10
ケイに羽交い締めされたまま、好青年は微笑んだ。
「ははは、驚いた。なんですか?急に」
あまりにも、普通の反応だった。
ケイは躊躇した。
人違いが横切った。
しかしすぐに、ケイは「誤魔化すな!」と切り返した。
「俺以上のタイミングでココに来るのは、てめーしかいないんだよ!『キルケ・ゴール』!!」
好青年は一瞬眉を上げたが、ゆっくり目を細めた。
「そう、お兄さん、知ってるんだ」
ケイはぞっとした。
仮にもここは自己現場だった。
すぐそこで、人が落下した場所だった。
ケイはそれを事前に知っていた。
それでも、アオイの墜落には肝を冷やした。
今でも生きた心地がしない。アオイが生きているかもわからない。
にもかからわず、この青年ーー『キルケ・ゴール』は妙に爽やかだった。
ちょっと天体観測しにきたような雰囲気だった。
「……ああ、思い出した。僕もお兄さんのこと知ってるよ」
『キルケ・ゴール』は明るく言った。
「確か、お兄さんと結ばれたいって子がいたよ。写真とかすごい見せられて。アレ、うざかったなあ」
アイカのことだった。
「てめ……ッ!」
目の前カッと赤くなった。
衝動的に『キルケ・ゴール』を突き飛ばしそうになった。
「……くッ」
だが、寸のところで止めた。
今コイツを手放したら、逃げられてしまうかもしれなかった。
ケイは代わりに、『キルケ・ゴール』を押さえ込む腕に力を込めた。
「よくもまあ……ぬけぬけ自白できたもんだなあ!」
『キルケ・ゴール』はまた笑った。
「まあ『キルケ・ゴール』は特に何もしてないからねえ……」
「は!?『おまじない』の体で自殺教唆しただろ!」
「あはは、難しい言葉を知っているね?違うよ、ただ『おまじない』を教えただけだよ」
『キルケ・ゴール』は首を傾げた。
押さえつけられ、正体を暴かれ、圧倒的に不利なはずなのに、いやに涼しい顔をしていた。
「ポータルに飛び込めば、まあ天使だか魂だかになって好きな人と一緒になれる……そう言っただけだよ。それで結果的に自死を選んだのは、彼女たちじゃないかな?」
「なッ……」
ケイは言葉を失った。
詭弁だ。
だが反論できなかった。
確かに『キルケ・ゴール』は、「死ね」とも「自死しろ」とも言っていない。
所定の場所から、「ポータルに飛び込め」と指示しただけだった。
……じゃあみんな、飛び降り以外の方法を探せばよかったのか?
いや、違うだろ!と、ケイは納得しかけた自分を叱咤した。
「なんで……どうしてッ!こんなエグいことやってんだよ!!」
ケイは反論の代わりに問うた。
「呪いとか呪術とか!まじでそんな事してんのか?!」
すると『キルケ・ゴール』は、本当に可笑しそうに声をあげた。
「ないない。普通に嘘だって。あれ、『おまじない』信じてた?お兄さん、スピってるね」
「は?……は?!じゃ、じゃあなんで……!」
「相場操縦って言えばいいのかな。ほら、新宿って地価高いでしょ?」
そうば、そうじゅう……?
話が予想外のベクトルへ飛び、ケイはすぐに反応できなかった。
『キルケ・ゴール』は構わず続けた。
「それに困っている人が一定数いる。だから『キルケ・ゴール』は土地の価格を下げるの。どうやってやるかわかる?」
ケイは混乱した。
頭の方向感覚を失い、思考が交錯した。
記憶がぐるぐると回る中、いつかのアオイの言葉がこめかみを刺激した。
ーーーー②『キルケ・ゴール』は、特定箇所での死亡にこだわっている。
ケイはハッと目を見開いた。
「意図的に……事故物件を作る……?」
『キルケ・ゴール』はにっこりと微笑んだ。
それは明らかに肯定を意味していた。
ケイは喉を震わせた。
「ひ、人死にを出して……わざと、値段を下げてる、のか……?」
「それを望む人がいるからね。クライアントによっては今回みたいにダメ押しもする。まあ『キルケ・ゴール』が瑕疵をロンダリングして、転売する時もあるかな」
「かひを、ロンダリング……?」
「はは、土地の洗濯。事故を有耶無耶にて、『綺麗な物件』として売り出すんだよ」
事故を有耶無耶にする……って何だ?
ケイは自問した。
それはつまり、『おまじない』に騙された子たちのーーーーアイカの死を、消す、のか?
土地の洗濯、だって?
自殺を引き起こしているのは、そもそもお前じゃないか!!
「そんな……そんなふざけた話があるかよ!」
ケイは叫んだ。
身の内で嫌悪と混乱と悲嘆が渦巻き、胃壁を焼いた。
「人は……人の命は!道具なんかじゃないッッ!」
ツンと、鼻の奥が悲鳴を上げた。
目の縁が溢れ出た激情分、重みを増した。
「お兄さん、ロマンチストだね」
『キルケ・ゴール』はそれを蔑むように、またニタリと笑った。
「でも僕は命を尊んでるよ。ホストよりもずっとね。みんな、人を何かに換算するだけでしょ?金とか、感情とか。全く、消費社会の権化だよ」
『キルケ・ゴール』は首を振った。
ケイは唸る以上の返答ができなかった。
人を何かに換算するだけ。
それは紛れもなく、ケイがしてきたことだった。
ケイがされてきたことでもあった。
みんなそうしてるじゃん、お互い様だろ、と流してきたことだった。
過去は、否定できない。
頭痛が酷い。
ケイは耐えかね、『キルケ・ゴール』を抑える腕を緩めた。
しかし『キルケ・ゴール』は逃げ出そうとはしなかった。
むしろ恍惚とした声色で、朗々と語った。
「『キルケ・ゴール』は違う。命の価値を増幅させている。システムによって、死によって!消費の円環を脱し、社会の喜びへと繋げているんだ!」
じゃあ、コイツが正しいのか。
ケイは思った。
だから俺は、結局のところ『呪われている』のか。
肩の力が抜けた。
ケイは『キルケ・ゴール』から、完全に手を離してしまいそうになった。
その時だった。
「まあ、でも死んでいないんだな。これが」
声が、前方から聞こえた。
「しかし……はは、随分痛いな。ただ耐えられるだけじゃないか……」
地面に横たわっていた、黒い塊が動いた。
ケイと『キルケ・ゴール』は、同時にそちらへと目線を向けた。
『キルケ・ゴール』が「えっ……?」と、小さくどよめいた。
高揚していた顔が、潮が引いていくように青ざめた。
ケイ自身、まるで奇蹟を目撃している心地だった。
アオイはよろめきながら、体を起こした。
高層マンションからの落下にもかかわらず、アオイは生きて、再び立ち上がった。
同時にウィッグがずるりと落ちて、本来の人外じみた髪色が表出した。
アオイは手に、金の棒を持っていた。
「ちなみにこれは独鈷杵だ。金剛力士が如く強固な体になるーーーーのだが、痛覚は残るようだな、勉強なるな……」
アオイの頭上では、あの白い鳥が羽ばたいた。
『キルケ・ゴール』は体を硬直させ、ケイは歓喜に震えていた。
アオイは不敵な笑みを浮かべて、黒キャップを被り直した。
「どうだ小僧。世の中、案外スピってるだろう?」
『借智時間を終了します』と、鳥が定形文を述べた。
金の棒は炎に包まれ、アオイの手中から消えた。
「ど、どういうトリックだッ!!」
『キルケ・ゴール』が怒号を上げた。
表情は不均等に歪み、目の前のことを受け入れられないようだった。
「僕は飛び降りるを見た!確認した!なのに……どうして、まだ生きているんだッッ!!」
アオイは「さっき説明しただろう」と服の埃を払った。
「だが強いて言えば、私はいつだって人が生きるために『智』を使う。それだけだ」
その言葉は、ケイの中に深く浸透した。
ひび割れていた心を、温かく湿らせた。
ーーーー君の価値は君が『後悔を抱えて今後どう生きるか』でしかない。
アオイはケイにそう言った。
ケイは今更ながら、その本当の意味を理解した。
アオイも、過去を否定できなかった。
己の後悔を消し去れなかった。
だからこそアオイはーーーー。
ケイの腕に、力が戻った。
「アオイ!」
ケイは『キルケ・ゴール』の体をしっかりと取り押さえた。
「コイツは俺が抑えてる!今のうち警察に連絡してくれ!!」
警察と聞いて、『キルケ・ゴール』はにわかに暴れ出した。
ケイはさらに力を込め、『キルケ・ゴール』の華奢な体を制した。
造作もないことだった。
アオイはケイに向かって頷くと、スマホを取り出した。
アオイの表情が急速に固くなった。
「ど、どうした?」とケイが聞くと、アオイは頬を強張らせたまま、顔を上げた。
「…………まずい」
アオイをスマホ画面をケイに突きつけた。
「今、飛び降りようとしている者いる……!」
そこには『やばいって!ガチおまじないやってる子がいる!』というDMと共に、飛び降りライブ配信がシェアされていた。
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