[0]序章:ただのメイドです。
魔王領ドラコニア。ここは魔族が暮らす国である。
国の中心に位置するひと際大きな城、魔王城。
城の上空を染める禍々しい曇天も、魔族フィルターを通せばあら不思議。
何食わぬ平凡な晴天へと大変身する。
「今日の担当はわたしぃ~!」
魔王城内・謁見の間に続く広い廊下にて。
甘ったるい声の鼻歌でスキップをしながら駆ける一人の少女がいる。
赤髪赤眼の吸血鬼少女、アリシア・ブラットアリーだ。
黒いドレスの上に白いフリル付きエプロンを身につけた、まさにメイドという姿。
頭部には白いヘッドドレスの他に黒く捻じれた角が二本、それこそが彼女を吸血鬼たらしめる特徴である。
「メイドとして魔王様に気にっていただけたら人生バラ色夢気分間違いなし! がんばるぞー!」
彼女の周囲をバラで包む幸せ空間が展開される。
それもそのはず、魔王はこの国を治める"王"なのだ。
魔王に気に入られればアリシアは何不自由ない生活が約束されるだろう。
アリシアの妄想は膨らみ、そのほとんどが魔族グルメで埋め尽くされる。
◆
ババーン!
アリシアは巨大な扉の前に立つ。
その先は謁見の間。魔王が鎮座する公務の場である。
「ん゛ん゛っ゛!」
アリシアは咳払いをすると「あー」と声を出して段階的にキーを調整していく。
整った声色を見つけたアリシアは一息ついて扉に手をかけ、謁見の間へと入室する。
「失礼します、魔王様……」
ドカーン!
「ヒッ?!」
アリシアの真横、勢いよく何かが壁に激突した。
衝突によって壁は瓦解し、巻き上がる土埃が視界を覆った。
アリシアは横目にその正体を探る。
「クソッ……、ここまでか……ッ!」
瓦礫にめり込む一人の男。
男は全身から血を垂れ流し、その足元には一本の剣が落ちている。
「ぐおっ……」別の男の声。
「魔王様っ……!」
アリシアは部屋の中央で膝をつく男に駆け寄る。
「貴女は……ここのメイドであるな……」
「はいっ……! アリシアにございます! 一体何が……!」
魔王と呼ばれた男は全身を黒々とした鎧、漆黒のプレートアーマーで身を包む。
顔を覆う鎧の中には赤く煌めく二つの眼光だけが浮かび、全長を三メートルはゆうに超える巨体だ。
この男こそ、魔王アーデルトである。
「あやつは勇者だ……、我の寝首を掻かんとして攻め入ってきた」
アーデルトが指差す先には瓦礫にめり込んだ男。
すでに男は息絶えたのか、ピクリともせず顔を暗くしている。
「ぐうっ……!」
「魔王様っ!?」
アーデルトは体勢を崩して倒れ込み、希望の花を彷彿とさせるように地面へとうなだれた。
「我としたことが見誤った……あやつは竜殺しの一族、手心を加えるべきではなかった……」
「魔王様っ! 気をしっかり! いかがなさったのですかっ!」
アリシアは地面に転がるアーデルトの手を取る。
およそ人の手とは思えぬ大きさ、アリシアの顔がすっぽりと入ってしまうほどだ。
「アリシアよ……メイドである貴女に頼むことになるとは思わなんだ……」
アリシアは固唾を飲んでアーデルトの言葉を待つ。
魔王の最期の言葉を受けるのがまさか自分になるとは思ってもいなかっただろう。
「どうか、魔王を……、貴女に……!」
「えっ……?」
アリシアの元から手が滑り落ちる。
手甲が地面にぶつかる衝撃が部屋全体に響いた。
途端に沈黙する空間、その中に取り残されたアリシアは確かな現実を認識する。
魔王アーデルトは息絶えた、勇者と相打ちとなって。
「ま、魔王をわたしにって……」
アーデルトの遺した言葉をそのまま受け取るならば、そういうことになる。
アリシアに魔王をやれ、と……。
「うえぇぇぇえええ───!?」
ガタガタ……
「!?」
突如、魔王の鎧から物音が立った。
アーデルトは息絶えたはず、それなのにどうして───。
胸部の鎧が震え、何かが出口を求めて飛び出さんとしているようだ。
アリシアを恐怖が支配し、ただ目を瞑って怯えることしか出来ない。
「ぐぁぅ」
「……あれ?」
何者かの吠える声にアリシアは目を開ける。
どちらかというと可愛らしい声、小動物を彷彿とさせる吠えにアリシアは呆気に取られる。
声の主は鎧からひょっこりと顔を出し、アリシアの前に姿を晒した。
「か、かわいい~!」
アリシアは鎧から這い出てきた小動物を手に取る。
それは小さなドラゴン。両手で抱えられるサイズだ。
背に携えた小さな翼をぱたぱたと鳴らすドラゴンは全身が黒色の鱗で包まれている。
トカゲに似た顔つきで、黄色い瞳が大きく愛らしい。
「もしかして、魔王様のペットかな……! ずっと鎧の中にいたの?」
アリシアはドラゴンを両手で抱え、上に掲げて仰ぎ見る。
ドラゴンはあくびをしながら、だらしなく垂れ下がる尻尾を振る。
「あ、忘れるところだった!」
アリシアはハッとして魔王の鎧に視線を向ける。
「わたしに魔王をしろ……ってことだよね。魔王様が勇者に殺されたなんて知れ渡ったら……!」
アリシアは妄想を膨らませる。
魔王不在の魔界、不安に駆られる魔族たち、勇者への敵対心、戦争、焦土と化す魔王城……。
ドラゴンを抱く腕に力が入り、みるみるとアリシアの顔色が悪くなっていく。
「ええーい! なるがままよ!」
半ばヤケクソに覚悟を決めたアリシアは魔王の鎧へと手を伸ばした。
◆
テテーン!
アリシアは魔王になった!
「あ、案外いけそうな気がする……!」
仁王立ちで後光立ち込めるアリシアは全身に魔王の鎧を纏っている。
「わたしの擬態能力も捨てたものじゃないね! どこからどう見ても魔王様そっくりじゃん!」
見た目こそ魔王にそっくりだ。しかし、アリシアが自らの姿を見るその動きには全くの威厳を感じない。
両手を胸元に添え、内股になって左右に揺れているどこか可愛らしい雰囲気。
「がぅ……」
ドラゴンは「違う、そうじゃない」とでも言いたげに懐疑的な視線でアリシアを見つめていた。
「魔王様、この惨状は一体?」
突如、アリシアの背後に少女の声。
「うひゃあっ!」アリシアが跳ねた。
「……うひゃあ?」
少女はアリシアもとい魔王の反応に対して首を傾げて不思議そうな視線を送っている。
(でゅ、デュラちゃん……! どうしてここに……!?)
少女はデュラ・ハントレスリッチー。アリシアの幼馴染で首なし一族の少女。魔王軍親衛隠密部隊に所属する暗殺者である。
首なしと言っても、彼女の首はしっかりと付いている。黒髪碧眼、黒を基調とした布面積の少ない軽めの服装をしている。
「き、君は確かデュラ……といったな。そこのゴミを捨てておいてくれるかな……?」
アリシアは瓦礫にまみれた勇者の亡骸を指差す。
「ぎゃおっ!」
「ぎゃ、ぎゃおちゃん暴れないで……!」
ドラゴンは「魔王はそんなこと言わない」とでも言いたげに暴れた。アリシアは必死に"ぎゃおちゃん"をなだめている。
そんな二人の様子をデュラはどこか遠い目で見つめている。
「あなた、アリシアでしょ。私の目は誤魔化せないわ」
「ギクッ!」
呆気なくすぐにバレた。
「な、なんのことかなっ……?」
「私ごとき一介の暗殺者を魔王様が知っているはずないでしょ、それにどう見てもあなたはアリシアにしか見えない」
「ぎゃす」
ドラゴンも「そうだそうだ」と言っている。
(さ、流石はわたしの幼馴染……鋭い観察眼だ……)
「でも、どうしてあなたが魔王の真似事をしているのかしら? 肝心の魔王様はどこに行ったの?」
「そ、それは……」
(魔王様が勇者に殺されたなんて絶対に言えないよ……!)
「そう、言いたくないならそれでいい。でも、ひとつだけ私から言っておきたいことがあるわ」
「言っておきたいこと……?」
デュラはアリシアを真っ直ぐに見て、真剣な面持ちをする。
「どうやら、この城にいる魔族は私たちだけのようだわ」
「えっ……? それってどういう……」
「勇者がここに来たってことはつまり、既に勇者による魔王攻略は始まっているってこと。城にいるはずの魔族もみんな姿を消していて、これも勇者の仕業だと推測できるわ」
「ま、待ってよ! それじゃあわたしたちはどうすればいいの!? 誰もいないなら、この城はどうなっちゃうの!?」
「だから、もっと危機感を持つべきよ。この城にいる魔族は私たち二人だけ、そして勇者による魔王攻略は続いているの」
「そ、そんな……」
「私たち二人で、勇者を撃退するわ」
「えええぇぇぇ──────ッ!?」
これは、魔王のメイドが魔王となって次々と攻めてくる勇者たちを撃退する物語である。
魔王(仮)は果たして、魔王城を守りきることは出来るのだろうか……。
閲覧ありがとうございます。
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