フィリアの問いと書の導き
フィリアが差し出した書物は、リアムにとって砂漠の中のオアシスだった。彼女に言われるまま、書物に記された回復の知識をただ目で追う。驚くことに、彼の『模倣眼』が発動することはなかった。それは、彼が「知識を得る」ことだけを目的とし、それを「自身の力として模倣する」ことを意図しなかったからかもしれない。文字を追うたびに、不思議と彼の体に微かな温かさが広がり、全身を苛んでいた痛みが少しずつ引いていくのを感じた。
「なぜ……俺の力を知っているんだ?」
痛みが和らぎ、幾分か落ち着きを取り戻したリアムは、改めてフィリアに尋ねた。彼の『模倣眼』の秘密を知る者が、この図書館にいるとは予想だにしていなかった。
フィリアは、リアムから目を離さず、静かに答えた。「この図書館に存在する、全ての知識は、私の中にあります。あなたの力も、例外ではありません」
その言葉に、リアムは息を呑んだ。彼女がただの『知識の守護者』ではない。彼女自身が、この図書館の「知識」そのものであるかのような響きがあった。
「書架の守護者とは……どういう意味なんだ?」
「書架の守護者とは、この『運命の図書館』に宿る知識を護り、それを正しく導く存在です。知識は時に、刃となり、世界を傷つけることもありますから」
フィリアの銀色の瞳には、遥か遠い過去を見通すような深みがあった。彼女の言葉は、まるで何世紀もの時を超えて紡がれてきた、古の物語のようだった。
「あなたのような『模倣する者』が、なぜこの図書館を目指すのか。それは、この書架にも記されていません」
フィリアはそう言って、再び抱えていた書物のページを捲った。先ほどとは別のページに描かれていたのは、リアムが両親の手記で目にした『無の頁』に酷似した紋様だった。
「それは……『無の頁』か?」リアムは、思わず身を乗り出した。
「はい。この図書館の最深部に存在するとされる、全ての知識の根源であり、同時に全ての知識を無に帰す可能性を秘めた存在。誰も、その真実に辿り着いた者はいません」
フィリアは静かに語る。「あなたのご両親も、この『無の頁』を探し、この図書館の奥深くへと進んでいきました。そして、戻ることはありませんでした」
リアムの胸が締め付けられた。やはり、両親も『無の頁』を探していたのか。そして、フィリアは、その全てを知っているかのように話す。
「彼らは、あなたと同じ『模倣する者』でしたか?」リアムは尋ねた。
フィリアはわずかに沈黙し、それから首を横に振った。「彼らは、『模倣眼』の持ち主ではありませんでした。しかし、あなたとは異なる、独自の『探求の眼』を持っていました。彼らが何を求めていたのかは……私にも、完全には理解できません。ただ、彼らの探求は、この図書館にとって、非常に重要なものでした」
リアムの脳裏に、両親の笑顔がよぎった。自分と同じ特別な力は持っていなかった。それでも、彼らはこの途方もない図書館に挑んだのだ。その理由を知りたい。それが、リアムを突き動かす原動力だった。
「この先へ進むには、今のあなたの力では、あまりにも危険です。力を使うたびに、あなたの肉体は損なわれていく。このままでは、目的地に辿り着く前に、あなたは壊れてしまうでしょう」
フィリアの言葉は、冷たく突き刺さるようだったが、それは真実だった。彼女はリアムの苦痛を真正面から見据え、その現実を突きつけている。
「どうすれば……いいんだ?」リアムは、思わず絞り出すように尋ねた。
フィリアは、リアムの目の前にある書物を指さした。それは、リアムが回復のために目を通したばかりの書物だった。
「知識を模倣するだけでは、真の力は得られません。知識とは、ただ写し取るものではなく、理解し、己の血肉とすることで、初めて意味を成します。この書物も、あなたが**『模倣』するのではなく、『理解』**しようとすることで、あなたの体に変化をもたらしたはずです」
彼女はそう言うと、立ち上がった。
「私が、あなたを導きます。この図書館の知識を、模倣するのではなく、真に『理解』し、制御する方法を学ぶのです。それは、あなたの『模倣眼』の代償を和らげ、そして、あなたの真の力を引き出す道となるでしょう」
フィリアの銀色の瞳が、リアムを真っ直ぐに見つめる。その瞳の奥には、単なる書物の守護者を超えた、深い意志が宿っているように見えた。リアムは、目の前の少女が、なぜそこまで自分に関わるのか理解できなかったが、彼女の言葉に嘘偽りはないように感じた。そして、何よりも、このまま一人で進むことの限界を、彼は痛感していた。
「……分かった。頼む」
リアムは、力の抜けた体で、しかし決意を込めて頷いた。彼に、他の選択肢はなかった。この出会いが、彼の『運命の図書館』での旅を、大きく変えることになるだろう。フィリアの導きの下、リアムの新たな挑戦が、今、始まる。彼の旅は、単なる知識の模倣から、真の理解と制御への、より深い探求へと変化していくのだ。