模倣の代償と刃の知識(上)
全身を駆け巡る激痛に、リアムは奥歯を食いしばった。先ほどの『契約の勇者』の紋章の意味を模倣した代償だ。脳裏に流れ込んだ膨大な情報が、彼の精神と肉体を限界まで蝕んでいる。肺が焼け付くように熱く、喉の奥から込み上げる吐き気を必死で飲み込んだ。
(…こんなところで、倒れてたまるか)
壁に手をつき、荒い息を整える。痛みはまだ残っているが、最初の試練を乗り越えた達成感が、わずかながらに彼を奮い立たせた。目の前には、新たな通路が開けている。先ほどよりも明らかに濃密な「知識」の気配が、その奥から漂ってきていた。
リアムはゆっくりと足を踏み出した。石畳の通路は緩やかな下り坂になっており、彼が進むにつれて周囲の壁はさらに古びた様相を呈していく。壁には、剣や槍、盾といった武具の精緻な図解が、まるで実際に触れられるかのように立体的に刻まれているのが見えた。図解の下には、それぞれの武具の歴史や、最も効果的な使い方、そしてそれを扱う者の心構えを示す、無数の小さな文字がびっしりと書き込まれている。
彼の**『模倣眼』**が再び熱を帯びる。
右手の痣が脈打ち、脳裏に流れ込んでくるのは、剣の握り方、構え、重心の移動、そして斬撃の軌道……まるで自分がその場で剣を振るっているかのような、完璧な身体感覚に襲われる。それは、剣術の知識であり、同時にそれを体得するための身体感覚そのものだった。リアムは、無意識のうちにその場で剣を構える動作を真似ていた。体が覚えている、まるで元々自分が持っていたかのような感覚に、彼は驚きを隠せない。しかし、その度に頭の奥で脈打つ痛みは、この知識が彼の身体に直接刻み込まれていることの証でもあった。
通路を抜け、リアムがたどり着いたのは、薄暗い訓練場のような広間だった。広々とした空間の中央には、いくつもの木製の人形が整然と並び、その傍らには様々な種類の剣が立てかけられている。どれも刃こぼれ一つなく、使い込まれた風合いを持ちながらも、手入れが行き届いていることが伺えた。そして、広間の奥には、再び宙に浮かぶ書物が一冊。鈍い輝きを放つその書物は、今まさにリアムが模倣した「武具の知識」を収めているかのようだった。
書物の表紙がゆっくりと捲れると、光が集約され、第二の**『知識の守護者』**が姿を現した。今回の守護者は、軽装の革鎧を身につけ、腰に一本の長剣を差していた。その顔はフードで深く隠され、表情は伺えないが、全身から放たれるのは、研ぎ澄まされた刃のような鋭い気配。まるで、彼自身が一本の剣であるかのようだ。
「ようこそ、探求者よ。我は、この第二書架の『知識の守護者』。貴殿が知識を求める者ならば、次の試練を与えよう」
その声は、最初の守護者とは異なり、張り詰めた緊張感を伴っていた。静かながらも、刃の冷たさを思わせる響きが、広間全体に満ちる。
「貴殿の求めるは、力か?ならば、その身をもって示せ」
守護者の手が、リアムに向けられた。だが、今回は光の粒子ではない。守護者の背後に並べられた木製の人形のうち、一体が淡い光を放ち、その輪郭がみるみるうちに鮮明になっていく。そして、光が収まると、そこには剣を構えた仮想の敵が、まるで生きたかのように立っていた。その顔には表情がなく、ただ純粋な「剣術」の概念が凝縮されているかのようだ。
「この刃の知識を、貴殿は理解できるか?」
守護者の声が響くと同時に、仮想の敵が音もなくリアムに向かって斬りかかってきた。その剣筋は速く、正確で、一切の躊躇がない。リアムは咄嗟に身を翻し、攻撃を辛うじてかわす。仮想の敵の剣が空を切り、風を切る音が、ひっそりとした広間に響いた。
(これは…模擬戦闘!?)
リアムは、広間の隅に立てかけられた剣に目をやった。彼の『模倣眼』が剣に宿る「知識」を読み取る。彼は躊躇なく、最もシンプルな直剣を手に取った。柄の冷たさが掌に伝わる。
剣を握った瞬間、再び脳裏に剣術の知識が洪水のように流れ込む。右手の痣が熱く脈打ち、全身の筋肉が、まるでこれまで何百回も剣を振るってきたかのように、自然と動こうとする。彼の体は、模倣した剣技をすでに記憶しているのだ。
彼は、教えられたかのように剣を構えた。そして、仮想の敵の動きに合わせて、模倣した剣技を繰り出す。刃と刃がぶつかる金属音はしない。しかし、リアムの剣が、仮想の敵の急所を的確に突いた時、相手の体は淡い光となって霧散した。
「ふむ…見事な模倣。だが、それはただの模倣に過ぎぬ」
守護者の声には、微かな失望が滲んでいた。フードの奥から見つめる視線は、リアムの深層を見透かすかのようだ。
「真の知識は、模倣の先にこそある。貴殿の体は、その模倣に耐えかねているようだ。その代償を、どう乗り越える?」
守護者の言葉は、リアムの心臓を抉るようだった。確かに、仮想の敵を一体倒しただけで、彼の全身は再び激しい痛みに襲われ始めている。頭痛はさらに増し、彼の視界の端がちらつき始めた。
守護者が再び手をかざすと、今度は二体の仮想の敵が出現した。一体は剣、もう一体は重厚な盾と槍を構えている。彼らは完璧な連携でリアムに襲いかかってきた。盾を持った敵がリアムの正面を塞ぎ、その隙を突いて槍を持った敵が、側面から正確な突きを放つ。
リアムは模倣した剣技で応戦するが、二体の敵の連携は想像以上に緻密だった。剣の知識を模倣しただけでは、同時に二体の敵を相手取るには限界がある。盾で攻撃を受け流され、その隙を突いて槍が放たれる。紙一重でかわすものの、彼の体は既に限界に近い。
(くそ…!体が、重い…!このままでは…!)
『模倣眼』を使い続けることで、彼の体は既に悲鳴を上げている。全身の痛みは増し、思考も霞みがちになる。だが、ここで倒れるわけにはいかない。両親の手記の、あの言葉が脳裏をよぎる。
(「この力が、君を導く」…単なる模倣じゃない、何か、もっと…)
リアムは、広間に並べられた様々な種類の剣に目をやった。長剣、短剣、大剣、そして奇妙な曲線を描く刃物……それらすべてに、異なる「知識」が宿っている。
(そうだ、模倣は一つじゃない!複数の知識を…組み合わせるんだ!)
彼の『模倣眼』が、再び覚醒するかのように強く脈打った。単一の知識の模倣では足りない。ならば、複数の知識を同時に、そして複合的に模倣し、再構築するのだ。