②
新宿、歌舞伎町。
午後20時。
ケイは絶叫しながら走っていた。
職安通りの内側。
街灯が点いているのに、どこか薄暗い裏路地は人気が少なかった。
時たま、外国人や同業のホストとすれ違った。
しかし皆チラと見るだけで、すぐに自分たちの会話に戻った。
そりゃそうだよな、とケイは内心思う。
この街には、この手の挙動不審が多い。
いちいち構っている余裕なのないのだ。
「いやでもおかしいだろッ!」
ケイは息絶え絶えに毒づいた。
せっかく整えた金髪もめちゃくちゃになっていた。
メイクも汗でドロドロに溶けていた。
「なんで俺しか……ッ!俺しか『見えてない』んだよ!!」
ケイは背後を、巨大な黒い塊に追われていた。
ムカデだった。
無数の足を滑らせ、軽トラックほどの巨体がうねっていた。
その、まるで踊っているような姿は、ケイにしか『見えていなかった』。
「わぷッ!」
足がもつれた。
普段から運動していないケイの体は、恐怖と動揺で強張っていた。
そのまま地面に倒れ込んだ。
肩を強打し、骨に響く痛みで身を捩らせた。
だが寝転がっている暇などなかった。
キチキチ……と音に、ケイは背後を振り返った。
そこには、巨大ムカデが首をもたげていた。
長い触覚と太い毒ヅメが暗がりの中で、怪しく光った。
ケイは心臓が、ヒュッと落ちたのを感じた。
指先が凍り、アスファルトに爪が食い込んだ。
あ、これ、俺、死ぬわ。
走馬灯は見なかった。
振り返れる過去がなかった。
先にあるのは闇、きっと何もないんだと思った。
そうして、せめて目は瞑ろうと瞼を下げた。
その時だった。
ケイの頭上を何かが通り過ぎた。
輝く筋。
LEDよりも数段明るい光だった。
光は瞬間的にケイの視界を漂白し、そしてムカデの眉間に突き刺さった。
ムカデは金切声を上げた。
巨体をビタビタと地面に打ち付けた。
ボウッと青い炎が身体中に広がった。
ムカデは狂乱したようにのたうち回った、次第に全身を炎に包まれた。
「なん……」
ケイは尻餅をついたまま、その光景を呆然と眺めていた。
「なにが……?」
わけもわからぬまま、ただ誘われるようにして、光が飛んできた方を振り返った。
そこにはデカイ弓を携えた、女が立っていた。
歳は、20代前半くらい。
Tシャツにジーンズという、ラフな格好。
白とグレーのグラデーションヘア。
頭には黒キャップを被っている。
女は一見、どこにでいそうな子だった。
「なに、あれ……」
だが、ケイは鳥肌が立つのを抑えられなかった。
黒キャップの上には、鳥が乗っていた。
不思議な鳥だった。
全身は真っ白で、目はフクロウのようギョロギョロしていた。
嘴はワシのように突き出していた。
けして生物に詳しいわけではなかったが、ケイはそのような鳥を見たことがなかった。
鳥が嘴を開いた。
『借智時間が終了しました』
機械的な音声だった。
声は明らかに、鳥の嘴から発していた。
新手のドローン?!とケイは思いついた。
しかし、その考えは即座に改まった。
女の持つデカい弓が燃えて、消えたのである。
ケイはこめかみから垂れるのを感じた。
そんなもんじゃない。
もっと異常なこと。
今目の前で起きているのは、もっとーーーー。
女がケイに近づいてきた。
ケイは同様し、上手く喋ることはできなかった。
「ア、アン、アンタ、い、一体……」
足が震え、立ち上がることもできなかった。
女は、ケイを無視して通り過ぎた。
ケイは何も言えず、ただ女の動きを目で追った。
女は巨大ムカデが焼けた場所に腰を下ろすと、地面からヒョイと何かをつまみ上げた。
ムカデの死体だった。
ムカデは、靴紐くらいに小さくなっていた。
女は口をひん曲げて言った。
「なんだこれは?低級霊か?」
それに対して鳥が答える。
『3相当の智です。獲得しますか?』
「……見掛け倒しか」
『獲得しますか?』
「ああ……するする、獲得する」
『獲得しました。帳簿残高-45です』
「ハァ〜〜大損じゃないか」
女はムカデを放ると、忌々しそうに手をはたいて、その場に立ち上がった。
「藤太の霊弓……借りるのに12も借智料払ったのになあ……」
女は打ちひしがれたように肩を落とした。
その動作からは人間らしい感情が垣間見えた。
ケイはわずかばかりに平常心を取り戻し、女に言った。
「アンタ……もしかしてさっきのムカデ『見えた』のか……?」
女は「んん?」は落胆から脱しきれない声で、顔を上げた。
「あんな低級、見えるも何もーーーー」
女の口が止まった。
女の目はみるみる内に丸くなった。
女の瞳は、渦のように底がしれなかった。
「おい、おいおいおいおいおい!」
女は高速で近づいてきた。
ケイはビクリと肩を揺らしたが、逃げる間もなく女はケイの側にしゃがみ込んだ。
「君、君ィ!」
女はケイの顔を無遠慮に掴んだ。
「君、めっちゃ呪われてるな!」
そして頬を赤く染め、にんまりと笑った。
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