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「は!!?」
ケイは目を丸くした。
どういうことだ?
『キルケ・ゴール』は今、ここにいる!
『キルケ・ゴール』は『おまじない』ーー飛び込み自殺の遂行を、現場で確認するんじゃなかったのか?!
ケイは『キルケ・ゴール』を見下ろし、それからアオイのスマホを見た。
『やばいって!ガチおまじないやってる子いる!』
そう言うSNSアイコンには、見覚えがあった。
先日区役所通りで会った、あのショートカットハーフツインだ。
ショートからのDMには、ライブ配信がシェアされていた。
アオイは険しい顔でそれに触れた。
すると画面は変わり、動画は再生される。
どこか高所から下の道路を見下ろす、か細い震えた声が聞こえてくる。
「怖いよ、怖いよ……でもこんな顔捨てなきゃだよね……?ピ、見ててね?待っててね……」
動画内に、髪の毛を結んだ手が映り込む。
ケイの背筋に悪寒が走った。
どうして『おまじない』が続いている?
どうしてーーーー。
「『キルケ・ゴール』を……捕まえたのに……?!」
狼狽するケイの言葉に、1人破顔する者がいた。
「あは、あははっあははははは!」
ボーイソプラノの大笑。
あどけない顔を歪ませる『キルケ・ゴール』だった。
ケイに押さえつけられたまま、『キルケ・ゴール』はメガネを怪しく光らせた。
「『キルケ・ゴール』は僕じゃない、『企業』なんだ。僕一人捕えたところで、『ビジネス』は止まらない」
『キルケ・ゴール』の社員は、アオイに向かって首を傾げた。
「いいのかな、僕だけに構っているとその子が死ぬよ?放っておく?それとも、スピの力で何とかする?」
「下衆が……ッ!」と、アオイは唇を噛んだ。
カラコンが外れた渦の瞳が、わなわなと震えている。
一方ケイは、迷っていた。
取り逃すわけにはいかなかった。
『キルケ・ゴール』を捕まえる。それがケイにとってのケジメだった。
人を人として扱わず、アイカの死を見て見ぬふりをした。
そんな自分自身への復讐だった。
ケイの脳裏に、アイカの姿が浮かび上がる。
しかし最期の姿ではなかった。
最初に送り指名してくれた時の、髪を弄りながら照れたように笑う、生きた姿だった。
過去は、否定できない。
ケイは心の中で、ごめんと呟いた。
「アオイッ!」
ケイは押さえていた青年を突き飛ばした。
「その子を助けに行こう!!」
アオイの瞳が、真っ直ぐにケイを見つめた。
アオイは、笑った。
腕を宙に振り上げて、頭上の鳥から勢いよく羽を引き抜いた。
「よく言ったッ!!」
アオイは即時詠唱する。
車輪の陣が地面を照らし、アオイの頬は紅潮した。
「汝に勝る神はなしッッ!!」
ボウッと羽が音を立てて燃えた。
羽の炎は巨大な塊となってアオイを乗せた。
火の粉が散り、塊の姿は露わになる。
それは、馬だった。
馬には足が8本生えていた。
「なッ!なん……ッ!?」
突き飛ばされ、地面に転がった青年は、畏れをなしたように後ずさった。
『借智』を目の前にして、脳処理が追いつかずに顎を落としていた。
だが高揚したアオイには、すでに見えていないようだった。
アオイはケイに向かって、手を差し伸べた。
「行こう」
ケイは迷わず、その火傷だらけの手を掴み取った。
「おう」
馬は嘶いた。
ケイを背に乗せると、ぐんと足を蹴り上げて、飛翔した。
地面が、『キルケ・ゴール』の青年が、どんどん遠ざかっていく。
馬は風を切り裂き、夜空を駆け上がった。
振り落とされないよう、ケイは必死にしがみついた。
気がつくと、馬は歌舞伎町の上空を飛んでいた。
ケイは甲高い悲鳴を上げた。
光で細切れされた街が、とても小さく見えた。
『軍馬スレイプニル、借智料20。帳簿残高-82です』
遅ればせながら、鳥が『借智』履歴を読み上げる。
だがその変わらず機械的な声が、逆にケイを安心させた。
「ケイ」
アオイが後ろ手でスマホを手渡してきた。
「悪いが場所を見てくれないか?どこだかわからん」
画面には今も、ライブ配信が流れていた。
配信者はまだ『おまじない』決行には至っていないようだった。
一時胸を撫で下ろしつつ、ケイはスマホを受け取る。
「た、多分カブキだと思うけど……」
ケイは眉を寄せて、画面へと顔を近づけた。
どこかのベランダらしき手すりと、遠く暗い下の道路、時折映るか細い手。
なんとなく、下の道路には既視感があるような気がした。
ケイは画面に指を押し当て、写真をズームした。
女の子の啜り泣く声が聞こえる。
ーーーーもしかしたらアイカも、最期こうだったんじゃないかと思いつく。
その時、ビジジッ!とスマホ画面にノイズが走った。
「うわッ!」
ケイは危うく、スマホを落としそうになった。
逃げ出すスマホを何とか捕まえて、ケイは再度画面を覗き込んだ。
ノイズが酷い。
むしろ先ほどよりも画面はぐちゃぐちゃになっていて、最早形状を留めていなかった。
「嘘だろ……このタイミングで……」
また、頭痛が始まる。
「どうした!まだわからんか!!」
アオイが叫んだ。
その声には焦りの色が滲みはじめていた。
ケイはスマホを握りしめ、叫び返した。
「の、呪いで!!画面がよく見えないんだッッ!!」
「くッ……」とアオイは短く喉を鳴らした。
どうして、こんな時にまで。
ケイは奥歯を噛み締めた。
『キルケ・ゴール』を手放したからか?
それをアイカが、怒っているとでもいうのか?
ーーーー『呪い』とは結局、何なんだ?
『借智時間が終了します』
ハッとして、ケイは顔を振り仰いだ。
アオイの頭上、白い鳥が無情にも『借智』終了ーースレイプニルの消滅を告げていた。
全身に鳥肌が立った。
こんな上空で馬が消えたらーーーー。
想像して、ケイはすくみ上がった。
「延長申請ッッ!!」
アオイが声を張り上げた。
ケイがその意味を理解する前に、鳥が再び鋭利な嘴を開いた。
『受理しました。これより3分ごとに『智』10の遅延損害料が発生します』
瞬間、アオイが吐血した。
「はッ?!アンタ何をーーーー!」
ケイはアオイの肩を掴んだ。
アオイは半身振り返った。
その顔からは、生気が薄れていた。
「……な、にが……」
アオイは血泡のついた口端を拭って、眉を下げた。
「ビデオ屋にもあったろう。あれと同じだ。返却期限を過ぎれば、ペナルティがある」
「ビ、ビデ……?いや、ていうか!3分ごとに-10されるって……!」
「私の帳簿残高は今-82。6分後には-102。ドボンだな」
ドボン。
『智』の負債が-100を超える。
アオイの命は回収されるーーーーアオイは、死ぬ。
「やめろッ!!」
ケイは力任せにアオイの肩を握った。
「一旦どこかに降りよう!そうじゃないとアンタッ……!」
「構わんッッ!!」
アオイは激昂したように体を揺らし、ケイの手を振り切った。
「今行かねば間に合わないッ!人が死ぬんだぞ、やめるわけにはいかないッッ!!」
ケイは閉口した。
ぐずぐずしていたら、ライブ配信の子が飛び降りてしまう。
それはもっともだった。
だが『借智』を続ければ、先に死ぬのはアオイの方だった。
ーーーー私はいつだって人が生きるために『智』を使う。
アオイはそう言った。
しかしその『人』の中に、アオイ自身は含まれていない。
今になって『最早機械』という言葉を思い出した。
「馬鹿野郎が」とケイは毒づいた。
『3分が経過しました。遅延損害料が発生します』
鳥が告げる。
鳥の左片翼は、今や外殻まで黒ずみ初めていた。
破滅が、迫っている。
アオイはガクンと頭を落とし、馬の首にもたれかかった。
肩をわずかに上下させて、浅く息をしている。
アオイは死につつあった。
血の気を失い、冷たくなって。
あの鏡で見たように。
アイカが、地面の上で一人そうであったように。
ケイの頭に激痛が走った。
今、それどころじゃない。呪いなんて場合じゃない。
スマホの画面も、相変わらずメチャクチャだ。
ケイは苦い表情で、前髪をぐしゃりと握った。
結局何なんだよ!
俺のこの、呪いってやつは!
俺のーーーー。
「ーーーー俺の、呪い?」
唐突に、ケイは心が底へと行き着いた。
心の底は暗い。
そこにはケイの、呪いがあった。
ああ、そうだったのか、とケイは思った。
呪いは、他の誰のものでもない。ましてやアイカのせいでもない。
ケイの、自分自身が原因の、呪いだった。
だからこそ、今の状況を全てを解決する答えがあった。
過去は否定できない。
ならば、いっそ。
ケイは答えへと手を伸ばした。
酷い痛みを伴ったが、それでも迷わず、掴み取った。
もう誰も、俺の周りで死なせない。
「おい、鳥」
ケイは言った。
「もし俺が……この呪いを受け入れたら、どうなる。それは『智』になるか?」
アオイが肩を震わせた。
土気色の顔で振り向き、頭を横に振った。
だがケイはそれを無視して続けた。
「呪いは、俺の罪悪感だ。人を人として見なくなっていた、俺の後悔だ!そうしなきゃ生きてこれなかった。でも……だからこそ、この呪いは解かない!」
ケイは自身の胸ぐらを掴み、白い神の使いに誓った。
「生涯この呪いと共に生きるーーーー俺の生き様を『智』にしろ。アオイを助けてくれ」
鳥はケイに向けて、首を180°回転させた。
丸い両眼を四方八方に巡らせて、弾いたようにケイに視点を合わせた。
鳥は鋭い嘴を開いた。
『呪いを伴侶にする男。一次資料からの直接提供』
鳥の声がわずかに上ずった。
『希少ケース。例外対応をします。合計換算で『智』25相当になる見込みです。獲得しますか?』
「よっし、獲得しろッッ!!」
『獲得しました』
鳥は言った。
アオイの体が、電流を流されたようにびくりと跳ね上がる。
『帳簿残高-67です』
アオイの顔は、みるみる内に血色を取り戻した。
力を取り戻したのか「そんな計算……」と口を動かした。
途端、アオイは勢いよく体を起こした。
「君はッッ!なんてことをしたんだッッッ!!」
振り返ってケイを睨みつけた。
「君はその後悔をーー呪いを!自覚して少しずつ緩和していけたんだぞ!解呪もできたんだッッ!なのに……生涯呪いと生きるだなんて『智』になってしまったら……君は、本当に……」
「ごちゃごちゃうるせーな」
ケイはわしわしと頭を掻いた。
「いいんだ。俺が自分で決めたんだ」
そして晴れ晴れと、笑った。
「はは、どうだ。俺の価値、2なんかじゃなかったろ?」
アオイは泣きそうな顔をした。
小さく「馬鹿野郎が」と毒づいた。
アオイは瞼を閉じ、息を吐いて首を振った。
それから、渦の瞳にケイの姿を映した。
「……ありがとう。助かった」
その感謝は、ケイを充足させた。
俺が渇望していたのは、こういうものだったのかもしれないと思った。
掴みとった覚悟が、ケイを特別なモノにした。
これで本当に『ずっと一緒』だな、アイカ。
妙な納得感に、ケイに思わず笑みを溢した。
「ーーーーってこれでこれで終わりじゃねえ!」
ケイは慌てて、握ったままのスマホを見た。
まだ事は済んでいなかった。
アオイの『借智』延長は続いていた。
なにより飛び降り寸前の子を、探し出さねばならなかった。
画面を見て、ケイは目を丸くした。
「ノイズが……消えてる……」
スマホは何事もなかったかのように、綺麗な映像を映し出していた。
例の子のライブ配信も、はっきりと見ることができた。
ケイは既視感の正体に気がついた。
下の道路を平行に横切る、特徴的な形のフェンスだった。
「アオイ!!」
ケイは顔を上げた。
「場所がわかった!大久保公園沿いだ!!」
アオイは「ええ?!」とケイを振り返った。
「大久保公園?!どの辺りだ、それは!」
「えーあー西!西の方!あ、あそこだッッ!!」
ケイは眼下を指差した。
指し示す先には、ビル群の中にぽっかりと空いた、砂色の平地があった。
「了解」とアオイは馬の腹を蹴った。
8本足の馬が、天高く嘶く。
馬は大久保公園に向かって、急降下した。
信じられない速さだった。
馬から手を離したら最後、一人ぽつねんと上空に取り残されそうだった。
『3分が経過しました。遅延損害料が発生します』
と鳥が告げたが、その声は二人の耳に届く前に夜空の中に散った。
馬は猛風を引き起こして駆け降りる。
公園沿いのビルにぐんぐん近づいていく。
ケイは、今まさにビルから放り出た、人影を見つけた。
「行けェェェッッ!!」
ケイは思い切って両手を広げた。
馬は影と地面の間へと滑り込み、ケイは確かな感触を抱き留めた。
ケイの腕の中には、少女が一人すっぽりと収まっていた。
「『智』を返還する!」
アオイがそう叫ぶと、馬の全身が炎に包まれた。
火炎の中、8本足の馬は前足を高く上げた。
その姿は己の瞬足を誇っているようにも見えた。
火の粉が宙に散り、馬は跡形もなく消えた。
ケイに抱えられた子は、何が起こっているのかわからず目を見開いていた。
体を恐怖で固めたまま、瞳だけ左右に動かし、ケイを見上げた。
次第にその目尻からは、涙が溢れ出した。
「どうして……?」
少女はケイの腕を掴んだ。
「ねえ、どうして助けたの?私はピのところに行きたかったのに!ずっと一緒にいたかったのに!!」
少女の悲痛な慟哭に、胸を突かれる思いがした。
ケイは静かに、口を開いた。
「ごめん、俺からは何も言えない……でもできれば、自分を使い潰さないで欲しい。君は、頑張ってきただろうから……」
少女はきつく目を瞑った。
しかし瞼は大粒の涙を止めることはできなかった。
少女は背を丸め、唸りながら泣いた。
ケイは星のない空を見上げた。
「どうした、浮かない顔をして」
その声に振り返ると、アオイが立っていた。
ケイは嘆息し、力を抜いて笑った。
「いや、これでよかったのかなって」
「君は命を救った」
「でも『キルケ・ゴール』は逃した」
ケイは泣き続ける少女に目を向けた。
「……また、餌食になる子がいるかもしれない」
「ふふ。まあそう急くな」
アオイは自身のスマホを掲げた。
いつの間にかケイから取り戻していた。
アオイはニヤリと笑うと、ボイスメモ画面の再生ボタンをタップした。
ーーーーないない。普通に嘘だって。あれ、『おまじない』信じてた?
ーーーーだから『キルケ・ゴール』は土地の価値を下げるの
ーーーー瑕疵をロンダリングして、転売する時もあるかな
再生された音声は、ケイと『キルケ・ゴール』の会話だった。
ケイは顎を落とした。
あの時アオイは地面に倒れながらも、しれっと録音をしていたようだった。
「これじゃあ警察は動かないだろうが」
アオイは再生を止めて言った。
「君の得意なSNSに流せば、少なくとも奴を界隈から追い出せるだろう」
「ア、アオイ……!」とケイは目を潤ませた。
アオイは両手をあげて応えた。
「言っただろう?私はフリーライターだ。取材はしっかりやーーーー」
「る」と言い終わる前に、アオイは白目を向いて、顔面から倒れ込んだ。
ケイは甲高い悲鳴を上げた。
「え?え!?何?何!?」
「……いや、いや大丈夫だ……ちょっと今日無理しすぎた」
ケイはその場から動けず、途方に暮れた。
「待って、は?どうすんのコレ?!」
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(Xは日常垢を兼ねてるので、純粋に更新だけ追うにはブルスカがお勧めです)
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