大書架』に収められた『神の叡智』。私はそれを無断で掠め盗った……ことになっていた」
アオイは感触を懐かしむように、火傷跡が残る手を軽く握った。
「つまりペナルティだ。盗った分と同等量の『智』を、新しく稼いで返さなければならない」
ああだから、とケイは思った。
アオイは『智』を求めて、こんなところまでついてきているのだ。
「……その、『智』ってのは……道具、みたいなもの……なの?」
「そういう体もなす。弓、鏡、薬などだな。だが、生き様や思想なども『智』。自伝や哲学書と同じだ」
ケイは頭の中に、幼い頃行った図書館が浮かんだ。
確かに図書館には神話や歴史、小難しい思想本がズラリと並んでいた。
「あの、もし『智』を返せなかったら……どうなるんだ……?」
ケイはおずおずと聞いた。
図書館を思い浮かべはしたものの、『帳簿残高』『負債』『返却』という鳥の言葉からは同時に、借金やホストクラブにおける立替を想起させた。
経験上、それらは高額であればあるほど、首が回らなくなる。
負債は、返せなくなる時がくる。
「『智』を返せずに帳簿残高が-100になった場合ーーーー」
アオイは淡々と言った。
「ーーーー私の命は回収される」
「命が回収される?!」
「つまり死ぬということだ」
返せねば、死ぬ。
「なに、それ……」
ケイはアオイの話を完全に理解しているわけではなかった。
だが身近なものに置き換えるほど、強く感じた。
高額負債を押し付けられて、返せなければ命で償う。
それは、地獄だった。
アオイは眉を下げた。
「『借智』はよくできた仕組みでな。新しい『智』を手に入れるのに、また『智』を借りる羽目になるんだ。まあ今回みたいな感じでな。それで以来500余年、私は借りては返しの繰り返しだ」
「まって、ごひゃくねん?!」
「はは。変な話、『借智』をくり返すうちは命が続くんだ」
「最早『智』の回収機械だよ」とアオイは自嘲した。
ケイは遡及的に理解した。
自動的に入る職業病的スイッチも、女の子といると起きる霊障も、アオイに対しては反応がなかった。
アオイは、人の範疇から超越してしまっていた。
しかし同時に、奇妙な親近感も抱いた。
予期せぬ死に苦しむアオイ。
搾取され続けるアオイ。
それはケイの姿であり、またケイの客ーーアイカたちの姿だった。
アオイはそれを、途方もない時間続けていた。
彼女はーーーー永遠の借『智』地獄の中にいた。
「……そんなになるまで、なんでアンタ生きてるんだよ」
ケイは体を起こして聞いた。
しかしアオイは笑うだけで、何も答えなかった。
ケイは「わかるよ。だから君も生きろって言うんだろ?」と項垂れた。
「俺には、無理だよ……」
ケイは両膝を抱え、間に泣き顔を埋めた。
「もう死にてえよ……」
アオイは沈黙した後、「そうか」と小さく言った。
「無理には止めんよ。私はただ『呪われた君の生き様』を大書架に返すだけだ。せいぜい『智』1か2くらいだろう。ハァ、大損だな」
「は?!」
ケイは反射的に顔を上げ、怒気の矢を飛ばした。
「俺の価値ってそんなモンなの?!?」
アオイはそれを軽くいなすと、にんまり笑みを浮かべた。
してやられた、とケイは赤面した。
「死にたい」と溢しつつも、ケイの中には今も、誰かに「すごい」と褒めてほしい渇望が残っていた。
「いいか、ケイ」と、アオイはケイに顔を近づけた。
永久に旋回する渦の瞳に、ケイの顔が浮かんだ。
「君の価値は君が『後悔を抱えて今後どう生きるか』でしかない」
『後悔』。
言葉は波紋となって、ケイの中に響いた。
俺は、後悔、していたのだろうか?
何に?誰に?
アイカが死を選んだ原因に、自分が関わっている事実に?
目を背けていた後悔が、重石となって頭を砕き、身を引き裂いていく。
夜は、互いに消費し合う世界だった。
自分もホストとして、何度も道具のように扱われてきた。
だから自分も、客を人とは思えなくなっていた。
だからといって今、この『後悔』から目を逸らすべきではなかった。
人を人として扱わなかった事実を、直視するべきだった。
「ううう〜〜〜!クソッ!クソクソクソッ!」
ケイは立ち上がった。
体液塗れの顔を、けして安くはない服の袖で乱暴に拭った。
「クソかっこ悪い!!このままで死ねるかッッ!」
ケイは眉をきつく寄せ、拳を握った。
「この『キルケ・ゴール』をとっ捕まえてやる……ッッ!!」
アオイはケイの様子を、やや意外そうに見上げていた。
その表情のまま、アオイは訊いた。
「それは呪いを解くため……彼女のためか?」
アイカのため。
ケイにはわからなかった。
しかしそれで動くには、烏滸がましいとは思った。
ケイは今だ混線する頭の中から、それらしい言葉を掴み上げて、口にした。
「ケジメのためだ」
アオイは笑った。
「いいぞ。よく言った」
アオイも、ケイと並んで立ち上がった。
「私も、命を粗末にする輩を放ってはおけない」
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